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第十話 紋章官(ヘラルド)



 「で、ダヴィド。その話をなぜ私に告げる?」



 「雑談の場にあなたが居合わせた、それだけですよ」


 王室から臣籍に降って世代を重ねた、ベッケンバウアーなる公爵家が存する。

 その若君が取巻きの悪友に連れられ、ここ二緯のお店に遊びに来たのだという。



 「で、これ」

 

 腹の前に手で半球を作ってみせたのは、天真会の姐さんであった。


 「ヘルプに来た女の子だったの。向こうのお店……四緯北辺にあるんですけど、そっちもカンカンで」



 示し合わせていたかのように、ダヴィド・サレジオが再び話を繋いでゆく。

 

 「で、若君の側仕えが私に泣きついた。『この街に詳しいのだろう、何とかしてくれ』と」


 バカバカしいとアレックスはつぶやいていた。

 どうせ他に情人おとこがいるに決まっている。美人局、強請りの類ではないか。

 


 ……ダヴィドはしかし、そのつぶやきを聞かぬふり。


 「若君は縁談を控えていたから、さあ大変。どうにか穏便に済ませられぬかと」


 アレックスの碧眼がますます冷えた。

 十五の少年で無くとも、聞きたいなどとは思えぬ話。


 「彼の名誉のために付け加えておきますよ、アレックス君。……自分の子であれば責任を取ると言っている。ベッケンバウアー家で引き取り、家臣に養子に出すと。もちろん、女と店にも『出すものは出す』そうです」


 しかし真偽が分からない、そこが困りものだと若君は。


 「側仕えはもう、黙らせろ堕ろさせろの一点張り」

 


 だからなぜ自分に話を持ち込むかと、いい加減視線を逸らしたアレックス。

 だがダヴィドと天真会の姐さんと、口は閉ざすも返事を待つ気配が感じられて。

 やるかたなく再び顔を上げれば、ふたりの真剣な目にぶつかった。


 「ベッケンバウアー家をご存じなくて?」

 「当主は代々典礼局の高官を務めています。……紋章官ヘラルドと言えば分かりますか?」


 紋章官ヘラルド

 格ばかり高くて給料は安い……いや、ほぼ無報酬で王国に仕える家柄である。

 高額な各種の手数料は入ってくるものの、公爵の家格に見合う支出も多くて。

 日本的に表現するなら、いわゆる「貧乏公家」とでも称するべきか。



 「紋章や家名の管理をしている家柄だろう?」



 やはり分かっていない、何だかだ言っても子供なんだなと。

 含み笑いを見せるふたり。

 

 「紋章、家紋が使われるのはどこかしら?」

 「ベッケンバウアーの一族、もしくは郎党。どの戦にも必ず呼ばれる軍官僚だと言えば?」



 王畿(王都近郊)で起こる大小の戦は、各家各人が手勢を率いての寄り合い所帯で行われる。

 誰が参戦しているのか、遠くに見える集団は敵か味方か、手柄を挙げたのはどこの誰か……その見極めをつける者には、お呼びをかけずにおれないのだ。



 と、言うわけで。

 喜び勇んで事件を解決したアレックス、無事ベッケンバウアー公爵家若君の知遇を得た。

 そのアレックスは三男坊とは言え近衛小隊長の家柄、類希なる容姿。何より剣の腕前が王都でも名を知られつつあるということで。

 若君の侍衛として招待され、初陣を飾ったものであった。



 が、つまらない。

 紋章官は本陣の高所にあって、ひたすら戦況を眺めるのが任務である。

 その侍衛ボディガードには、なすべき仕事が何も無い。


 大将が、本陣周りの軍人が危機に陥るなど、総崩れでも無い限りありえぬ話で。

 忙中に閑が生ずれば、胸裏に物思いが忍び込む。

 

 なぜ、リンは?

 大将の戦況判断がよほど拙いものであったのか?


 ひとつ頭を振ったアレックス。

 物思いなど、戦場には無用のもの。

 


 ……つまらないが、勉強にはなる。

 今後しばらくは、ひとり駆けの兵として陣借りすることになろう。

 戦塵の高く舞う中、右往左往して暴れるほかに手柄の立てようもない。

 だがこうして高いところから見ていれば、どこが戦の勘所か手柄の得られる狩場であるか、およそ一目瞭然で。


 ――上を目指すならば、この視点を覚えておく必要がある――


 要領良く立ち回らなくては。乱戦に紛れ「おいしい戦場」へと抜け駆けすべく。

 しかし今のままでは――顔と武術の腕が良いせいで――貴人の傍らに並べられること目に見えている。

 侍衛の技能では無く歩兵・騎兵の技能を、盾ではなく弓や槍を、柄の悪さや攻撃性を売りにしていかねば。



 ……などと、隣に立つ少年が綺麗な顔の裏でさんざんに脳みそを動かしていることに、ベッケンバウアー家の若君も気づいたものか、どうか。

 

