第三章 疾走する白き妖精と、愛情に飢えたオーバーニーソ神。
窓からは変わらぬ、夢を与えてくれる存在が在り続ける。
宇宙から観測した地球は実に青々しく、後光が差している。その後光を放つ球体に様々な資源が詰め込まれている。早く、その資源の風を感じたい。
そう考えると、少年は思わず、舌なめずりせずには居られなかった。奴隷にできるだけの人間は何人いるだろうか? 特に自分より年下の少女は何いるだろうか?
そして、今度こそ――
その思いは中断される。司令室に入室してきた無粋な人物によって。
「アリク連合の貴族 アリス・レオ様がそのような下卑た真似をしてはなりませんぞ」
初老ではあるが、まだ鋼鉄のような体躯を保持しているレオの妹 アリス・カノンの執事 ウレン・ゲーの叱責が飛んだ。
自分を密かに無能と囁いている癖に自分よりも無能な人間の言葉は、究極の目標を抱いている人間には本物の傷がそこにあるみたく、疼く。それでも、レオは握り締めた女性もの犬を模したペンダントを離そうとせずに、恥辱に堪える。
「地球人に混じって潜伏している先兵からの情報によると、未だに宇宙連合の内部情報を得られておりません。ですが……必ず、近日中には学生に扮した蒼空ちゃんファンクラブから情報がもたらされるでしょう。頭はそこそこ良いそうですが、萌え星人は迷信で滅んだ馬鹿でありますから、必ずや」
その長々と抑揚なく、並べ立てられる口上を聞いていてもレオとしては我慢するしかなかった。
レオは指揮座に隣接しているベッドの上に寝ている少女をゲーの長い長い言葉の節々に一瞥をくれた。意識レベルは昨日と比べて、落ち着いている。昨日、サンプルとして先発隊が持ち帰った地球の酸素を与えたことによって落ち着きを取り戻したが……きめ細やかな肌には潤いが失われている。身体の至る所に肌の荒れが確認でき、彼女の吐く息が荒々しい。まるで、酸欠のようだ。
だが、違う! 酸素アレルギーだ! そういう叫びは胸にしまい、自分の染色にそっくりな銀色の髪を撫でて、大丈夫だよ、とくり返す。
「聞いておりますか、レオ様。カノン様とじゃれ合うのは後にして下さい。えー、良いですか――」
じゃれ合うだと! お前に背負う者の苦しみが解ると言うのか? 俺は解らない。カノンはそれを独りで背負っている。だから、頑張れと投げかけるんだ。そう、彼は弁解したかった。恥辱に堪えろ。それは彼の戒めの台詞。
だが、彼は観てしまった。妹の意識レベルを示す値がマイナスに滑空していく瞬間を。それを知らせるようにけたたましいブザーが鳴る。
カノンは息をせず、死んだようにそこに在る……。普段ならば、微かに膨らみ、凹む華奢な胴体も……人形のようだ。
二十四時間交代制の医師団がすぐに、カノンの命を繋いでいる酸素ボンベを変える。それは先程のアリク星の酸素ではなく、残り少ない地球の酸素で充たされていた。宇宙連合と地球連合が手を結んだ今では酸素を補充しに降りるだけでも狙撃されかねない。
その手間を惜しむような、冷たい目線がゲーに宿っている。レオの被害妄想だったのかもしれない。だが、代表としての過酷な責務と妹の病状の板挟みに精神が疲弊していたレオには冷静さを取り戻す術が見付からなかった。
「じぃ、貴族たる者の資格を測る前に……」
と、穏やかな口調が突然、ドスの聞いた口調に変わる。
「敵戦力のデータを持ってこい。それ以上に酸素を持ってこい。それから、そういうふざけた口は聞くな、妹にそんな馬鹿な萌え星人みたいな目を見せるな、おい」
それだけではレオの感情の高ぶりは抑えきれない。咄嗟に自分の銃を抜いて、初老の脳天に向ける。
「ひぃぃいいい! 止めてくだされ、レオ様」
哀れな老人の命乞いの中、カノンの蘇生処置が着々と行われ、ついでにチューブから朝食分の栄養を含んだ液体が流し込まれた。
さすがに妹の食事の後に行われる身だしなみの整えには兄としては同行は避けたい。
深い溜息を吐いて、長い銀髪を翻し、廊下へと歩む。それにゲーも同行する。
ふと、立ち止まり、長髪の男は一辺の嘘もなく、実直に嘆いた。
「俺はゼブンス ガードの一人、蒼天の槍だ。そのプライドに賭けて今回は、今回は失敗できねんだ」
そう、前の失敗は萌え星でのことだ。萌え星の酸素も地球ほどではないが、カノンには適していた。そう言った個人的な後悔と、軍事的な後悔が彼を苦しめた。
ありありと今でも思い出せる。
ソードタイプの真っ黒い機体が黒い羽根を模した鍔と刃が同化して、切っ先から波動が凝固した光景。止める間もなく萌え星をそれで一刀両断し、その範囲内に存在していた星、宇宙連合機、アリク連合機、カノンの搭乗していたランスタイプのイヴをも巻き込んだ。
「恐れながら……申し上げます」
「なんだ、言ってみやがれよ!」
まだ、いたのか! 無能という意味でその言葉をぶつけた。
「恐れながら申し上げます、もう……そのような恰好は――」
初老のウレン・ゲーはそれ以上、喋れなかった。レオの放った銃弾がゲーの脳漿を壁や床にぶちまけさせた。
「ばーか。俺は少しでもカノンと、同じでありたい」
「熱い心がお前には理解できんのか! 害虫が!」
痩せ細った少年は拳銃をバッグに仕舞い、両肩の真っ赤なフリルの生地が特徴的なノースリーブの赤いワンピースを着ている意識などないかのように仁王立ちする。そして、まだ、足りないとばかりに銃弾を転がった死体に放ち続ける。
これに驚いてやってきた若い兵士に命じる。
「あ~、お気に入りのワンピに血が吐いた。これはもう、良い。替えをもって来い。丁度、カノンも服を替えた頃合いだろう、それとお揃いので頼む」
「あの……」
「あ、これ、ごめん。殺しちゃった。百人目かな。誰か適当なの、また連れてきてよ、なぁ、頼む」
人の好さそうな笑みを浮かべる女装少年は血まみれの頬を少し、舐めた。
「カノンの唾液、早く飲みたいな。カノンもそう思っているだろう? 俺の唾液を飲みたいだろう? 全く、ヤダね、植民地拡大戦争は……」
兵士が死体処理に必要な道具を持ってくるべく、退去した後、レオはそう呟いた。
宇宙人が存在していた、観たこともない化学兵器がそれを証明してしまったのだ。主にエデンなんて、人類からしてみれば動く倦厭すべき不死鳥だ。
些細な一つの出来事が多くの出来事を引き連れてくる。それを知ったのはかつて、双嵐総理が勤めていたイノウエ総合病院の個人専用病室でゆっくりと目を覚ました二時間後だった。何故? その二時間を僕が要したか、というと隣に眠っていた蒼空のあどけない姿が原因だった。 僕は頭を抱えた。頭の痛いのは蒼空のあどけない……もとい、ピンク色のリボンを黒髪にはまだ、可愛いねって言って良いレベルだろう……問題は下からだ、薄いシャツだけを着ている。しかも、それは僕のシャツだ。白い色だから主に学園の制服――ワイシャツの下に着ていたんだけど、蒼空はそれだけ。大事な箇所が見えそうで見えない絶対領域は辛うじてシャツに隠れている。
そんな蒼空と二時間。
