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闇中輝眼  作者: 銀河狼
9/13

Scene 9

「本気だったわけ!?獅王子さん」

 等身大の姿見で服装のチェックを行い、ただでさえ複雑な気分に陥っていた鷹人は、獅王子が思い出したように告げた言葉を、一回聞き流してしまってから仰天した。

「もちろんよ」

 悪びれもせずに、むしろ胸を張っている獅王子に、鷹人は頭を抱えたくなった。

「う……わぁ、あれからなにも言ってこないから、てっきり冗談だと思ってたのに……」

 せめて成人式くらいに見えないもんかなぁという、今しがたまでの悩みを放り出して苦悶している彼を横目に、鼻で笑うのだから質が悪い。

「ちょっと声かけてやったら、飛び付いてきたわよ。あの男、一応外聞ははばかってるみたいだから、女遊びはやせ我慢してたんでしょうね。もう最初から、ヤル気満々だったもの」

 下品だし、見た目妙齢の女性が口にする科白じゃない、と鷹人は顔をしかめるが、獅王子はまったく意に介さない。

 気心が知れている者同士、気取ったところで意味など無いからだ。

 しかし鷹人がいくら、親しき仲にも礼儀ありだろ、と主張していても、同居人達に右から左へと聞き流されているのが現状だ。

「……外泊した日は無かったよね」

 なんだか、非行を心配する親のようなそれに、さすがの獅王子も鼻白んでいる。

 確かその話を聞いてから今日まで、遅くなって午前様になることはあっても、必ず帰ってきていた。

 眠っていても、防音は完璧でも、絶対にわかるのだから不思議なものだ。 

 熟睡という状態は、自分達にはひょっとするとないのかもしれない。

 狼もここ数日、ぱったりと夜、出かけなくなっている。

 彼の場合は外出がはじめると、なにをしているのか、とり憑かれたように毎日出だして行くが、それが半月続くと、残りの半月は一切外どころか部屋からも出ようとせず、引き篭りに近い状態になる。

 本来ゲスト仕様の狼の部屋は、ユニットバスにトイレ完備だし、食事すら運んでやらないと食べようとしない。

 そのパターンを、ほぼ一月単位で繰り返しているのだ。

 今はちょうど、その引き篭りの時期にあたっているのだが、なにがなんでも部屋から出てこないというわけではなく、多少強制してやれば、よほど気分が乗らない以外は、今晩のようなパーティにも参加してくれる。

 本音を言うと、その辺の兼ね合いは、付き合いの長い獅王子にしても、つかみきれてはいないそうだ。

「泊まってもよかったんだけど、そこまで安売りするつもりはなかったしね」

 そう言って肩を軽くすくめる獅王子は、黒の総レースの、マーメイドラインのドレスで、肩を大胆にはだけ、長袖に見えるのは実は、同じレースの超ロングの手袋のためである。

 耳にはピーコックグリーンの黒蝶真珠の大きな玉を核に、燻し銀の花びらを重ねて作った花型のイヤリング、両サイドをアップした髪をとめているバレッタには、イヤリングと同じ花が、燻し銀の葉と共にいくつもあしらわれた、ちょっと見た感じがアンティークのような、シックなアクセサリーを、ドレスに合わせていた。

