16 ”ヒロイン”
※セラ視点です。
「それでは明日の朝お迎えに上がりますね」
「ハイ」
そう言って優雅に一礼したリュグナード様に
引きつった笑みで頷いて通りの人込みに紛れていく逞しい背中を見送って。
正直引きずりたくなる足と丸めたくなる背中をしゃんと伸ばして、
場違いな程に豪華な廊下を歩き用意された部屋へ向かう。
大きさの割に静かにしまったドアを音で確認してから、
叫びたいのを堪えて天蓋付きの無駄にでかいベッドへ向けて駆けだした。
勢いもそのままにバッと飛び込むとぼふんと柔らかく受け止められる。
行儀悪く足をばたつかせブーツを吹き飛ばす様にして脱いだ。
頬を滑る上質なシーツの肌触りが今はとても煩わしい。
バタバタと暴れてみても、一向に荒れた心は静まりそうもなかった。
「あー…やっちゃったぁ…」
それでも気が済むまで暴れて、疲れてきたのでごろりと仰向けになる。
視界に飛び込んできた紺色の天蓋は見慣れないのに何処か懐かしい光景に
思わず口をついて出た言葉は、後悔以外の何物でもなく。
「あーあー…」と無意味に声を出しながら両手で顔を覆った。
明日の朝、迎えに来るんだって。
リュグナード様みたいな、騎士服を着るのかな、明日の私。
着るんだろうなぁ…だって、明日から騎士になるんだもの。
陛下が弟君…フェリクス王子殿下に王位を譲るまで…
という事は凡そ1年半といったところか。
ほんと人生って何が起こるかわからない。
私が、騎士とか……想定外にもほどがあるよねぇ…
旅人から騎士、それも王族に仕える騎士様になるだなんて…
そんな転職ありなのかって言いたい。
そこまで考えて、両手を大きく左右に投げ出した。
所謂大の字になっても後2人は余裕なベッドを意味もなく転がる。
じっとしていると昔の私がひょっこりと顔を出してきそうで。
それだけは、どうしても避けたいから。
ゴロゴロと端まで転がって落ちる一歩手前で大きく深呼吸をした。
…よし。決まってしまったものは、しょうがない。
これから私がしなきゃいけない事は
この後悔を今以上に大きなものにしないように努力することだ。
姫様付の騎士になってしまったからには
宰相を務めるヴェールヴァルド卿に
会わずに王都を出るなんて事は不可能なのだから。
とても心苦しいが傷つけてしまう事が、もう確定してしまっている。
それなら…いや、それでも。
揺らぐ決意をどうにか押しとどめ、
足に力を入れて振り上げその反動で勢いよく立ち上がった。
「シロ、お風呂入ってくるね」
荒ぶる私をソファから見守っていたシロに
そう声をかけて昼間も使った浴室へ足を運ぶ。
小さな赤い石のついた蛇口をひねり浴槽にお湯を溜めつつ
脱衣室でうだうだする心を振り払うように服を脱ぎ捨てた。
音と湯気を立てながら前世で憧れた白磁の猫足バスタブに
溜まっていくお湯に、相変わらず便利だなぁと呟いた。
この世界はファンタジーに溢れている。
魔法やモンスターが存在し、
世界観や街並みは中世のヨーロッパを彷彿させる。
けれど前世と似通う点が実はかなり存在するのだ。
例えばこの蛇口。
小さな赤い石は実は魔法石の欠片で水をお湯に帰る魔法がかけられている。
青い方を回せば水が出て来る。電気線もガス管も存在しないのに、
変わりに存在する魔法を使って高い生活水準が保たれているのだ。
移動手段馬車なのに。
中世のヨーロッパを連想させる街並みや世界感に不安を抱いていた
私は屋敷のトイレがごく当たり前のように水洗だったことに
感動して母の腕の中で泣いた。あの時はまだ赤ちゃんで、
羞恥プレイ以外の何物でもないおむつが外れる事への喜びと
未知のトイレ事情への恐怖に日々悩まされていたのだ。
そんな事もあったなぁと思い返しているうちにお湯がいい具合に
溜まったので、線を閉め、無駄に気品のある桶にお湯をすくって体にかける。
備え付けられているボディーソープを使えば華やかな香りが浴室に広がった。
体と髪を洗って、昼間は浸かれなかったバスタブにお邪魔する。
