第四話 中流貴族
「村を出て後は船に乗り、左京に向かいました」
船賃は、その後の生活は……と尋ねようとして、兄のフィリップは口を噤んだ。
見覚えの無い片手剣。由緒を示す紋章は削り取られていて。
ここ近衛府の寮を訪れるわずか小一時間前にも、武芸者を殺害したとあれば。
「父母に、ヴァロワの家名に恥ずるような行いは?」
「ありません。武芸者と試合をして路銀とこの剣を手に入れました。商人の護衛をしたこともあります。王都でも世話になったところには礼をしました」
よどみなき返答。誇らしげであった。
家を出たときにはほんの子供であったものが、ずいぶん逞しくなった。
わずか2週間でも旅をした経験とは、そこまで大きいのだろうか。
だが、言うべきことがある。
フィリップはそのこと忘れてはいなかった。
頭ごなしに告げても反発されるばかり、それも分かっていた。
「お前が家を飛び出した後。『某公爵家の若君に無礼を働き逃げた者がある』とのことで、捜査が行われた」
アレックスの肩がびくりと波打った。
「当ヴァロワ家は当然、近郷の者もお前の名を出すことは無かった」
ほっとひと息つかせておいて。
成長した弟をただ叱るのではなく、考えさせるためのひと言を告げていた。
「結果、村の娘が追及された。一家は村を逐われた。……いや、さすがに追放処分では無かったな。村としてかばいきれなくなったと言うべきか」
この後のひと言が、後々までアレクサンドル少年に大きな影響を及ぼすこととなった。
「事を行うならば徹底しろ。事後の処理まで責任を持て」
他にも言いようはあったかもしれない。
アレックスに……家出少年にフィリップが伝えたかったのは、「事後のことまで良く考えてから動け、無分別な行動はするな」ということなのだから。
だがヴァロワの家は中流でも長く続いた軍人貴族。
その総領息子として生きてきた男の物言いは、どうしても殺伐の色を帯びる。
同じ家に育ったアレックスも、その言葉を素直に、真っ直ぐに受け止めた。
だいたい、よりにもよって、今しがた経験したばかりなのだ。
「事後」を考えずに髭面を生かしておいたせいで、余計なトラブルに見舞われたではないか。
「フアンとやら、殺しておくべきでしたか」
「物騒なことを言うものではない」……などと、殺戮を忌避するかのごとき弱腰を口にできぬのが軍人貴族である。
そこでフィリップが選んだ言葉は――決して極論ではなく、この世界では十分起こりうる未来予測ではあるが――逆ねじであった。
「より綿密厳格な捜査が行われるわけだな? 犯人が見つからなければ……いや見つかろうとも、娘の一家どころか村ごと皆殺しにされかねない」
十分な教育も受け、人並み外れた武芸の才覚を授かってもいたアレクサンドル。
だが本来は穏やかで礼儀正しい少年であった。
それが2週間で、多様な経験をした。
兄が報告を求めなかったから口にすることを控えたけれど、殺伐を、人の悪意というものを知った。この国は、王都はそうしたものに満ちているということも。
貴族とは、「えらい人」。
だがその意味は、「立派な人」ではなくて「力ある人」であった。
力ある者が悪意を振るう時、被害はどこまでも広がる。
アレックスには、兄の言葉を現実として感じられるようになっていて。
けれどあの時抱いた感情が、起こした行動が、間違っているとは思えなくて。
「ならば見逃せば良かったと言われるのですか!?」
フィリップは無言であった。やがて腕組みし、瞑目した。
子供をようやく卒業したばかりの男には、それは肯定にしか見えない。
そして子供は、すぐに人を追い詰めてしまう。
思春期の少年らしく、言われた言葉をそのまま返すようにして。
「それで軍人を、貴族を名乗れるのですか!? 父母に先祖に顔向けできるのですか!?」
「黙れ!」