 胸元を飾っているのも、同じ黒蝶真珠の二連のネックレスだ。

「妬いてくれてるのかしら、鷹人君は」

 冗談なのか本気なのか、判別の付かない言い方で、ふふんと腰に手を当て、妙にえらそうに獅王子から見下ろされるのは仕方がない。

 悔しいが、十センチ近くの身長差があるのだから。

 これで下のフロアに行けば、彼女はさらにハイヒールのせいで十センチは背が高くなるのだろうと思うとやりきれない。

 こういう時は、女に生まれたかったなぁと、しみじみする。

 そうすれば、今の身長でも少々背の高い女性、で済んだに違いないと、わざわざ隣の納戸からリヴィングに引っ張り出してきた、銀縁の鏡の中の自分の姿に嫌になった。

 濃茶のスウェードの三つ揃えのスーツは、襟と折り返しの付いた袖口に、白のラインが入り、ジャケットの裾が、ハーフコート程度に長い。

 きちんと自分の身体にフィットしてはいるが、色、素材を別にすればどう見ても、ブレザータイプの私立学校の制服のようで、よくてホテルのベルボーイにしか見えない。

 自室で着替えれば、それで良いと思うのだが、こうして最終チェックを入れないと、獅王子の方が納得しないのだ。

 つい今しがた叩き起こされたばかりの狼は、もっか着替え中である。

「それこそ冗談だね」

 思わず半眼になって、鷹人がぴしゃりと、取り付く島もないほどに、獅王子をシャットアウトするのは、適当にごまかそうとすると、そこから言葉遊びのようになし崩しにされるからだ。

 そうしておいしくいただかれてしまったことも、一度や二度ではない。

 第一その程度で妬いていたのでは、とてもじゃないが、一つ屋根の下で生活するなど不可能だ。

「最近可愛げがなくなったわね〜。最初の頃はちょっと触っただけで、すぐに真っ赤になってたのに」

 獅王子は不満げに、いい加減うんざりしている鷹人に近寄ると、有無を言わさずその顎を捕らえ、ディープキスをかます。

 いきなり背伸びを強制されたので、一瞬嫌がるそぶりを見せた鷹人も、すぐにあきらめてそれに応えた。

 しばらく、思う存分舌を絡めあって、唇は離れた。

 すぐ落ちて、色移りするような安い口紅を使うわけはないから、その辺はよかったなと、さすがに踏んだ場数の差から、ちょっとはぼうっとしながらも、そう考えられるくらいに鷹人は冷静だった。

「すっかり慣れちゃって」

 面白味がなくなったわと、勝手なことを言う獅王子をじと目で睨みながら、鏡に目をやるが、やはり口紅は移っていないようだ。

 グロスが多少付いたかもしれない。

「化粧が済んでるんだったら、妙なこと仕掛けないでよ、獅王子さん。グロス落ちてるよ」

 さすがに洋画に出てくるような、大口を開けてのキスを交わしたわけではないにしても、それに近いものはあったので、いくら良い化粧品でもさすがに剥げるものは剥げる。

「第一、キスどころかそれ以上の事まで存分に仕込んで、純情な少年をここまでもてあそんだ張本人が、いまさら何を言ってるのさ」

 ファーストキスまで、とはさすがに言わないが、なにからなにまで、鷹人が拒否権を行使する暇もなく、退屈しのぎと称して掻っ攫っていってしまったのは、誰あろう獅王子だ。

 初めての朝など、泣きたいのを通り越して、呆然としてしまったことを今でも覚えている。

 時たま、青春を返してくれと叫びたくなることもあるし、何回かは実際、雄叫びも上げたが、性懲りもせずに回を重ねられる内にどうでもよくなったというか、あきらめざるを得なくなった。

