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09 龍宝の決断


「俺が竜原を空けている間に、深潭と協力して使えるやつと使えないやつの選別しておいてくれ。百官の人事権を一時譲り渡す。華家に従って在野に降りた者も多い。彼らを呼び戻すのは、華家の当主であるお主にしかできんことだ。ついでに、こんなつまらん事態を引き起こした阿房(あほう)を、捕まえておいてくれても構わんのだがな」


 一瞬、呆気にとられていた翠月が苦笑する。

 彼は皇帝をぎろりと睨みつけて言った。


「……人使いが荒いことだ。選択を誤ったかもしれん」


 憎らしく言う翠月だったが、二人の会話に黙ってはいられぬと深潭が割り込んでくる。


「陛下! 任免賞罰を司るのは吏部の役目。諸官を蔑ろにすれば反発がでます」


 しかし龍宝は涼しい顔だ。


「吏部尚書は昨年更迭して以来空席だろう。それを歴任させておけ」


「そんなことをすれば権力に偏りが出ます。いくら華家当主とはいえ、先日まで髪結いをしていた者を、なにゆえ陛下はそこまで重用なさるのです!」


 深潭が恐い顔をより鋭くして捲し立てる。

 腹心の舌鋒(ぜっぽう)に、しかし龍宝は怯まない。


「それは翠月が、俺に(おもね)らないからだ」


 彼の言い放った言葉に、深潭は言葉をなくした。


「この男は官吏になろうが俺を敬わない。つまり阿っても己に利するところがないと考えているのだ。この男が欲しいのは金や名誉ではない。ならば賄賂に目が眩むこともあるまい」


 それは貶しているようにも、或いは途方もない誉め言葉のようにも聞こえた。


「言っていろ。そのうち寝首をかかれるかもしれないからな」


 そう言って、翠月は足音荒くに龍の間を出て行った。

 残されたのは、憮然とした顔の深潭と満足げな龍宝だ。

 そして宰相である深潭は、大きな大きなため息をついた。


「我が主の無謀は、今に始まったことではないと諦めます。しかし戦場ではくれぐれも、血の気に逸って先鋒になど飛び出しませぬよう」


「はは、いくら何でもそこまで恐いもの知らずじゃない。この国は今が大事だ。それは俺も分かっている」


「国のためだけでなく、我が身をお大事にしてください。乳兄弟として、お頼み申し上げます」


 畏まって頭を下げる深潭の肩を、龍宝は軽く叩いた。


「分かっている。お前にも苦労を掛けるが、頼むぞ」


 二人の間に一瞬の沈黙が流れ、そして彼らは仕事に戻った。

 皇帝の親征となれば、処理しなければならない事柄は山のようにあり、深潭が矢のように房室を出ていく。

 翠月も深潭も、今から夜を徹してその準備に取り掛かるのだろう。

 一人残された龍宝は、ぎらりと目を光らせた。

 手が震えるのは、恐れではなく武者震いだ。


 ―――早く、早く。


 気が急いた。

 一刻も早く、反乱を鎮め王都に戻らねばならない。

 足音荒く、彼は仁貴のいる北衙へと向かった。



  ***



 それから十日も経たぬ内に、北衙禁軍を中心とした三万余の軍勢が王都を発った。皇帝の親征軍としては、過去に例がないほどの小規模な軍である。

 しかしそれはあくまで数字の上でのことで、三万のほとんどは馬に乗った騎兵であった。それも機動力を重視した甲冑をつけない軽騎兵で、これは馬を巧みに操る蛮族を警戒してのことである。

 馬にも鎧をつけた重騎兵は防御力に優れるが、代わりに速度を犠牲にしなければならない。そして長い蛮族との戦いの歴史は、重騎兵では速さで圧倒され蛮族に勝てないということを龍宝に伝えていた。

 服装ですら、蛮族に勝つため遊牧民を真似た胡服を纏っている。


「まったく、恐ろしい無茶をなさいます」


 指揮官及び皇帝の護衛として、副官に任命されたのは趙仁貴だ。彼はその鯰髭を指で整えながら、馬を進めて苦笑を零す。


「十日で軍を用意しろなどと。それも一将軍である私を、恐れ多くも副官に任じなさるとは」


 二人の位置は、軍のちょうど中ほど。

 一足先に空の神輿を運ばせ、龍宝自身は仁貴とさほど変わらぬ武装をしていた。三万の軍勢に守られていようと、用心を怠ることはできないからだ。

 龍宝の下では、久々の遠出に雪原公主が嬉しそうにしている。

 戦争に行くのだから嬉しがるんじゃないと、彼は愛馬の首を撫でた。


「なに、できると思ったから命じたまでだ。それともなにか? 反乱を鎮圧するのに自信がないとでも?」


 龍宝がこともなげに言うと、仁貴は参ったとばかりに兜の上から頭を掻いた。


「陛下にはかないませぬ」


 すると今度は、その皇帝自ら仁貴に馬を寄せてくる。

 周囲の目を引かないよう何気なく、しかし仁貴にぎりぎりまで近づいた龍宝は、周囲の兵には聞こえないよう声を潜めた。


「お前には、もっともっと偉くなって貰わねばならん。三万程度で音をあげるなよ」


 無数の馬の足音にかき消され、その声は仁貴の耳を掠めるにとどまった。

 表情は変えず、仁貴はわずかに黙り込む。

 そして突然、彼は呵々として笑い出した。


「陛下の無茶は今に始まったことではありませぬが、さすがの儂も一本取られました」


「ふむ。いつまでもお前に負かされているばかりではいられぬからな」


 仁貴は龍宝にとって特に親しい将軍であり、馬術の指南役でもある。

 馬の扱いに慣れた心根の優しい男で、龍宝はそういう人間にこそ軍を束ねる地位にいてほしいと思っている。

 勿論荒事に関しても手練れで、心優しいからと敵に怯むことはない。


「さて、それはそうと陛下。以前言ってらした“会いたい(ひと)”とは、どうなりましたかな?」


 反撃とばかりに、突然飛んできた仁貴の問い。

 驚きのあまり、龍宝は馬から転がり落ちるかと思った。


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