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19 おしべのない花


 彼女の美しい顔は、切なげな悲しみに彩られていた。

 その女達を憐れんでいるのとは違う。まるで共感して共に苦しんでいるような表情だった。


 (華妃も何かに苦しんでいるんだ。その原因は分からないけれど)


 不意にそう悟る。

 なぜならその悲しみは、私にも覚えのあるものに思えたから。


「わたくしも入宮の時には、心に誓ったものよ。この中では誰も信用してはいけない。誰に心を許してもいけない、と」


 華妃の口にする決意は、ひどく悲しいものだった。

 私と歳もそう変わらないはずの彼女が、そんな風に考えるなんてよっぽどの決意だと思う。

 けれどこの世界では、これが普通なのかもしれない。

 沢山の妃を広い広い庭に閉じ込めておくなんて、日本から来た私の常識からはかけ離れすぎていて、今までそのことを真剣に考えたことはなかった。

 たった一人の寵愛を求めて、競わされる女達。

 一人一人がそれぞれに幸せになるべきなのに、この世界ではそんな考えの方が異端なのだろう。


「でもねあなたに出会って、その考えが少し変わった」


「え?」


「あなたなら、信頼してもいいと思えた。翠月様からあなたの人となりは聞いていたけれど、そんなことは関係なしにね」


 (余暉は、私のこと一体どんな風に言ったんだろう?)


 聞きたいような聞きたくないような気持ちで、私は話の続きを待った。


「あなたは嬪妃女官に関わらず、誰に対しても平等だったわ。相手で態度を変えたりしなかった。あなたの施術を受けているとね、真剣に相手の悩みに向き合っているのが伝わってくるの。だからあなたの手はとても心地がいい」


「そ、そんなこと……」


 それはのぼせてしまいそうなほど、嬉しい言葉だった。

 相手に対して態度を変えないというのは、この世界の地位や身分というものにまだ馴染めていないからだ。褒められるようなことじゃない。

 でも相手の悩みに真剣に向き合っているというのは、自信を持って頷くことができる。

 私はプロじゃないから、プロになる前にこの世界へきてしまったから、経験が少ないし知識だって浅い。

 でもだから向き合った相手一人一人に、せめて一生懸命尽くしたい。

 たとえその相手が皇太后だろうと、そうじゃなかろうと。

 女性の美しさを求める気持ちは、誰でも同じだ。年齢も性格も関係ない。美容に対する悩みはきっと、死ぬまで尽きることがない。

 そして私は、美しくなって笑う相手の顔を見るのが好きだ。

 悩みを解決して、ありがとうと言ってもらえるのが好きだ。

 今までただ一生懸命にやるばかりで、これが本当に正しいのだろうかと悩むこともあった。

 でも華妃の一言で、私はこの世界に来てからの自分が救われた気がした。


 (ああ、この言葉のために、私は頑張ってきたのかもしれない。最初は生きるためだけだった。でも今はそうじゃない。もっともっと、私はこの国の女性達を綺麗にしたい)


 胸の中でもやもやとしていた何かが、明確な形を持ったのがはっきり分かった。


「―――そういう人に、後宮の主になってほしいと思う。誰かをいたわるという、あたりまえのことができる人に」


 今までありえないと思ってきたことが、すとんと胸に落ちた。


「皇后になるということはね、鈴音。単に大家の妻になるということではない。今のように大家不在のみぎりにも、後宮が動揺せぬよう目端を配ることができなければ。皇后とは大家が政務に集中できるよう、後宮を取り仕切る役割を持つ者。その役目は、あなたのような人にこそ相応しい」


 信じられないような思いで、私は華妃を見つめた。

 この房に来た時はまさか、こんなことを言われるなんて夢にも思っていなかった。


「私にそんな大役―――」


 求められる役目の大きさに、思わず後ずさりしたくなる。

 しかし華妃のまっすぐな眼差しは、私の弱さを許さない。


「鈴音、お願いよ。全ての女達を、幸せにしてとは言わない。でも、せめて女が女らしくいられるように、そんな後宮に、あなたならきっとできるわ」

 華妃の熱のこもった言葉から、私は逃げることなどできなかった。


 (でも、どうすればそんな後宮にできるの? 一体どうすれば……?)


 彼女の希望に、添えたい気持ちは大いにあった。私だって、女性達には美しく自由であってもらいたい。

 でもどうすれば、そんな夢物語が実現できるというのか。

 頭の中ではさまざまな思考が行き交い、私はその真ん中で溺れてしまいそうになった。

 そんなこちらの困惑を感じ取ったのか、華妃はそっと私の手から手を離す。

 途端に指先がひやりとして、普段は冷たい華妃の手が、どれほど熱を持っていたのかを知る。


「答えは、今すぐにとは言わないわ。ゆっくり考えておいて」


「華充儀……」


「もしあなたにその気があるのなら、華家は全力で後押しするわ。それを忘れないで」

 まるで先ほどまでの差し迫った空気が嘘のように、彼女はにこりと笑った。

 けれどそれで心が軽くなることはなくて、重い宿題に私の心はたじろぐばかりだ。


「長くなってしまって、ごめんなさい。本題はこの釵についてだったわね」


 すっかり冷めているであろうお茶を口に運んで、彼女は言った。

 はっとする。


 (そうだ。黒曜からもらった釵の意味を、聞くために私は華妃についてきたんだった)


 余暉が来たと聞いた時は気が気ではなかったのに、すっかりそれどころではなくなっていた自分が恥ずかしくなる。


「いい? 鈴音。その花には雄しべがない。それがどういうことなのか、よく考えてみて」


 なんとその一言だけで、私は房から出されてしまった。

 本題だという割に、その内容はあまりにあっけない。


 (だから、それって一体どういう意味なの!?)


 結局どういう意味なのか尋ねることもできないまま、私は釵を見つめすごすごと尚紅に戻ったのだった。


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