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書き始めて思ったのは、思った以上にに難産だっていうこと
エレン、という少年にとって、この世界は全く優しい世界ではなかった。捉え方は人によるものとは言うが、少なくとも彼にとって、数週間前のある夜の睡眠を境に落ち込んでしまったこの世界は、全く優しくはなかった。
『無意識下での参加要請を確認――承認しました。参加要請者を、候補者として承認します』
暗闇の中で無機質な女の声らしきものに、そう一方的に宣言された。勿論、何のことだか分かるわけがない。無意識に参加申請という時点で、既に意味として破綻している。意味のわからない夢だ、と言うのが一番最初の感想だったろうか。そしてこれはいつもの明晰夢か、と気がついた。夢の中でこれは夢だと理解しているのは、明晰夢という種類の夢であるという。普通は気づかないものらしいが、彼は普通よりも明晰夢というものを見るのに長けているらしく、この手の夢と理解できる夢をよく見ることがあった。そういう夢に限って、夢に色がついていたり妙に辻褄があっていたりと、普通の断片的な夢とは違った夢を見る。
――今回はやけに毛色が違うな。
そんな思考が頭をかすめるが、所詮は夢である。現実に何があるわけも無し、気楽に見てみようと思ったのだった。それに明晰夢の場合、ある程度任意に覚醒できる事を経験で識っていたのもある。
『参加申請受諾による個体識別情報を設定――完了。心象波形による内包方向性を検索――短剣が該当』
しかしおかしなことが多い明晰夢であるが、何も見えない闇のみという状態は初めてだった。何しろ己の身体も見えないのだから異常と言えば異常だろう。手を動かしても動かしている感触はあるが見えない、全身がそんな感覚である。
『完了、初期設定を起動。形質:【盗賊/シーフ】、個体登録名――』
彼はひたすらに原稿を読み上げるかのような声をとうに聞いていなかったし、気にもかけていなかった。何しろ少し意識を離すと闇に埋没しそうなくらいに、無個性な、無感情な、無情動な声だったのだから。だから延々と続いていた声が瞬間途切れたところまで、異常に彼が気付かなかったのは無理は無いかも知れない――全ては遅かったのだから。
『――エレン』
その言葉が放たれた瞬間、言いようのない悪寒が走った。夢だというのに、まるで肉体があるかのように背筋を走る悪寒、そして肉体があるかのように吸い込まれていくような感覚。
――やば……これ、やばいよ!!
コレに吸い込まれたらもう戻れない、理由はわからないが本能が警鐘を鳴らしている。己の半身が何処か別の場所に引き裂かれていくような、痛みを伴わない代わりに喪失感が大きくなっていく。その感覚に言いようのない恐怖を感じて、慌てて覚醒措置を試みる。やり方は簡単だ、己を上層に浮遊させていくイメージを強く描くだけ。そしてその先に光を感じることが出来れば、早ければ数分で目が覚める筈なのだ。
――見えた!!
微かに光を感じたことに彼は安堵する、後はこの光を強く感じるようにしていれば問題ないと気を緩めたのが失敗の要因の一つだったろうか。その安堵に滑りこむように何かが侵入してくるイメージが唐突に湧き上がった事に、彼は声にならない悲鳴を上げた。
――な、なんだこれ、やめろ絡みつくな!!
手を振るが、所詮はイメージのみ。イメージを物理行動で振り払えるはずがない。それ以前に肉体がない状態で何を振り払うというのか。落ち着け、と己の無駄な行動を諌める間に何気なく彼の主観に於ける下方へと意識を向けた時に更に驚愕することになる。
「なんだ、これ……手が、足が……生えてきてる?!」
無いと思っていた身体が唐突に存在していることに気付く恐怖、これは感じてみないと分からない。在るはずのないものが無い恐怖とは違った、圧倒的な違和感と異物感が彼の意識を光から逸らしてしまう。これが決定的な要因だったのかも知れない。イメージだと思っていた己の肉体はいつの間にか存在していた。ならば同じくイメージと思っていた侵入してくる何かのイメージは?
