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第二話 検非違使と放免(R15)



 挨拶を交わし終えるや否や、足音が近づいてきた。

 いかにも官人という身装の男に率いられた……しかしその大部分は遊び人、あるいはやくざ者と言った風体の一団。



 偶然によるものではないことを、アレクサンドルは知っていた。

 武術の心得においては自分よりもはるかに劣るウォルターが、殺戮を目の前にして一切慌てることなく使者を走らせていたこと、光る碧眼の片隅にて把握済み。


 それが爵位持ちなのだ。若き近衛小隊長、生まれながらの上流貴族なのだ。

 忠勇にして機転の利く郎党から成る軍団を養い、手足の如く動かす人々。


 己が持たぬ物を見せつけられて、アレクサンドルの不機嫌はいや増すばかり。



 「お召しに応じて参上いたしました。検非違使けびいし大志だいさかんの某です、リーモン小隊長殿。直ちに片付けさせます」  

  

 検非違使庁。近衛府に所属する特殊警察である。

 手続よりも結果を重視し、荒事を一切躊躇わぬ実力部隊。

 

 「……ですが、その前に。ヤスペル・メイネス! この状況をどう見るか!」

 

 大志だいさかん(役職名)に名指された少年が直立の礼を取る。

 新人か、それに近い立場として指導を受けているのであろう。

 

 「は、大志だいさかん殿。よほどの腕利き、達人。もしくはその域に足を踏み入れつつある者による仕業かと思われます!」

 

 その道のプロの見立てである。

 どうやら自分の腕はおとなとも伍してゆける、それ以上のものがある。

 道場での経験と野試合を通じて、アレクサンドルは手応えを掴みつつあった。



 「ふむ……サイモンよ、放免ほうめんがしらとしてどう思う?」


 

 遊び人、やくざ者と見える男達。

 その中から、ひときわふてぶてしい中年男が口を開く。


 放免とは、もと犯罪者、刑期を終えた人々。

 その中でも京職(王都警察)や検非違使庁(特別警察)で「下働き」「諜報部員」「下っ引き」として使役している人々を謂う。

 罪を償い余生を犯罪捜査に捧げるような者もいなくはないけれど……その多くは、この場に現れた連中の風体からも見て取れるように「鼻つまみ者」である。



 「いまだしですぜ、メイネスの旦那? おっと、これは失礼を……達人って連中はこんな殺しをしませんや。ずぶりと急所を一撃、現場を汚すことがない。ついでに言えば、快楽殺人者でも無え。あいつらクソ気味の悪い『芸術』とやらにこだわりますからね。こんな散らかし方ぁしない」


 死体に慣れたおとなによる、冷静な見立てではある。

 しかし思春期に差し掛かった少年には、それは嘲りにしか聞こえない。

 血が引く、いや血が沸き上がるような感情をアレクサンドルは覚えていた。


 「腕ばかり良くて殺しの経験がない童貞野郎、あるいは業物を手に入れて試し斬りがしたくなったヤツ。いずれにせよ、年若い貴族の子弟です。イキりやがって」


 撫で斬りにしたい衝動に駆られるも、サイモンなる放免ほうめんがしらは検非違使の後ろに隠れていた。

 そのサイモンの指図で前に出た放免連中、死体を漁り衣服を剥ぎ取り始める。

 

 放免の立場は良民の下……いやむしろ、「身分の埒外」にあたる。

 汚れ仕事、穢れ仕事、忌まれ仕事も彼らの担当。

 ゆえに迷信深い民衆は彼らを恐れる。その怯えに乗じてつけ上がる放免も多い。


 「血まみれにしやがって。衣を剥ぎ取れないじゃねえか。おっと、金はけっこう持ってやがるな」

 


 コクイ・フルートが、ちらりとアレクサンドルに視線を向けた。

 ここで行われた殺戮が「野試合」ならば、その金は「勝者の取り分」だから。

 武芸者たちはそうして腕を磨き、生計を立てるのである。



 だがアレクサンドルは、その金を受けようとはしなかった。


 「無礼なる振舞いがあったゆえ、斬り捨てたまでのこと」


 手配り、統率。ウォルターに及ばなかったことは事実である。

 だが我からそれを認めたくは無かった。部下を差配し統率を取ることのできぬ、一介の武芸者の地位に自分を落としたく無かった。

 家出をしてから2週間、武芸者を殴り倒して金を手に入れたことも一度では無かったけれど。

 ウォルターに及ばずと言えどこの場は貴族として振舞いたいと。アレクサンドル少年はそう思っていた。

 

 つまるところ、彼もまた身分制社会に生きる少年なのである。

 身分にこだわる、身分意識を捨てられない、捨てる気にもなれない。

 ごく普通の……いや、この社会における良識人であったのだ。



 放免頭・サイモンの言葉も、受け入れられずにいた。

 貴様に何が分かる、武芸の初歩も知らぬくせにと。


 いきり立ってなどいない。初めて人を殺したことは確かだが、それで錯乱したわけではない。

 ウォルターの前だったから、その随身……郎党衆に己の実力を示すために、あえて暴れて見せたに過ぎぬと、アレックスは胸中に叫んでいた。


 だが口にできぬ不機嫌を、憤怒を、爆発させるわけにもいかない。

 それは「不愉快な行動」であり、貴族の最も忌むべきところ。

 ウォルターの前で、「劣ったところ」を見せたくは無いと、あえて冷たい表情を作り振り向けば。 

 

