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第三話 公達 (R15)



 アレックス少年はその日、いつものように棍棒を携え兎を追っていた。

 弓も使えぬことは無いが、力加減を誤ると弦を切るどころか鳥打ちをへし折ってしまうのが説法師モンクゆえ。

 

 丘の上に立てば、そこから北は隣村。踏み込めば争いになりかねない。

 若衆に囲まれたとて負けるはずも無いが、勝って自慢になるものでもない。

 引き返すか……と下を望んで、その碧眼は見慣れぬものを捉えた。


 遠目にも判別の付く、きらきらしき一団。上流貴族の若君である。

 祭の出し物でも眺める気分で腰を下ろした少年、違和感を覚えた。


 一団が足を止め、内向きの輪を作っていたから。


 王都の南西郊外は平和な農村……とは必ずしも言えぬ。

 流しの芸人ならぬ流しの賊は現れるし、東の川沿いはヴァロワ家よりもなお家格の低い軍人貴族の寄り集まりで、何かあると若者が喧嘩だ出入りだとやり合っている。いや、アレックス自身も参戦済みどころか、子供のくせしてすでに一方の頭分であった。


 いつ何が起こるか分からぬのに無用心な連中だと目を凝らしたアレックス。

 現に何が起きているかを理解した。


 穏やかに育てられたアレックスは晩熟おくてであった。

 一から十まで、全てを知っていたわけではない。男女の間にはそういうことがあるらしい、程度のこと。

 だがあれは……何か「違う」と思った。嫌がっているではないか。

 ならばつまりは弱い者いじめであると、子供らしく結論づけるや駆け出した。


 だがどうすれば良いかが分からない。

 声を掛けたとてこちらは子供、相手はおとな、それも上流貴族である。

 「うるさい」と言われて終わりであろう。


 分からぬままに駆け付ければ、その距離数十mのところで見張りに気づかれる。



 「何者か! こちら公爵家御曹司フアンさまである! 止まれ!」

 


 「報告せよ」との言葉に従い、一切包まず口にしたアレックス。

 ウォルターの舌打ちを、悪罵を耳にすることとなった。

  

 「あさましい」


 初めて見せる態度、初めて聞いた言葉。何かふさわしいものに思えたけれど。

 だがその言葉を知らなくて良かったとアレックスは思った。

 あの時抱いた名状し難い感情を、言語という枠に落とし込みたくなかった。かんたんに理解してよいとは思えなかった。


 とにかく胸糞悪く腹立たしかった。

 醜悪極まる行い。貴族とは「えらい人」であろうに、何をしているのだ。

 あまつさえ見咎められて詫びるでも恥じるでもなく開き直るとは。



 理性を置き捨て飛び込むことを覚えた、この時。

 アレクサンドルは子供から少年になった。



 それでも殺さず済ませたのは、育ちの良さによるものか。あるいは武術の才か。棍棒を振るうにもさまざま計算立てていたその知性によるものか。

 

 だが一団を吹き飛ばして後、アレックスは茫然と立ち尽くしていた。

 己の目から流れ落ちるものがあることに気づき、戸惑うことしかできなかった。

 まだ村娘を気遣えるほどに大人ではなかった。  

 

 衣服を整え駆け出した娘が上げた悲鳴に、ようやく我に返る。

 向こうからさらにひとり、こちらを目指し駆けて来る。

 倒さねば、そう思ったけれど……容易な相手ではない。

 その見極めに足を止め、重心を下げたその時。


 「済まなかった。詫びにはならぬが、どうか受けてくれ」

 

 男が娘に革袋を投げ渡していた。

 屈折した言葉の意味がいま一つ分からず睨みすえていると。

 明らかに腕の良い男は、こちらに襲い掛かるでもなく悲しげな顔を見せていて。


 「貴様も去れ。いや、ここは去ってくれ」

 

 ますます意味が分からなかった。だがさらに人の気配が増えるのを感じていた。

 公達を殴り倒した以上実家に迷惑がかかると、妙な分別も働いて。

 アレクサンドル少年は東へと駆け出した。



 

 しばらく駆けていると、美々しい集団が近づいてくるのが遠目に見えた。

 あいつらの仲間かと。違っていても大差は無い、ろくな連中ではなかろうと。

 道端の草むら、その中に立つ木の繁りの中へと身を隠せば。


 大差があった。

 先手の兵、身のこなしにまるで隙が無い。

 飛び出せばひとりを倒すことはできる。が、その場で包囲されてしまうだろう。

  

 個々の嗜みに、連携と配置の妙に。

 つい目を離せずにいたところ。

 

 やがて中軍と称すべき、ひときわ華やかな集団が通りかかるや。

 騎上の青年、いや少年であろうか。前を見たまま脚を止め右手を軽く上げた。

 