「げんき?」
「ああ、元気だよ」
そんなテンプレ会話を繰り広げていた。
そこに扇が新聞を抱えてノックもせずに入ってきた。この人はしょうもない理由でノックをしない。
「おぉ、今日こそはビンゴだったか! ついてるな、今日は。本当」
「で、したんだろう? したんだろう? 子どもはいつ、できる?」
扇が蒼空に詰め寄る。きっと、この人のことだ。次に出る行動は解っていた。そう、思考して僕が動く前に蒼空の両手が扇の両手を拘束した。
だが、そのおかげで大事な部分が見えてしまった。
僕は若い妄想力に打ち勝つことができず、鼻血をタラリと流し、気を失った。
失った時、天国のお母さんが、
「心ちゃん、女の子の大切な宝物を覗いちゃったら結婚しなきゃ駄目なのよ」
と聞こえてきた気がする。きっと、天国から面白がってるんだ。何しろ……これで二人目だからだ。
覚醒後は、蒼空はいつもの動物シリーズパンツを履いて、はしゃいでいた。観ちゃったよね? って聞くのも恥ずかしい。僕は最悪な――
「ヘタレ」
「誰が、ヘタレだ。自覚してるだけに、僕は傷ついているんですよ」
「えっ、なんで? 朝ちゃん」
振り返った僕を迎えてくれたのは、ベッドの横に座り、何処か居心地の悪そうな笑顔を浮かべる双嵐朝だった。
「まだ、その名で呼んでくれるんですね? 本当にお人好し。じゃあ、心君のお母さんの――」
どうやら、天国のお母様はまだ、僕を笑い者にしたいらしい。僕は朝の言葉をわざとらしい咳で有耶無耶にする。そして、ふっと、翳りある表情を石膏職人のように素早く、形作った。
「それより、朝ちゃんは大丈夫だったの、あんな事件を起こしちゃって、僕、ずっと、心配してた」
「このお人好し」
そう、言って朝はゲラゲラと下品に笑った。その下品さは親友だからできる。開放的な笑顔だ。治療した後のある奥歯まで覗けた。こう、笑うのはいつも、僕の前だけだった。帰ってきたのだ、朝は。
「笑い事じゃないよ、本当に」
太陽すら、蕩けてしまう柔らかな笑顔で僕は答えた。
「ああ、その事なら、陽乃典命と、双嵐隼人が圧力をメディアや諸外国に掛けたらしい。尤も、宇宙連合の存在の影に隠れてしまった感があるのが大きかったかもな。感謝しろよ、俺らに」
「いいえ、宇宙連合で一番、まともなまだ観ぬ人に感謝します」
横から口を出してきた横柄な先輩の口にチャックをすべく、横柄な態度を示すが、この人もある種の鈍感のようで手に丸めた多くの新聞紙で僕の両肩を優しく叩く。
「んじゃ、会いにいかないとな。お前の傷をほとんど、治したのもその人なんだぜ」
と、最後に一発、いらない強烈な一撃を僕の右肩に喰らわせて、そっけない言葉で言った。
「その人は人間か? 肌がすべすべ。どうなってる、蒼空?」
蒼空が心配そうに眺める中、扇から新聞の束で造りし剣を奪い取り、自分の硝子の刺さったであろう箇所に恐る恐る近づけるが、痛みの欠片すら残っていなかった。あれほどのことだから、縫っても酷い傷だろうとため息を吐いた僕は蒼空と朝の言葉と、少女達の頬の感触で不安が吹き飛んだ。
「あい、すべすべ」
「あい、すべすべ」
「あーさー!」
仲が良いな! 蒼空と朝の死闘はもう、過ぎ去りし過去の事か、と思ったが矢先、蒼空が朝の頬を払いのけた。朝はその思いもよらない攻撃を受け、尻餅をついた。
「怖いですよ、蒼空。昨日の敵は今日の友っていうでしょ?」
よく観ると扇が着ているのと、同じ桜餅高校の紺色のブレザーとスカートという出で立ちの制服を朝は着ていた。そのスカートについた埃を払いながら、朝は立ち上がり、蒼空よりも大人だから余裕ってな感じのにんまり笑顔を浮かべた。
だが、年齢から公平に計算していくと、実はもう、蒼空の方が一つ、二つ、年上かもしれない。その意味をさらに深く考えようとした。だが目の前に、正確には布団に新聞紙が無造作に放り投げ出された。
「アースガーディアンまでお前を治療したお方に会う許可の申請を貰いにいくからそこで大人しくそれ、目通しておけ。お前が寝ていた一週間で世界は結構、面白い様変わりをしているぞ」
僕の顔を指さしながら、扇は慌ただしく、出て行った。何やら、僕とそのお方を会わせるのは扇的には面白い祭りらしい。僕か、もしくはそのお方が扇の仕掛けた祭りで炎上しなければいいのだが。とはいえ、僕の今、すべきことは情報収集だ。
宇宙連合に関する各新聞の情報をまず、ピックアップしていく。当然、テレビ欄なんてぽい! だ。この新聞は過去のものであり、過去のテレビ欄を観て、自分がその番組を観たことがないのに、超面白そうこの番組なんてやってられない。それに僕の部屋にテレビなんて高価なものがないからだ。あるのは、蒼空と、廃材で作った家具達だ。
浅木新聞、浜名美新聞、徒社新聞の新聞界の三強の記事を纏めて脳内整理する。
七月七日、極秘裏に世界各国の代表による初の宇宙人率いる宇宙連合との対話に成功。尚、宇宙人のコミュニティーである宇宙連合は我々と同じ人間で構成されている。多くの新聞にはその証拠として写真が掲載されている。
オモチャ屋で何処かのガキ達と混じって流行しているカードゲームに興じていらっしゃるみみるさんではありませんか……。本当に子どもだ、この人。負けて、半べそ掻いている……。
どうやら、宇宙連合の操作によって、扇達、民間協力者及び、桜餅学園とアースガーディアンの関係性(以前、扇が三年から選択できる文系、理系の他にある特別クラスは宇宙連合の関係者あるいは宇宙連合にスカウトされた人類側で構成されている。表向きには東大、早稲田、なんて言ってるけど、うちの特別クラスの連中はその後、足が途絶えているのはそれが理由と教えてくれた)が情報漏れしていない。
当然だが、僕の負傷の記事もない。この点は人類側や宇宙人側の情報操作。
七月九日、地球も一つに纏まらねばならないと、日本の総理 双嵐隼人がジェット機で各国を緊急訪問。皆が賛同する。代表は日本の総理となった。
やはり、伏せられているが、今回の騒動が僕(日本人)と蒼空(萌え星人)を中心に起こっているからだろう。強い義務感、責務感でこの決定が成されたと信じたい。
「さて、次の情報は――」
「七月九日の教育テレビの、うさちゃんと遊ぼう! を蒼空は観たような気がしますけど、どうでした?」
「あい? てれびって? なに?」
それもそうだ、僕の部屋にはテレビ、なんぞない! 文明に毒され過ぎた人間は退化していくんだという確固たる理由を盾に蒼空にもトランシーバーだけ持たせてある。
「へぇ、そうなんだ」
完全に小馬鹿にしている声が聞こえる。無視だぞ、蒼空。それはただの虫だと思え。そう、僕は思いつつ、情報収集に勤しむ。
七月十日、宇宙連合に加入する条件として地球連合に出した試験内容は、一人の地球人の少年と一人の宇宙人の少女がその少女の命が尽きるまで共に過ごすことだ。これに対して、多くの評論家がナンセンスだという意見が大半だ。僕もそれには同感だ。何故だ、これほどのコミュニティーが?
