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闇中輝眼  作者: 銀河狼
10/13

Scene 10

 パーティの開始予定時間である八時には、まだほんの少し早かったが、会場になる中世ヨーロッパ風の階下のリヴィングには、すでに来賓のほとんどが集まっており、特に開始の合図があるわけでもないため、自然の流れで立食式の料理が運び込まれ、飲み物が振舞われ始めていた。

 リヴィングには全面、乗った瞬間に沈むのがわかる、華やかな大輪の花ばかりをモチーフにした最高級のペルシャ絨毯が、隙間無く敷き詰められ、木材が描くゆるいアーチの天井の中央にも、大きくきらびやかなクリスタルのシャンデリアが吊る下げられ、その周りを、四分の一ほどにスケールを小さくしたシャンデリアが四つ、取り囲んでいた。

 そして壁は、複製画らしい有名な、かなり大きな号数の写実主義の油絵が、何枚も掛けられていた。

 ここに足を踏み込んだ瞬間、タイムスリップでもしてしまったのかと、疑いたくなるような光景ばかりだ。

 奥の一角には、白のグランドピアノが、カバーをかけられて鎮座し、その傍らには、ちょっとした段差の簡単ではあるが、半円形の舞台らしき装備もある。

 そこでは、タキシードに身を包んだ若い男性ばかり、四人の弦楽奏者が演奏の準備を始めおり、間もなく、麗しい四重奏が室内に流れはじめる。

 客の人数はざっと見て、四、五十人というところで、多少の増減はあっても、毎回ほぼ変わらない。

 この定例のパーティは、年に四回、季節ごとに行われているし、他にも会社がらみや、ハロウィン、クリスマス、年越しのニューイヤーパーティ、ごくまれには披露宴などが開かれているので、均せばほぼ月に一度はここで何がしか催されている計算になるだろう。

 今日ここにいるのは、上流階級といって差し支えのない人達ばかりなので、料理が来たからといて、そこに群がるようなまねをせず、まずは足取りも身のこなしも鮮やかな、十人のボーイが、銀のトレーで運んでくるシャンパンで口と喉を湿らせ、歓談に花を咲かせている。

 それが分かっているから、今ある料理の方もすべては、カナッペのような一口で、しかも手で摘んでも食べられる前菜ばかりで、メインディッシュなどは、いかに立食式とはいえ、ここではきちんと時間を見計らって運ばれてくるのだ。

 そしてその前菜は、一通りシャンパンをいきわたらせたボーイのうちの何人かが、トレーに乗せて勧めて回るのである。

 そのため歓談の場を動くことなく、舌も満足させられるというわけだ。

 名目上とはいえ、主催者は狼なので、本来ならば玄関ホールでやってくる来賓を迎える役目は彼がするべきなのだが、まったく関心を払わないし、顔を覚えようともしないので、招待客を選りすぐっているのは獅王子が、最初からその役を担った方が失礼にもあたらないため、にこやかに微笑む彼女に迎え入れられるのは、恒例になっていた。

 その獅王子も、いったん来客が途切れたので、会場に戻り、談笑している。

 もちろん彼女がいなくと、受付をするスタッフはいるので問題はない。

 和やかな空気に包まれた中にあって、早々にシャンパンを飲み干した鷹人は、一見オレンジジュースに見えるカクテルの入ったグラスを片手に、壁にもたれて凹んでいた。

 すぐ脇の、いくつもの銀の大きな両手持ちの長方形のトレーに料理が見た目も美しく並び、アルコールはもちろんノンアルコールの飲み物もふんだんにのった、白いテーブルクロスをかけられたテーブルは、奥の左手の裏方専用のドアのスペースを三角に区切るように置かれていた。

 その内側をボーイはもちろんのこと、ボーイと同じ服装の女性スタッフが二名、そして調理用の白衣を身にまとったコックが今のところは一人、忙しそうに動き回っているのを、浮かない気分で横目に見やる。

 一番自分に近いテーブルには、酒瓶がずらりと並び、専属の女性のバーテンダーがにこやかに注文を受けてはシェイカーを振るっていた。

 もちろん鷹人が持っているカクテルも、つい今しがた作ってもらったばかりだ。

 ここ一年ほど、パーティの度にほぼ同じ位置に立っている彼女とは、すっかり顔なじみになっていて、鷹人の顔を見ただけですぐに、このカクテルを出してくれるようになっていた。

 アルコールの味が苦手な鷹人は、水割りや日本酒などはまず口にせず、もっぱら女性が好むような、口当たりのいいカクテルしか飲まないか、もしくはノンアルコールなので、よく獅王子からはお子様味覚とからかわれている

 だからといって酒に弱いのかといえば、むしろ逆で、かなり強い部類に入るだろう。

 もっとも、ザルの獅王子や、ザルを通り越した『枠』の狼には、到底かなわないので、これはある意味、一族の体質なのかもしれない。

 行儀が悪いとは知りつつ、カクテルが出来上がるのを待つ間、カナッペを何個か口の中に放り込んできたので、すでにいつもの夕食の時間をとうに過ぎて、空腹を訴えていた胃袋は多少慰められていた。