 下世話な話、彼女は上級者で気持ちだけはめちゃくちゃ良かったので、開き直ってしまったのだ。

 今でも、獅王子の気が向けば同衾するし、だからといって、恋愛感情を抱いたことは一度もなかった。

 恋愛とはいかなくとも、情が湧いてもよさそうなくらい関係は続いているのだが、惰性のようなものは感じてもそんな気にちっともなれないのは、ちょっと不思議に思っていた。

 だからといって、恋愛対象者になりたいわけでも、したいわけでもなかった。

「それにしても、その格好って嫌がらせ?」

 相変わらず、嘘と本気の境目が見えない獅王子の悪ふざけにいつまでも付き合っていられないので、最初に見たときから気になっていたことを指摘してみる。

 木内貴史が来るらしいので、これ以上の暴挙には出ないと思うが、快楽主義者の彼女は、キスだけのつもりがそれ以上にまで発展する場合が、ままあるからだ。

 相手は鷹人ばかりではなかったが、それでパーティをすっぽかしたり、遅刻したことも一度や二度ではない。

 義務だ何だと口煩く鷹人や狼にいう彼女だが、そうした態度を見ると、本当はこのパーティが嫌いなのではないだろうかと、勘ぐりたくもなる。

「あら、わかる?」

 とたんに上機嫌になる獅王子に、わからないでかと、口の中で呟く。

 なんだか、喪服みたいなコーディネートだと思っていたのだが、まさしくそのままだったようだ。

 だいたい彼女はもともと、こんなシックな装いは好きではなくて、たとえ流行ではなかろうと派手な色を好むし、気性からしてもその方が似合っていた。

 とすると、前回のスーツも同じ意図だったのかと、思い当たる。

 披露宴にでも出席するような服装ではあったが、やけにおとなしい格好で出て行くなと首をかしげた記憶があったからだ。

「わからないほど、短い付き合いじゃないでしょ」

 ため息をつく鷹人に、獅王子は愉快でたまらない笑い声を上げた。

「だから好きよ、鷹人君」

 語尾にハートマークでも付いていそうなほどじゃれつかれ、鷹人はちょっぴり嫌な予感を覚えた。

 情けないというなかれ、徐々に強まっていく悪寒に、ついつい逃げ腰になるものの、もともと壁際に立て掛けた鏡の前にに立っていたので、あっという間に逃げ場がなくなってしまった。

 戦々恐々で目の前に迫ってきている獅王子を見上げると、確かに笑っている彼女の目が、獲物を前にした猫……と評するにはあまりにも楽しそうに、明らかに鷹人をロックオンしている。

 顔を引きつらせつつ、冗談だよね、と鷹人が言うより早く。

「このまま押し倒しちゃいたいくらい」

「うわぁー!やっぱりぃぃ!!」

 壁を背にしていたので、がばりと、押し倒すというよりは覆いかぶさってきた獅王子に、鷹人は悲鳴を上げた。

「よしてー! やめてー! ちかん〜!!」

 遠慮会釈なく、鷹人の服の中に入り込み、剥ぎ取ろうとする獅王子の手を、必死に防御しながら、聞いている者が脱力するような叫びを上げる彼に、獅王子がむくれる。

「失敬な言掛かりつけないでよ、痴漢じゃないわ。気持ちいいことしてあげようとしてるんじゃない」

 それは、性犯罪者の言い分だというのだ。

 あっという間に、ジャケットのボタンをはずし、白のシャツの裾をスラックスから引っ張り出し、ネイビーのネクタイを緩める。

 普通はこれくらいの年齢差なら、男の方が力は強いのだが、それはあくまで『普通』であって、純粋に力比べとなると、この家の中でと限定すれば、鷹人は一番非力なのだ。

 暴れる身体をきっちり押さえ込まれ、耳たぶを甘噛みされれば、うっかり全身から力が抜けてしまった。

 ちらりと視界に入った壁掛け時計は、もう七時を回ろうとして、今からいたされてしまっては、遅刻間違いなしである。

「めくるめく快楽の世界へ、レッツゴー!」

 しかも、もうここまできてしまうと、経験上からいって逃げるに逃げられない。

「いやー!! 食われるー! おそわれるー! ぎゃああああぁ!!」

 もう十分襲われているだろ、という突っ込みをする者は誰もいないと思われたが。

「……何をやってるんだ」

 突然、獅王子の背後からかけられた静かな、しかし大いに呆れを含んだ声音に、大騒ぎを繰り広げていた二人の身体が、ぴたりと停止した。

「ああ、ちゃんと着られたのね、狼」

 まるで何事もなかったかのように、背後から現れた麗人にくるりと向き直る獅王子に、鷹人は助かったとずるずる床にへたり込んだ。

 いまさら貞操がどうの場所がどうのという気はないが、こんな場合が一番困る。

 狼の生活習慣もあれだが、獅王子からしても時々、妙なスイッチが突然入る。

 大体ここ最近、獅王子さんご無沙汰だったみたいだから、絶対一回じゃすまないし〜と、着衣の乱れを直しながら思うあたりが毒されているのだが、鷹人本人は気が付いていないようだし、教える親切心を持った者も、ここにはいないのは不幸なことだ、たぶん。