肩まで浸かるとここ数日で異常なほどに蓄積した
疲れやストレスがゆっくりと溶け出していくのを感じた。
やっぱりお風呂はいい。命の洗濯とはよく言ったものだ。
お風呂最高。これぞ至福のひと時。
ふー、と息をつきながら縁に左腕を乗せて
カチャリと小さく響いた音で”その存在”を思い出した。
「これ外してもらうのすっかり忘れてた…」
左手首を飾るリュグナード様につけられた銀色のブレスレット。
これを付けられてからずっと外していた私のブレスレットと違って、
肌にピタリと張り付いているからか邪魔にもならず完全に忘れていた。
ルドガーやジェイルも居て旅がスムーズかつ快適なものだったのも
要因の一つだろう。だって、魔法を使う必要がなかったもの…
明日忘れずに外してもらおう。
「あー、すっきりした」
久々の湯舟を心行くまで堪能して、備え付けられていたパジャマに袖を通す。
髪をタオルでくるくると巻き上げてから
使ってないタオルを手に取りお湯につけて軽く絞る。
すると今まさに呼ぼうと思っていた存在がドアの隙間から顔を出した。
「明日から王宮勤めだからねぇ…シロも綺麗にしとかなきゃね」
そう言いながらシロの体を拭いていく。
昼間シャワーを浴びた時に一緒にお風呂に
入っているので目立った汚れはないが、念のため。
拭き終えたら次はブラッシングしながら、
魔法式のドライヤーを使ってふわふわになるように乾かすと
ちょっと毛の短いポメラニアンみたいになった。めちゃかわ。
その後自分の髪も乾かしている間に襲ってきた眠気と戦いながら
ふらふらと今宵限定の先ほど暴れ倒した最高級ベッドへと向かう。
「あ、」
もぞもぞと布団に潜り込んで
大きな枕を抱きしめ心地いい微睡に身をゆだねようとしたその時。
思い出したとある怪奇現象に思わず舌を打ちそうになった。
そうだ、まだなんか面倒事があったな、と。
すっかり遠のいてしまった眠気に少しがっかりしながら
起き上がりベッドの上で胡坐をかく。近くのソファから
ぴすーぴすーと可愛い寝息が聞こえるのを確認して”ステータス”と呟いた。
すると目の前にまるでゲーム画面のようなものが現れる。
これは転生した特典とでも言うのか、
生まれつき私が所有している特殊能力だ。神様ありがとうございます。
うっすらと青いガラスの様なモニターに浮かび上がる文字を確認していく。
一番上からセラ(本名エリューセラ=ヴェールヴァルド)と始まり、
年齢や職業、更には身体能力値(体力・力・魔力・早さ・運 等)が
分かりやすくレベルで表されていて、筋トレなどをこなして
経験値を稼ぎレベルを上げてくのが私のひそかな趣味だ。
一回一回の努力の結果が目に見えてわかるので
前世では全く続かなかった筋トレが頑張れるようになった。
普段とそう変わらないそれらを確認していると(え、運下がってる!?)
ふとそこで画面の右側に、今までは存在しなかった
インデックスのようなものがある事に気が付いた。数は全部で6つ。
色も6色あり上から黒、オレンジ、青、水色、赤、緑となっている。
インデックスで黒とか初めてみた…とかずれた所につい思いを
馳せてしまうのはその上で主張する「リュー」の文字のせいだ。
オレンジには「アル」と書かれていてあとの4つは何も書かれていない。
思わず半目になった。嫌な予感しかしない…と思いながら
じとっと睨みつけてみるも当然反応があるわけでもなく、
渋々手を伸ばし「リュー」と書かれた場所をタップする。
「う、わぁ…」
切り替わった画面に思わず心の声がそのまま漏れた。
一番上の文字はリュグナード=エルトバルド。
頼んでもないのにご丁寧に写真(?)付き。
私のと同じように年齢や職業などといった個人情報が
ずらっと並んでいるが、その多くが”???”で埋め尽くされていた。
しっかり表記されているのは私が彼について元々持っていた知識と
リュグナード様との会話の中で既に知っている情報だけだ。
…なんだ?聞き出して穴を埋めろってか?