それでも僕と同じように従順に地球連合は承諾したようだ。それからは防衛について話が行われたが、宇宙連合の技術力を目の前にしている彼らは桜餅学園周囲の警備を担当するに留まったようだ。勿論、宇宙連合の技術力で引き下がったのではなく、地球人の少年に配慮して普通の生活がなるべく、送れるように、という実に見事な寝技だ。これでは新聞各社も反論できない。
七月十一日、記者にアースガーディアン内部が公開される。もちろん、地中基地としてのアースガーディアンではなく、単なる空飛ぶ巨大要塞都市としてだ。だから、桜餅学園との関係性は、その情報からでは追えない。
そこでの生活模様は全く、日本と同じだが、円ではなく、ルーンという硬貨で商業が成り立っていると、平和的な写真付きで紹介されていた。その写真にはちゃっかり、みみるが端の方に写っていた。この人は心霊写真気味になってまでも、目立ちたいのだろう、可愛い人だ、脳みそが。
それにしても……と一息吐くべく、宮御紲の差し入れてくれたらしき、ハートのクッキーを篭から一つだけ、摘む。摘む際に見えた息子へ愛をこめて、なる文章は見なかったことにする。
「うはー、こんなに漏洩するなんて、宇宙連合もたいしたことないですね」
いきなり、扉が開いて、おでこに高速のデコピンが飛んだ。避けるのが不可能ぽかった。
あれ? と思い、鈍い動作で壁に掛けられた時計を観る午後三時二十分。扇が病室を出てから二時間が経っていた。
「アホ。重要じゃない情報を大量に公開して、その森の中に秘密情報を隠してるんだよ。そういうのはセオリー、お決まり、だろ! 馬鹿!」
「痛いですよ、扇ちゃん。傷口、開いちゃいますよ」
「大丈夫だ。あの方の治療を受けられるだけで幸運……か? あ、ある意味、嫁姑問題に。いやいや、そこはかとなく、背徳感が。ぐへへへ」
気持ち悪い笑いはこの人の邪悪さが滲み出ている証だ。徹底的に避けるに限る。
「朝ちゃん、蒼空、この笑う人形はここへ置いて美味しいモノでも食べに行こうか?」
「「デート!」」と異口同音の蒼空と朝コンビ。
「え、どういう展開で、そうなるの?」と反射的に狼狽した僕。
「ばーか、もう、お前は逃げられないよ。絶対、三十歳で魔法なんて覚えない人種だぞ」
「魔法? やだな、現実を直視して生きようよ、扇ちゃん」
僕は腹の底から笑った。笑った後、気が付く。この人の復讐は心底、地獄に堕ちた方が……というぐらい、恐ろしい。
「お前……。魔法使いになるかも。この鈍感!」
「痛いよ、ハゲちゃうよ」
頭を引っ張られつつ、僕は扇と無理矢理、シャワールームへと入っていった。さすがは、一番、高価な病室。金箔をそこら中に貼った床と湯船がある。そこで僕は扇の本当の邪悪さを知った。
この人の生き甲斐……僕、米乃国太郎、改め、陽乃心を虐めること。
ぜひ、卒業文集の趣味欄に書いて欲しい。こうなれば、後世まで伝われ、ヤケクソだとばかりに僕はそれを着た。
ここは一般エリア。その一般の名すら奪い取りたい気分の僕。いや、僕の出で立ちは決して変ではない! 変ではない! と自分に魔法を唱え続けた。だが、魔法なんてこの世に存在しないことを僕は知っている。アースガーディアンに到着後、蒼空の検診もついでにやってもらった結果、蒼空は間違いなく、二年半の命だって、宇宙連合の北野医師が表情一つ変えずにそう言っていた。みみるも同席していたのだが、みみるもそれが当然のように構えていた。
ロビーで待っていた蒼空に聞けなかった。
君の命は後、二年半だよ? って……。
今も聞けないでいる。そう、世の中に魔法なんて都合の良いものなんてない。
僕が宇宙連合のマスコット 猫の胴体と、犬の下半身を持つ不思議な生物であるパピドくんの着ぐるみを着てエモーショナルシップ、そうアースガーディアンのような宇宙船を呼ぶそうだ、を闊歩しているように。
「しーちゃん、そら、それ、きなくてよかった。これ、らっきー?」
「ラッキーに決まっているなのじゃ。我にその嘆願書が届いた際に閃いたのじゃ。なれらのうちの誰かに着せればいいのじゃ、とな。扇のフォローは実にナイスなのじゃ」
「扇さんは逃げましたけど……。アースガーディアン内の産業の活性化だか知らないけど、各エリアでこんな魔物が練り歩いているのはさすがに……逃げるわ。心君、不気味格好悪い」
商店街のみんなが、みんなが、僕を振り返る中、グサリと胸に食い込む台詞を言ったのがあろうことか、味方であるはずの三人の少女から挙がったものだった。僕の右腕を頑なに離そうとしない歩道まで伸びそうな黒髪を弄ぶ白いシャツとジーパンのラフな陽乃蒼空、スカートを履いているのに大股で僕たちの前を歩く白い髪エクステーションを鎖骨まで垂らしつつ、ツインテールとオーバーニーソの一般装備の他に今日は臍だしルックな雛みみる、ぴんと背筋を伸ばして、偶然的に僕らの桜餅学園を宣伝しているかのように着ている制服を目立たせている髪を一纏めにした中性的な魅力のある双嵐朝からだ。
確かに僕も間が抜けていると着ぐるみ内でため息を吐いた。しかも持っているプラカードの言葉が幼稚臭い。
みんなで消費すれば、怖くない! みんなで消費すれば、この不況も乗り切れる!