 「初陣はどうかな? 気を張ることはないよ」


 18歳の若君、自分も遅まきの初陣のくせして年下の少年を気遣っていた。

 武術などまるでできそうにないけれど、いやに落ち着き払っている。

 なるほど大将株とはこういうものかと、収束する戦の気配を全身に感じながら笑顔を返したところで。


 ようやく仕事がやって来た。

 一番槍――先頭切っての突撃――を認定してもらえなかった男が、怒鳴り込んできたのだ。


 こいつは自分と同じだ。必死の思いで参戦し、血眼になって手柄を求めて。

 その侵入を押し留めている自分とこの男と、どちらが幸せな立場なのだろう。


 小さな葛藤を覚えたけれど、戦場で手を抜くほど気の良い少年でも無い。

 眼前には怒りに我を失い、隙だらけの男。投げ飛ばすも斬り殺すも思いのまま……だが、アレックスはあえて男の為すがままにさせておいた。

 伸びる拳を頬で受けておいてから、取り押さえる。


 「戦功を司る紋章官さまに乱暴はなりますまい」


 殴らせることで、先に手を出させることで優位に立つ。

 それぐらいの駆引きは、当然身につけていた。

 


 「冷やすと良い」

 

 渡されたのは、水で濡らされた家紋入りのハンカチ。

 気の良い若君だと。いや、軍人をよく知っていると。

 アレクサンドル少年はますます見直す気になっていた。


 大きな手柄には大きな褒美を、小さな手柄にはささやかな褒美を。

 忘れてはならぬのだ。

 目の前の美少年が、手柄を訴え殴りかかる男へと豹変するのが戦場だから。


 その布切れを、アレックスは押し戴きたいような気分で受け取っていた。

 ベッケンバウアー家に陣借りし若君の側で手柄を挙げた何よりの証拠だから。


 戦場経験に乏しい若僧など陣借りを申し出てもお断りされてしまうのが当然で。

 だがこのハンカチがあれば、次回の戦に飛び込み営業をかけるに際し「すでに参戦し、紋章官にも戦功を認められております」と食い下がることもできよう。

 

 実際におしいただくような挙措は見せぬ――謙譲は、卑屈としか思えなかったから――のが、この頃のアレックスであったけれど。 





 地味な初陣以上につまらなかったのは、その機会を得るために解決した事件で。

 

 女が四緯北辺にあると聞いたアレックス、五緯から繁華街へと侵入した。

 自分の顔が良すぎること、目立ちすぎることはもう十分に理解していた。ねぐらの二緯から三緯・四緯と南下しながら聞き込みしては、勘付かれてしまう。

 そこで南から入り、四緯の南部に屯していた殺伐の色がだいぶ強い若者たちを殴り倒しておいて、酒を飲ませ金を与えて聞き込みを依頼したところ。


 事件の全容に、玲瓏を思わせる顔が歪みを見せた。


 美人局の脅しをかけられていたのは、ベッケンバウアー若君の取巻き・悪友であった。

 その悪友が、さらに若君への美人局を仲介していたと。

 

 女と情人、悪友の三人を連れてきてからがまたひと騒動。

 誰の子なのかと聞いても、男ふたりは押し付けあっては殴り合い。

 女は誰の子にすれば金が入るか、情人に捨てられぬ選択はどれかと行ったり来たり泣き喚き。


 「ベッケンバウアーは一切関係なし、今後決して顔を出さぬ」旨の念書を取って、「あとは勝手にしろ」と放り出し。




 二緯に帰って、ダヴィドと天真会の姐さんに伝えたところで。



 「そんなに気に食わない?」


 何を当たり前のこと、と。

 眉をしかめたアレックスの耳に叩き込まれたのは、思ってもみなかった言葉。


 「愚かでも、子の幸せと自分の幸せに一生懸命だったとは思わないんだ。機略を用いて精一杯に上を目指そうとしていたとは思えないんだ」


 今の自分と同じではないのか……姐さんはそう伝えたいのかと。

 しかしアレックスには、首を縦に振ることができそうになかった。

  

 「ベッケンバウアーの若君が一番悪い、そういう考え方だってあるでしょう? 立場ある人間が軽率な行動を起こさなければ、ここまでこじれることは無かったはずだって。隙を与えたから妙な期待を抱かせちゃったって」


 言葉の奔流を叩き付ける女は、しかし。

 金切り声を上げ髪振り乱すような真似をすることは無くて。

 それゆえに、聞き流すわけにはいかなくて。


 「アレックスさん、あなたは貴族。だから貴族寄りになるのは当然だと思います。そうだよね、カッコ良いよね。お金と人手があって、何でもスマートにこなせる人」 


 成り上がりは貴族を叩くか庶民を叩くか、そのどちらかだと言っていたけれど。


 「私の考えは間違って……いや、偏っていると? 改めるべきだと?」



 少年の自問を待ってようやくかけられた男の声は低く、そして重かった。


 「改めるべきではない。たとえ必死の姿であったとしても、あれを努力と言って良いはずがない。間違っているし、醜い……そう思う感覚は健全です」


 雨の中見せていた跳躍、その美しさを支えていたものとは。

  


 「考えてほしい、いえ、頭の片隅にでも良いから、どうか置いといてください。私から言えるのはそれだけです」


 ぼんやりと思い返すアレックスを正気づかせたのは、念押しのひと言だった。


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