 しかも、そういう外部からの苦情が、当人にではなく、どういうわけか鷹人に回ってくるのもいただけない。

 まあ、本人に言っても馬の耳に念仏だからだろう。

 鷹人が言って、獅王子が聞き入れると思っているあたりが、すでにナンセンスだ。

 スイッチは入るのも突然なら、切れる時も突然なので、狼が来た以上、もう襲われる心配のないだろうと、あちこちをひっぱり、埃を払いながら立ち上がった。

 幸い、座り込んでいた時間は短かったし、乱されていたときは立っていたので、皺にはならなかったようだ。 それに、落ちない汚れが付いてしまうほど、掃除をサボった記憶など当然ない。

「狼はタキシードなんだ……!」

 そう口に出してから、よくよくその姿を目に入れて、絶句した。

 鷹人はタキシードといったが、実際は、タキシードに近い服である。

 黒のベルベットの裾は、後ろに向かって丈が長くなっていて、どちらかといえばフロックコートかもしれない。それがフレアースカートのように少し末広がりになっていて、袷はボタンではなく、銀色の細いチェーンで留まっていた。

 中は白のドレスシャツらしく、袖口から幾重にも重なったドレープがのぞいている。

 その上にオフホワイトのベストに、スカーフのように見えるディープグリーンの蔦の柄の入ったタイをしているのだが……。

 それに、まだ下ろしていないからだろうが、エナメルの白靴をもうはいている。

 そこにプラスして狼の美貌だ。

 確かに似合う。間違いなく似合っている。それにしても……。

 どこのホスト、っていうか王子?!

 鷹人が胸の内とはいえ、絶叫したくなるのも無理はない。

 コーディネートした本人にしたって、なんとも言い難い顔付きになって、首を傾げていた。

「……見た瞬間は、これだと思ったんだけど」

 受けを狙ったわけではないし、別におかしいわけでもないのに、見ていると何とも、微妙としか言いようのない気分が湧きあがってくるのだ。

「……花嫁さんがいないね〜」

 ついつい口調も平坦になってしまう。

「たしかに、そんな気分ね……」

 なんだか自分達でも良くわかっていない会話を交わす二人に、狼はいくぶん眉をしかめた。

「似合わないってことか?」

 その問いに、二人は同時に、力いっぱい首を横に振る。

「狼が似合わなかったら、他に誰も着られないよ」

 そう強く言ってから、獅王子はちょっと残念そうな表情になった。

「今回のパーティ、白馬の王子様に憧れてるような、若い娘いないのよね」

 せっかくある意味、そのままなのに〜と悔しがる獅王子に、鷹人はふと疑問を覚えた。

「あれ、今回は狼もパートナーなし?」

 いつもパートナーは獅王子なのだが、今回は木内貴史が来るので、それはない。

 鷹人も、別段恋人はいないし、この外見ではむしろいない方が当たり前なので、いちいち無理に相手を作るよりも楽だから、大抵一人だ。

「まあ、取り仕切っているのは私だけど、一応主催者は狼だから。婚約者がいるわけじゃないしね」

 めったにいるわけではないが、婚約者候補として、娘や孫娘をパートナーとして連れ来る参加者もいるので、獅王子が務められないときは、あえてパートナーをあてがわないことにしているのだ。

