19 前途多難
「ここで最後だ。遅くなってしまったが、昼食にしようか」
「はい。いい匂いですね…緊張してたからか
気づきませんでしたけど、何だか一気にお腹すいてきました…」
「くぅうん」
ユリウスに広く複雑な城の中を
一通り案内されて最後に連れてこられたのは食堂だった。
中から漂ってきた食欲を誘う匂いにすんと鼻を鳴らしたセラが
正直な感想を漏らせば、同意するように彼女の足元でお利巧に
お座りしているシロが鳴き声を上げる。
そんなシロの甘えた声にユリウスはこっそりと苦笑いを浮かべた。
案内をしている最中の凛々しく恐ろしい狼っぷりは何処へいった、と。
部屋を出るなり愛らしい子犬姿から凛々しい狼の姿になったシロは
行く先々でその優秀なボディーガードっぷりを見せつけていた。
つまり、セラに向けられる負の感情を乗せた視線に対し
その鋭い眼光と恐ろしい牙をちらつかせ威嚇して歩いたのだ。
セラに気づかれないように上手くやって見せた彼に
ヘル=ヴォルフというモンスターの知能の高さを思い知ったユリウスである。
食堂に入ると時間が遅いこともあって人はまばらだった。
ぐるりと広い食堂を見渡せば先ほど見た顔が3つ、
こちらに向けて手を振ってきた。見慣れた赤毛はアルフェリアで
黒髪に金メッシュのヤンキーっぽい見た目がオックス=アーノルド、
茶髪の食えなさそうな青年はハーヴェイ=アズラッドという。
騎士、それも超エリートと呼ばれる王騎士隊に所属しているというのに
何処となく前世のDK、それもどちらかと言うと不良よりの雰囲気を持つ3人だ。
こいこい、と手招きをするのでユリウスを見れば彼は
「静かな食事は出来ないが…あそこの席でいいかな」と苦笑いを浮かべた。
セラは「もちろん」と笑顔で頷いた。
説明を受けながらセラはピラフとサラダを頼み、シロ用にチキンを焼いてもらう。
ユリウスは草食系男子な見た目に反してがっつり肉食らしい。
トレーの上にはステーキとハンバーグがほかほかと湯気を立てている。
「お疲れさん、案内は終わった?」
「一通りはな」
「この城は広いからなぁ…覚える事が多くて大変だろうが、頑張れよ」
「分からない事があったら遠慮せず俺に聞いてね」
先ほどのテーブルに向かえばすぐさまそんな言葉と共に迎えられ、
どうぞと引かれた椅子にセラはお礼と共にぺこりと頭を下げて腰を下ろした。
トレーをテーブルに置いてお利巧にお座りして待っている
シロの前に大きなチキンが乗ったお皿を置く。
待ってました!と彼はすぐさまチキンに齧りついた。
前足で器用に押さえて鋭い牙で肉を引き裂き
骨すらもいい音を立てて噛み砕くシロの豪快な食べっぷりに、
噛まれたら一溜りもないなと周りで見ていた騎士たちは青ざめた。
「え、セラちゃん、それだけ?」
「そうですけど…」
心臓に悪いシロの食事風景から視線をあげ、「頂きます」と小さく呟いて
スプーンを握ったセラに思わず口を挟んだのはアルフェリアだった。
信じられないと語る垂れた深緑の瞳にセラは自分のトレーを見下ろすが
可笑しな所は見つからない。
「え、何ですその顔」
それだけ?と言われても、
女性なら普通の量ではないだろうかともう一度顔を上げると
アルフェリアの声につられてセラのトレーを見た他の二人が
彼と同じ表情を浮かべれているのを見つけて戸惑った。
そんなセラを見つめて何故か納得したような表情になる
3人に彼女は何か失礼な事を思われてる気がする、と口元を引きつらせる。
「いや、だからそんなに薄…華奢なんだなって…」
「これからは俺たちと同じだけのお給料がもらえるわけだし、
ここの美味しい料理を一杯食べたら、もっとこう色々ねぇ、」
「可愛いんだけど、色気がなァ…」
うんうん、と頷きあいながら失礼極まりない事を言いだした
3人の視線が控えめな彼女の胸元に向いているのを知り、
セラが文句を言おうと口を開く。
が、その前にいつの間に現れたのか彼らの上司に背後から思いっきり頭を
殴られテーブルに撃沈した3人を見て彼女は開けた口を静かに閉じた。
隣から淡々とした声で「お疲れ様です」とユリウスが上司たちに挨拶する。
ユリウスの挨拶にそれぞれが頷きだけを返し、