いや、確かにそうなんですけどね。はい、そうですかって出す人はいるはずない……とプラカード文面にすら、不平不満を言いたい気分の僕が観たのはお菓子を買い漁るみみるの姿だった。あっと、いう間にみみるの両腕には食べきれないほどのお菓子の山が出現する。それをみんなで分け与えるのか、と思いきや、全部自分で食べようと頬張る。後ろから蒼空が羨ましそうに眺めていた。
僕はそれを、不憫に思った。この子の時間はもう、残り少ない。だが、普通の子のように僕は蒼空と接したかった、朝と接するように、扇と接するように。勿論、みみると接するように。
「ごめんね、僕は貧乏だから。うちの父さんに言えば、陽乃財閥系列の引っ越し会社のトラックでお菓子を山のように届けさせることも可能だけど、蒼空、それは――」
「わがまま? ごうまん?」
「正解」
と横から朝が口出した。
「あい、おかしはいらない。そら、しーちゃんのぱぱからしーちゃんのみょうじをいうの、ゆるしてもらった」
「叶わないな……」
「へぇ? 何が?」
僕は狭い空洞から頭を抱えて苦々しくもあるし、それすらも楽しんでいるような朝の微笑を眺めて問い質した。
「恋することにさえ、気づいていない女の子にはどんな女の子にもない不思議な恋愛パワーがあるってことですよ」
「よく、解らないけど、意外と乙女なんだね、朝ちゃん」
「扇さんの言うとおり、きっと、魔法使いになりますよ、心君」
「へぇ?」
「ま、しーちゃんが独り身のまま、だったら、この朝ちゃんが貰いますよ。チナミチョコ一年分で」
高校生にありがちなジョークだと僕は錯覚して、
「大丈夫、僕には蒼空がいる。蒼空が当分、隣にいるから、朝ちゃんには迷惑かけない。もう、何年も……迷惑を掛けたし。大丈夫。孤独になりはしないんだよ、人間」
そう、深く考えずにふと、心に浮かんだ想いを喉から吹き出してみた。
木々の影が朝の顔を寂寥感に溢れたものに変える化粧だとは思えなかった。僕はどうしたの? と聞けなかった。けど、僕は駆けだしてどうしたの? を言おうとした。
朝が駆けだした瞬間、涙をそこに見た気がしたからだ。
「離してよ、みみる。朝ちゃんが泣いていたんだよ」
僕は半ば、義務感と半ば、同情心を織り交ぜてみみるの説得に掛かろうとした。
その前に服の袖を掴んでいた手が急に離れ、僕は前のめりに倒れそうになった。そして、横目でみみるがビンタの動作に入ろうとしている。
叩かれる。そう、思った僕はぎゅっと目を瞑った。
それを阻止した蒼空の薬指にはシンプルなデザインの指輪が銀色に輝いていた。
あ、思い出した。朝が昔、言っていた。結婚指輪は左手の薬指に填めるものなんだよって。
昔、そうはにかみながら彼女の父と僕の父で決められた婚約者はそう、教えてくれた。僕が起こしたあの事件でそれは解消になってしまったが、同じ感情を朝は持っていたんだね。
「蒼空、止めてくれてありがとう」
「あい、ほめられるの、うれしい」
「でもね、僕は叩かれた方がすっきりしたかもしれない……」
「なんで、そら、いたいのきらい! だから、しーちゃん、まもった」
献身的な眼差しで僕を見守る蒼空の薬指から、銀色の指輪を外せなかった。蒼空に何気にプレゼントした時から、心の何処かで蒼空と僕の道は重なり合っているって決めていたんだ。
僕は未来の晴れやかさと、過去の消失感を同時に感じて心が引き千切れそうだ。竜巻が僕の身体を引き裂いてミンチにしている錯覚を憶える。
それでも、夕暮れ時の街は暖かみのある情景で進み続ける。僕の悲しみなんてしちゃこっちゃない彼ら、彼女らの歩みは実にゆったりと、慣れたものだった。
僕の傍を仲の良いおじいさんとおばあさんが一歩、一歩に時間を掛けて歩いている。もう、急ぐことはないんだとその一歩は語っているようだった。
その彼らの会話が少し、僕の耳に入る。
「ああ、そういや、ばばぁ」
「なんだい、じじぃ」
「蔵田のじじぃがついにくたばりやがった。俺らだけになっちぃまったなぁ、同級では。俺よりも腕っ節強かったのになぁ」
「そういうもんですよ、じじぃ。死にそうにない奴から死んでくもんなの。きっと、次はあんただ、じじぃ」
「俺は一緒がいいなぁ」
「そうね、やっぱり、その方がしっくりくる。後腐れがないわね」
なんて、会話は尚、いっそう、僕の未来の翳りと過去にあったはずの翳りの最終地点のお手本だった。過去はもう、届かない。いや、振り返らない。すると、未来の姿はすぐ、そこにある。
僕は仲の良いおじいさんとおばあさんの遠ざかる曲がった背中を眺め続けた。枯れる前にもう一度、咲こうとする些細な遠き昨日の栄華のような気がして……泣いていた。
その僕の肩をそっと、みみるが優しく叩いた。
「二年半、楽しく過ごすのじゃ。それで蒼空とはお別れ。それが一番じゃ。死の恐怖は誰にでも訪れるのじゃ。それを無闇に長引かせるのは我は……絶対に反対じゃ」
絶対という言葉と、深紅の瞳は燃えていた。何か、強い力によって。
だから、僕も泣くのを止めざるを得なかった。
「しーちゃん、早く、早く」
いつの間にか、僕らと離れすぎた蒼空が元気に飛びはねながら駆け寄ってきた。言葉と行動が一致していない。僕は笑わざるを得なかった。
「地球人は忙しい奴ばっかじゃ。だから、味方になりたくもなるものじゃ……」
そのみみるの儚げな言葉は、今日の豆腐を最後まで売ろうとして躍起になって傍に来る通行人達に声を掛けまくる中年男性の声に混じって消えた。
途中、着ぐるみは商店街の着ぐるみレンタルショップに返却した。レンタルものだったらしく、みみるがレンタル料を払った。そして、領収書を切って貰っていた。
その時、携帯の話題となり、みみるの携帯番号を教えて貰ったのだが、僕には携帯という文明開化を象徴するアイテムを持っていなかった。みみるは無償で僕と蒼空に買い与えてくれた。領収書を切っていた。きっと、宇宙連合か、地球連合の出費になるのだろうか、僕は急にお腹が痛くなった。幾らだったのか、携帯。
エナジックエリア、このエリア内に近づくにつれて、ネクタイをきっちりと締めたスーツ姿のアースガーディアン運航に携わる士官が目立つ。その前の軍服エリアには一般兵の詰め所やそういった人々を対象に商う商人の店で賑わっていた。尤も、宇宙連合代表であるみみるがいたのだから、兵はみみるが通る度に恭しく、一礼する。僕と蒼空はこのエリアでは蚊帳の外って感じだった。これから進むエナジックエリアではもっと、蚊帳の外なのだが。
「何故、兵士達は同じような動きをするのじゃ、我なんぞ、ただのガキじゃぞ」
確かにみみるは十二歳であったが、その年からぬ、私は偉いんだぞという気迫を放っていた。
