2 運命とご対面
青年はまるで夢でも見ているのではないかと思いながら少女の瞳を見つめていた。
女性に対する態度としては聊か失礼であるという事が頭から抜け落ちてしまったようで、
普段の彼を知る者からすれば驚きを隠せないだろう行動ではあるが、
生憎この場にそれを咎めれる人間はいない。
ただ一人その視線を真っ向から受け目を瞬かせている少女を除いては。
だがその少女も今はそれどころではないようで、何故か彼を通して
背後を凝視していたため青年は誰にも咎められることなく
少女の紫色の瞳を見つめたままじっと物思いに耽っていった。
彼は二重の意味で驚いていた。
まず第一に見合わせた顔が思っていたよりもずっと幼かった事。
第二は、言わずともわかるだろう。今彼が凝視している少女の目の色の事だった。
よくよく見れば知っている”それ”よりは少女の方が明るい色をしているが、
彼が知る中でこの色の瞳を持つ人間はただ一人。
そしてその人物は行方不明になっている娘を探している。
もうすぐ10年になるという長い年月を経た今でも諦めることなく。
丁度、この少女と同じ年頃になっているだろう、
”彼”と同じ非常に珍しい紫色の目を持つ娘を。
少女は現状をどう打開すればいいのか見当もつかず、途方に暮れていた。
正直に言うと今すぐ回れ右をして逃げ出したい。
なんせ物凄く嫌な予感がして堪らないのだ。
青年の背後に見えた光り輝く薔薇たちは
瞬きを3回程繰り返している間に消えたが、目の錯覚ということにして
「私は何も見なかった」と処理したい気持ちで一杯だった。
確かに薔薇を背負って歩いても違和感ないほどのイケメンではあるが、
乙女ゲームか。
思わずそう突っ込みそうになって慌てて口を噤んだ少女である。
何ならさっきまで追いかけっこをしていた騎士達と
もう一回追いかけっこをする羽目になるとしてもその方がいいと少女は思った。
けれども実行できないでいるのは、
目の前の青年がそう容易く逃がしてくれるとは到底思えないからだ。
寧ろ今背を向ければ拘束する口実を与えてしまう。
何か疚しい事がなければこの状況で逃げるのは可笑しいのだから。
…いや、元々この状況が可笑しいのだからそれでもいいか?
…でもこの感じだと絶対追いかけてくるよね…
少女は青年を見上げながら勝率を計算しようとしてすぐさま諦めた。
高い背に見合うすらりと長い足に鍛えられているのが分かる体つき、
これは絶対に足も速い上に何より体力がありそうで
持久戦に自信のない彼女には圧倒的に不利な相手だった。
せめて相棒であるシロがこの場にいれば話は変わったのだろうが、
いないものを嘆いても仕方がない。
その為少女は開き直って、いつも通りの対応で乗り切る事にした。
上等な服装に腰提げた剣、丁寧な態度からして
彼が上流階級の生まれであることに間違いはない。
もしかしたら騎士かもしれないが、
追いかけてきた騎士とはまた別のようだし、
丁寧で優しい物腰からして恐らく実力行使や
無理矢理追及してくるような事はないだろうと判断を下した。
その分頭が切れそうなので
こちらがボロを出さないように注意しなければいけないが。
嫌な予感は強くなる一方でやけに騒ぐ胸を押さえながら、
早く相棒に戻ってきて欲しいと切に願いつつ、
少女は凝視され続けている目をスッと細めた。
無礼を咎めるような視線に気づいた青年がハッと我に返り
「申し訳ない」と謝罪する。
「その、貴方の様な紫色の瞳を持つ人に滅多に会わないもので…」
「いえ、そういう反応には慣れていますのでお気になさらず」
「私はリューと申します。失礼ですが貴方のお名前をお伺いしても?」
まるで騎士のように右手を左胸に当てて名乗った青年に正直あまり気乗りしないが
名乗り返そうとした少女だが、ふと近づいてくる慣れ親しんだ気配に気づき
突如として上がった勝率にそっと笑みを浮かべた。
その笑みを見て青年・リューが不思議そうに目を瞬かせるも
次の瞬間にはその目を鋭くさせ、振り向くと同時に腰に佩いていた剣を抜いた。
途端に鋭い音が辺りに響き、その音を合図に少女が勢いよく駆け出す。
それを視界の隅で捕らえたリューが「待て!!」と制止の声を上げるも
少女はこちらを一瞥しただけで、その美しいアメジストはリューには
もう興味がないとでも言わんばかりに逸らされ、
彼が今対峙している大きな狼へと移された。
突然襲ってきたこれまた珍しい種類のモンスターに
驚いて逃げ出したのかと思いきや、どうやらそうではなかったらしい。
彼女の高くよく通る声が「シロ!」と呼びかけ
それに応える様に狼が吠えた事で
リューは更に彼女を逃がすわけにはいかなくなった。
襲い来る大きな爪を剣で弾き、鋭い牙を避けリューがほんの少し
体制を崩した途端に踵を返し少女の方へと
駆けていく狼を追いかけながら彼は森に向かって叫んだ。
「エクエス!」
その叫びに少女が首を傾げる前に、リューに呼ばれた”それ”が目の前に現れた。
咄嗟に急ブレーキをかける少女を
追いかけてきていた狼が飛び越えてそれに襲い掛かる。
ぶつからずにすんでほっと胸を撫で下ろし、
少女は改めて飛び出てきた生き物を確認し目を見開いた。
美しい漆黒の体から生える枝分かれした大きな角を持つ
鹿の様なその姿に目を奪われていると、不意に左腕を掴まれた。
反射的に体を捻り右足を蹴り上げ、