唸り声を上げながら頭を抱える3人を冷めた目で見下ろした。
「女性に対してなんて失礼なことを言うんだお前たちは」
「騎士としての前に男として躾直さなければならないか?ん?」
そう言って凄んでいるのは
執事系のおじ様、ルドルファス=オルドランド(49)と
マフィア系おじ様、ディルヴァ=レナクロス(52)で
拳が出たのはこの二人である。
その隣でやれやれとため息を付いている
先生系おじ様、ドラウン=バベッジ(42)が固まっているセラに
柔らかな印象を受けるブラウンの目を優しく緩めて微笑んだ。
「馬鹿たちが失礼な事を言ってすまないねぇ。
後できつく急を据えておくから許してやってもらえるかなぁ?」
「ハイ」
穏やかな口調で告げられた言葉に、3人がびくりと肩を揺らしたのを
視界の隅で確認したセラは引きつらないように意識しながら頷いた。
部下たちを追い出し、テーブルに付いたおじ様方は
3人が3人とも系統は違うが大人の色気溢れる超イケメンなおじ様である。
が、なんか思ってたよりノリが体育会系…!とセラは驚いていた。
ちなみに彼らはそれぞれフェリクス隊、
ソフィーリア隊、シャーロット隊の副隊長を務めている。
シャーロット隊に属するセラの上司はドラウンという事になる。
ちなみにユリウスも同じ隊に属しているため、
こうしてセラの教育係として世話を焼いているわけだ。
「食事を邪魔してしまってすまないねぇ、
食べ終わったら姫様と顔合わせだろう?
その前に少し話しておきたい事があってねぇ」
「ああ、気にせず食事を続けてくれたまえ。こちらが勝手に話すだけだ」
「貴方の仕事内容は我々にとっても実に重要な事ですからね」
そう言って彼らが話し出したのはセラが仕える事になる
ソフィーリアの年の離れた妹君、シャーロットについてだった。
既にソフィーリアから聞いていた生い立ちに始まり、
性格や趣味、生活サイクル、好きな食べものから嫌いなものまで。
個人情報の漏洩もいいところであるが、仕事内容が内容なだけに
事前情報は多い方がいいのでセラは黙って話を聞いた。
3人がソフィーリアやシャーロットだけでなく
セラの為を思って話してくれているのだとそれは彼女にもわかる。
けれどドラウン、ディルヴァ、ルドルファスという
イケおじ3人を前につい先ほどまで主張していた空腹感が
裸足で逃げて行くのを感じつつセラはほぼ無心で
情報を頭に叩き入れながら手と口を動かした。
正直、味はわからなかった。
昨日ソフィーリアから聞いた話と彼らが語った情報を照らし合わせて
セラは自分に与えられた仕事の困難さを改めて痛感した。
大体”笑顔を取り戻せ”とか
顔を合わせたばかりの赤の他人に対して無茶ぶりがすぎる。
それも身内や昔から仕えている馴染みの騎士たちすら
手に負えない状況のお姫様を相手に。
そう思うも、話を聞いて彼らの願いが
どれだけ切実なものであるかもセラは理解した。
セラに託された困ったお姫様は皆にとても愛されている。
――そして、現在。
セラはカツカツと足音を響かせ廊下を突き進んでいた。
真っすぐ前を向き背筋を伸ばして歩く彼女は傍目には何か強い意志を持って
目的地へと向かっているように見えるが、実際はただ歩いているだけだった。
というより目的地はソフィーリアのいる場所なのだが
如何せん肝心の彼女が今、何処にいるのかが分からない。
そんなセラの脳裏を占めるのはただ一人の少女。
彼女の姉とよく似た輝く優雅な金髪を波立たせた、
天使のように愛らしい美少女がその大きな瞳を吊り上げてこちらを睨んでいる。
強い拒絶を訴えてくるライムグリーンを思い出し、セラはため息を付きたくなった。
これは聞いていた以上に厄介そうだと。
それなりに覚悟はしていたつもりだった。
なんせ事前情報ですでに姫様がセラの様に”妹の為に”と
与えられた何人もの人をクビにしているという事は知っていたから。
けれども、あそこまでハッキリキッパリと拒絶されるとは
思わなかったなぁと彼女は自身の考えの甘さを痛感したのだった。
そして今現在、その考えを改め誠心誠意向き合う事を決めて
セラは廊下を歩いているのである。
さてどうしようかと足を止めようとした