「うわ……く、くるな……光、光は……無くなってる?!」
いつの間にか声が出ている、そのことにすら気付かないほど動転している理由は一つ。己の下半身辺りに黒い闇のようなものが絡みつき、巻きつき、そしてゆっくりと確実に上半身に向かって侵食していく異様な光景だった。慌てて意識を逸らしてしまった光へと意識をつなげようとするが、既にそれは見つからなくなっていた。
「やめ……あああああああああ!?!?」
精神の揺らぎに同調するかように侵食のスピードを上げていく黒い闇は、肩まで飲み込まれて叫ぶことしか最早叶わない彼の悲鳴すらも飲み込んでいき、意識が暗転。気付いたときには、見たこともない格好で見たこともない荒れ果てた荒野に倒れていた。
そう、最初からもうどうしようにもなかった。何も覚悟がない自分が、こんな厳しい世界で生き抜けるはずがないと思っていた――宿のベッドの上で目が覚めたエレンは、どうしようもなく無力な己を呪いながら内心で述懐していた。今の今まで何が起こったかは覚えている、そして何も出来ずに場を混乱させた挙句に無様に助けられたことも覚えている。
「うう……あぁ……」
エレンは、深い、深いため息を吐いた。元々、無理な話だったのだ。此処に落ちてきてから数週間、そんな新参者が上手いこと現実に帰還しようなどという皮算用を弾く事自体が。その結果がこの様である、惨めに負けて無様に殺されかけたのを首根っこを掴まれるようにして助けてもらったという状態だ。
「ちく……しょう」
膝を抱えて、体育座りのような格好で鼻を啜る。いつの間にか泣いていたらしい。思い出せば思い出すほどに涙は止まらなくなる。その涙はそのままこの数週間の彼の心境を示していた。
あの不可解な夢の後に、荒野に革鎧らしき鎧とボロボロの短剣という中々にありがちな装備で放り出された彼を待っていたのは、犬ほどもある鼠の群れだった。と言うより、鼠どもに齧られかけて目覚めたというべきか。【モールラット】という名前だとあとで聞いたが、思った以上に醜悪なその外見は、その後数日は夢に見た――夢のなかで夢とはおかしな話だけども。結果的には、振り回した短剣が飛びかかってきた【モールラット】の首を切り裂いて即死させるという偶然により、鼠共は撤退、彼も何とか助かったのだった。因みに、彷徨う途中で水溜りの中に見つけた己の姿に驚いたのはお約束であろう。黒髪黒瞳は兎も角も、高校生だった筈の自分の顔立ちが端正に修正されて、更に中学生程度まで幼くなったとも言うしか無い外見に開いた口がふさがらなかった。
見渡す八方に人工物はまるで見えず、真逆宛てもなく彷徨うのかと思ったが、どういうわけか木のようなものに打ち付けられた日本語らしき字で書かれている標識と言えなくもない物体を発見できたのは幸運だったと彼は今でも思っている。木片に刻まれている文字はゼンドリクと書かれ、矢印が書かれていた。それを辿ってどうにかゼンドリクなる街へと辿り着いた彼に、この世界は更に過酷な試練を与える。それは、這々の体で宿に向かう彼が、いかにもな体格の戦史らしき男にぶつかってしまったことが原因だった。
「おい、何ぶつかってやがる――何だ『落ちたて』か、テメエ」
その言葉に、エレンはこの男も自分と同じ境遇の男なのだと直感した。だが、仲間がいる、という安堵を覚えたのは一瞬だった。正確に言えば、何を根拠にしたのかは知らないが、彼が落ちてきたばかりだということに瞬時に気付いた男が、エレンを殴り飛ばして数少ない荷物を巻き上げるのまでというべきだろうか。周囲の人間はそれをみても特に際立った反応はしなかった。見慣れているとでも言うような、通ってきた道とでも言うようなそんな微妙な表情で。
「な、何するんだよ!同じ仲間じゃないのかよ!!」
「何寝ぼけたこと言ってんだ、コイツは洗礼だよ洗礼。分かるか、お前みたいななよなよした落ちたての餓鬼に此処の厳しさを教えてやってんだよ」
怒声を上げて掴みかかろうとするエレンを鼻先であしらいながら、此処に辿り着く間に荒野に落ちていたのを広い集めた彼の乏しい荷物を嘲笑いながら漁っていく。片手で掴まれたまま万力のような力で首元をねじり上げられ、全く身動きの取れなかったエレンは、絶望の表情でそれを見ていることしか出来なかった。
「なんだ、お前。文句有りそうな眼ぇしてんじゃねえかよ……それともなんだ、その可愛らしい尻を俺に相手でもして欲しいのかぁ?」