容赦なく顎を狙ってくる底の厚いブーツに
咄嗟に手を離したリューから距離を取る。
「っ!これは随分と、お転婆なお嬢さんだ」
「そういう貴方こそ何が”リュー”ですか。
王都の騎士様が、こんなところで一体何のご用です?」
予想だにしない反撃と、その身体能力の高さに驚きつつリューが本音を漏らせば
じりじりと後退しながらも逃げるのが更に難しくなったと
悟った少女がマントで隠してた剣を抜き、構える。
その隙の無い構えと少女が発した言葉にリューは
関心したように一つ頷き、苦笑いを浮かべた。
とは言っても、元々あまり仕事をしない表情筋をしているため
初対面の少女からすればほぼ真顔に近い。
当然彼も油断なく剣を構えてはいるが、攻撃する様子は見せず余裕そうだ。
「エクエスを見ただけで、こんなにもあっさりばれてしまうとは…驚いたよ」
「エーデル=べナードを従えてる人なんて限られていますもの。
それも珍しい漆黒だなんていくら田舎者だって噂くらいは耳にします。
ねぇ、王騎士隊・隊長リュグナード=エルトバルド様?」
「ごもっともな意見だな」
隙を探しながら会話をしつつ、少女はチラリと相棒を見たが
向こうは向こうで距離を保ち牽制し合っているようで
残念ながら援護は望めそうになかった。
そんな少女の様子を見てリュグナードはそっと構えを解き、
相棒を傍へと呼び寄せた。紫の瞳が怪訝な色を宿して彼を見るが、
対するダークブルーの瞳は静かに見返すだけだ。
牽制しつつもじりじりと傍に寄ってきた二匹が
それぞれの主人を守る様に、間に立ちはだかる。
頭を低くし雄々しい角で威嚇され、
その結晶化した先端が光を反射してキラリと輝いた。
「偽りの名を告げた事は謝る。だが俺は君たちと争いたいわけじゃない。
ただ話がしたいんだ。どうか剣を下ろしてくれないか?」
威嚇する相棒を見てリュグナードは剣を鞘に戻し、
宥める様に背中を撫でてから敵意はないと示す様に両手を軽く上げて見せる。
余裕が透けて見えるその態度が気に入らないが、
それでも少女にはもう逃げるという手段を選ぶ事は出来なかった。
理由は二つ。
一つは先ほどは気づかなかったがシロの後ろ足を怪我していた事、
もう一つは少女の左手首に見覚えのないブレスレットがはめられている事だった。
実は少女はリュグナードと対峙しながらずっと魔法を使おうとしていた。
けれども何故かどれだけ魔力を込めても発動しないそれの隣に
見覚えのない銀のブレスレットを見つけて敗北を悟ったのだった。
どうやら厄介な事に魔法封じの効果があるらしく、
注ぎ込んだ魔力が中央で光る宝石に全て吸い込まれていた。
少女が仕方なく剣を下ろし、
未だに唸っているシロの背をぽんぽんと叩き落ち着かせる。
不満そうに鼻を鳴らしはしたが、少女の指示に大人しく従い
その場に伏せたシロの頭を優しく撫で振り返った少女の目に
微かだが険しい色を見つけてリュグナードは首を振った。
「俺じゃない。元々怪我したんだ。」
「そうなの?」
両手を上げて潔白を示すリュグナードを見て、
シロに確認すると不本意そうではるが小さく頷いた。
どうやらさっき撒いてきた騎士たちにやられたらしい。
「…逃げませんからこれを外して頂けません?治癒魔法が使えないわ」
「悪いがそれは出来ない」
無理を承知で頼んでみるも、速攻で断られ少女はため息を付いたが
それ以上は何も言わず、傷を確認し水筒に入れていた
水でよく洗い流してから鞄から薬と包帯を取り出し、手当を施していく。
その手際のよさを見てリュグナードが関心したように「手慣れているな」と呟けば
「まあこのくらいは」とつんとした態度で少女が答えた。
「…それで、話とは?」
「ここでするような話じゃないさ。とりあえず落ち着ける場所に行こう」
「お断りします。
それこそ貴方と座ってじっくり語る話なんて私にはありませんもの」
確かに安全とは言えない場所ではあるが、少女からしてみれば一刻も早く
リュグナードから離れたいので落ち着ける場所なんか行って堪るかという心境である。
速攻で提案を却下された上に、女性にここまではっきりと
拒絶されるという初めての経験にリュグナードは戸惑い、
思わず口ごもったがなんと天が彼に味方した。
ぽつりと二人の間に振ってきた小さな雨粒はやがて
ぽつぽつとテンポを上げて降り注ぎ、
あまりのタイミングに少女は肩を落とした。
今の時期の雨が一度振り出すと中々止まないどころか
激しさを増すということを少女は嫌という程知っている。
「ついに降り出したな…この先に小さいが宿屋があるんだが」
「急いだほうがよさそうですね」
なので仕方なく、
驚く事にこの先の小さな宿屋の存在を知っていたリュグナードに頷いた。
そして未だに彼らを睨みつけているシロが背負っていた鞍と荷物を外し、
少女は気乗りしない様子の相棒の背を何かを促す様にぽんぽんと撫でる。
金色の瞳が文句ありげに少女を見てから、
しぶしぶ閉じられると驚く事に巨体が縮んでいった。
「…これは、驚いたな」
「そう言う割に表情筋が付いてきてませんよ」
「…よく言われるよ」
あっという間に熊程あった厳つい狼が
愛らしい子犬へと変化したのを見てリュグナードは目を見開いた。
まじまじと見てくるリュグナードを気にする事なく
少女が大事そうに抱き上げ、二人は宿屋へと急いだ。