その時、後ろから慌てたような足音が追いかけてきた。
「セラ殿、待ってください」
「ユリウスさん」
呼び止める声に足を止め、振り返る。
するとユリウスが小走りで近づいてきた。
その整った顔に若干の焦りが浮かんでいてセラは首を傾げる。
「あの、どちらへ?」
「?陛下のところへ。
でも私、陛下が何方にいらっしゃるのかわからなくて…
ユリウスさんはご存知ですか?」
「え、ええ、存じていますが…理由をお伺いしても?」
「今後の方針のための再確認と念押し…ですかね?」
午前中の先輩らしい態度とは違い何故か態度の低い
ユリウスの妙に切羽詰まったような問いかけにセラは素直に答えた。
というのに、返ってきたのは「は?」という思わず漏れ出たといった感じの
短い言葉と不意を突かれたような表情にセラもつられて目を丸くする。
パチリと瞬くアメジストに見つめられて、ユリウスはハッと我に返った様子で咳払いをしてから彼女が言った言葉を脳裏で反復した。
「失礼しました。
では、姫様の騎士をやめるというわけではないのですね?」
「…あぁ、すみません、驚かせてしまったみたいですね。
でもご心配なく。辞退しに陛下の下へ行きたいわけではありません」
セラの言葉を飲み込んで漸く落ち着きを取り戻した様子のユリウスの言葉に
彼女は何故彼があんな態度だったのかを知り、申し訳なくなった。
そりゃ、出て行けと言われて素直に出てきたら誤解させるわな、と。
先ほどの自身の行動を思い返し、気まずい苦笑いが漏れた。
脳裏で再生されたのは、幼い少女の鈴を転がすような声で
告げられた、その澄んだ愛らしさからはかけ離れた一言。
「貴方なんて必要ないわ」
抑揚のない声はそれでも強い意志が込められていた。
唖然と立ち尽くすセラを真っすぐ見上げて彼女はにこりと可愛らしく微笑んだ。
続けられた言葉まで思い出して、セラは無意識に眉を顰める。
「わかったなら、さっさとこの部屋から出て行って頂戴」
傷一つない白く華奢な指がすっと、持ち上がり
セラから少し離れたさっき潜ったばかりのドアを指さす。
「――さぁ、お帰りはあちらよ」
そう言って彼女は愛らしい笑みを消し去り
もうそこにセラなどいないかのように視線を外した。
優雅にティーカップを傾けるその姿は彼女の姉とよく似て見えるのに、
固まった思考で最近こんなことばかりだなぁと少しずれた事を考える。
セラは思いながらこちらを見ない作りだけは
大変愛らしい横顔にニコリ、と微笑んで。
「畏まりました。それでは、失礼致します」
とそう告げて優雅に一礼し
シャーロットの望み通りに部屋を出てきたのだった。
脳裏に浮かんでいた言葉は戦略的撤退。
現状把握を優先し無策に飛び込んだこちらの甘さが敗因。
そう納得したからこそ、彼女はまずソフィーリアに
再確認せねばという思考に思い至ったのだった。
彼女は怪我をさせるような事以外なら任務遂行の手段はセラに任せると言った。
だから。本当に、私のやりかたでいいの?後から文句は言わないよね?と。
セラの答えを聞いてどこかほっとした顔をして案内してくれる
ユリウスの背を追いかけながらセラはふとあのライムグリーンを思い出した。
そして一つ決意する。
それは相手が子供だろうが、お姫様だろうが、関係ない。
――ぜってー泣かす。
私から目を離した後のあの何処を見てるのかわからない、
それでも美しい宝石の様なあの瞳からぼろぼろと音が聞こえそうなくらい盛大に。
与えられた仕事とは真逆の事を心に決め、彼女は開けられたドアを潜った。
「会議中失礼してすみません陛下、皆様も」
「ど、どうしたんだセラ。シャーリィが何か、失礼な事でも…」
「いいえ。ただ、大至急確認したい事がありましたので――」
上座で何処か狼狽えた様子のソフィーリアに
セラは優雅に一礼し、顔を上げてニッコリと笑う。
見覚えのあるその力強い笑みにソフィーリアから近い席に座っていた
リュグナードの肩が小さく跳ねたが、幸いにも誰にも気づかれる事はなかった。
※シロが鳥の骨を噛み砕く描写がありますが、
それは彼がとても丈夫な顎を持った”モンスター”だからです。
鳥の骨は縦に裂けたりして危ないのでワンコには与えないでくださいね。