 どうも血縁以外の相手は総じて、結婚もしくは恋愛の相手と思われる風潮があるので、その方が後々、波風が立たなくて面倒がないからである。

 そう獅王子が苦笑すると、狼が自然な動作で、その真横に並ぶ位置まで歩を進めた。

「遊ぶのは良いが、かまいすぎて壊すなよ、獅王子」

 内緒話のように耳元で囁かれ、獅王子は軽く目を見張る。

「……わかってるわよ。あの子はあなたのお気に入りですものね」

 ちらりと鷹人に流した視線に、多少なりとも嫉妬がなかったといえば嘘になった。

 その何分の一でもいいから、自分に向けてくれたのなら、と思うから、ついついちょっかいを出してしまう。

――ごめんね、八つ当たりなのはわかってるけど

 声に出さずに詫びるのは、鷹人がもちろん嫌いではないから。

 自他共に認める快楽主義者の彼女にしてみれば、身体の相性も良いので、この関係に実は、かなり満足している。

 でも、醜い感情が根底に横たわっているのも、本当なのだ。

 お詫びに、これが片付いたら、思いっきりかわいがってあげようかしら。

 ちろりと舌なめずりしつつ、そんなことを考えるから、よけい鷹人にしり込みされるのである。

「そろそろ、私は下に降りるわ。二人も、後三十分位したら、降りてきてね」

 鷹人が知ったら、脱兎のごとく逃げ出しそうなことを考えているのもおくびに出さず、獅王子は今後の楽しみと胸を弾ませつつ、軽くウィンクを送るとリヴィングを出て行った。

 なんとなく獅王子の企みに察しをつけた狼が、うっすらと笑みをはく。

 それを止めようとしないあたり、気に入っているというわりに性格が悪い。

 鷹人は、やれやれと、ようやく一息ついた。

「良いように遊ばれてたみたいだな」

 軽く腕を組んで、面白そうに言う狼に、鷹人は盛大に嫌な顔して見せた。

「変なとこでスイッチ入るんだもん、獅王子さん。今晩は木内貴史としっぽりのくせにさぁ」

 ぶつぶつと愚痴る鷹人に、狼の片眉が跳ね上がった。

「なんだ、引っ掛けてきたのか?」

 その反応に鷹人も、あれ?と頭を傾ける。

「獅王子さんから聞いてなかった?」

 やっぱり止めた方が良かったのだろうかと、顔を曇らす鷹人に、狼は一瞬、思案気になったが、いや、と首を振って否定した。

「別段かまわないさ。それなのに、泊まってはこなかったんだな」

 たとえ獅王子が味見をしたところで、あの男が『餌』であることに変わりはないし、『狩り』に支障が出るわけでもない。

 狼は元々、獅王子のしていることに関心を示さなかったし、気が付かなかったのは、そういうときの常である外泊をしていなかったからだ。

「軽い女に見られないようにしたんだってさ」

 今さらだと思うんだけどね、と笑う。

 その気になって聞いて回れば、隠し立てをするつもりがないので、それこそ後から後から男性遍歴なんて、湯水のように湧いてくるはずだ。

 それに狼も、わずかに肩をすくめた。

「どっちにしても、並の男が相手じゃ、ブランクのある獅王子が満足できるとは思えないな。誘いがかかるぞ、鷹人」

 狼の言葉に、えぇ〜と大仰に声を上げて見せながら、時期的には鬱になる頃なのに、機嫌も悪くないし、やけにしゃべるなと、ふと思った。

 この時期にパーティがあったりすると、もともと社交的ではないので、鬱に拍車がかかって、手がつけられないというか、いっそのこと獅王子のように暴れてくれと言いたくなる状態になるのだ。

 パーティ自体が嫌いなので、けして機嫌がいいとはいえないが、あの最低の状態に比べれば、天地ほどの開きがあるだろう。

 その要因に思い当たるところはないのだが、二人の頭の中身など、自分の考えの及びのつかないところにあるのは、身に染みてわかっていたし、それ以上は藪を突付いて蛇を出すことになりかねないので、自粛することにした。

