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短編集

生きた屍みたいだった

作者: りんご

ミステリーと思って読んでくれると嬉しいです。


 僕等は大学生だった。僕は口をあけた。


「僕には超能力があるんだ」

「はぁ?」


 僕の彼女である関根ことみは振りかえって、こちらを見た。豆電球の光が彼女の顔を照らした。しょうもないこと言いやがって、と言いたげな顔だった。夜、僕と彼女は僕のアパートにいた。例によって行為後の布団でゴロゴロ寝転んでいる時に僕がそんなことを言ったもんだから、彼女は機嫌を悪くした。この時間はある意味、行為の最中よりも神聖なものとして彼女は捉えているらしく。つまり、エチケットが求められた。


『さぁ終わった終わった、TVでも見ようかな』


 過去に行為後、彼女の前でそんな事を言った僕は、彼女から氷のような冷めた目で眺められたことを覚えている。僕は小さい頃から両親の機嫌をとるのが上手い子供だった。だからこそ僕は彼女の怒りの籠った冷めた視線を素早く察知した。その時は、何とか上手く誤魔化したように思う。それからのことはあまり覚えていないが、彼女の習性を気にするようになった。例えば猫はあまり触られるのを好まない。最初はいい。気持ちよさそうにしている。だが、途中からあからさまに嫌な目をこちらに向け。そして、引っかく。そう、習性。そんなものが彼女にもあった。彼女は行為後、布団に寝転がり、後ろからそっと僕に抱きかかえられるのが好きだった。更にささやかではあるが、それをされる為の努力もしていた。つまり、布団の中央に背を向け、布団の端に顔や胸などを向け、横になるのだ。僕が空いたスペースに寝転んで、彼女の方を向くと、そこには決まって彼女の背中と後頭部があった。お互いに背中を向けても良かったが、彼女から発せられる恐ろしい雰囲気がそれをさせなかった。だから僕は決まって手を伸ばし、彼女を抱きかかえた。半強制的に。今日も彼女はそうやって行為後すぐに背を向けた。さぁ儀式のはじまりよ。彼女の背中はそう言ってるように見えた。彼女にとってはこっちこそが本番なのだ。だが、そろそろこの意味のない儀式に飽き飽きしていた僕は背を向ける彼女を振り向かせたくなった。それで言ってみたのだ、超能力の話を。彼女は顔だけこちらを向き、はぁ? と短く言葉を発すると、やがて元のポーズに戻った。話はここで終わると思った。だが、彼女の背中は訊いてきた。


「どんな超能力?」


 どうせくだらないことを言いたいんでしょ? 暗闇の中にオレンジに浮かび上がる背中はそう言ってるように見えた。だが、ちょっと違う。僕は事実を言った。僕は超能力者だった。この超能力は遺伝するらしく、ある一時期に強烈に思った事が能力として定着する、という特性を有していた。僕は彼女を後ろからそっと抱き、耳元に口を近づけて言った。


「手足には必ず爪があるだろ? その爪が伸びるのを遅らせる能力だ」


 腕の中の彼女は俯き、肩を震わせていた。よく見ると、腹を抱えて笑っていた。面白かったらしい。だが事実だ。僕は少し馬鹿にされたような気分になった。彼女の声が聞えた。


「それ何の役に立つの?」


 僕は即座に答えた。

「爪切りを使う回数が少なくなる」


 彼女はまた笑った。彼女の後頭部が目の前でゆれた。僕は自分から振った話題であったにも関わらず、喋った事を後悔しはじめていた。これが嘘なら僕は彼女を笑わせられたという満足感を得られただろうが、超能力の話は事実だった。爪が伸びるのを遅らせる能力。何にも役に立たない能力。だが、少なくとも幼いころの僕にとってそれは大いに役立つ能力だった。僕は爪切りが怖い子供だった。あの「パチン」と音をたて僕の細胞を引きちぎる“アイツ”を僕は心底恐怖した。僕の母はあまり他人の爪を切るのが上手くなかった。大概、僕は母の膝の上に乗り、言われるがまま手を差し出した。恐怖である。一回一回の「パチン」という音が聞こえるたびに僕は「深爪されるのではないか?」という恐怖に怯えていた。実際、覚えているだけで、3度深爪にされた。いっそ自分でやろうかとも思った。だが、子供の頃の僕は器用じゃなかった。今もそうだが、幼い時はより不器用だった。僕は何度も果敢に爪切りで自分の爪を切った。そのたびに失敗した。そのうち、幼い僕は何よりも爪切りの儀式を恐れるようになった。猫が爪とぎで自分の爪をなめらかにするのを見る度に、なぜ人類は人間用にああいうのを開発しないのだろうか、と思った。爪が伸びなければいいのに。せめて伸びるのであれば爪が遅く伸びればいいのに……。あの当時はきっとそんなことばかりを願っていた。何時、という時期はハッキリしない。だが、気がつけば僕は爪の伸びの遅い子供になっていた。