みみるの標準的な動作は一々、偉そうなのだ。例えば、歩くときなんかはスキップなんて、幼き日の恥ずかしい動作なんて皆無。Dの胸をもっと、強調させるような胸を張った歩き方をする。背が百五十センチしかないのに。
僕は建物が一切無く、薄い膜が僕らを覆う形になっている道路を不安げに観察しながら、みみるにそれを加味したアドバイスを送る。別に会話がないと、なんか不気味だなぁなんて思った訳ではない、決して。
「我とか、なれ、とか、なのじゃ、を止めて、普通の喋り方にすればいいんじゃないかな」
「蒼空からあい! を無くせと言ってるようなものじゃぞ、それ。なれは我に没個性になれというのじゃな、いうのじゃな」
あい! って蒼空返事を実物よりも幼く、むしろ赤ちゃんの辿々しさに表現していたはずのみみるは全て、喋り終わった後には僕に詰め寄っていた、さらに詰め寄る。その先には例のなんか気持ち悪そうな透明な膜がある。それに触れると嫌だなと本能が働き、みみるを押し返そうと思うが、何処を力場にすればいいのだろうか? 小さなハムスターでも出てきそうな臍周辺? そ、それとも高校生級の胸なのか、そうなのか、と頭を悩ませる。女の子の肌は何処に触れてもマシュマロみたいに柔らかい。それは蒼空で実証済みだ。
そう、考えている身体がお留守な僕に急激な後退させる力が襲った。僕は踏み止まろうとしたが、踏み止まれない。
その力を僕の肩に生じさせた人物は詰まらなそうに張り手のポーズのまま、固まっていた。
僕はその人物、蒼空に抗議しようとしたが、後ろにある膜に気が付いた。次に後頭部に加わるであろう衝撃に備えて、神様に祈りを捧げようとした。
そこで気がづいた、自分が無神論者だったことに。とりあえず、偉そうに仁王立ちして僕のヘタレっぷりを鑑賞しているオーバーニーソ神に祈っておく。
「あれ? 痛くない」
一度、シャボン玉のように壊れた膜の先にはさらに、膜があり、僕の身体をやんわりと、支えてくれた。もの凄く、弾力性に優れている。
「これは? って表情でそう馬鹿のように大口を開けるではないせっかくの平均的に存在しても許されるレベルの顔が台無しじゃ」
「あい! おうぎ、みたい。そら、それでも、しーちゃんすき」
そう笑顔で言った蒼空は僕の隣で早速、透明な壁を遊具に遊んでいる。弾力性がやたら、高いものだから、蒼空の小さな身体は宙に浮いて、また、柔らかい壁に戻ってくる。
「君達、扇病に感染したの」
そう言ったら、僕の腰に巻いたポーチに入っている携帯電話に迷惑メールが掛かって着そうだな。
「安心せい、機能こそ、地球の携帯並みじゃが。こいつはやたら、頑丈なのじゃ。宇宙船が踏んでも大丈夫なのじゃ」
何気に自分の星の高度な技術力を自慢してみみるは僕らに構わず、歩き出した。
「それ、雛星のギャグ? 全然、理解できないよ……」
みみるの背筋の伸びた後ろ姿に対して僕は首を捻った。反論するようにポーチから黒塗りの携帯電話を取りだし、地球の携帯電話にあるはずのないボタンを訝しげに凝視した。
「どう見ても、銃のアイコンだよなぁ」
「おしてみる、みる」
「あ、蒼空、だめ」
「ぽちっ」
「うわー、何、これ、銃、銃銃、じゅ~うぅ」
「じゅう、じゅういち、じゅうに」
「蒼空、こういう場合、ギャグってる場合では……」
ボタンを蒼空が押した瞬間、僕の携帯電話が銃に進化した。何やら、窓枠のボタンがあることから推測すると通信も出来て、銃口が二つもあり、お得感たっぷりだという軽い気持ちにはなれない自分がそこにはいた。
だが……
「オモチャで遊ぶなんてまだ、なれらは子どもじゃな。たった、コンクリートを粉砕する程度の武器なのに。つまらんのじゃ」
「せんたいひーろー?」
この子達は平気のようだった。もう、この装備については言及しない。平和な生活を送る僕には必要ない機能だ。
そう、僕は思えなかった。胸の鼓動が普段よりも高音に響いている気がする……。
それ以降、僕は拭いきれない不安感を抱えたまま、何度も通った検問所である有人ゲートの一つ、クルブシゲートを通過し、さらに何度も立ち寄ったアースガーディアン中央ビルへと入った。ここに来る時は大抵、宇宙連合代表室に用があったが、上へ上がる転送装置ではなく、今日は下へ下る転送装置だ。
今日はいつもと違い、転送装置の前に黒服でトランシーバーを持った人はいない。風邪でも引いたのだろう。
だが、僕と蒼空が転送装置の中で呆然と立ち尽くしているのとは違い、みみるは階段を降っていく。
「あれ、みみる様? 転送装置の方が早いよ」
「今日に限って故障しておるのじゃ。全く、しかも技術部の連中が賃上げしろ、アキバ観光させろ、とボイコットしておるのじゃ。当然、寛大なみみる様は労働者諸君の条件を全部」と言って大きな胸を叩いた。「飲んでやったのじゃ。だから、みんな、今頃、アキバなる場所でアニメ映画鑑賞に勤しんでおるのじゃ!」
僕は思った、全員行かせるなよ。交代制を採用しようぜ、と。だが、僕は所詮、部外者だ。さらに言えば、気を良くしている人間をわざと悪くさせる無粋な真似はしたくない。
階段を死ぬほど、降った。ガクガクな両足に鞭を入れて、扉を開ける。
そこには蒼空がいた。正確には、蒼空と瓜二つの少女が眠りに就いている。だが、彼女の眠りの体勢はかなり、ヘンテコだ。
試験管人間用みたいな容器の中には透明な液体が満たされていて、そこに少女は浮いているのだが、立った姿勢のまま、何かの力によって固定されている。それが少女の身体のあちらこちらに繋がれたチューブのせいか、どうかは僕の頭では解らない。ただ、絶え間なく、その管から少女へと液体が送られているようだ。生命を維持するような液体だろうか? 何しても僕が今、やることは一つ。
少女の身に纏っているものは何もなく、僕は慌てて、蒼空の後ろに隠れた。
だが、身長がほぼ、同じ蒼空と僕なので隠れても意味のないことに気がついた。
「そら、とおなじだ」
自分と瓜二つの少女に感動した面持ちで近寄っていく。蒼空のジーパンを中腰の姿勢で握り締めている僕をお供にして。
蒼空が試験管に触れた時だった。機械音しかしない不気味な部屋に澄み切った声が軽やかに試験管の少女から紡がれたのは。
「ようこそ、アースガーディアン 最下層部、または、アースガーディアン管制室へ。蒼空、心、あなた方を心よりお待ちしてました」
「これはども、ぼ、僕は――」
「ヘタレさんっていう噂は本当なんですね。それじゃあ、蒼空のお尻の香りを嗅いでるみたいに見えますよ。変態さんなんですね」
「あい、そらは――」
「蒼空、萌え星人、最後の星人にして、ソラ・エル女王様。このようなはしたない姿で蒼空様に謁見させていただき申し訳ございません。わたくしはアカエル。機械で命を繋ぐ宇宙人です、以後宜しくお願いいたします、お二方」
