第五話 ソシュール道場
ソシュール道場に入門したアレックスは充実した日々を、苦闘を重ねていた。
師範レイ・ソシュールとその養子エルキュールを筆頭に、高い霊能を持つ人々が集うソシュール道場。
剛力を持っているのは当たり前で、さらなる上積みを求める者が研鑽を重ねる場であった。
説法師のほかに浄霊師も少なくない。
浄霊術とは、世にあまねく満ち満ちている霊気を変換利用する異能である。
武器に纏わせ威力を底上げし、あるいは指先や掌から霊弾を飛ばし。
彼らの技巧的な得物の用いように、霊気の精密なコントロールに、アレックスは翻弄された。
異能を持たぬ達人も多い。
稽古相手を求めて他流から訪問する者も引きを切らぬ。
結果、片手剣と槍が専門の道場でありながら、両手剣、鈍器、斧に刀と、あらゆる武術に触れることも可能で。
その名門にあって、アレックスは入門当初から先輩連を圧倒し名を響かせた。
相手の懐に飛び込んでしまえば、よほどの達人でない限り防ぎ得ない。
助走の勢いを駆って吹き飛ばし、剛腕から繰り出す一閃で床に沈める。
しかしこの道場に集う面々は、それを二度許すほど甘くはない。
高速の接近を身に迫る寸前で見切る。盾で弾き木剣を突き込んで来る。
間合い勝負となってしまえば、身長の差が実力の差に直結する。
「見え見えさ。単純すぎるんだよ」
憎まれ口を叩く先輩も、いまだ十代でありながら、アレックスを――武芸自慢の髭面を一蹴した麒麟児を――いなすだけの実力を備えていた。
が、「ではお前から仕掛けてみよ」と師範代のひとりに声を掛けられ青ざめる。
アレックスはただ剛力に恵まれた子供ではなかった。目が良い。勘が良い。抜群の運動神経を備えている。
幼時より家伝の鍛錬を積み、ソシュール道場に入門するやその「筋」を貪欲に吸収し始めてもいた。
受けに回れば見切り良く己の間合いで斬撃を受け、そのまま盾で吹き飛ばしにかかる。あるいは字義通り「目にも止まらぬ」速さで右手の木剣を突き込んで来る。
だがこの日、稽古相手はアレックスの盾を凌いだ。咄嗟の動きで剣も受けた。
どうだ、新入りにいつまでもやられっぱなしではないぞ、仕切り直しだ!……と思ったところに、回し蹴りを決められ床を転がる。
「貴様では打ち込み稽古の相手は務まらぬな」
年若い師範代による、率直な宣告。受けた若者も正直に悔しがるばかり。
そんなことでへこんだり恨んだり嫉妬したりする暇は無い。
誰であれ、次の相手を見つけて腕を磨くのみ。
「そしてアレックス、お前はなあ……何せ背が低い。馬鹿力に頼るまいと思えば身長差を埋める小手先の工夫ばかりが先行してしまう」
「まだ」背が伸びていないだけだと。
思春期の少年としては、そう主張したいところ。
なおこれは後年の話であるが、アレックスの身長は180cmほどに達した。
この世界では明確に平均以上と言って良いのだが、武芸者・軍人の間では「平均よりは低い」水準で。
「平均よりは高い」程度、190cmほどのエルキュールとやり合う際にはその10cmに、拳ひとつ分の間合いの差に苦心することとなった。
「仕方無い。お前には不足だが……リン! 型稽古は、今後アレックスと組んで行うように! 打ち込み稽古は厳禁だぞ?」
指名を受けたリンは、13歳当時のアレックスとほぼ同じ身長であった。
やはり説法師、その倍率は3倍。
そして2歳年上の……女子。
「嫌になるなあ。入門してすぐの子よりも弱いってんだから」
世間的には十分以上なのだ。
厳しい道場で数年稽古を重ね、技術は一流の水準にある。
そして筋力が常人の3倍ならば、男でも敵わない。
その打ち込みは正確無比であるように、当時のアレックスには思えたものだ。
首筋、鳩尾、腕の脈。1cmのところにぴたりと止めてくる。
対して「寸止め」の域にある少年に、リンは白い歯を見せていた。
「悪くないけど、まだ力任せだね。私たちは筋力に恵まれてる。『得物に振り回される』とか、『流れてしまう』ってことが無いんだから、もっと精密に行けるはずだよ」
強い反発を覚えたのは、自覚が……痛感するところがあったから。
実家にいた頃には、もう少し筋が良かった。リンには敵わぬかも知れぬが「半寸止め」ぐらいのことはできていた。
「分かったか、家出坊主? 野試合が続くと粗くなる。素振り、走り込み、そして型稽古。基本の継続を忘れるなよ? 背が伸び始めれば、そのたび修正が必要にもなるからな」