「やっぱり、それ何の役にもたたないわね」


 そう、彼女が言ったところで、僕は話題を変えようと、ある話題を振ってみた。とにかく超能力の話題から逃げたかった。


「ところでさ、僕の知り合いの話なんだけどね。どうやら子供が出来たらしいんだ」


 彼女は肩を揺らすのをやめた。彼女は僕のその知り合いが男か女か訊いてきた。男だ。そう答えると、彼女は、そう、と答えて僕の手を握った。僕の超能力は笑い話でなければ彼女の勘に触るところだったが、これは良いらしい。手を握るのは“話してもいい”というサインだ。なので、僕は彼女の耳元でゆっくりと話した。


「ある大学生カップルなんだけど、二人はとても幸せだったらしい。よくデートをするカップルで、学内でもお似合の美男美女だった。彼はそうだな。彼の顔はカッコ良かった。でも、特徴と呼べる特徴がそれしかない人間でね。なんというか、尖った所がないんだ。例えば人間だれしも何らかの特徴があるじゃないか。皆から慕われたり、嫌われたり。暗かったり、明るかったり。何でもいい。誰かの何かを思い出す時の道しるべのようなもの。傲慢であったり、怒りっぽかったり、嫉妬深かったり、何でもいい。マイナスであろうと構わないんだ。その人を特徴づけるものなら何でも。でも彼には何もなかった。特徴と呼べるものは顔以外……。でも世の女性にはそれなりにモテたらしい。顔が良かったのもあるのかもしれないが、彼女達は欠点にとりわけ美学を見出さない。だから、彼が欠点の少ない男のように見えたみたいだ。まぁとにかく、それで彼はある女性と付き合い。美男美女のカップルとなった。でも、ある日、その彼女に子供ができた。女性の方は、それはとてつもなく嬉しかったらしい。とにかく、産みたい。それが女の主張だった。知り合いの彼は、なんというか、そんな事は思いもよらぬことだったらしい。彼は避妊をしていたし、自分の子供かも疑った。女はそんな彼の姿勢を散々に責めたてた。不誠実だ、ということらしい。更に彼は女から子供の為に働いてほしいと言われた。彼はそのまま大学に行きたかった……」


 僕はここまでいうと、一旦彼女を後ろから抱くのをやめ、枕元にあるグラスを手に取った。中には並々と注がれた水があった。グラスを傾けた。喉が鳴った。僕はグラスを元の位置に戻すと、再び布団に寝転がった。だが、彼女を抱きかかえはしなかった。代わりに彼女のその黒い髪に顔を近づけ目を瞑り鼻から息を吸い込んだ。いつもと同じ“彼女の匂い”だった。いつもと同じ。彼女はおもむろに訊いてきた。


「……終わり?」


 僕は目を瞑ったままだった。そして、答えた。


「いや、続きがある……」


 僕の息が彼女の首に吹きかかった。豆電球が彼女の肩をオレンジ色に染めていた。僕は続けた。


「彼はなぜ彼女がそんなに産みたいのか理解できなかった。そもそも彼は女のことをよく知らなかった。どうして自分と付き合っているのか、それすら分からなかった。いや分かっていたのかもしれない。女は彼の見た目が気に入っていたし、何より欠点が少ない所を気に入っていた。だが、彼には分かっていた。自分は飽きられる、と。それが散々女性と付き合った末に彼が何度も女性達から聞かされる理由だった。彼は全てにおいて凡庸だった。彼は人間味を感じない奴だった。だが、誰より人間味を感じる奴だった。世の一般的な「嬉しい」を嬉しいと感じ、「悲しい」を悲しいと感じるヤツだった。彼の行動と感情は全てその枠内で収まっていた。もちろん女のことを嫌いかと言ったらそうじゃない。むしろ、好きだっただろう。でも彼の好きは激しい愛ではなかった。「好き」は好きだった。「愛」は劇的でも何でもないそこらに転がっている愛だった。彼は、自分は何なのか、と思った。まるで取り替えても問題ない歯車である気がした。彼は、彼という生き物がいつ消えても誰も気づかないほどに意味の無い存在に思えてきた。彼は、あまりにも自分の様な人間が世の中に溢れすぎている、と思った。ブルゾンちえみって知ってるか? あの35億というセリフ。あれの通り、彼はただ35億人いるうちのただの何の変哲もない1人だと思った。だからこそ自分だけにしかないオリジナリティを欲した。その時、気づいた。唯一顔だけは、ハッキリと女性に好かれやすい顔である、という事に。彼はそこに自分だけのオリジナリティを求めた……」


 彼女は喰いつくように僕に訊く。


「……それで? どうなったの?」


 僕は薄暗い中瞑っていた目を開けた。彼女のオレンジ色の顔が大きな疑問を見るように僕を見ていた。いつの間にか彼女は片目をつかって僕を見ていた。僕は豆電球が反射する彼女の瞳を見ながら言った。