「そらはきにしない、あかえるもおうぎとおなじで、いい」
違う、違う、この人が本当の蒼空の母親だ。僕は自分が苦い思いをしていないのに、砂が口に入り込んだ時の硬い苦味を感じていた。
「良いんですよ、お婿殿」
「え?」
僕の吐露がうっかり、口から飛び出してしまったのだろうか、と僕は唇を押さえた。だが、アカエルの形の整った唇から凜と奏でられた言葉はそれを否定する。
「蒼空の薬指を見れば、解ります。もう、決めているんですよね」
「あ、はい。それと、僕の傷、あなたが治療してくれたんですよね、ありがとうございます」
「いいえ、造作もないことですから。一緒にこの生命維持装置に数分程、入っていただいただけですよ」
何の問題もないと言うかのようにその言葉は人工的なよどみのある川ではなく、全ての時間がゆっくりと流れている川のように思えた。だからだろうか、急に僕は恥ずかしくなって、蒼空の方を見て、誤魔化した。
蒼空は異星語と、透明なモニターに興味津々だった。今もモニターが自分の手を通り抜けるのを不思議に思っているのか、首を傾げている。
そんな娘を見てアカエルはくすっと笑った。それは少女がいたずらを思いついた時の可愛らしい声。
「あ、エッチな妄想は蒼空にだけにしてください。但し、絶対に子どもは産ませちゃだめですよ」
「馬鹿、言うなのじゃ。最近の若者は進んでおるのじゃ! どんどん、産むといいのじゃ」
みみるの言葉は相変わらず、斜め上を言っていたが、硬質の響きを持っていた。何か、それ自体に目的があるような……。だが、勘ぐったところでみみるはただのオーバーニーソ神だ。一人の意志では何も出来はしない。まして、人道的ではないことなど……。
思考が停まった。
みみるの蒼空を射貫く怜悧な瞳、うすらっと開いた口は引き攣っている。この人は僕の知らない内なる自分を飼っている。そう勘ぐらせるには充分だ。僕はアカエルと蒼空の傍へと後退した。何故か、今、会ったばかりのアカエルの方が信じられる気がした。
「みみる様……」
そのみみるを射貫く緑色の宝石の如き瞳には、侮蔑と感謝が含まれているような気がした。
入って直ぐに僕と蒼空には喋ったのに、みみるとは喋る所か、視線すら交わさなかった。
アカエルの唇がぎゅっと、結ばれている。それはある種の苦痛からくるものだって誰にだって解る。みみるはそれを見据えてわざとらしく、偉そうな平常心を保っているように思えた。
「みみる様、蒼空様、すいませんが席を外してくれませんか」
蒼空は案外、容易く、あい! と本当の母親とは知らずに脳天気な返事をアカエルに送り、退室する。それに比べ、みみるはアカエルに釘を刺すような視線を注いだまま、退室した。扉が自動的に開く類でなければ、きっと後頭部を強打して痛い思いをしていただろう。
急に静かになった気がする。それは何にも、行動せずには居られないあの蒼空と離れたからそう感じるのだろう。いずれにしろ、僕の耳には大きな試験管の液体の蠢きがよく聞こえた。僕はそれが急に恐ろしいものに見えた。もし、あの機械が止まれば、あそこにいる緑色の瞳を細めて、優しい微笑を僕などにくれている女性は確実に死ぬ。
全て……死んだら、終わりなんだ。そんな自分勝手なアカエルに関する感想を思っている間にも彼女は可動式のレールを使い、試験管ごと、僕に近付いた。その為のレールだったとは知らなかった僕は少し、驚いた。わっ! って口から大声が逃げた。
それに対して、何も言わず、アカエルは繊細な掌を試験管の硝子壁に両手ともに押しつけた。
「同じように……。陽乃心さんも」
僕はアカエルに従い、同じようにした。だけど、そこからはアカエルの温もりは伝わってこない。それに対して、アカエルは目を瞑り、何か解ったように肯いた。
「さて、陽乃心さん。貴方が後察しの通り、私は蒼空の母親です。もう一人、クロエルという母親がいるのですがそちらは行方知れず。ですが、萌え星人は卵からかえってすぐに見た人間を親と認識します。貴方が親でいいんです、そして、できれば親でいて下さい」
アカエルのエメラルドの瞳は僕の口を少しでも動かすことすら、許そうとしない屈強な眼力を保持していた。とても、その瞳からは逃れられない。
「意外と思われたでしょう。娘に彼氏ができる、もしくはこれからですか?」
「はい」
「では、お互い、不幸にならぬよう、このままの関係を」
「何故ですか? 僕は蒼空と中途半端な関係ではいられない。僕は蒼空の親にはなれない。今まで、蒼空とは兄妹のような関係……いや、だと思っていたというべきかな。とにかく、中途半端でした」
「僕は蒼空が好きでこれからももっと、深く蒼空を知りたい」
「そうですか。でしたら、世界の現実、みみるの思惑……宇宙連合の思惑を少しだけ、話しましょう」
「では、一つ、質問です。何故、萌え星人があなたの元にやってきたのか?」
「偶然でしょ、そんな!」
僕は声を荒げていた。蒼空を萌え星人と呼称するこの蒼空の母親が許せなかった。僕の母、もう故人となってしまった陽乃美樹は僕を産むのに、元々、身体が弱かった為、その命は磨り減って、病床に伏せっていることが多かった。それでも、愛をくれたのだ。
目の前で淡々と喋り出す母親だってその類の母親じゃないのか。僕は笑顔を振りまいていたアカエルを蒼空に観た、でも、今は機械のようだ……。
「いいえ、初めからみみるの作ったシナリオ通りに事は進んでいます。宇宙連合の主力航空兵器 エモーショナルエンジン搭載機には強い感情が必要です。その値の高い地球人はアリク連合と植民地拡大戦争をすることや、聖戦には貴重な人材です。そして、その中で一番、感情値の高い地球人を一年前から調べていました」
「冗談じゃない! 僕達をそんなのに――」
「世界は地球という紙コップの内だけで成立しているのではありません。聞きなさい、蒼空のためにも、蒼空の思い人……貴方の為にも」
一瞬だけ、母親の顔にアカエルは戻り、すぐに機械的に喋る。目まぐるしく、アカエルを繋ぐプラグが液体を送っていた。多分、喋るのに必要なエネルギーが注がれたのだろう。
「朝さんの事件の影響で貴方と宇宙連合の職員である扇との接触が容易くなったのは偶然です。これにはみみるは両手を叩いて大喜びでした。私も別の意味で喜びました。そして、主に貴方以外の地球人と接触する餌の為の試験、これもみみるの計算」
「でも、試験をクリアしなければ、そんなの無効でしょう! 宇宙連合の保護下に――」
「本当にそう思います? 試験に合格不可能な試験設定をし、萌え星を一瞬に崩壊させ、女王と女王の家族を拉致した非道な宇宙連合が!」
息が止まった。呼吸がほんの少し、要求する呼吸の速さと噛み合わず、せき込んだ。今、目の前の美麗な女性はなんて言った?
