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第一話 道場破り (R15)



 小柄な身長に相応の細くしなやかな右腕が、前方へと真っ直ぐ伸びていた。

 闊剣ブロードソードを模した木剣を優しげに握り込んで。

 小盾バックラーを手にしてあるべき左腕は空身のまま後方に伸び、開かれた白い指が天を向いている。


 構えを取るや、少年が滑らかに重心を落とす。

 力感を増してなお、その姿はあくまで優美であった。

 流れのままに右ひざをせり出し長い左脚を大地に委ねようものならば、さながら跳躍を終え舞台に膝を付く海賊アリ。いや、貴公子が姫君に愛を誓う姿そのもの。

 右手に把るべきは木剣ではなく一輪の花であろうと武骨な男達でも思うほど。


 

 「何だ? 女? 子供ガキじゃねえか」


 髭面の男が言葉を終える前に、少年は駆け抜けていた。

 胸元に突きを食らった男が宙を舞う。背を羽目板に打ちつけ崩れ落ちた。



 少年の剛力に驚嘆の声を挙げる者が多い中、師範代の見立ては異なっていた。

 側壁を……剣術道場が必ず備える鏡張りを避け、あえて背後の羽目板へ向けて男を弾き飛ばした少年の技倆にこそ目を付ける。



 金髪白皙。知性を映す瞳は深い碧に染まり、鼻筋は堅く徹っていた。

 その口元の品の良さ、いずれ名ある家の出であることを証明していたけれど。


 「一手のご指導を願います」

 

 道場を突然訪れた少年の口から発せられたのは、まだ声変わりもせぬ澄んだ声。

 まさか少女ではあるまいと疑いたくなるほどの美少年に師範代は呼びかけた。

 

 「道場破りを叩きのめしてくれたこと、感謝する。防具を着けなさい。……それが条件だ。君()指導を求めに来たのであろう?」


 一瞬見せた不満げな顔を、厳しい声音で押さえつける。

 負けることは無い。が、手加減はできぬ。防具を付けさせねば彼の身が危うい。

 それほどの技倆をこの子供は持っていると、さすが師範代は看破していた。


 弟子たちもまた、先達が口にした言葉の意味を嗅ぎ分けた。

 いまや少年の一挙手一投足にまで目を光らせている。


 道場に備え付けの防具を身に着けていくその挙措には一片の滞りすら現れぬ。

 先に見せた腕前と言い、正統な流派に学び尋常の鍛錬を積んで来たこと確実。


 振り返った少年に向かい合ったその時、師範代は小さなどよめきを耳にした。

 思いきや、すでに隣には丈高き若者の姿。


 「私が」


 いつものように言葉少ない青年、いや、こちらも少年であろうか。

 師範の養子にして当年17歳のエルキュール・ソシュールであった。

 


 譲りたくは無いがと、そう思った師範代の頬に苦い笑みが浮かぶ。

 彼方に見える少年の豹変に気づいて。

 その姿、まさに猛り立つ仔豹の如し。総毛を逆立て威嚇を見せる姿に似ていた。


 ――声変わりもせぬその年で、すでに敵の力を知るものか。 


 エルキュールが師範代に任ぜられぬ理由はただひとつ、その若年によるのみ。

 王都一とその名も高いここソシュール道場でも、格別の腕を持つ少年であった。

 男盛りの師範代にして、すでに一本を取ることすら難い。


 不意に訪れてそれを嗅ぎ分けたあの美しい子も、天才児か。己とは器が違うと。

 その事実を認め、師範代が脇へと退いたその時。


 すでに少年は位置についていた。

 優雅に定型の礼を施している。


 「よろしくお願い申し上げます。我が名はアレクサンドル」


 「エルキュール・ソシュール……」

 

 一拍遅れて青年が名乗りと礼を返しつつあったその時、少年の姿は消えていた。

 その疾駆を目に捉え得た者が、道場に幾人あったことか。


 小柄な影はすでに丈高きエルキュールの懐へと肉薄し、右手の木剣がその胴へと突き込まれていた。

 受けたエルキュール、咄嗟の判断で急所は避けたが、確かに一撃入っていた。



 綺麗な顔でえげつないことだと、小さな笑みを浮かべる師範代。

 少年の行動を卑怯であると咎める感性を、この道場の男達は持っていない。

 だが微笑は焦りに変じ、腰が浮いた。読みを誤った己に怒りを覚えつつ。


 「止まれエルキュール!」


 少年の才は、天才の名をほしいままにする青年を本気にさせるほどであったのだ。

 鳩尾に突き込まれた必殺の一撃に、小柄な体躯が吹き飛ばされる。

 頭はがくりとのけぞり、白い喉頸があらわとなっていた。


 追撃を防ぐべく、横合いからふたりの間に割って入る。

 それが師範代にできる精一杯。少年にまでは手の及ぼしようもない。


 あのまま羽目板へ、壁へと叩きつけられては……。



 「御免!」


 腕利きの弟子、そのひとりが毛布を持ち出していた。

 天才の一撃、余波であっても受け止めきれるものではないこと先刻承知。

 頭部を避けるようにして少年の体を上へと跳ね上げ、落ちて来るのを待ってから柔らかく受け止める。

 

