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第十一話 好敵手



 近衛府の寮ともなれば、さすが庭は広く緑も豊かで。

 アレックスを呼び出した兄のフィリップは、その良好なる環境のゆえ巻き起こる蝉時雨に負けじと声を張り上げていた。

 

 「言ったはずだぞ? 他家からの申し出を直接受けることまかりならぬと」 


 ベッケンバウアー家の若君に誘われ戦場に出た件である。

 実家には私から伝えておきます……などと殊勝な言葉も、十五の少年が口にしたとあっては果たされるはずもなく。

 だが公爵家嫡男が「裏取り」などに気が回るはずもない、それもまた確かで。

 なぜ露見したかとアレックスが胸中に首を捻っていたところ。


 「ある貴族が……貴族と言うより『家名持ち』だな。東川に浮かんでいた」


 話が見えてきたけれど、気づかぬふり知らぬふりを決め込むアレックス。

 しかしふたりは兄弟である。動かぬ表情に嘘を見透かしたフィリップ、構わず話を続けゆく。


 「放免どもが犯人だと言って男を突き出してきたがな。あれはコソ泥だ。殺しができるタマではない」


 22歳の兄・フィリップは、近衛府の外局・検非違使庁の大志だいさかん(中間管理職)に任ぜられていて。初めての「役付き」に奮い立っているように見えたものだが。


 ……どうでも良いではないか。

 治安が良いとされる左京でも、その外縁・繁華街では殺人事件など日常茶飯事。

 日ごろ可愛がってくれた若君に美人局をしかけるような取巻きが殺されたから何だというのだ。陋劣極まる話など放っておくに限る。


 どうせ真犯人――女の情夫か、むしろその上司・店の主人であろうか――も、いつか別件で吊るされる。いや検非違使のお世話になるまで生きていられるか、それすら怪しいかぎりだと。

 東川沿いに暮らして二年になるアレックスの、それが生活実感で。


 「ですからなぜ、私に問うのです?」


 「近衛番長を務めている男から、被害者の身元を教えられたのだ。『ベッケンバウアー家ご嫡男に縁ある者だ』とな?」


 近衛番長。

 気が荒い連中を取りまとめる小頭こがしらで、武術自慢が就くポストだ。

 想像される人物像は、兄とは正反対の男だが……仕事で知恵を借りる仲?

 人付き合いとは分からぬものと心中に嘯く彼の余裕は、一瞬で吹き飛ばされた。


 「『名高い君のご令弟もお世話になっているじゃないか』と来たものだ!」


 整った顔が憎悪に歪む。

 己の行動を見透かされること、優位に立たれることがこの少年には許せぬのだ。


 「知るところを申せ、アレックス」


 知ったことか、取巻き殺害の犯人は自分で挙げてやる。

 突き出してやれば兄の手柄にもなろう、私に任せろと。

 利かぬ気の少年がそう臍を固めたところに。




 「放免連中を図に乗らせたくはないだろう?」

 

 低く寂びた声に、アレックスは2年前のことを、己を馬鹿にした放免頭・サイモンの顔を思い出していた。

 不意に現れたこの男、どこまで知っているのかと不気味さを覚えれば。


 「そう睨むな。探りを入れたわけじゃねえよ。東川に暮らしてりゃ誰だってそう思う、違うかい?」


 伝法な口を聞く目の前の男、兄と同世代にして……腕は己とほぼ互角。

  

 「ティムル・ベンサムだ。俺も近衛に入る前はごろついてたんだよ」


 これがその近衛番長かと、アレックスは眼光をまぶたの後ろに押し込んでいた。




 その一部始終を、若い男……いや少年が上座から眺めていた。

 黒々と、深い海を思わせる瞳の色。

 滅多に見かけぬ整った顔をしているが、その瞳が湛える深さ静けさは明確に叡智を示すもので。

 そのゆえに「美少年」という形容の持つ甘さがどうしても似合わぬ、名状し難き容姿の持ち主であった。


 「真犯人などどうでも良い。だがかみが、検非違使庁が、貴族が……いくらでも言い換えられるが、つまるところ君の兄上が、ヴァロワの家が。放免ごときになめられているのだぞ? 『どうせ分かりはしないだろう』とな? 許せぬとは思わないのか?」


