04 緑茶大作戦
今は仕事中なのだからと、その感傷を必死に振り払う。
「次に、お化粧を落として顔のたるみを引き上げます」
化粧は妃嬪の嗜み。
当然昭儀は、後宮内にある尚紅に来るためにきっちりメイクを施していた。
私はいつもの要領で、ひまし油を使って彼女にオイルクレンジングを施す。
まずは手のひらでオイルを温め、ゆっくり化粧と顔についた汚れ、それに老廃物を押し流していく。
後半はいつもと少しやり方を変えて、左右顎からこめかみまで、人差し指と中指の二本でフェイスラインをなぞっていく。
これには輪郭を引き締める効果があって、顔のたるみを取るのにも効果的だ。
それが終わると、今度は眉間から生え際にかけて、同じ要領で撫で上げていく。
重力でどうしても落ちてきてしまう、顔のお肉を引っ張るためだ。
額や眉間にはどうしても皺が寄りやすいので、このマッサージを毎日続けることが大切。眉間から徐々に横にずらしていき、額を全て撫で終わると私は一息ついた。
「さて、次は肌に潤うを与えますね」
そう言って賈妃の顔にあるひまし油をふき取ると、私は準備をしていた春麗に合図を出した。
彼女はあらかじめお願いした通り、湯気の立つ盥を持ってこちらに近づいてくる。
子美はその奥の専用の竈で、今頃火の面倒を見ているに違いない。できれば賈妃とは顔を合わせたくないと、中に引っ込んでしまったのだ。
後でたっぷり労ってあげよう。
「これは……?」
盥に入っている緑色のお湯に、昭儀は不思議そうな顔をした。
油分を与えられて艶のある肌は、彼女を少し幼くしている。
「これは、茶葉を発酵させずに蒸して淹れたものです。肌の老化を食い止める効果あります」
「まあ、ではこれを飲むの? こんなに?」
盥は昭儀の顔より少し大きいくらい。
そこに入ったお茶を、飲み干すのは大変だ。
「違いますよ。この湯気を顔に当てるんです」
「湯気を?」
ざわざわと、賈妃付きの女官が騒めいた。
私は緑茶が覚める前にと、椅子を調整して賈妃が前かがみの姿勢になるようにした。そして彼女の頭に布をかぶせ、熱すぎない距離に盥を置く。。
布をかぶるのは湯気が逃げないようにするためだ。
これで電気の要らない簡易スチーマーのできあがり。
肌に潤いを与えて、更に汚れが落ちやすくなる。
おおよそ十分ぐらい置いたら、今度は冷めた緑茶で顔を洗ってもらった、お茶洗顔だ。最後に用意しておいた緑茶化粧水をつけて、完成。
化粧水はいつものように、緑茶の葉をお酒に漬けておいた。これは蘭花にではなく母に作ってあげたのと同じレシピだ。
あとは侍女に頼んで、賈妃に服を着せてもらう。
全てが終わった後、自分の顔を触った彼女の目はみるみる輝きだした。
慌てて鏡を覗き込む賈妃。
その様子は、まるではしゃぐ少女のようだ。
房室に来た時の不機嫌な様子も、どこかに霧散してしまった。
いつもとは違う主の様子に、侍女達も戸惑っている。
「輪郭が、さっきまでと違うわ。まるで昔のよう……」
賈妃はほうと満足げなため息をついた。
嬉しくて、思わず私の顔も緩んでしまう。
「これを毎日続けますと、もっと効果が出てきます。ぜひ続けるみてください」
「もちろんよ! 楽しみだわ」
実際にやるのは侍女達だろうが、賈妃が緑茶美容コースを気に入ってくれてよかった。
私のように日本人ならばかぎなれた緑茶の匂いも、慣れない人にとってはどう感じるか分からなかったからだ。
中国茶より抗酸化作用が強いという理由で緑茶を使ってみたが、予想以上に喜んでもらえてほっと安堵の溜息を漏らした。
しばらくそうしてはしゃいでいた賈妃だったが、急に我を取り戻したのかコホンと咳をした。
「えー……、とりあえずは礼を言っておくわ。まだ認めたわけではないですからね」
そう言って彼女は、来た時と同じように輿に乗って帰っていった。
「行ったか?」
ひょっこりと、まるで小動物のように子美が奥から出てくる。
「うん。満足してくださったみたい。よかった」
そう言うと、子美の硬かった表情も少し緩んだ。
「そうなの。よかったわね」
「子美のお陰だよ。お湯を沸かしてくれてありがとう」
「たっ、大したことじゃないわよ」
そう言うが、彼女の額には汗が滲んでいるし、頬はうっすら灰で黒くなっていた。
この世界では、お湯を沸かすのですらなかなかに大変だ。
「ううん。出してくれた時、熱すぎると火傷しちゃうし、ちょうどいい加減だった。本当に助かったよ!」
本心だったが、労う気持ちも込めてちゃんとお礼を言うと、子美はぷいとそっぽを向いてしまった。
どうも照れているらしい。
とにかく、そうして緑茶作戦は大成功で幕を閉じたのだった。