第一章 春の息吹と、給食の少女な蒼空ちゃん <Ⅰ>
<Ⅰ>
世界は至って平穏だった。ここが土の中に埋まっているアースガーディアンという船内部でなければ、現実感のある風景だが、と僕は何度かに分けて外の風景を窓越しから眺めた。
高層ビル群は地球人の都市、東京を連想させる。そのビルとビルの合間に個人商店や、住宅が建っている。ビルが倒れて、その商店や住宅が押し潰される光景を想像してみる。
人間としてそんな想像はいけない。いくら、難解なお話しについていけないからといって駄目だ。お、今……欠伸が出ましたよ?
「おい、米乃国」
「うぇ?」
急に僕の名前を呼んだ先輩は、自分の短く揃えた後ろ髪をシャム猫のように撫でながら、こちらの顔をにんまりと眺めている。不吉な予感がする。
眼鏡の位置を直した。微妙に眼鏡の奥にある目が笑っている。
「さて、米乃国。俺とみみる宇宙連合代表の簡単な、そう、簡単なお話を聞いていたら解るよなぁ。さて、試験に不合格な萌え星人と、同星人の蒼空ちゃんが言葉を少しずつ、憶えてきたのは何故だ?」
先輩の問いにみみるは口出しない。そういうことから、この問いの答えは僕の前で話した事柄の中にあるといって過言ではない。
だが、僕は敢えて、胸を張って言おう! 人、それを根拠なき強気と呼ぶ。
「えーと、蒼空ちゃんは天才児……」
蒼空ちゃん、のところまでは良かった。やった! 今日こそ、先輩の虐めに屈していないと軽やかステップでこのだだっ広い、宇宙連合代表室を踊りたいくらいだ。
ほら、お前の負けだぜ負け犬の意を込めて、先輩の目を見て話しを続けようとする。それがいけなかったのだ。先輩の目は狼が鹿の肉を骨から切断する鋭い牙を宿していた。
先輩は昔、僕にこういう助言をくれました。誰も喰ってかかりはしないからちゃんと人の目を見て話しなさい、と。
だが、先輩の言葉――
「え? 声が小さい。もっと、はきはきと質問に答えなさい、米乃国。大丈夫、失敗してもそこを」
は、狼の威嚇の遠吠えの如く、僕の鼓動を凍らせた。
「お前の首に首輪付けて犬みたく、散歩させるだけだから。あ、ちゃんとマーキングもしろよ」
は、呼吸を再開した僕の心臓に容赦のない狼の爪先を振るった。
その二段攻撃に僕の心のライフポイントは枯渇どころか、振り切れてしまっている。そうやって人を人が調教するの、と目の前で涼やかにレモンティーを啜っているのは同じ人物だ。
どうでもいいが、先輩には猫のイラスト入りストローなんていらないだろう。この人のイメージは……レモンティーも飲むが、ついでに氷を掘削して、異空間に鎮めるだろう。
「あん?」
「いえいえ、何も言ってません、扇ちゃん」
「素晴らしい鬼畜振りなのじゃ。我が雛星の拷問に使えるかもしれぬ。どうじゃ、我のボディガードの他に、拷問の教科担任ならんかえ?」
みみるはどうやら、先輩の僕調教中説を完全に信じている。いや、信じても良いのだ。哀しいことながら、それが真実だ。でも、認めたくない、認めるしかない。それが社会の構造さ。そして、諦念を憶える。僕が少し、大人になれたのも、先輩のおかげだろう。
「いやいや、姫さん。俺は米乃国専属の拷問の先生なんで。ちなみに、Mの項目しか授業では教えていません。独学する勇気もないから、将来は立派なSの奴隷になると期待してます」
「で、お前の答えは?」
この人のSレベルは大気圏突入しても燃え尽きない強度を誇る。それを刻めとばかりに再度、僕を虐める先輩。
「蒼空は天才だから」
「ちっ。まぁ、乱暴だが。正解としておこう。詳しい回答は、こうだ。萌え星人の試験の内容は三年以上、長生きをするってこと……」
そう、三年。蒼空は遠くない未来に死を迎える。一般的な萌え星人は女の子で、卵子と卵子で赤ちゃんを産める遺伝子らしい。その辺の研究は人権派であるみみる筆頭に強固な反対がある為、行われていないが……強行派の医師団曰く、可能だろうという推測が成されている。そんなのはどうでもいい。問題は三年しか生きられない点。性交すると、百パーセントの確率で萌え星人は寿命前に卵を産むらしい。それを見届けて死ぬのが一生。
この情報は確かなことだ。何を思ったか、みみるはクリスマス イブの日からその情報を開示していたのだから。
その萌え星人は、いや、これでは語弊があるかもじゃ。萌え星人は寿命三年なのじゃ、と。とても、軽かった。
僕は自分が命を奪った友人の母親と友人の妹の命と、蒼空の命を頭の中で考え続ける。
ぐるぐる、ぐるぐる、空回りする思考。いやだ、いやだ、いやだ、何が、何が?
そんな思考地獄から逃してくれたのは、味方になれば頼りになる先輩のゲンコツだった。
「お前ねぇ、三年ってキーワードを持ち出すとそう、ブルーになるのよくねぇ」
「痛い。扇ちゃんの馬鹿力」
僕は先輩に抗議しながら、頭頂部を恐る恐る、触った。やはりだ、ゲンコツ山が出来上がっている。これで将来、育毛剤を頭に振りかけるようになったら、先輩のせいだ。僕は頬を膨らませた。
「お前が非力なんだよ。だからさ、そんな非力なお前でも蒼空にしてやれることを探せばいいだろう。な?」
いつも、騙される。先輩の恥ずかしそうな微笑み。この人は笑うことが苦手なのだ。なんでも、クールな自分には似合わない、アイデンティティーの崩壊だらしい。
「勿論、試験は失敗。三年以上、生きるには萌え星人以外の遺伝子の配列を持つ遺伝子を取り入れるしか手はないだろう。だが、萌え星人の性質で、彼らは他の星と交流を持つことを決してしなかった。なんでも古い言い伝えで、星の外には巨大な穴が空いていて、飛び出した瞬間、そこに呑みこまれると思っていたらしい」
「馬鹿、じゃろ。だから、我も驚いておるのじゃ、蒼空の成長ぶりに」
頬杖を突いて、退屈そうにミニカーを走らせている。テーブルの上に日夜、民草の生活を守るべく働いてくれているパトカーちゃん、救急車様、クレーン閣下等の錚錚たる重鎮が鎮座されていらっしゃる。その重鎮のクレーン閣下がみみるの手によって加速させられて、現金輸送車に追突させられた。哀れ、閣下は地に沈む。
そんなミニカーの出来事など、知らんとばかりに淀みなく、みみるの声は紡がれる。
「萌え星人は――」
「うーん、そいつは違うぜ、みみる様。萌え星人と他の惑星の文化が異なっていただけの話だろう。リアルが全てではない。有り得ない事柄もリアルとして捉えることができる。それが知性ってものだろう?」
「じゃが、蒼空が天才というのに同意したじゃろ?」
「ニュアンス。にゅ~あんすが違うのさ。ほれ、蒼空話、聞かせてみろ、米乃国」
「いきなり、振られてもね」
二人の視線は僕のけったいな顔に注がれる。みみるのオーバーニーソ神的神々しき美、先輩の野生と知性を含んだS神的美の詰まった顔を映している。僕の眼球は破裂寸前だった。そんな妨害をかいくぐって、僕は一つのエピソードの扉を開く。
「こういうのはどうかな」
その声を皮切りに、僕と蒼空の一週間前のある一幕を語る。