 

 同年輩の子供にまで見透かされているのかと。

 腹を立てかけたアレックスだが、それでも礼儀正しく挨拶しようと顔を上げ。

 そして、気づいた。

 

 

 違う。

 こいつは同類だ、他人に頭を抑えられることが何より許せぬ若僧だと。

 同類であるがゆえにこそ、ふたりは互いを見て取っていた。



 「この秋より出仕しているロシウ・チェンだ。リーモン小隊長に替わり、検非違使を統括している。……君の噂はかねがね。思っていたより品が良い」


 訳:舐められて吠えぬとは、噂とは違い意気地の無い男のようだな。



 「確信も無くふたたび(・・・・)冤罪むじつの者を捕らえては、ご威光にかかわりましょうゆえ」


 訳:スカ引かされた間抜けが吠えるか。ヴァロワより自分の心配をすることだ。



 口にしながら怒気を噴き上げるアレックスの視界を遮る影があった。

 愉快げに口の端をゆがめつつも、右手に向けた視線は切ろうとしない。

 伯仲する腕の持ち主に機先を制され、少年の不機嫌は増すばかりであった。




 

 「仕事だ、ジグムント。例の店、叩き潰す」


 ジグムント・クビッツァ。

 叩きのめされた後に小遣いをもらい、例の事件を調べた少年である。

 

 「なんだよ大哥あにき、金に困ってんのか?」


 同い年の15歳のくせに、大哥呼ばわり。

 そう言えばあのロシウも同い年。

 思うにつけ、アレクサンドル少年の声は高くなる。


 「強盗じゃない。こないだの美人局だ。公爵家若君の取巻きが殺された、それは知っているだろう? 犯人は店主か、女の情人――店の小者だった男――か。いや両方か? 真犯人として突き出してやる」


 勝手にしろとは言ったが、念書まで出しておいて殺すのは許せない……などと、後付けの屁理屈を怒鳴り上げていた。


 ティムル・ベンサムと……そして何よりロシウ・チェン。

 なぜかどうにも腹が立って仕方なかった。

 道場で殴られるのとは別種の、何とも言えぬ不快感をアレックスは覚えていた。



 「けちな殺しに何熱くなってんだよ大哥。それとさ、役人に突き出すってのはダメだ……分かるだろ? そりゃ密偵いぬのやることだ。街の鼻つまみ者になっちまう」

 

 ジグムントの鋭い目が光る。

 無分別なチンピラのようでいて、処世知に長けた少年であるらしい。

 その発見に、アレックスは小さな喜びを覚えていた。

   

 「私の兄が検非違使庁の大志だと言えば? 放免の奴ら、ニセの犯人を掴ませやがった」

 

 「あー、それは。メンツに関わるか……」


 「何か策は無いか? お前、頭は悪くないだろう?」

 

 「俺に扱えるのは数字、家業の金勘定だよ。 大哥あにきのほうが学もあるだろうし、他のお仲間にも聞いてみたらどうだ? ……そうだ、ついでに紹介してくれよ。何の縁でもコネでも、縋らなきゃ浮かべないんだよ俺は」





 なんでこんな時に限ってと、アレックスはため息をついていた。

 左京見物に来ていた弟・ヴァロワ家四男のルイが、従僕ニコロの案内でねぐらに顔を見せていたから。


 12歳のルイはいかにも末っ子気質、穏和で従順な子供であった。

 引き籠っておれと言われずとも部屋に引き籠り読書に耽る、家からすれば「手のかからぬ子」。

 それでも3人の兄貴からすれば可愛い弟、世間知らずであるだけに柄の悪い少年と会わせたくはないのであった、けれど。

  