 大柄な兵が数人、金属音を響かせ散開する。

 少年を守る魚鱗陣でも作るかと思いきや、盾を構えた鶴翼陣。

 これは自分を包み込み捕獲する構えだと、アレックスは肌の粟立ちを覚えた。


 「理解できるか。ならば暴れるなよ?」


 背後の木に、草むらに、かすかな気配を感じた。

 夢中で眺めていたとはいえ、回り込まれるまで気づけなかった。


 愕然と見開かれた碧眼。蒼白へと変じた白皙。

 見て取った相手は苦笑していた。


 「ニンジャにも気づくか。……皆の者、先手を取ること厳に禁ずる」


 側近と思しき男が耳打ちを見せる。

 少年の顔が難しいものに変わるも……すぐとその口角が上がった。

 騎兵を北に走らせている。

 


 いくばくも無く、慌てた足音、聞き覚えある声。

 先ほど殴り倒した連中のひとりが駆け込んできたらしい。


 「こちらに不審な男が通りかかりませんでしたか!?」

 

 「不審な男と言われましても……せめて人相風体など」


 「いかつい顔をした金髪の大男です!」 


 首をひねらざるを得なかった。

 金髪には違いないが、アレックスは子供、それもごく普通の体格である。

 連中、頭を打って混乱したのだろうか。

 悲しそうな顔を見せたあの男、嘘をついたのだろうか。

 


 「その男ならば北へと駆けて行きました。騎兵に追わせましたが、こちらは地理に不案内ゆえ」



 礼も怱々に、男が再び駆けて行く。

 その気配が遠ざかるや、眼下の一団が大笑い。


 「よほど恐い思いをしたらしい」

 「相手が大きく見えるのは臆病者の証よ」

 「まともに戦にも出た事の無い連中だ」 



 命のやり取りを経験した者にしか分からぬらしい。

 そういうものかと、アレックスは目を丸くしていた。

 

 終始食い入るように眺めている子供に、一団の長も興味深げな目を向けていた。

 視線が重なる。


 決まり悪くなって、アレックスのほうから目を逸らす。

 無作法な……いや、いかにも利かぬ気の子供らしい、警戒心の強いその態度。

 慣れているものか、馬上からかけられた声は優しかった。


 「派遣した騎兵に騙され、あいつはさらに北へと走ることになる。もう安心だから降りてきなさい」


 降りてしまってから驚いた。

 なぜ自分は誘われるまま警戒もせず降りたのだろうと。

 感情を整理しようにも、その前に笑顔で話しかけられてしまう。 

 

 「王都を目指しているのかな?」


 そこまで考えてはいなかったけれど。

 他にあても無かったので、頷けば。


 「そうか。しかしフアンを殴り飛ばすとはな。我らにもなかなかできぬことを」


 分からなかった。

 身分の低い村人や、率いる兵を持たぬ自分とは違う。

 この少年は上流貴族・公達だろうし、取巻きもみな強そうだ。

 殴り飛ばせるだろうに。いや、殴り飛ばすべきだと。

 思いが湧き上がるにつれ、少し腹が立ってきた。


 「愉快な話を聞かせてくれた。取っておけ」


 小者が革の袋を差し出してきた。

 なおのこと腹が立った。


 「受け取れません。理由が無い」

 

 「貴様、リチャードさまからの下賜を……」

 

 部下たちが一気に殺気立つ。

 その態度も、下賜という言い種も好きになれず、アレックスも殺気立つ。


 「手出し無用である!……これは私が悪かった。改めて、王国貴族の名誉を守った君の行動に感謝を申し上げる。いま聞いたように、我が名はリチャード。家名は……君は名乗れぬようだから、私も名乗らずにおこう」

 

 毒気を抜かれたアレックス。

 何を口にすべきか、少し迷いを感じた。

 だが出会ってこのかた、馬上の少年は礼儀正しく接してくれている。

 立派な人物であろうと見定め、きちんと挨拶した。


 「アレクサンドルと申します」


 「門出に幸あれ! 息災で過ごしたまえ。また愉快な話を知らせてくれるか?」

  


 そうだ、家出……いや、門出であったのだ。


 嫌なヤツに遭った後で、小気味の良い一団とぶつかった。

 また会おうと言ってくれている。

 初めて知った「出会い」の妙に、アレックスも心躍るものを覚え。


 「はい、喜んで」


 率直に、優雅に、挨拶を返したものであった。



 ……けれど。

 愉快な話を「知らせる」ことを承諾したがゆえに。

 しばらくの間、アレックスの背後には草むらで感じた気配が絶えなかった。


 どう言い募ろうが自分が子供だということは分かっている。

 気にかけてくれているのはリチャードの好意だということも。

 だが言質を取られてしまった己の迂闊が、思春期に足を踏み入れたアレックスにはやはりどうしても腹立たしかったのである。



 「東の川」のモデルは桂川です。 


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