 あんなことが合ったっていうのに、こうしてちゃんとお腹がすいてるんだから、意外とショックは小さかったのかもと思う反面、どよどよと暗雲がたちこめる胸中を抑えることはできなかった。

「どうしたんだい、ずいぶんと暗いじゃないか」

 このままどこまでも落ち込んでしまいそうなところに声をかけられ、うなだれていた首を上げると、そこには年のころは四十半ばの、ダンディな男性が立っていた。

「あれ? 狗堂くどうさん、久しぶりですね」

 目を丸くして、壁から身体を放してまじまじとその百九十近い長身を見上げると、細い白のストライプの入った濃紺のスーツは少しくたびれていて、どうやら仕事先から直接やってきたらしい。

「相変わらず忙しそうですね、狗堂さんは」

 そう言うと、狗堂くどうゆたかはちょっと疲れたように笑い、渋い臙脂のネクタイを少しだけ緩めた。

「まったく、ここのところ仕事で都合がまったくつけられなかったから、一年ぶりくらいになるな」

 その右手には、水割りの入ったタンブラーが握られているが、本当ならビールを一杯と言いたかっただろう。

 残念ながらここでは、宴会で定番のビールは用意されていない。獅王子曰く、ふさわしくないのだそうだ。

「それよりどうしたんだい? 原因はまた、あの二人かい?」

 鷹人が落ち込む理由など、他に考えられないからと、中央にできている人の輪の中で、軽やかに笑っている獅王子と、そこから少し離れて、鷹人達が立っている位置とは獅王子の混じっているグループを挟んで対角線上になる壁際に、二人の熟年の婦人と、いかにも作ってますという笑顔で話を交わしている…ように見える狼へと、順繰りに視線をやる。

 それを、弱々しく肯定した。

「お察しのとおりですよ。もういいように遊ばれちゃってます」

 今にも魂が抜け出てしまいそうなく鷹人に、狗堂は苦笑する。

「それだけ、心を許してるってことだろう。特に雷尾君えらく君の事を気に入っているそうじゃないか」

 微妙な言い回しに、鷹人は眉を跳ね上げた。

 そういう誤解をされるのは、いつものことだが、愉快なことでもない。

「獅王子さんはそんなつもりはないでしょうし、それは僕も一緒ですね。……関係を持ったことは否定しませんけど、ああも男癖が悪いんじゃ、僕の方からお断りです」

 辛辣といえば辛辣だが、当の獅王子からも、きちんと否定するところはしておかないと、後で何を言われるか分からないからと、注意されているので、ちょっと頭に血を上らせながらもきっちりと意見すると、狗堂はまあまあと左手で制した。

「別段深い意味はないよ。ただ、同居がこんなに長く続くとは、誰も想像していなかったからね。雷尾君はともかく墺守おうがみ君が良いと言ったのも相当の驚きだったが、どうせすぐに耐え切れなくなるだろうと思ってたんだよ」

 何せ見かけに反して、かなりの人見知りだからね二人とも、と笑う狗堂に、人見知りというよりは、選り好みだろうと鷹人は内心呟いた。

「そりゃ、一緒に住んでるんですから、上手くいったほうが良いに決まってますけど、ああも遊ばれるんじゃ、身体は……この際おいといて、神経の方が持ちませんよ」

 思わずこぼれてしまった愚痴に、狗堂は目を見張る。

「雷尾君にからかい癖があるのは知ってたが、墺守君もかい?意外だな」

 それに大きく頷いたら、忘れようとしていたシーンを再度思い出してしまって、浮上しかけていたのがまたどん底まで落ちてしまった。

 これは当分、思い出すたびに落ち込むという状態を繰り返すことになりそうだと、絶望的な気分で考える。

 またしても暗くなってしまった鷹人に、理由を口にもしないところからして、よほどのことをされたのだろうと、狗堂は同情した。

 獅王子が、気に入った者への構い方の度が過ぎているのは、すでに身内では伝説と化しているほどだから無理もないし、程度は分からないにしてもそこに狼まで加わったのでは、される方といてはたまらないに違いない。

 床にしゃがみこむどころか、めり込んでしまいそうな鷹人の様子に、狗堂としてはその肩を優しくたたいてやるくらいしか、慰めようが思い浮かばなかった。

 鷹人を不幸のどん底に叩き落している片割れは、そんな事はどこ吹く風というよりは、思いもしないといった様相で談笑を続けていたが、ダブルの金ボタンの黒の詰襟のような姿の、受付と警備を兼ねているスタッフが足早に近づくと、獅王子を取り囲んでいたご婦人方に非礼を詫びて、すばやく耳打ちした。

 話の流れから、見るとはなしにその様子を眺めていた二人は、話の腰を折られた獅王子が不愉快な表情になり、それから知らされた内容にだろう、困った顔つきになって、スタッフに指示を与えて下がらせると、くるりと会場を見渡したので、何事か不都合なことが起きたらしいとわかった。

