一章 仕えたい人
叢雲家は代々続く忍びの家系。
今は諜報活動やらを専門にしているが、昔は国からの暗殺を請け負うほどの家柄だったらしい。
脈々と技術は受け継いで、それを家系や望んでやってきた者達に施している。
忍術を十五歳で免許皆伝、そして忍者を名乗ることを許されて五年。ニ十歳にして、一家の最強の忍び八人衆に加えられ、それに甘えてニートをしていた。
それが、俺だった。
三年あの生活を続けていた。俺の年齢は二十三歳。
ニートになっても最低限のトレーニングは行っていた。下手な相手よりも強いと思うが、この世界の標準が分からない。
「……わかりました。敵意は、もうありません。離していただけますか」
「あんた、何に誓う?」
「神は信じていないので……姫君様に誓いましょう」
極めていた腕を離すと、彼女は俺を睨みながら、服に着いた埃を払う仕草をした。
「……姫様、王に進言するとよろしいでしょう。護衛として。ですが、私は反対です。ニンジャ、とは分かりませんでしたが、その身のこなしや思考――暗殺者の類でしょう」
「似たようなとこだな。生憎人は殺してないけど」
睨む小さな女の子。こええ。小さいのに、殺気が尋常じゃなかった。
離れて、彼女は不服そうに壁にもたれた。
「よかったですねぇ、真っ二つにされなくてー」
「……やっぱ、この子、強いのか?」
「ええ。蒼の騎士隊、隊長――アリスティア・シュヴァリエ・アズールさんですぅ。ローエルフなんですよぉ」
「ローエルフ?」
「小柄なエルフ族です。ここより北にあるノースガルド地方の、山に住む種族です」
背を預けた壁から離れ、彼女は相も変わらず俺を睨む。
いや、心証は最悪だろうけど。ここまで露骨に嫌悪されるとさすがにへこむ。
「子供っぽいと思ったでしょう?」
「いや、正直に言えば幼女にしか見えん」
「誰が幼女ですか! 私は二十四歳なのですよ!」
「っでええええええ!? は!? マジで!?」
「あー! やっぱり幼女だと思ってましたね!? これだから人間は! ニョキニョキ伸びてさぞかし愉快でしょうね!」
「そんなことで怒ると身長縮むぞ」
「え!? い、いや、騙されないですよ、私は!」
「それが本当なんだ。怒りの源である物質が、体内の成長を妨げる効果が確認されているんだ。これは学院でも研究されているようなことだ」
「そ、そうだったのですか」
「まぁ嘘なんだけどな」
「返しなさい……! 私の今の関心とほんの少しの尊敬を返しなさい!」
「冗談だって冗談。そんなに怒んなよ」
剣まで抜き放たんとする剣幕に両手でやめてくれアピール。
くすくすと笑ったのは、ルナティアだった。
「仲がよろしいようでぇ」
「よくないです! 姫様、率直に言って、この方は人間的にも褒められたものではありませんよ!」
「ひっで。そんなに嫌うなよ」
「背後から強襲するような卑怯者を嫌わない理由がないです」
「……で、姫様?」
「ルナ、で構いませんよぉ?」
「……んじゃ、ルナ」
ピクリと眉が動くアリスティアだったが、無言のまま先を促してくる。
「護衛って何すればいいんだ?」
「週に一度のお出かけにぃ、付き添ってくれればよいのですよー?」
「……そんなことでいいのか?」
「はぁい。念のための護衛ですので。それ以外は、自由にしてくださればぁ。城の食事、寝床はありますので」
マジかよ!
この世界の文明レベルは知らないけど、週一日労働で金がもらえるのか。
こんなうまい話……乗るっきゃない!