萌え星を一瞬で破壊? では、宇宙連合のトップは……雛みみる。僕らと行動を共にし、威厳のある少女の仮面の下に殺戮者の顔を僕は思い浮かべた。ぞっとした。多分、まだ観ぬ存在の方がぞっとしなかっただろう。
僕は裏切られた気持ちを抑えきれず、床を殴った。鈍い痛みと、泣けない悲しみが僕の心を浸食していく……。
みみる! みみる! 騙したな! 息を荒く、邪念の如く、己の心に擦り込ませる。
そんな僕の邪念は頭上の天使の声に浄化されてしまう。
「大丈夫です、貴方の人柄を扇や宮御に調査させました。貴方は必ず合格します。あなたは決して人間を見捨てたりしない。貴方が陽乃財閥の屋敷にいた頃に、貴方専属のお仕事役達は恵まれない異国の少年少女で結成されていた。調査に誤りは?」
「ありません。執事のカローナ、コックのナーニ……。全員、僕の大切な家族です。米乃国太郎を名乗ってからも手紙でやり取りしてました。僕は意志の弱い人間なんですよ、彼と彼は別人だったのに」
「違います、あなたは優しすぎた人間です。ですが、それ故に現実を知る。これがわたくしの知って欲しい現実」
「貴方と蒼空は強制的にでも交配をさせられるでしょう、あれのために」
先程まで意味のないような、あるような数字の羅列を浮かべていたモニターが広々とした寒そうな空間を映し出す。但し、その寒さは冬の風の寒さとはレベルが違う。致死量に値する寒さだ。画面は次々と兵器を映し出していく。
その兵器の名をアカエルが一々、口ずさむ。
赤い刀身と、鬼の顔を鍔に持つ怒れる炎――フランジュベルグ。
雛星聖句である、意志を貫く者のみに我が扉は開かれんを刻む黄金に輝く聖剣――エクスカリバー。
敵を潰す巨大な刃と仲間を守る不屈の友情を保てる者のみが鍔左右の巨大なベルリンの壁を建築する唯一の万能剣――レゾナンス。
その次は、とまだ、見ぬ兵器に目を白黒させていた僕にこれが最後だ! とばかりに画面は緩やかにそれに停まった。
それはあまりにも美しい。鍔の左右から広がる白い天使様の羽根。
それはあまりにも戦場に相応しくない。細身の刀身。
それはあまりにも幼い。蒼空に似た……いや……きっと、それが蒼空に似せた少女が両手を翳し、その手には一降りの剣が握られている鍔の構図。
その構図で僕は予測できてしまった。きっと、これがアカエルの言うあれ、みみるの執念の結晶体。
でも、確かめずにはいられない。それが賤しくも人間の好奇心。
「あれは?」
「みみるの研究の成果。第五世代を超える唯一の第六世代機体 白妖精剣」
「綺麗だね……」
咄嗟にそんな言葉が口から飛び出してしまった。だが、白妖精剣はその名の通り、他の機体と比べて細身で、白い肌をしている。まるで少女のようだ。
「とんでもないあれに乗るのはわたくしのように寿命を強制的に延命する試験管に入れられた蒼空と、貴方と、貴方と蒼空の娘です」
慄然と唇を震わせて、そうアカエルは嘆きにも似た声を試験管内で響かせた。そして、失神しかけそうになる自分の身体を壁にもたれることで防いだ。
「ふざけないで下さい。なんで……そんな酷いことを」
僕は狼狽するアカエルに詰め寄るような声でそれについての究明を行えなかった。ただ、小さく、そう唸った。
みみるは我ながら、自分は酷い奴だと自分の行動を振り返って反省……できなかった。彼女にはやるべきことがある。それは証明すること。
俯いた瞬間、ツインテールが力なく、揺れた。
証明……。王の私生児であるみみるが、王と王の妃の娘、あるるよりも上か、下か?
