第二章 分かち合いたい、分かち合えない……。どうして、人は闘うの? <Ⅱ>
<Ⅱ>
みみるは、少し不機嫌だった。いつも身に付けているエクステーションを忘れるほどに慌てて、桜餅学園最寄りのバス停から縞々模様のバスに飛び乗った。ぎりぎりセーフ。
ぜいぜい、と息を切らせながらもバスに乗って最初にすべき事を思い出す。
「そうじゃった。整理券を受け取るんじゃったな」
「おい、そこの一般地球人α(アルファ)」
みみるは知らなかった。一般地球人αと命名したヨレヨレのワイシャツと不健康そうな青い顔が特徴的な運転手を睨め付けている矢先に、その横で機械が薄っぺらい整理券が顔を出す。まだか、お嬢さんと待ち構えていた。
だが、雛星の女王 雛みみる様は知らない。
「さっさと整理券を寄越すのじゃ。今日の我は短気じゃ。早う、急ぐのじゃ。愚民どもめ、宇宙連合代表であるみみる様をこともあろうか、忘れおって! 我がお手洗いに行ってる間に! それは少々、緊張もあってか、下痢気味じゃった。おかげで三十分も頑張っていた」
「おい、早く整理券を取れ、餓鬼」
クールな野太い声がみみるを急かす。急かされたみみるは瞬間湯沸かし器に早変わりした。
「じゃから、ささっと、我に整理券を寄越すのじゃ。我はちゃんと地球史を勉強してきたんだぞ。妹のあるるにお姉ちゃんって宇宙一の天才よね、だから私の宇宙立宇宙大学進学も推薦入学できたんだよって言われるくらいのレベルなのじゃ。なっははは、なのじゃ」
豪快に笑うみみるの明るさを殺したのは、痺れを切らした一人の老婆の鶴の一声だった。
「お前さんの、目の前に整理券がある。ささっと取って席につかんかい! 早くしな。スーパーでキュウリの特売やってん」
「な、はは、のじゃ……。なんと! 地球にもこのような便利なテクノロジーがあるのかや」
その脳内で用意された台詞は完全な照れ隠しだった。同時にみみるは思い出していたのだ。宇宙立宇宙大学 未介入惑星科 地球史の期末テストのとある設問を。
問一、未介入惑星 地球において、バスという乗り物がありますが、最初に乗る時、何をするでしょうか?
みみるはこう回答した。機械から整理券を取り出す、と。
我ながら優秀じゃ、とその時ばかりは鼻高々だった。だからこそ、みみるのブラックホール級の自尊心は激しく、傷ついた。後ろの席を大股開きで一人独占して、なけなしの自尊心を孤高に変化させる。
近寄るな、彼女は人間じゃない。ライオンだ! という中二病音声が声優 堀江百合声でみみるだけに聞こえてくる。それがみみるの自尊心を全快させた。みみるは堀江百合のファンなのだ。自分と同じ声質だと密かに思っている。
「天才にも間違いは、な、な、なのじゃぁああ……」
自分はエクステーション以上に大切なものを忘れているのに気が付いた。血の気が一気に引いた。俯き、考える人のポーズを取る。まさに深く考える……。
この事態を教えてくれたのは、未介入惑星科 地球史の期末テストの記憶だ。
問五十、地球、特に日本で使用されているお金の単位は?
みみるは変態的な馬鹿だが、地球に関するペーパーテストはその馬鹿には当てはまらず、高い正答率をマークした。勿論、みみるの回答は円だ。
その記憶を辛くも思い出したみみるの表情も今にもえーんだ。そう、日本のお金を持っていない。今、みみるのリスさんポシェットに入っているのは――
「アースガーディアン内や宇宙連合加盟国だけで通用するVIP専用ゴールデンカード……なのじゃ、終わったなのじゃ」
両側にある銀色の突起を握り、下窓を上向きにゆっくり開く。よし、全て開き終われば飛び降りて脱出できるかもしれない。背に合わない乳なんて所詮、脂肪だ。押し込めば、なんとかなると考えたみみるの手は慎重に窓を上げる。下の部位は全て開け終えた。次は上の部位だ。
「あれ? 開かんのじゃ……。どう、上窓を開けるのじゃ」
数分後苦心の末、開かない仕様だと諦めた。爽やかな風を顔面に感じる。あの雲一つない青空の向こうまで飛んでいきたい願望を胸に抱いていた。自分のツインテールを弄ぶ。ひょっとしたら、萌え星人みたく、特殊能力が備わっているのではないか。
「この場合、なれと同じ。飛翔能力が欲しいのじゃ」
窓から掌を指しだしたそこに蛾が止まった。その蛾に語りかける。
だが、その言葉に蛾は応じることもなく、鱗粉を撒き散らせながら、飛び去ってしまった。
「なんて奴なのじゃ。我のツインテールが蝶の羽根ならば、なのじゃ」
そう、落胆のため息を吐いたところでバスは止まらず、頂上に桜餅学園が建っていた噴枷山を下山し、サクラ市街地へと入る。
バスはホテル アリエスの建物が目の前に見えたところで停車した。
「ご乗車、ありがとうございます。終点、ホテル アリエス前。ホテル アリエス前」
憎たらしくも、一般地球人αは美声を響かせた。その美声に従って、客達は機械に九百円と整理券を落としていく。あの老婆も機械にお金と整理券を落としていく。次、次と乗客が同じようにする中、この事態を打開するためにみみるは知り合いを捜した。
その甲斐あってか、窓の向こうに丁度、バス停のポールに寄り掛かっている若い黒服を視界に捉えた。
みみるはその黒服に大声で叫ぶ。
「おい、お前。宇宙連合代表の雛みみる様に九百円貸すのじゃ。お願いなのじゃ」
「ん? 誰?」
みみるの予想に反して、黒服がいつも、着ているスーツではなく、しかも男性でもなく、振り返った女性が着ていたのは就職活動に勤しむ学生用のリクルートスーツだった。その服のクールさを引き出しているのは棘のある視線に浮かぶ深い慟哭のせいだろう。その黒い両虹彩がみみるを睨むが……みみるが怯えたのを知ると深い慟哭はより深くなり、棘は鳴りを潜めた……。
「あの、あの、知り合いとま――」
「九百円か? ほら、出しましょう。受け取りなさい」