 「初めまして、アレクサンドルさんには日ごろお世話になっております……メル家郎党・クビッツァ家が五男のジグムントです」


 こいつ空気を読みやがった……のは良いとして、メル家の一党だったとは。

 しかし五男とはまたこれ、せつなきに過ぎる境遇だ。

 あとで酒でも奢ってやるかと肩を竦めたアレックスであったが。

 その目の前で、ルイが意外な姿を見せていた。


 「かしこまらないでください、私も四男です。五男のジグムントさんが東川で兄、三男のアレックスと知り合ったとあれば……事情はそこはかとなく」


 家出少年どうし、友情を育んだとしか思われぬ。それもおそらく拳によって。

 そうした事情が理解できるぐらいには、末っ子も大人になりつつあった。



 「とぼけた顔して、しっかりしてんなあ。こういう育て方してもらえるなら、俺もヴァロワ家に生まれたかったよ。おおそうだ、なら早速。……君の兄さんが困ってんだけど、何か知恵はないかい?」



 真犯人を突き出さなければ、長兄フィリップのメンツが潰れる。

 突き出せば、三男アレックスの顔が立たない。


 アレックスとジグムント、口々にその悩みを告げてみれば。

 ルイ少年、そのうすぼんやりした顔に笑顔を浮かべ。


 「それ、前提が間違ってますよ。『突き出さなければ』じゃなくて、『真犯人がつかまらなければ』でしょう?」


 「他のヤツに捕まえさせろって? でもルイ君、ロシウ・チェン小隊長や番長のティムル・ベンサムに告げ口するのも嫌だって、アレックスの大哥は。……注文多すぎねえか?」

 

 「いや待て、ジグムント。そうか……よく思いついてくれたルイ!」


 なぜまたこれほど簡単に……と驚愕に目を見開くアレックス。

 その答えは実に単純で、そして実に複雑な……物思いを呼ばずにはいられぬものであった。


 「僕もアレックス兄さんについていくしかない立場ですから。どうすれば兄さんが活きるか、兄さんを活かせるか。そればかり考えてればすぐ思いつきますよ」


 



 翌日、四緯の繁華街は恐慌に陥った。


 店の戸を蹴破り用心棒を叩きのめした男が、店主と小者の名を叫ぶ。

 物取りかと思いきや、そこらを壊して回るばかり。やりたいほうだい店をめちゃくちゃにしておいて、悠然とふたりを追い回す。

 匿おうものならば、その店も同じ目に遭わされる。ただひたすらに破壊して回るのだ。遮る者を吹き飛ばしつつ。

 わけが分からん……と街の者みな首を左右に振るも、よく見れば後ろの男が声を挙げている。

 「てめえら、大哥のメンツをつぶしておいてタダで済むと思うなよ!」


 なんのことはない、つきあう相手とつきあい方を間違っただけのこと。

 これは店主が悪い、日ごろの友誼はあるけれど……どなたかに義理を欠いた男なら匿う義理もなかろう、しかたないねと。

 その日の四緯は店じまい、扉は固く閉ざされて。


 店主と小者、追い掛け回され行き所を失ったふたりの男は、ついに検非違使庁へと泣きついた。

  




 「直接に逮捕しても問題はなかろうに。ヴァロワ家の体面に配慮(・・)が必要と?」


 訳:すなおに突き出すこともできぬとは、いかほど後ろ暗い生活を?



 「さすが政のトワ、その御曹司たるチェン小隊長殿。手続の適法性()ついては、我ら何も申し上げることができません」


 訳:近衛は軍府だ。行政府じゃない。軍人は手続じゃなくて結果が全てなんだよ。何もしなかったくせに口を出すんじゃない。



 「見事な精励ぶりであった。諸君の仕事には(・・)、私が口を挟むまでもないようだ」


 訳:実働は貴様らの仕事だ、近衛小隊長たる俺の仕事は管理監督なんだよ。



 「ご指導(・・・)願えるならば、我ら全力でお応え(・・・)いたしますチェン閣下」


 訳:首輪つけようって? 上等だ、やれるもんならやってみろ。



 通りかかったウォルター・リーモン閣下、やり取りに白い歯を見せていた。


 「楽しそうだな。ロシウもアレックスも」


 この年頃の2歳差は大きい。

 先輩に見咎められたふたり、ばつが悪くなり互いに背を向けた。





 ――兄の出世を、勤怠評価を人質に取ることはしなかったな――


 「その一点だけは認めてやっても良い」


 いまいましげに呟いたアレックス。

 青空を見上げるその白皙には、笑みが浮かんでいた。


 

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