おかしな風向きに、コクイ・フルートは苦笑していた。
13歳からは大人に見えても、フィリップとてまだ20歳なのだ。
弟に対し正直に振舞うには、まだ少し余裕が足りないようだと見て取った。
「フィリップ君、家出少年に教誨を加えたい気持ちは分かる。剛力を持つ説法師は、行動に慎重を期すべきだということも。だがそこまで追い詰めては逆効果。暴発せざるを得なくなる、それが我ら軍人貴族だろう?」
ウォルターの乳母夫であるだけに、40も間近で。
父親として子供に接したことがある人物は、この場では彼ひとり。
「模範解答を示すことだ。子供と思って押さえつけるのではなく、兄として背中を見せてやれ。長男の君が、中流貴族の総領息子が、何を背負ってどう動いているか。アレックスにしても知って悪いことは無かろう?」
似た家格。世代が父親に近いぶん、官位官職も上の大先輩であれば、上司の側近でもある。
助け舟を、フィリップは素直に受けることにした。
弟にはあえて厳しい顔を見せつつ。
「村娘の一家は、とある上流貴族が保護した。館の下働きとして雇ったらしい」
リチャードさん……と言おうとするところを、大声で被せる。
「誰であれ、名を口にしては迷惑になるかも知れぬ! そもそも問題の本質はそこでは無い! お前が後始末を怠ったことだ! 賊を殴り倒して気絶させたなら、娘をヴァロワの家に連れて来い。貴族屋敷ならば、簡単には捜査の手が及ばぬのだから。父か私が、リーモン閣下かオーウェル閣下に話をすれば……」
「使える」三男坊として、学問や武術を教えてきた。それは間違いないところ。
だが三男坊は三男坊。家の経営……いや家同士・貴族同士のあれこれをアレックスに教えておくことを、ヴァロワの家は失念していた。
今後どうすれば良いのやらと、迷いも生じたけれど。
「話をすれば?」と、続きを問いたげな顔を見ていると。
そこは兄弟、同じ血が騒いでしまい。
「相手が上流でも、喧嘩に持ち込める!」
やはり兄もヴァロワの男だ、軍人貴族だと、アレクサンドルの頬が輝いた。
ほころぶその顔に、フィリップがもう一度叱声を叩き込む。
「逆だアレックス! そこまで準備しなければ上流には喧嘩を売れぬ!」
叱られてなお、アレックスは喜びを覚えていた。
ウォルターは、リチャードは、事前に準備を万端整えていた。事に臨んでは慌てず人を差配していた。後始末まで考えていた。
自分とはまるで違った、遠いところにある人々のように思えたけれど。
兄も、ヴァロワの家も。つまり自分も同じように動ける、その可能性はある。
表情の意味を瞬時に把握したコクイ・フルート。
アレックスの上機嫌にすかさず乗じたのは……上流だの貴族だのではなく、思春期の、反抗期の少年を何度も見て来た年の劫によるもので。
「兄上が『ウラ』を、『本音』を教えてくれたのだから、君が素直になる番だぞアレックス。言い過ぎだということは分かっているだろう?」
父母、先祖に恥じることはないのかというくだりである。
言ってはならぬひと言であった。
「申し訳ありませんでした、兄上」
それをなぜ最初に口にせぬかと。
強情な弟に腹も立ったが頼もしさを覚えもし。
ここはもう一段、正直になってやるかとフィリップも頬を緩めた。
「いや、アレックス。お前の行いは正しかった。だからリチャードさんも、ウォルターさんも、テオドアさんも。村人までが協力してくれたのだ」
「閣下」、あるいは「小隊長殿」ではなかった。
ウォルターは自分と兄に名前を許している。
それは、仲間と認められるにふさわしき行いをアレックスが為したからで。
アレックスが踏み出したから、リチャードも動いた。
村娘を保護した。アレックスの身元を調べ、事件の真相ごと兄に伝えた。
兄も信用できる人々……ウォルターやオーウェル家にだけは打ち明けて、自分の捜索を頼んでいたと。