乙女ゲームか。
いつぞやもした突っ込みを入れながら、現実逃避を試みる。
いや、私だって逃げてたって何も解決しない事はわかってるんだよ?
でもさあ、意味ありげに名前の下に七つ並んだハートとかさぁ。
それも左端だけ、ピンク色でなんかキラキラしててさぁ。
他の六つは主線だけの空枠とかさぁ…ほんっと、何なの?
乙女ゲームか。
もう一度呟いて、やさぐれた気持ちになりながら右上にある
PCのフォルダマークみたいなボタンをタップして、思わず両手で顔を覆った。
「ぬぉおおおお…!」食いしばった歯の間から
乙女らしからぬ奇声が漏れたが気にしていられない。
切り替わったその画面には、横3つ縦4つの合計12個の長方形の枠。
その多くはハートの時同様に空枠だったが、
一番上の3か所には写真の様なものが浮かび上がっていた。
その全てがリュグナード様で、また映っている表情や背景を私は知っている。
そしてその画面の並びや構成にも嫌と言う程、見覚えがあった。
スチル…!
これ、マジで乙女ゲームか…!
薄々、といかもう気付いてたけど…!認めたくなかった…!
前世ではそれなりに漫画やゲームを嗜んだ身である。
基本はRPG系とパズル系が好きなのだが、パッケージにつられて
本格的なアクション系や乙女ゲームまで手を出していた。
いやぁヒロインがさ好みだとついつい買っちゃうよね。
なんて私の主張は「えぇ?普通男キャラで選ぶでしょ」と
友人に理解はされなかったけど。
って今、それはどうでもいい。
指の間から間違いであって欲しいと願いを込めてもう一度見やるも
当然、変化なんてあるわけもなく。まじかぁ…と途方にくれるしかなかった。
ちなみに左から順に、出会った時、鉄仮面が崩れた破顔一笑、
そして今日見た憧れの騎士様スタイルである。
なんかやたら可愛い感じでNew!!って書いてあるぅ…!
今日のは、応接間で出迎えられた時に
なんかやたら眩しいな輝いてるなぁって気づいたけど
爆笑してる時は気づかなかったなぁ…
あの時は動揺が激しすぎてそれどころじゃなかったから
見落としてたのかもしれない。
これ以上見ているのが辛いので
左上のバツ印を押すと何故か私の画面にまで戻った。
いや、その方が心臓には優しいけど。
湧き上がる嫌だなぁという気持ちを押さえつけ、
「リュー」の下にある「アル」と書かれたインデックスをタップする。
やっぱりぃ…!!
表示された名前とキメ顔の赤毛のイケメンに正直、かなりイラっとした。
個人情報はリュグナード様と同じく”???”で
埋め尽くされているので読む必要はないだろう。
え?スチルは確認しないのかって?
…これ以上削られたら夜逃げしたくなるからスルーの方向で。
インデックスは残り4つ。
…もしかしなくても、残りの攻略キャラたちだろうなぁ…
試しに3つ目をタップしてみたが、見事に”???”しかなかった。
今までRPGだと思ってたのに…!
純粋に訓練して、戦って、
経験値積んでレベル上げていくだけでいいよぉ…!
それだけでもう十分なご褒美ですよ神様!
私に乙女ゲーム特典なんていらない…!
ましてやヒロイン枠だなんて…!!
このポジションが女の子の憧れであることは十分に理解している。
だけど、だけどね…!私には必要ないの…!!
もし仮にリュグナード様やアルフェリア様と
エンディングを迎えでもしたら、自由気ままな旅人生活とはおさらば…!
そして私の今まで培ってきた旅人スキルが全部パァになるじゃない…!!
干物女だって言われてもいい…イケメンは好きだが、
それ以上に私は誰に振り回される事のない平穏で快適な一人旅を選ぶ!
…ヴェールヴァルドを
捨ててまで選んだ生き方を、今更変えられてたまるものか。
私が選んだのは安定した幸せよりも時に残酷なまでの自由なのだから。
――だから、トキメキなんて必要ない。