突き飛ばされて尻餅を付いたまま相手を睨んでいたエレンだが、その言葉に生理的嫌悪を感じて即座にその場を去った。間違いなく、男はエレンを情欲に満ち満ちた眼で舐め回したせいである。そうして人生初の追い剥ぎ被害と、貞操の危機を何とか回避したが、完全に財産と呼べるものが無くなった彼は、その後完全に浮浪者のようになっていた。
「今回で変われると思ったのに……」
ベッドの上で涙声で呟くエレンにとってあの男との一幕は、今後の人生においてもトラウマとして残りそうな生々しい嫌悪感を未だに残していた。そんな精神的に最悪の状態で示された今回の話に飛びつかないわけはなかったのだ。
フラグを討伐するパーティを募集している――そんな言葉を聞いたのは、宿で出てきた残飯を漁っていた時だった。浮浪者に落ちて数週間で、この世界のことを少しだけエレンは知ることが出来ていた。此処にいるのは皆、エレンと同じ夢に囚われた人間だということ。それこそまるでアニメか漫画かゲームのように、剣と魔法の世界であること。ソレを踏まえて、落ちてきた自らをこのゲームと錯覚しそうな世界に皮肉を込めていつしか【プレイヤー】と呼称していること。そして、この悪夢から覚醒するには【覚醒標的/フラグ】なる存在を撃破しなければならないこと。それらを教えてくれたのは、同じように浮浪者に身を落としたらしい中年の男だった。
【戦士/ウォーリア】だったというその男は、最初にエレンが絡まれていた辺りから彼を見かけていたらしい。クラスを聞かれても何も知らないと答えた君が余りに不憫だった――そう言って笑っていた。現実に同じような年齢の息子を置いてきている……もう二年にもなるがね、そう言って再び笑った顔が淋しげで今にも消えそうに見えたことを覚えている。それから、その男は数日で見なくなった。どうなったのかはわからないが、なんとなく今では予想が付いている。あの男は、ここで生きていることが辛かった――そんな気がするのだ。
ともあれ、そのフラグという存在を打倒することが唯一判っている悪夢からの覚醒条件であると判った以上、他人のお零れに与ってでも、この世界から逃亡したかった。それに今までは散々な目に合っていたが、剣と魔法の世界に落ちるなどというファンタジーじみた話に巻き込まれた自分が、何も出来ないはずがないと心の片隅で考えてもいた。今までは武器が、魔法が使えなかっただけで入念な準備さえすれば――と言うありがちな考えでもある。だが何にせよ、今のエレンを雇うパーティなどがいる筈もないことだけは痛いほど理解できた。今までの説明を聞いた後で、フラグを狙うという事はその言葉以上に入念な準備と実力を持ったプレイヤーを必要とすること、という思考が浮かばないほどエレンも愚かではない。流石に理解していたのだ。だから、その後に続いた言葉に耳を疑った。
「経験は不問だ、兎に角人数が欲しい」
その言葉に一も二もなくエレンは飛びついていた。これで自分もこんな惨めな状態から抜けられる、今まではチャンスがなかっただけなんだ、と。幸か不幸か、武器と鎧だけは何とか今でも所持したままだった事が今回は功を奏した。かなり胡散臭い目で見られたが、驚いたことにパーティを集めていた男がエレンの参加を承認したのである。あれよあれよという間にフラグの討伐に参加することになり――。
「――結局逃げ帰ってきたのか、しかもそれすら人に助けてもらって」
異世界に飛ばされて、自分が縦横無尽に活躍する――そんな絵空事に憧れていなかったと言えば嘘になる。誰だってヒーロー願望は多かれ少なかれ持っているだろう。だが現実はこんなものだった。当たり前といえばそれまでだが、何しろ何も分からない素人が切った張ったの世界に投げ込まれれば、運が悪ければ数分で命が消え失せる。それに比べてみればエレンは運がいいとも言えるが、落ちてきた当初はとてもそういう気にはなれなかったし、そんな事は考えもしなかった。彼の脳内では自分は最も運が悪い、と言うある種の被害妄想で満杯であり、客観的な視点など持ちようもなかったのだ。
だが、今は少しだけ違う。ボロ負けとは言え、本当の戦闘とも呼べる今の彼の手には届かないような高レベルな攻防を見た事が、彼の心の何かに少しばかりの熱を与えていた。前衛は後衛を体を張って守り、後衛はそんな前衛を支える――当たり前といえば当たり前だが、特別な人間などいない、と横っ面を叩かれたような気がする光景だった。突出して強い人間などいなかった、皆互いを守りつつ、弱音を吐きつつ、それでも戦っていた。彼の中に燻る一人で事態を打開して、一人で賞賛を集めるというようなありがちなヒロイック願望は所詮願望だと言わんばかりの堅実な戦いがあった。結局は壊走したと言ってしまえばそれまでではあるのだが。