「よくやった」と、肩をぽんと叩かれれば。
ここ2週間感じていた疎外感や無力感も、少しだけほどけたような思いを覚えたアレックス。
生意気盛りの年頃だけに、「許してやっても良い」とか、そうした程度であったけれど。
それにしてもウォルターは、やはり淡々としたもので。
「『その後』を報告してくれるとのことだが」
感情の薄い男なのだろうかと、アレックスは小さな疑問を覚えていた。
「はい、小隊長殿。その後、検非違使庁と右京職による捜査が行われました。あの近郷で力自慢・武芸自慢と言えばまずはアレックスですので、当然疑いの目が向いたというわけです」
ふたたび「小隊長殿」に戻していた。
これが兄の、中流貴族の「けじめ」……いや、プライドや生き様と言うべきものなのかもしれない。
ぼんやりと、そんなことを考えていた。
そして、フィリップの説明によれば。
検非違使庁では、「『大男』ならば違うでしょう。皆さまが小男を見間違えるほど動顛するなど……まさか13歳の子供に手も無く薙ぎ倒されるはずもないでしょうし」と、白々しく宣言して捜査をサボタージュ。
と、言うのも。
検非違使には中流軍人貴族、それもヴァロワ家とはかなり近い立場出身の者が多い。領地の村までご近所さんであったりする。
それだけに日頃は出世争いだ境界紛争だと内輪でいがみあうことも多いが、「外敵」相手には団結する。人間社会の常である。
「問題は右京職です。連中、アレックスの仕業であると確信していました」
右京職(≒都知事)はそれこそマフィア政治家だということ、都の者なら子供でも知っている。
穏やかな兄に迷惑をかけたのではないかと……澄んだ瞳に浮いた動揺は、しかし杞憂であった。
「だが彼らにはヴァロワ家の領地に立ち入る権限がありません。見つけ次第追い返しました」
ホーム&アウェイなどという言葉があるけれど。
それぐらいに、どこの世界でも中小の貴族――軍人、土豪、国人、地侍など、どう表現しても変わらないが――とは、地元では負け知らずの存在である。
敬意の籠もった弟のまなざしに、兄は余裕の笑顔を返していた。
「アレックスよ。お前は病気ということになっている。代理としてニコロに寝込んでもらっているところだ。『アレクサンドル様のおんために』と言ってはいたが、乳兄弟をおいてけぼりにして連絡のひとつも無しとはなあ……恨まれるぞ?」
5年先まで言われること間違いなし。
整った顔。これまでずっと、冷たく強張っていた。
玲瓏とはこれかと……怯えや畏怖すら覚えていたコクイ。
しかし今、げんなりとため息をついているその姿には、確かに人間を見出せる。
だが直に接しなければ、噂ばかりを知ることになる。
右京職がこだわる理由は、ヴァロワ家ではなくこの少年かと。
説法師をはじめとした異能者は、重宝もされるが忌み嫌われる存在でもある。
貴族の三男坊、立場などあって無きが如きもの。まして何も知らぬ子供である。
簡単に揺さぶることができる。難癖をつけておいて恩を着せ、自派に取り込もうと思ったものか。
そんなコクイの心配をよそに、少年の兄とかけがえなき彼の主君とは笑いを交わしていた。
「ええ。オーウェル家のご協力がありました。ご当主の弟君・テオドアさんが立ち寄りがてら、見舞いであると。そのまま極東の、新都の学園長として、出向されました」
「言葉は悪いが、高飛びか。追及のしようもないところ、ケチをつければ『何か含むところでも?』とオーウェルが出てくる」
その会話にも鋭い目を光らせているアレックスを眺めるにつけ……年齢相応の危うさが感じられて。
「ではこれまでにいたしましょう、若。……フィリップ君、明日にもソシュール道場に正式な挨拶を」
身を守るためにも、「上」を知ることを通じてさらに知恵を磨くためにもと。
差し出口に近いひと言を、コクイは添えずにいられなかった。