「まあ、どっちにしても今晩のお相手は、木内貴史さんがしてくれるし、その後は二、三日、間が空くだろうから別にかまわないよ」

 しょせんは遊びだけど、やっぱり別な男の直後というのは、ちょっと遠慮したい。

 肩をすくめる鷹人に、狼は怪訝な顔をした。

「そんなに堪え性のある奴じゃないだろう」

 そんなエチケットに気を使うようなら、そもそも鷹人に手をつけたりしないはずだ。

 今度は鷹人が、眉をひそめた。

「明日が満月だよ?『狩り』に行くんでしょう?」

 そう言われて、またしばし思案し、ああそうかと、やっと納得する。

 確かに身の内から、ゆったりと湧き出して全身に染み渡っていく、馴染みの感覚があった。

「もうそんなになるか」

 しみじみとそう呟いてから、ロールカーテンの下りている窓に視線を移す。

 狼の部屋だけは、窓に電動式でシャッターが下りるようになっているので、ここの所ずっと闇の中で、怠惰に過ごしていたのだ。

 その間、月は勤勉にも、その身を太らせていたというわけだ。

 鷹人はそんな呆けた返答に脱力しながら、視線を窓へとやって動かない狼をしげしげと見やる。

「……『狩り』、行くんでしょう?」

 普段から人間味の薄い狼ではあるが、そうして着飾って黙って立っていると、ますます彫像めいて、鷹人はなんとなく不安になって、思わず尋ねていた。

 こうして三人で一緒に暮らしていても、どうしてだろうか、時々狼はひどく孤独に見えた。

 感情の起伏がないようにさえ思える、喜怒哀楽の極端に薄い彼は、月の半分をほぼ接触を断ってしまい、残りの半分にしても、気分さえ乗ればそこそこ会話もするが、距離を置いて、鷹人と獅王子の掛け合いを静観していることが多かった。

 そんな狼の人馴れしない孤高さを、獅王子は愛したし、鷹人も嫌いではなかったが、何かの感慨に耽っているのか否か、時としてひたと虚ろな瞳で空を見つめる狼の姿を見るに付け、そう遠くない未来に取り返しが付かなくなってしまう気が強くしていたたまれなくなるのだ。

 鷹人にとって、狼と獅王子は、かけがえのない家族なのである。

 だからこそ、驕りなのかもしれないが、狼に常にまとわり付いている、生きていくことに対する倦怠感のような孤独と無気力さを、無性に振り払ってやりたくなるのだ。

 たとえれが、『狩り』というあまり歓迎できないものであっても、彼が少しでも生気を取り戻してくれるなら、それで良いと思う。

 それでも、無性に不安になるときがあるのだ。

 二人は鷹人に比べれば、普段の行動はともかくとして、精神面においてはるかに老成していて、心の内には滅多に踏み込ませず、感情を上手に隠す。

 いつまでも一緒に居たいなんていう、子供じみた感傷に浸っているのは自分だけで、不意に置き去りにされてしまうのではないか。

 そんな恐怖に、いつも自分は、心のどこかで苛まれている。

 獅王子の誘いを断りきれないのは、そうして求められている限りは、共に居てくれるという安心感と、心が無理ならせめて身体だけでもという 卑屈さからだ。

「もちろん、『狩り』には行くさ」

 狼の静かな肯定に、鷹人は小さく安堵の息をついた。

 まだ大丈夫。彼はまだ、ここにいてくれる。

「ただ、もうそんなに時間が過ぎていたとは思わなかっただけだ」

 今度は狼がついたため息に、鷹人は苦笑いした。

「そんなんで大丈夫なわけ? 今晩は獅王子さん、フォローしてくれないよ?」

 『生きる』という生物なら当たり前の状態に執着の見られない狼は、天然ボケとしか思えないような生活ぶりを常日頃から披露しているため、鷹人と獅王子の二人の渾身のサポートがなければ、日常生活すらまともに送れない。