 アレクサンドルと名乗る少年は無事であった。

 どうやら刺突を入れる寸前、エルキュールも余裕を取り戻していたらしい。



 ほかの弟子どもの気が利かぬこと。

 技を目に焼きつけ盗み取ることしか頭に無い。

 エルキュールが背を翻すや、あちこちで小さな輪を作っては動きの再現に懸命であった。


 道場破りを試みた髭面も目を覚ましていた。

 体の下から毛布を奪われ、再度頭を打ちつけたおかげで。

 ほうほうの体で退散する男に関心を向ける弟子など皆無。

 その事実もまた、ソシュール道場の何たるかを示していた。



 「今日はこれまで」


 高いところ……見所けんぞから声をかけたのは師範のレイ・ソシュール。

 その目も常にない光を帯びていて。


 「ウォルターの知り合いか? 後は任せる」



 毛布を持ち出した弟子は、名指された身装みなり良き少年・ウォルターの随身ずいじん(付き人)であった。

 なるほど、知り合いならばアレクサンドルの身を案じたのも頷ける話だと、ひとり合点した師範代。

 レイとエルキュールが去った道場で、後進の自主練習に付き合っていた。




 

 目を覚ますや、アレクサンドルは跳び退った。予備動作も無く10mほど。

 だが着地の瞬間、息を止め顔を歪める。

 痛みが、衝撃が全身に走ったのだ。

 


 「安心せよ。骨は折れていない」


 声をかけたのが自分を救ってくれた男だとは、知る由も無いはず。

 そのこと承知の上で、ウォルターの随身はあえて言葉を続けていた。


 「介抱されて、礼も無しか?」


  

 「……感謝申し上げる。返礼はいずれ」


 子供のくせに、やけにしかつめらしい挨拶であった。


 そのまま立ち去ってゆく。

 駆け去ることなくあえてゆったりと歩を進めているのは、敗北がよほど悔しかったがゆえと見る。逃亡退散するように思われたくないのであろう。

 いや、エルキュールの一撃が効いているに相違ないと、男が含み笑いを見せたところに。



 「相変わらず人の悪いことだな、乳母夫じいよ。笑っていないで追うぞ」


 口にしたウォルターも、しかしその歩みは悠揚たるもの。

 身装の良さに似つかわしき育ちの良さ……によるものではなく、こちらも道場の厳しい稽古がその身に響いているから。

 

 意地を張るかと、乳母夫じいやの目が細くなり。

 主君たるウォルター少年の目は尖る。




 痛みに歯を食いしばり脂汗をかきつつ必死に歩む少年たち。

 その前に一団が立ち塞がった。


 「さきほどの卑怯な振舞い、許せぬ! あらためて尋常に勝負せよ!」

 

 髭面の男であった。

 道場破りには付き物の意趣返し、逆恨み。


 面倒な手合いだと心中愚痴をこぼしつつ、ウォルターの随身達が散開すれば。

 喧嘩闘争に慣れているものか、機先を制すべく髭面が怒鳴りあげた。


 「貴様ら何者か! 武人の勝負を邪魔立てするとは無粋であろう!」



 道理もわきまえも心得ぬ悪罵に、乳母父じいやが意を決せんとしたその時。

 背後から宣言が聞こえて来た。


 「大いに結構。邪魔立てするつもりはない。立会いを務めようと言うのだ」


 「何だと若僧!」


 

 若君の成長に心中喜びが湧き上がったところに、またも雑言。

 必死に怒りを抑え、乳母父の勤めを果たすべく男が大音声を発する。


 「こちらにおわすは従五位下男爵・近衛小隊長、ウォルター・J・(略)・リーモン閣下である! 口を慎め!」

 