 そのウォルターは何事も無かったかのように背を翻し、南へと歩み出していた。

 肩透かしに奥歯を噛みつつ並んで歩むこと数歩、気配を感じて振り返る。

 放免頭サイモンは慌てて目を逸らしていたが……その憎悪の視線を見逃すはずもない。


 あの男、好かぬ。いや、許せぬ。

 なぜかその思いがアレクサンドルの胸の内には湧き出していた。




 不機嫌は、一行を圧するかのように聳え立つ壁が近づくにつれ増していった。

 その高10m強、東西32kmにわたって連なる王都の外壁である。

 耐え難くなったところに、聞きなずんだ声。  


 「アレックス!」


 城門の傍らに見慣れた顔。

 長兄のフィリップ・ヴァロワであった。


 ウォルターは、リーモン一党は、その手配りまで済ませていたのだ。

 髭面の妨害があろうが無かろうが、結果は同じ。全て掌の上。

 その事実にアレクサンドルは、どうにもやるせ無い思いに包まれていた。


 「行方不明の弟を探し出していただいたこと感謝申し上げます、リーモン小隊長殿。このご恩にどう奉ずれば良いものやら……」


 兄のそのひと言、つい2週間前ならば「礼儀正しい」と思ったであろう。

 だが今のアレックスには、卑屈なものに思えてならなかった。



 道々聞いたところによれば、ウォルターは今年から勤め始めた15歳。

 だがそのキャリアの始めから、近衛小隊長に任ぜられている。


 対する兄のフィリップ。近衛府に一兵卒として勤め始めて3年目、20歳。

 ヴァロワの家格であれば近衛府の小隊長になれるのは50代、引退間近で。

 

 ではその弟、ことに三男坊である自分のキャリアはどの程度かと。

 大したこともできずに終わってしまうのかと。

 絶叫して走り去りたいような衝動に少年は襲われていた。



 「構わない。今日は家族水入らずで過ごすことだ……と、言いたいところだが」


 ウォルターはここでも淡々と場を仕切っていた。

 そして兄・フィリップも機敏な応答を見せていたから。


 「存じております。『例の件』、その後については私から。……アレックス! 家を出てから今日までおよそ2週間、その間の行動を謹んで報告申し上げよ!」

 


 ここで勝手をしては自分ひとりが「未熟者」ではないか、それこそ耐えられない……と意地を張り、背筋を伸ばすアレックス。

 その澄んだまなざしを受けた周囲も、思わず威儀を正してしまう。

 受けて少年も、血の昇りかけた頭は冷えたけれど。

 その心は、怒りに燃えたままであった。




 …………なおアレクサンドルの報告、その前提として。



 彼の実家ヴァロワ家は、その領地として、王都の南西郊外にある村ひとつを与えられている。

 王都の北端に近いここ近衛府の寮からは、南へおよそ50km・西へおよそ40kmと言ったところ。

 アレックス少年もその村にあって、よく学びよく遊ぶ幸せな子供時代を過ごしていた。


 そう。三男坊がよく学びよく遊ばせてもらえたのだから、アレックスは幸せ者であった。

 大概の家では長男が跡取り、次男がスペア。就職口も婿入りの口も、ここまでしか用意できない。

 三男坊以下は「部屋住み」であり、「余計な事をするな、家に迷惑をかけるんじゃない、引き籠っておれ」と言われてしまうのが世の習い、であるのだが。

 

 ヴァロワ家は「近衛小隊長の家柄」。先述のごとく、「順当に勤め上げればそのキャリアの終点が近衛小隊長に当たる」という、中流軍人貴族の家柄であった。

 軍人の家であるがゆえに、霊能に、天賦の剛力に恵まれた子供は歓迎される。

 三男坊であっても長男の補佐に、侍衛として使えるではないか。独立させても活躍が見込めよう。ならば家名に泥を塗ることがないようにしなければ。

 そうした思惑のもと、アレックスは長兄・次兄と同様の教育を――武術の指導に読み書き計数、兵法などを――受けることができたのだ。 

 

 ふたりの兄も、四番目の弟も、アレックスを邪慳に扱うことは無かった。

 常人の30倍の剛力を持つ子供をいじめるなど、恐くてできるものではない……と、そうした理由もあるけれど。

 7歳年長の長兄、フィリップの性が穏和であったという理由が大きい。

 ヴァロワ家の兄弟仲には何ひとつ問題など生じていなかったのである。

 


 ならばアレクサンドル少年は、何の不満があって家出したのかという話だが。



 王国には、上流貴族と呼ばれる家柄が数多存在する。

 国全体で眺めれば、それはもちろん「ほんの一握り」に過ぎぬけれど。


 そしてヴァロワ家のような中流貴族・「近衛小隊長の家柄」を取りまとめている上流貴族として、リーモン子爵家と並び称されるオーウェル子爵家が存在する。

 その采邑さいゆう(領地の如きもの)は、ヴァロワ家を北西へ隔てること約15km。


 そこに若き近衛小隊長たち――ウォルターと同様の立場、上流貴族の若君たち、あるいは公達と呼ばれる人々――が、王都からはるばる遊びに出向いたのだが。



 うちひとりの公達が、通りがかりの村……ヴァロワ家の隣村で、無体を働いた。

 それが、アレックスが家を飛び出した原因である。


 近衛府の寮、そのモデルは平安京の左近衛町、現在の大黒屋町・茶屋町・橋本町・中橋詰町……付近です。


 ヴァロワの領地、そのモデルは阪急京都線洛西口駅から約600m西、東海道本線桂川駅からであれば約800m西にある丘陵とその麓のあたりです。

 国道201号線以北が隣村というイメージです。


 オーウェル子爵家の采邑、そのモデルは大枝です。


 縮尺は約9倍、面積約80倍換算です。


 この物語はフィクションです。借用したのは地形イメージのみ、街や村の雰囲気その他は完全な創作であること、ご理解たまわりたくお願い申し上げます。

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