 鷹人と狗堂はほぼ、獅王子の後ろにいたため、見ていたといっても実際は、横顔がちらりとうかがえるくらいで、彼女からは完全に死角になっていたのだろう、ようやく鷹人を見つけると、にこやかに中座を告げて、急ぎこちらへとやってくる。

 それに条件反射のように身構えてしまって、狗堂の失笑を買った。

「鷹人、悪いんだけど、私の代わりに木内貴史を出迎えて、しばらく相手をしていてほしいの」

 もっとも彼女はそれを気にする暇もないらしく、狗堂に失礼にならない程度に軽く会釈をすると、少し離れた位置まで強引に引きずっていって、小声の上にひどく早口で用件を告げた。

「今、ちょっと面倒な人達に捕まってるから、離れられないのよ」

 あの楽しげな様子はどうやら、完全に社交辞令だったようで、顔をしかめて視線を流す先に、つい今しがたまで獅王子が一緒にいた女性達も、かなりあからさまにこちらをうかがっているのが分かって、鷹人はうんざりした。

 これもそう、珍しいことではない。

「それはかまわないけど、どこまで喋っていい?」

 初対面の相手とはいえ、本人ではない分よけいに、獅王子の実情を把握しようと、探りを入れてくるのは間違いないだろうから、一応聞いておくにこしたことない。

 あの男は、財産目当てに結婚と離婚を繰り返しているのだから、獅王子は絶好の獲物のはずだ。

 そうでなければ、こうまで簡単に誘いに応じて、ノコノコやって来るはずもない。

「オープンにされてるものなら、全部話してやってかまわないわよ。どうせ、ある程度は下調べしてくるでしょうし、食い違っても面倒だから」

 おおらかに答える獅王子に、鷹人は少し難しい表情になった。

「……間違えなけりゃ良いけど」

 それに獅王子は、肩をすくめた。

「誰でも、思い違いはあるものよ」

 相も変らぬ大雑把というか、思い切りの良さに、鷹人はちょっとあきれた。

 時々その大胆さに、神経がワイヤーかなんかでできてるんじゃないかと、疑いたくなる。

「了解。それから、後一人、来るって言ってた人はどうしたの?」

 慌ただしく、それじゃお願いね、と去っていこうとする獅王子を、かろうじて捕まえて、ついでとばかりに気にかけていたことを聞いてみる。

 先ほどから注意を払っているのだが、それらしい人物が見当たらないからだ。

 どうもその人物は、自分のために呼ばれたらしい節があるので、気乗りはしなくとも、挨拶くらいしなければ失礼に当たるだろう。

 獅王子はその疑問に、しまった、と小さく呟いた。

「ごめん、言ってなかったわね。彼、仕事の都合がどうしてもつかなくて、来られなくなったのよ。……ものすごく残念がってたけど」

 鷹人の方としては別段、どうしても言葉を交わしたいというわけではなかったので、特に感慨もないし、それに対しては、そう、と答えるだけに留めた。

「それじゃ、お願いね」

 触れるだけのキスを、背後の視線から身体で隠すようにして唇に残し、獅王子は軽く手を振ると、来た時と同様、大急ぎで戻っていった。

 獅王子と一緒にいるお歴々は、確かに何度も見たことある顔ぶれだし、あれではそうそう無下にはできないだろう。

 それに、OKと親指と人差し指で輪を作って、承諾のサインを示すと、いきおいほったらかしになった狗堂の所へと、いったん戻った。

「密談は終了かい?」

 茶化す狗堂に、鷹人も笑った。

「密談なんて大げさなもんじゃないですけどね。『餌』が来るんで、その接待役を急遽任されたんです」

 軽口のような鷹人の言葉に、しかし聞いた方の狗堂の顔は、見る見る強張った。

「おい、鷹人君、冗談にしても良い事と悪い事があるんだぞ」

 声の調子を尖らせる彼に、鷹人は笑いを苦笑へと変えた。

 まあ、普通はそう思うだろう。

「狗堂さんを担いでどうするって言うです? 本当に獅王子さんが釣ってきたんですよ。もう迎えに出ないと」

 その驚きぶりを楽しんでいるのを隠しきれていない鷹人に、狗堂は、それが本当なのだと悟って、信じられないと大きく頭を振った。

「……まったく、雷尾君は……何を考えているのか、理解の範疇を超えてるよ」

 つい独り言のように苦々しく言うのに、鷹人はとりすまして謝罪を述べる。

 彼には気の毒だったが、確かにいい機会なのかもしれない。

「せっかく、相手をしていただいていたのに、すいません。まあ、どんな風になるか、茶番を楽しんで言ってください」

 そう言い残すと、あわただしく踵を返す鷹人の、さして大きくない背中をみやり、なんだかんだ言いながらも、あの二人の影響を受けているよなと、グラスをあおりながら、実感せずにはいられなかった。

「それにしても……」

 空になったグラスに視線を落とした狗堂は、鷹人に見せていた友好的な態度を一変させ、どこか冷たさをにじませた口調で呟いた。

「『餌』を招待するとはね……」

 どこまでも暗く、低く、不穏な響きをたたえたその声は、ざわめきと、流れる四重奏の調べの中へと、吸い込まれて消えた。

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