とは思うが、思考は冷静に裏をいっていた。
「失敗は……これ?」
首を親指でなぞる。首ちょんぱ。
頷くアリスティア。
……だよな。
「やめとくよ。俺には荷が重い」
「……お願いします。あなたを、雇いたいと、心から想っておりますぅ」
「あはは、ルナ。馬鹿言っちゃいけないな。心から信頼できるものと、心から信頼できないもの、知ってる?」
「……なんでしょうかぁ」
「心から信頼できるのは自分自身、信頼できないのは他人だ。他人を信じるなんて馬鹿なことをしていれば、寝首はかかれるわ裏切られるわ、期待していた分だけノックバックが来る」
「……」
「他人はいくらでも裏切れるし、恨める。けど、自分だけはそうもいかない。……足りない武力を他人に頼るのは正解だ。金という魅力的なものまであるのなら、誰だってやりたがるはずだ。それこそ、俺なんかがやらなくてもいい」
「いいえ」
ルナはふるふると首を横に振って、そっと俺の手を取って、微笑んでくる。
「そうやって、実は人を一番思いやっている優しいあなたが、わたくしは欲しいと思っているのです」
「優しい? 俺が? あは、あっははははは!」
思わず笑ってしまう。
「――馬鹿じゃねえの」
少し、試してみよう。
「優しい? 言葉を知ってるか? いきなり腕へし折ろうとするやつが優しいのかよ。頭沸いてんじゃねえの?」
「なっ……!?」
「……」
「頭悪いよな、その兄貴も。どんな奴が来るのか、おいおいリスク管理してんのか? 俺が、こうしちまえば――全部終わりだ」
そういって、ルナの細い首に手を掛ける。ギリギリとじわじわと、徐々に力を入れて行く。
「貴様、流石に無礼が過ぎる――」
「下っ端は黙ってろ。俺はまだ部下になることを承服してない。だったら俺とルナは対等な関係だ、邪魔なヤツはすっこんでろ!」
「黙りません! 姫様、こいつを切り捨てる許可を!」
「なりませんよぉ。そう、このわたくしは馬鹿でありまして。なので、賢いあなたを必要としているんです」
……ほほう。
彼女自身を馬鹿にしてみたが効果なし。
身内に対して暴言を吐くも、影響が見られない。
……内心、かなり強からしい。もしくは、ただの馬鹿か。
俺は手を放す。けほけほとむせていた彼女に対し、跪く。
「え?」
「……な、何を……?」
「ルナティア・メルト・ロギウス様。あなたを試していたことを、どうかお許しください。そして、仕事として、護衛の任を全うすることを、この叢雲滸は誓います」
「あらぁ……」
「我々は忍び。心から信頼できる者にお仕えする影なる刃。今まで誰にも仕えたことがなかったのは、きっと心からあなた様に仕えなさいという、運命だったのでしょう」
「ということは……その年齢になるまで職業に就いたりしなかったのでありますか」
「いうなよ、バレちゃうから」
「うふふ、でも、運命ですかぁ。……では、わたくしの運命の人になっていただけますかぁ?」
「謹んで、拝命します」
「……何というか、別人に見えますね」
「そうかな。俺は俺だよ。めんどくさいことは嫌いだけど、帰る世界がない以上、食い扶持は稼がなきゃいけない。養っていてもらった親もいないんじゃ、しょうがないし。それなら、俺の命を預けるにふさわしい人間の下で働きたいと思っただけ。俺はルナを強い人だと思った。そんな人の下につきたかった。それだけだよ」
俺は何も変わっていない。
打算的な考えも、下衆な心も、何もかも。
けれど、俺はもうルナティアという一人の人間の、いわば虜になっていた。
怒らず柔らかなその態度は、どこまでも穏やかな、凪いだ海のようで。
俺はそこを漂っていたい。クラゲになりたいのだ。
「では、アリス隊長。皆さんに彼を紹介しますので、皆を招集して頂けますか? 緊急招集です」
「はっ、かしこまりました! 自分はこれにて!」
「え? え?」
紹介? ホワイ、なぜ?
ああ、まぁ、部下達に新しい部下を紹介しないと混乱するだろうけど……。
「その前に、お着換えしましょう」
「え、ダメなのこれ。ほら、ブランドジャージだよ? この赤のラインがカッコいいじゃん? お気に入りなんだよ?」
「寝間着にしてくださいね」
「えええ……」
相棒のジャージは、寝間着になるようだった。