第二章 分かち合いたい、分かち合えない……。どうして、人は闘うの? <Ⅲ>
<Ⅲ>
「さっきはありがとうなのじゃ、えーと、確か、双嵐朝じゃったな」
場所を移して、十回目のありがとうを丁寧に頭を下げて言った。
「良いんですよ、良いんですよ。困った時はお互い様ですし、何か、助けなきゃっていう気持ちになったんです。久しぶりに……」
「久しぶり? どうしてなのじゃ」
みみるの言葉に気が触ったのか? 前を歩いていた朝が立ち止まった。それに遅れて、ふんわりとポニーテールが項へと手をつく。
そして、振り返る。片眼は長い前髪に隠れているがその視線は窺える。穏やかなものだ。
「さて、どうしてなんでしょうね? 心理学でも囓っていれば解るのかもしれませんが、人の感情なんてものは結局、その人だけの文化に基づいているものなのでしょう」
人懐こく笑い、話題を変える。
「それはそうと、よく、すんなりとこんな高級ホテルに入れますね。何処かのご令嬢ですか?」
百七十センチと長身なため、百五十センチのみみるの目を見据えて話すには中腰になるしかなかったが、それも苦にしていない朝。
「そうじゃ。驚くなよ! 我は宇宙連合代表で、雛国の女王なのじゃ。ここには地球の各国の代表と試験の対象者 萌え星人とその地球人の男子を如何に護衛するか? または何時、発表するか? で集まったのじゃ。当然、この高級ホテルにすんなりと入れる。顔パスなのじゃ。あ、あ、まずいのじゃ」
背の低い自分に合わせてくれた心優しい朝に気を良くして全て、喋ってしまった。みみるが慌てて、口を塞いだ時にはもう、全て話してしまった、後の祭りだった。
自分の失敗を主に扇にネタにされると思ったみみるは絶望感に包まれた。だが、その絶望感を破ったのはくすりっと女性らしさと中性の凛々しさを二割八割で調合した微笑だった。
「面白い内容ですね。些か、現実味を欠いていますが、あたしはリアリストではないので心配しないで下さい。デリュージョン イデオロジストですから。まぁ、確かに顔パスって感じでしたね、お嬢様という肩書きはリアルなんでしょ」
軽くみみるの言葉をジョークとして受け止めた朝を案内した場所はホテル アリエス内に出店している太平洋を眺めながらお食事のできるお店――土偶だった。
「ところでお礼をして戴けるとか。ですが……あまり高いものならば、ご遠慮しますよ。いくら、お金を降ろすと仰ってもお嬢様だって限度額はありますし……」
遠慮がちにそう言って海を背にした席に座った。
「大丈夫なのじゃ。ここでは我の財力は無限なのじゃ。第四世代のエモーショナルブレイバーを何機も楽々、購入できるのじゃ。さすがにアカエルが目を光らせているので、試作機は――」
「また、妄想ですか。あたしも妄想好きなんですよ。妄想をしているとね、悪いことをみーんな、忘れられるし、その逆も簡単なんですよ」
ウェイトレスの持ってきた水を口の中に含んだまま、左右に水の塊を動かす。別段、それに大した意味はないのだろう。だが、みみるには頭に引っ掛かった単語があり、それがあるから妙に朝の言葉に深い意味を感じてしまう。
「簡単?」
ごくっと、朝の喉が水を食道へと送る音がする。日本人特有の明るい肌色がうねった。咳込んでから、笑顔と一緒に朝はみみるに話す。
「強く、現実の痛みを覚えておくには……妄想が一番ってことですよ」
「お客様、何をご注文なさいますか?」
丁度、みみると朝の会話に無の空間が生じて、みみるはどうしようと思いつつも、海側の席の後ろ、つまりは朝の背後にあるガーデンスペースを眺めていた。薄い赤の朝顔が綺麗に植えられていた。
みみるはなんと、可憐な小さき華なのじゃ・・・・・・とうっとりした。ウェイトレスの声を聞いた瞬間、びっくりした猫のように飛び上がった。
それを見て、朝が笑う。その笑顔はこれまでとは違い、裏のない、幸薄くない少女の笑顔。まるでエンジェルスマイルのよう。
「笑うのは酷いのじゃ」
そうは言うが、みみるも笑っていた。
「みみるは、苺ケーキなのじゃ」
「あたしは血のように赤いトマトケーキを。ごめん、まだ。くすすっ」
顔を真っ赤にして爆笑しながらも、懸命に見本にあるトマトケーキを指さす。小さな人差し指がぷるぷると震えていた。
「飲み物はそうですね、二人ともコーヒーでいいですね」
笑いの余韻をまだ、内包していても、その発言は平常を取り戻しつつあった。その朝の意見にみみるは少し、考えた後、同意した。
馬鹿にされたくなかった。目の前にいる中性的な美女に、十二歳なのにブラックコーヒーが飲めないことを。陽光が指してもその造りもののように整った美女は霞まない。そう、なるまで、みみるは後、何年かかるだろうか? 激しく、落ち込む。
「ふっふ、一つは砂糖を三杯入れて下さい。お願いします」
へっ? と見本に目を通していたみみるは朝の方を向く。当然のような佇まいがそこには在る。
「無理はよくありません」
それでも・・・・・・みみるは無理をしなければならない。これから、何十年と苦渋の決断を何百回も繰り返すだろう。母 雛そそるの仕事――宇宙を喰らう者を滅ぼす兵器の開発を手伝った。あの化け物を初めて観測した瞬間、あれからは逃れられない。アリク連合の手段は間違っていると感じた。母の死後、正式にその仕事を受け継いだみみるは反論したくなった。だが、みみるは口をつぐんだ。
インフィニティーエモーショナルエンジン構築プロジェクト。それに全ての力を。それが唯一、人類が生き残る方法であり、それが唯一、王座を引退した父親の愛を受ける方法でもあるから……。
「ありがとう、会えて楽しかったよ。色んな妄想話はあたしの好物なんだ」
「うむ。また、何処かで会えると良いな」
そう言って朝とみみるは席を立った。
みみるは最上階にあるロイヤルホールへと行くべく、エレベーターのスイッチを押す。
朝は土偶付近のトイレへと行く。