 髭面が、開いた大口を閉じられぬままに硬直する。

 その目に浮かぶ怯えを宥めるかのごとく、若き男爵は優しげな声をかけていた。


 「構わぬ。……勝ったら私について来ることだ」


 「雇っていただけるので!?」



 ウォルター・リーモン閣下、急に卑屈になった髭面から面を転じた。


 「君もだぞ? アレクサンドル・ヴァロワよ」



 呼びかけられた少年の目は怒りに燃えていた。

 頭を押さえつけられることが気に食わぬものか。そうした年頃は誰にでもある。


 しかし怒りを覚えるのは、従わざるを得ないと承知しているからでもある。

 介抱された恩、野試合の立会いを務めさせた恩。返すことなく逃げ走ることを善しとせぬのであろう。

 ならばその性は善である。



 そう、たとえ由緒でどころすら知れぬ片手剣で髭面を真っ向両断し、弟子とも言えぬその取巻きどもを血の海に沈めたとしても。

 



 「君は説法師モンクだな? アレクサンドル君」


 身元について確信を得るため、じいやと呼ばれる男が声をかけた。


 住人が大陸ランドと呼称するこの世界には、神に幽霊、異能者・霊能者が存在する。

 説法師モンクとは、世にあまねく満ちている霊気を己が身に取り込み、尋常ならぬ剛力を発揮する霊能者の謂である。

 


 呼びかけられた少年は、「はい」と、案外素直な答えを返していた。


 「アレクサンドル・ヴァロワです。失礼ながらお名前を伺えますか?」


 いまだ子供の邪気あどけなさを残す高い声、輝く容貌。その挙措もあくまで正しい。

 それでいてこの少年、達人を相手に取って不意討ちを決める機略家にして、五人を斃して返り血にすら染まらぬ殺手の持ち主なのだ。


 

 「コクイ・フルートだ。私も説法師モンク倍率レバレッジは君に遠く及ばないがね」


 倍率レバレッジ、霊能が筋力を何倍にしているかを示す指標である。

 優れた説法師は比喩では無く五人力、十人力と称される。

 

 「……そして、先に申したごとく。こちらにおわすが我が主君、栄えあるリーモン子爵家の総領君である」



 紹介された少年はいかにも貴人らしいところを、こだわりの無さを見せていた。

 

 「ウォルターだ。よろしく」 


 発せられたのは平淡な声。

 圧倒的な武技と血の海を前にしながら、気負いも怯えも感じさせぬ。



 「お目にかかる機会を得たこと光栄に存じます、男爵閣下」


 受けてアレクサンドルが返したのは、あくまでも優美な礼。

 型どおり、咎め立てなど一切許さぬ模範的な返答。

 が、まるで心が入っていない。表情が堅きに過ぎる。


 コクイ・フルートは掴み始めていた。

 目の前の美少年は身分の差に、己の才を押さえつける壁に立腹しているのだと。

 穏やかに呼びかけ、対等と扱った自分には嫌悪を抱かなかったのであろうと。


 コクイに言わせればそれすらも身分の問題――少年が属するヴァロワ家と彼のフルート家がほぼ同格であるという、その一事のみによる――であったのだが。

  


 その機微に気づいたものか、否か。

 彼の主君、ウォルターも気さくに声を掛けていた。


 「ソシュール道場に通うつもりで来たのだろう? ならば同じ弟子どうし、遠慮は無用。ウォルターと呼び捨ててくれて良い」



 「若! それはあまりにも!」


 慌てて目を転ずれば、その栄誉に畏まるべきアレクサンドル少年の表情は一切の変化を見せていなかった。

 美貌も相俟って、最初から対等であるようにしか見えぬ。



 身分のせいで、よほど腹に据えかねる思いでもしたものか。

 アレクサンドルの非礼に怒りは覚えるが、子供の……難しい年頃の少年のこと、あまり目くじら立てても仕方ない。

 ヴァロワ家を、倍率レバレッジ30倍と噂されるこの少年をリーモン家に引き付けておく意味も大きい。

 ……などと打算を弾いて、男爵閣下の側近は再び穏やかに声をかけていた。


 「道場、あるいは私的な場においてのみ。心得てくれるな、アレクサンドル君」



 そんなじいやの心労を、ウォルター少年はまたもさらりと流してしまう。


 「兄君が心配していたぞ、アレクサンドル。……ああ、心配は無用だ。君がヴァロワ家を飛び出す原因となった例の件(・・・)、露見していない。いや、永劫にわたり露見させるものでは無い」



 安心の表情を浮かべたのも束の間、また借りを作ったと思ったものか。

 アレクサンドル少年はその美貌に似合わぬ仏頂面を再び作り直していた。




 王都のモデルは平安京です。

 縮尺は約9倍、面積はおよそ80倍です。


 この物語はフィクションです。モデルとして借りたのは地形イメージのみでありますこと、ご理解賜りたくお願い申し上げます。

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