18 女の妄執
華妃の房に着くと彼女は早速侍女を下がらせた。
そして私に、先ほどの釵を出すよう言う。
言われたとおりに、手布に包んだ釵を懐からそっと取り出した。
金属ではなく海亀の甲羅から削り出された釵は、光に翳すと玉に近い柔らかな光を放つ。
(黒曜がくれたものだと思うと、こんなに特別に思えるのはなぜかな?)
思わず魅入っていると、そんな私を花妃がじっと見ているのに気が付いた。
「あの、御史大夫には城下にいた頃お世話になって」
そういえば華妃は私と余暉の関係を知らないのだ。
なので説明しようとすると、華妃は私を制するように軽く手を振った。
「知っているわ。若様から、あなたのことは聞いていたから……」
そう言って、華妃は一瞬だけ切なげな顔をした。
その表情の意味が何なのか、私には分からなかったけれど。
(よっぽど変な話でもしたの? 余暉)
「それよりも、気になっていることがあるのでしょう?」
華妃の問いに、私ははっとした。
(そうだ。この釵に、一体どんな意味が?)
そう思って改めて見てみるけれど、やっぱりなんの変哲もない釵だ。
装飾は少ないけれど作りはいいもので、値段もそう安くはないと思うけれど。
黒曜はこの釵を、虎柵県に出かける前に託していったのだろうか。
(だったら直接渡してくれればよかったのに。忙しかったのかな?)
それはそうかもしれない。黒曜の親征は突然だった。きっと準備で慌ただしくて、私のところの来ている暇なんてなかっただろう。
今頃、北方の寒さに風邪をひいていないだろうか。敵にやられて傷ついていないだろうか。
周りに護衛の兵士がいっぱいいると分かってはいても、気づくといつも悪い想像をしてしまう。
またしても上の空になっていたらしく、華妃が優しく私の名前を呼んだ。
「鈴音」
「あっ、すいません私……」
すると彼女は、突然釵を持つ私の手をそっと自分の両手で包み込んだ。
驚きに、息をのむ。
「鈴音。案ずることはないわ。大家はきっとご無事よ」
その言葉に、はっと顔を上げた。
まるで心を見透かされたみたいだ。私を見る華妃の顔は、慈愛で満ち溢れている。
「あなたには、ずっと言っておきたかったの」
「え?」
「わたくしはね、大家を人間的に尊敬はしているけれど、あの方のお子を産みたいとは思わないわ」
あまりにも唐突な言葉に、唖然としてしまった。
どうして彼女は、突然こんなことを言い出したのだろう?
「なっ、なっ、何言って!」
「あなただって本当は分かっているんでしょう? 大家が一番愛して―――信じてほしいと思っている人は、あなただってこと」
まさか、黒曜の妃の一人である彼女に、こんなことを言われるなんて思ってもみなかった。
華妃の表情は誠実だ。
嘘をついているようにも、私をだまそうとしているようにも見えない。
もしこう言ってきたのが他の妃だったら、私は多分この言葉を信じられなかったと思う。
でも彼女には子美のことでお世話になっていたし、余暉の養女だから疑いたくないという気持ちが強かった。
(でも……でも―――)
彼女の言葉を信じたとしても、それで私に何ができるだろう。
妃でもないただの化粧師に、できることは少ない。
そうやってまた『自分なんて』と卑屈になりそうな気持ちを、打ち破ったのは華妃が続けた一言だった。
「鈴音。あなたは皇后になるべきだわ」
「は!?」
驚きのあまり、素で驚いてしまう。
誰が想像するだろう。
家柄も美しさも何もかも申し分ない、皇后に一番相応しいと目されている人に、まさかそんなことを言われるなんて。
「なにを、おっしゃって……」
「戯れに言っているのではありません。私は心底、あなたがこの国の皇后に相応しいと思って言っているのよ」
華妃の真剣な眼差しは、とても冗談を言っているようには見えなかった。
「どうして、ですか?」
彼女が突然こんなことを言い出した理由が、ちっとも理解できなかった。
頭はごちゃごちゃで、釵を持つ手が小さく震える。
その震えに気付いているはずだが、華妃は迷うことなく言葉を続けた。
「鈴音。あなたも知っている通り、ここは恐ろしい場所よ。今は数こそ少ないけれど、歴代の妃達の怨念が、そこかしこに染みついているような気さえする。外へ出ることも叶わず飼い殺しにされた、悲しい女達の妄執が」