「彼は自分の顔は何に生かすことができるか考えた。さんざん考えた末に導き出された結論は、つまりその顔を使って沢山の女から好かれることだった。それこそが自分だけが持てるオリジナリティなのだと思った。それに彼は学校に行きたかった。自分がよく分からない女の為に働くなんて御免だと思った。そうだね。つまり……、彼は女が邪魔になった。今思うと、彼は普通の愛は持っている、と言ったが。それは違うのかもしれないね。彼は冷血だった。少なくとも女に対しては冷血だった。こんなに冷血になれたのは彼の人生経験のなせる技だったのかもしれない。彼は女から好かれた。だから告白されたりもした。だが、しばらくすると女達は彼をつまらなく思った。いつも模範回答しか用意しない彼を退屈に思った。女達にとって彼は砂漠だった。どこまでも続く砂漠。どこまで行っても用意された答えしか言わない男。だから、彼は飽きられた。だから、いつしか彼は、女達との付き合いには必ず終わりがくるものだ、という価値観を持った。つまり、これは熱量の問題なのだと。最初はぐつぐつ鍋を沸かす様に沸騰する熱量も、やがては大気に晒され、冷え、そして、ただの水になる。自分の上を通り過ぎる女は例外なくそれなのだと思った。つまり、彼は自分の彼女に対しこう思った。ただ一時期熱せられているだけ。やがては水になるだろう、って。彼のその答えが正しいのかは分からない。ただ、真実は彼がそう思ったということだ。つまり、堕胎手術も彼が女の為によかれと思ってしていることでもあった」


 彼女の怒りのこもった声が聞えた。


「ホント最低のヤツね、そいつ……。ねぇ。影響されてないわよね?」

「え?」

「だってなんか、まるで……。いや、何でもないの……」


 そう戸惑う彼女に、僕は低音の優しい声をかけた。とても優しい声を。それと同時に彼女の頭と肩の間に手を這わせ、そっと抱きしめた。


「……そうかい? もうこの話やめようか?」

「いや、続けて……。でも私、彼がどういう決断をしようとしてるか分かったわ。堕胎手術を受けさせるべきか、それをあなたに相談したんでしょ?」


 彼女の凛々しい声が部屋に響いた。僕はゆっくり頷いた。


「……そうだね」

「地獄に落ちればいいのよ! そんな奴!」

「……そうだね。ねぇ、地獄ってどんな所だろうね?」

「え?」


 彼女は少し止まった。僕は構わず話し続ける。


「僕は子供の頃絵本でさ、血の池があって、剣山みたいな針の山があって。そういうのを地獄なんじゃないかと思ったんだ。でも最近思うんだ。地獄ってもっと違ったものだったんじゃないかって。例えば、永遠に抜け出せない牢獄の中でもがき続ける事なんじゃないかって。そして、何もかもをあきらめて閻魔大王の言うがままに動き続けなきゃならない事なんじゃないかって。一切の自分らしさを捨てなければならない場所……」


 彼女の感情が肌を通じて僕に流れてくる気がした。困惑。戸惑う彼女は口から言葉を洩らす。


「何の話をしてるの?」


 僕は彼女の耳に口を近づけた。僕の生温かい息が彼女の耳の裏にねっとりと吹きかかる。彼女が僅かに肩を震わせた。彼女の眼はもう僕を見ていない。僕の目の前には彼女の後頭部があった。僕は囁いた。ゆっくり、優しく、囁いた。


「彼の話には続きがあってね。結局彼は死ぬほど説得して彼女に堕胎手術を受けさせる事にした。でもお腹の子にはきっと意思があったんだろうね。彼と彼女を父親と母親だと思う力も。お腹の子供には生まれつき超能力があったんだ。ある一時期に強烈に思った事が能力として定着する、という特性を持った超能力がね。お腹の子は……死にたくないと思ったんだろうね。ある能力を発動させた。両親が死ぬまで愛しあい、必ず自分を幸せにする、という過程と結末にならなければ何度でも時間を巻き戻す能力。本人の自覚なしに巻き起こされる能力。そして、その父親……、つまり彼だね。彼は、それを遂行させるために、巻き戻る世界の中で唯一人、記憶を持ち越す人間となった。以来彼は何度も失敗し、巻き戻された時間の中に生きている。永遠に抜け出せない牢獄。敷かれたレールの上をただ機械的に歩む牢獄。死ぬ事さえ許されない牢獄。彼は言っていたよ。この巻き戻る人生がはじまり、不幸にも彼は《永遠の囚人である》という唯一無二のオリジナリティを得たのかもしれないってね……」

「……」


 彼女は何も言わなかった。

 僕は彼女を強く抱きしめた。僕は彼女とこれから生まれてくる子供かおるを幸せにしなければならなかった。僕は唯一無二のオリジナリティを手に入れた。それはより強固に敷かれたレールだった。私ではなく公に人生を捧げるレール。超能力は遺伝する。僕のオリジナリティは、娘の為に時の牢獄に閉じ込められ、人生を永遠に捧げ続ける事だった。


 永遠に……、そう永遠に……。


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― 新着の感想 ―
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[一言] 楽しめました! カップルに妙に温度差があるのも、突然の超能力の切り出しも、「僕」が取りつかれたように今まで溜めていた思いを吐き出していく様も、それに彼女の癖を熟知している様子も納得です。あち…
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