そして生き残った今、色々と己の行動を思い出してみれば、赤面ものの行動ばかりと気付いて、更に落ち込みを大きくしていた。世界は何処へ行っても同じ、例え剣と魔法の世界に行こうが取るべき行動は変わらず、人の優しさも残酷さも何も変わらない。それを身を以て理解していた。だからこそ、最後に助けられたことは彼にとってはとても大きな出来事だった。こんな世界でも、そんな行動をとれる人間がいたのかと言う、尊敬や崇拝にも似た感情を彼に呼び起こさせていたのである。助けた当人であるツアレとしては、実はそういうつもりでもなかったのであるが、勘違いとは往々にして生まれやすい。それが極限状態であれば尚更であろう。
「恩を、返さなきゃ」
ポツリと声に出して呟く。今の彼の命は、まさにあの【戦士/ウォーリア】の背中によって守られたお陰で存在している。少し長めの、自分と同じ黒髪の少年――少し自分より大きいだけの背があれほど頼りに見えたのは初めてだったのだ。
「それに……強くなりたい」
少なくとも一人でこの世界で生き抜くことが出来る程度には、強くなりたいと思った。あの蠍の化物のスキルで死んだ――この世界では【喪失/ロスト】と言うらしいが、あの様はまるで血に塗れながらどろりと熔けるように消えていったように彼には見えた。それを目の当たりにして心の底から思ったこと、恐怖や嫌悪感も十分すぎるほどにあったが、それ以上に人の死に方じゃない、そう思った。斬られて死ぬのはまだわかる、撃たれたり、撥ねられたりも分からなくもない。でも、熔けるってなんだよ、理不尽だ。彼の感情はそう判断したのだ。
「……ぎこちないけど、なんとか動ける、かな?」
ぎしり、とかすかにベッドを軋ませて、エレンは立ち上がった。茫洋とした意識の中、二階に連れていかれたのは覚えていた。ならば此処の下は恐らく酒場なのだろう、少なくとも残飯を漁りに彷徨った数件の宿は皆そういった構造だったことから、そう判断できる。どのくらい気を失っていたかはわからないが、まだ階下から騒ぎが聞こえるということは、エレンの恩人達も下にいる可能性が高いだろう。
「あ、いたた……」
強張っていた筋肉を無理に動かしているような痛みが走るが、ゆっくりと転ばないように足を確実に運んでいく。幸い手摺がついていたため、階段は思ったより降りるのは楽だった。明るい、と言っても電気など無いため松明の明かりではあるが、電球などとはまた違う暖かげな明るさの中には熱気が溢れていた。
「うわ……」
思わず吐息が漏れた。簡易舞台の上で、ギターに似た弦楽器を即興で演奏している人間もいた。エレンにも聞き覚えがある、現実の曲をアレンジした物のようだ。そうは上手くはないが、この場で聞くと何故だろう、何処か心の奥に迫るものがある気がした。そんな奇妙な迫力を醸しだす弾き手を囲みながら、硬貨らしきものを投げつけてアンコールを頼んだり、野次を飛ばしたりしている集団もいる。そこから少し離れたテーブルでは、手製であろうトランプのようなカードを使って、テーブルゲームに興じる集団もいた。馬鹿騒ぎをしながら、恐らくは酒であろうジョッキを煽り合う男たちもいた。全員が全員、乱痴気に騒ぐことに真剣なようにエレンには見えた。無秩序に騒ぐことすらも生きるために必要な、それこそ戦闘と同等の重要な価値があるとでも言うように。
「あ、いた……けど、なんか廻りの視線が集まってるような……?」
そんな中、そう遠くないテーブルで座っている二人組を見つけることに成功する。白い髪に眼鏡を掛けた少年と、黒い少し長めの髪を邪魔臭げに払いながら、テーブルに顎を付けている少年の二人の席。白髪の少年は確か、エレンを助けたせいで危機に陥った黒髪の少年を救いに来た少年だった事を辛うじて覚えている。あの時は助かったと言う安堵感で意識が朦朧としていたが、そのまま背中に背負われた記憶も朧気ながらに残っている。だが、何だろうか何処かしらか周囲の視線がチラチラと彼らがっ座る席に向けて彷徨っている気がする。少し不思議に思ったが、きっと何か理由があるのだろうと勝手に自己解釈することにする。少し逡巡してから、声をかけようと息を吸い込んだ瞬間――。
「――素人君に構ってる余裕があるわけでもない」