 パーティは本来、そうした場を好む獅王子が担当していたが、木内貴史を引っ掛けているともなれば、まかり間違っても他の男のお守りなどできないだろう。

 鷹人は経験はあっても、あまり数をこなしていないので、そういう意味でなら、むしろ狼のほうが場慣れしているはずだが、普段がこうなので、やはり心配は付きまとう。

「……そんなに心配なら、お前がパートナーになるか?」

 それが顔に出ていたのだろう、わずかに首を傾けるようなしぐさをした狼は、すいと身を屈めて、鷹人に顔を近づけて、そんなことを言った。

 こんなところも決まってるよな、とつい見とれていて、そのまま聞き流して頷きそうになった鷹人は、ようやく脳に到達した内容に、固まる。

 自分の考えを読まれて、気を悪くしたと思った鷹人の額に、冷や汗が浮かんだ。

 やっと獅王子の魔手を逃れたばかりなのに、今度は狼の機嫌を損ねて遊ばれるのかと思うと、蛇に睨まれた蛙か、ガマの油のガマガエルになった気分だ。

 鉄面皮といってもいい、無表情はいつものことだが、ずずいと近寄ってきた澄んだ瞳は、特に怒っている様子もなく、瞳まだ黒のままだし、それよりはなんだか楽しそう?

「俺は、お前がパートナーでもかまわないぞ」

 どんどん狼の顔が近寄ってきて、ものすごいアップになってくるが、結局壁際から離れていなかったので、また逃げ場がなくなり、思い切り寄り目になっても焦点が合わなくなった時、何かが唇に触れて、ちゅっと音がした。

 狼の顔が、これまでの映像を逆回転させたように離れていく。

 その途端、奇声を発して鷹人は背後の壁に、部屋中に響く激突音を立ててぶつかっていた。

 うった後頭部もかなり痛いが、それよりも唇を押さえて鳥肌を立てて、見る見る顔色が青くなっていく。

 唇に触れて、ちゅっとなって、唇に触れて。ちゅっとなって〜!!

 それ以上はもう、脳内ですら、なんだかわけのわからない幾何学模様が乱舞した。

 思い出したくないのに、延々とエンドレス状態でぐるぐる頭の中をめぐる情景に、今にもクラッカーのように破裂しそうだ。

「き、き、き……」

 キスされた〜!!

 それ以上は言葉にならなくて、一気に涙目になる。

 舌まで入れられたわけじゃないし……って、そんなことされてたら、いくら何でもお婿にいけない……そういうことじゃなくて〜!!

 いかん……本気で泣きそうだ。

 きっと、泣いても許される状況にあると思うのだが、なんだか涙を見せてしまうと、さらにされてしまいそうな気がして、泣くに泣けない。

 ちょっと触れ合っただけだけど……って! ちっとも救いになってない〜!!

 羽島鷹人、男に生まれながら、男に唇奪われる日がこようとは〜!!

 混乱してるというよりは、大パニックである。

 大体、やりたい盛りなのにやれない、中学生や高校生ではないのだ。

 まったく望んでいなかった……といったら、正直な話、嘘になるが、獅王子にあんなことやそんなことまでされて、十分間に合っているのに、何が悲しくて、同性にキスされなければならないのだ。

 大体狼だって、女に困っているとは思えない上、あの獅王子が全身全霊で誘っても反応一つ見せないのは、実は盛った彼女が鷹人の目の前で押し倒したこともあるので、立証済みである(しかもそのとばっちりを食って、ベッドの中で憂さ晴らしに付き合わされた)。

 もしかして、彼女に反応しないのは、そっちの気があるからなのかと、顔色がさらになくなりかけたところで、さらりと狼が口にした言葉にアイデンティティーが崩壊する。

「冗談だよ」

 真っ白。

 危うく、日の光を浴びた吸血鬼のように、灰になりかけた鷹人に、にやりと質の悪い笑みだけを残してリヴィングを出て行く狼の後姿を見送る以外、何ができたというのか。

 そして、パタンと乾いた音を立ててドアが閉まった頃に、ようやく意識が戻ってきた。

 それと同時に、沸々と怒りがこみ上げてくる。

 結局、またしても盛大にからかわれてしまったのだ。

 ここで地団太を踏んでみても、とうに相手はおらず。

「俺の純情と唇を返せ〜!!」

 絶叫したところで、その声を聞けたのは、残っていた鷹人本人だけだった。

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