師範代のその説諭を見計らったかのごとく、「今日はこれまで」と、師範のレイが声を掛ければ。
「みな、食事を摂っておくように」
また別の、壮年の師範代からすかさず出されたその宣言に。
歓喜と辟易と、ふた通りの声が上がる。
鍛錬の後は栄養補給。
疲労回復のために、また若い弟子たちの成長のために。
生活力皆無の武術バカ共が命を繋ぐために。
大変結構な話ではあるのだが。
「また菜飯かよ!」
とて、懐に余裕のある者は外に出る。
もう少しマシな物を求めて。
ウォルターは……と見るや、これがいつものように台所へ出てきては菜飯を口に運んでいた。
背を丸め、えずきながら。腹に一撃決められたのであろう。
筋は悪くないが、異能を持たぬウォルター。正直、道場のレベルに追いつくのはなかなか難しいところ。
「ウォルター、お前はマシな物食えるご身分だろうが」
「俺たちは切実なんだよ」
「おいおい、米麦を道場に入れてくれてるスポンサー様だぞ?」
ソシュール道場はそうして運営されている。
武術好きの宮さま(有力王族)が高弟兼任の後ろ盾になっていて。
やはり弟子の上流貴族や有徳者が金を出し物を出し。
そうして設備環境が整えば、道場はますます隆盛に向かうという次第。
そういうわけで立場や身分、微妙なところはあるけれど。
同じ弟子、道場仲間には違いない。
先輩たちは遠慮ない口を聞いていた……いや、ウォルターがそれを許しているのだけれど。
「ならば肉、肉をお願いします!」
などと、ひとりが厚かましく口にしてしまえば。
「何か文句がありますか」と、食事の世話をする下男の機嫌が斜めになり。
「それとリンさん! あの一画、迷惑なんです。ネギ植えようと思ってたのに」
とばっちりを受けた少女、悪びれるでもなく片目をつぶっていた。
道場では見ることのできぬ、年相応の魅力的な笑顔。
庭から差し込む光を受けて輝いていた。
「いいじゃない、ほんの片隅なんだから。うるおいも必要でしょ?」
みなで覗き込んでみれば、そこには白い花。
「好きなんだ、アヤメ。白いのは珍しいんだよ? 生えてるの見たら、世話しないわけにいかなくてさ」
剛力自慢の意外な一面。
照れ隠しに冷やかしを入れるほか、無骨な男共にはできることもなくて。
「女子力(笑) ここに通っておいて」
「からかうなよ、大事なことだろ?」
「口説くのは良いけどさ……リンさん、いかがでしょう?」
素直に褒めようとしない連中に、道場の花も相応の報いを食らわせていた。
「大根の葉を前歯に詰まらせながら口説く? ないわー。……と、それじゃあ仕事入ってるんで、お先に」
「残念でした。ま、高嶺の花だよな。説法師の女子」
剛力の持ち主にして、女子。
貴族夫人や令嬢の護衛兼侍女として、引く手数多なのである。
給与は高く、職場環境は良く、行儀見習いもできる。大貴族の中枢部に顔を出す若者との出会いも多い。
「よし、振られたコイツのために、今日は良いところ行くぞ!」
「おう、アレックスの歓迎も兼ねて……」
「せめて私に聞こえないところで言えバカ!」
庭先遠くから、リンの怒声が飛んできた。
気合声を響かせ打ち合う武人たちは、みな声が大きすぎるのである。
「そうだ。我々武術バカはあまりにもコミュ力が低い。これでは女を口説くなどおぼつかない」
ひとりがなにやら怪気炎を上げれば。
「と言って、女子を口説く練習をするためには女子に話しかける必要がある」
およそ武術は呼吸もの。
すかさず入った合いの手は、「服を買いに行く服が無い」。
「だから売春宿ではなくてだな、最近できた店なのだが……」
男が所属する宗教団体「天真会」が、極東で新たな店を立ち上げたのだそうな。
売買春は無し。酒を飲んで店の女性とおしゃべりするだけ。
その営業形態がさっそく王都に持ち込まれた。こういうことは早いのである。
「それ、何が楽しいんだ?」
「何でも、上流貴族が出入りするサロンの雰囲気を味わえるらしい……そこはかとなく」
「上流」の一語に、みながウォルターを振り向けば。
「アレックスを連れて行くならその方が良かろう。売春宿はさすがにまだ早い」
背を丸めいまだ苦しげな息の下から、必死で声を振り絞っていた。
ソシュール道場の位置は、王都から北におよそ2~3kmとイメージしております。