黒髪の少年が発した言葉に、己が発しようとした声は何処へと消えていった。彼の言う素人君とは、疑いようもなく自分のことだろう、エレンはそう確信していた。構っている余裕――自分はこの黒髪の少年からしてみればその程度の存在なのか、と気付いてしまったが故の沈黙である。そしてエレンの恩人である少年の中では、彼は落ちてきたばかりの少年という、ただそれだけの扱いであると言う事をはっきりと理解してしまった。
「……」
去る事も、さりとて今更声をかけることも出来ずに、どうしようもなく立ち尽くすエレン。それに気付くことなく会話は続けられる。
「一緒に狩りに行かない?」
白髪の少年が黒髪の少年に話しかけたその言葉に、また何故か周囲の視線がきつくなったような気がしてエレンは内心で小首を傾げた。彼からしてみれば誰も彼もが彼よりも卓越したプレイヤーであることは間違いない。それはあのフラグ討伐戦で嫌というほど感じたが、そこに参加していたプレイヤーの中で生き残った者はそんなにいないだろう。余り思い出したくもないが、エレンが覚えている限りでも大半の参加者が蠍の餌食になっていたはずだから。エレンは自分が生き残ったのは、ひたすらに運が良かっただけであるという自覚はあるが、あの黒髪の少年はそんな彼とは違う。最後こそ彼を救出するために危機に陥り、あの白髪の少年の援護で窮地を逃れていたようだが、逆に言えば足手まといだったエレンを放置していれば――きっと己の地力であの窮地を生還し得たであろうプレイヤーだとエレンは確信していた。そう考えるとエレンが知らないだけで、もしかすると周囲に注目されるような知名度を持つプレイヤーなのかも知れない。
そんな事を考えている間にも話は進み、彼らは明日狩りに行くという事になったようだ。そのまま席を立つ彼らから、何故か人ごみの中へと反射的に身を隠しながらエレンは考える。狩り、が何かなどさすがのエレンも理解できる。彼とて現実時間ではゲーム、特にネットゲームと総称される部類のゲームをそれなりにする人間でもあったのだ。つまるところ狩りとは、熟練値を上げる為の雑魚モンスターを延々倒すレベル上げであろう。この手のゲームをやる人間にはお馴染みの、経験値稼ぎと言う行動だろう。ふと、彼らと共に戦闘に参加している自分を幻視する。そして、自分も連れていって欲しい、そう思った。この世界にきて初めて、特定の誰かと行動を共にして戦いたい――そう思った。
『この世界に来た人間の取る行動は、大きく分けて二つさ』
彼にほんの数日程度だが、この世界のことを教えてくれた【戦士/ウォーリア】の男が教えてくれた言葉を思い出す。空腹で動く元気もなく、路地裏の隅で二人で小さくなって座っていた時、目の前を歩いて行く傷だらけの装備を付けたプレイヤーを指さして彼は続けた。
『一つは彼らのように【覚醒標的/フラグ】を倒して目覚めることを目標とする人間だ。彼らは敵を倒し、己の手を血に染めてまでも抗う』
無論、それは彼らの領分を犯した同じ境遇のプレイヤーにも向けられるけどな、と肩をすくめて男は微かに笑った。実際、この街についてから直ぐにエレンの荷物を巻き上げた男はその手の行動の常習犯であり、その直ぐ後にカモにする相手を見誤ってあっさりと殺されたそうだ。心なしか愉快そうに彼はエレンにあの男の顛末をそう教えてくれた。
『そしてもう一つは――』
そこで一瞬だけ、彼は言葉を止めた。そして何事もなかったかのように淡々と続きの言葉を紡ぐ。その言葉は、妙にエレンの中でその言葉が納得を持って修まった。諦めにも似た感情と共に。
「――己を危険に投げ込んで勝機を得る事も出来ずに、ただ朽ちていくだけの俺達みたいな連中、だっけ」
回想の内に、あの時の言葉がエレンの口から零れ落ちる。最初に言われた時にはまさしくその通りだと納得してしまったその言葉は、今あらためて口にしてみると何もしない内から敗北を認めるような響きを伴っていて不快だった。どうしてあの時、この言葉を受け入れてしまったのだろうかと不思議になるくらいに。
「……僕も、連れて行って、下さい」
振り絞るように漏れた小声は、周囲の喧騒に阻まれる。そして、当たり前の事に、階段を上がっていく黒髪の少年の背中に届くことはなかった。エレンは自分に気付かずに階段を上がっていく少年の背が見えなくなるのを呆然と見送り、そのまま彼らが座っていたテーブルに突っ伏して、泣いた。だから、その背をいつの間にか会計を終えていた白髪の少年が見ていたことに気付いていなかった。