上の者が愛しい、愛しい、お父様の愛情を全て、独占できる。
みみるの研究 インフィニティーエモーショナルエンジン構築がアリク連合に未開拓惑星を取られるならば、と萌え星を萌え星人自身が滅ぼす刃――黒妖精剣を作らせてしまった。
「私は……反対だった。インフィニティーエモーショナルエンジンは殺戮兵器ではなく、平和利用。ただ、脅すためってお父様にあれほど、説得したのに。お父様はアリク連合を憎んでいた。同じ人間なのに。私に言った……。黒妖精剣で萌え星人の星を壊しなさいって……。結果、萌え星人五十人を搭載させた黒妖精剣は……萌え星人を……う、う、うぉ、あぁ」
頭に浮かんできたあの映像――星を切り裂いた瞬間、萌え星の爆発に混じって、黒妖精剣に繋がれた未完成のサブエンジンから洩れ聞こえる怨嗟の声。
「宇宙連合! お前らをあたしはうわぁっぅっえいぁ、あごぁ……」
「ちくしょう、ちくしょう、母様……」
「姫様、お子は……萌え星の未来は……うぅぅぅぅうう」
「くそっ、最強の戦士と詠われたこの私がこの様か、くっくっ、笑いが止ま……」
「許して下さい、救えなんだ、アカ・エル様、この、この……ばぁを……」
「アカ・エル、無事かい? 君の乗っている黒妖精剣の本機ならば、この熱に溶かされないだろうね。げほっ、げほっ、ああ、最期まで君の熱に抱かれて死にたかったなぁ……」
声達はそれぞれの最後を彩り、未完成のサブエンジンは熱を宇宙に逃がせず、その搭載者を屍に変えた。悪臭だけの灰に変えた……。
それをモニター越しに見て、朝食のバナナ、チョコレートミルクや昼食のカレーライスを全て、床に吐いた自分を最後に思い出し、みみるはあの日と同じ後悔に苛まれ、昼食に食べた寿司を床に吐きそうになる。
が、留まる。みんな……自分を信じてくれた。なのに、殺戮をそのみんな、特に蒼空や心にさせるのか! 否、否、否、否、と胃が再び、寿司を呼び戻し、脳がみみるにインフィニティーエンジンだけを見つめていたお父様よりも、みみるを見つめてくれたみんなを信じろ、と叫ぶ。
「どうしたの。みみる、ないてる。だから、これ、はい」
小さな掌にはティッシュが乗っかっていた。それは街頭でよく配られている宣伝チラシがはさまれたティッシュだった。でも、みみるには最高の信頼の証だった。
そのティッシュを受け取り、涙を拭き、鼻をかんだ。
「みみる、こうはいって?」
みみるが感動に浸っているのにも関わらず、早くも蒼空は次の世界へと飛び込んでいく。ませた言動だ。
先まで、壁に耳をつけていたからもしや、聞いていたのか?
「赤ちゃんを産むことなのじゃ」
その後に前の自分ならば、急かしただろう。だが、否。
「今の蒼空にはまだ、早いのじゃ。きっと、後、一年は早い!」
と豪快に笑って蒼空にその涙でテカった顔を見せた。
蒼空はその顔が可笑しくて笑った。その笑いに釣られて、みみるも本格的に笑う。
その瞬間、けたたましいアラームが鳴った。
来るべき時が来たと、みみるは独り、ある事を心に決断する。
それは――
「蒼空、ここにいるのじゃ。地球人も、アカエルもここにいるのじゃ、皆は我が守護するのじゃ」
そう言い残して去ろうとしたみみるだったが、きょとんとした蒼空に向かって再び、声を掛ける。その言葉には迷いはなかった。
「我は地球人を騙そうとしておったのじゃ。だから、償いに行くのじゃ。蒼空、それを心に伝えてくれ。そして、蒼空と心に普通の生活を!」
今度こそ、みみるはドックへと向かって疾走していく。
僕は心の底からふざけるなと罵倒の言葉を連呼した。短い髪が走る自分の速度よりも遅い気がしただけで心は掻き乱れた。
その間にも耳に装着したスピーカーからはみみるのやる気に満ちた声が聞こえる。先程のアラームが地球連合、宇宙連合の敵であるアリク連合が、地球へと接近してきたと知らせるものだと知っているはずだ。
「エクスカリバー 全装備……装着なのじゃ」
「いけません、みみる様。それでは……」
そのやる気に満ちたみみるを説得しているのはアカエルだ。こちらの声はぴりぴりとした緊張感のある声だ。
僕はドックへと走りながら、蒼空のお尻の重みを感じながら、推察する。
エクスカリバーという機体がどんなに優れていても、単機でアリク連合のランスタイプ全機と渡り合えない! って表情を蒼空からの報告を受けたアカエルははっきりと浮かべていた。あの顔は驚愕以外の何ものでもない。
僕の焦りをまるで感知したように蒼空が口を開く。
「あい! だから……そら、あかえる、しーちゃんでしろちゃんをきどう! たすける」
蒼空は知らない。あれが蒼空の故郷を奪った悪魔の技術、インフィニティーエモーショナルエンジン搭載機だと。
どれほど、改良が進んだのか、解らない。だが、アカエルの話では萌え星人をアカエル含めて、五十人も消耗してやっと、本来の能力を開放できる代物。しかも、生き残ったのはアカエルのみ。その時、蒼空のもう一人の母親 クロエルは行方不明らしく……恐らくは。
ドックの扉に差し掛かった時、遺書でも読むような朗朗としたみみるの声がスピーカーから聞こえた。
「計画変更じゃ。アカエル、地球人を頼むのじゃ。きっと、我の後釜はあるるじゃ。あいつも地球人好きじゃ。上手くいく。この罪人よりは」
思わず、僕は自分の冷たい感情を隠して、携帯電話の通話ボタンを押した。
すると、絶対、こいつは人前では泣かないなと思わせる高飛車なみみるがめそめそと泣いている映像が中空に映った。だが、その顔は凛々しく、涙だけが本当の感情――悔しいを表していた。僕はこれ程までに嘘つきなツインテール少女を知らなかった。きっと、アカエル以外にはこの表情は見せずに、この気高き少女は死が約束された戦場へと向かうつもりだったはずだ。
僕は叫んだ、そんな馬鹿な少女に、そんな一途な少女に、全てを抱えている重圧に耐えるこいつに喰らわせてやる!
「みみる、僕はよく解らないけど……帰ってきたらこの計画の全てをちゃんと話せ! いいな! だいたいアカエルから聞いたけど、お前も当事者だろう。しかも重要参考人だ! 僕、いや……。俺が蒼空とアカエルさんとで白妖精剣を起動させる!」
「ふふっ、大事な人間には熱くなる。扇の調査通りなのじゃ。気遣いは無用じゃ。白妖精剣はなれ……心には扱えない。あれはまだ、試作機。あれを動かせる感情値を持った人間は多分、この宇宙にはいないのじゃ」
「そんなの解らない。俺が、俺が、俺はもう、大切な人を自分の目の前で死なせたくない。今度こそ、死から……逃げない!」
アカエルが遠隔操作で開いてくれたのか、扉が独りでに開き、目の前には既に白妖精剣――鍔の左右に白き羽根を備えたエモーショナルブレイカーが存在していた。
俺はアカエルに訪ねる。
「これに乗るにはどうしたら良い?」
「今、わたくしの生命維持ポット ネバーが転送され、白妖精剣に搭乗しました。こちらから転送陣を発生させます。それに乗ってください。蒼空と一緒に」
そのスピーカー越しの会話のすぐ、後に白刃の如き輝きを宿す転送陣が急に俺の足下に具現化された。静かに歩み寄ろうとした瞬間、突風を感じた。目を瞑り、両足で踏ん張る。その場に立ち止まるのが精一杯だった。
もしや!
「おい、みみる。今のはお前か!」
もう、既にみみる側から映像がカットされていた。中空には通話のみと黒い文字で落書きしただけの透明な窓が在るだけだった。それは決して他者の意志では開けない、窓。
「急に声が鋭くなったのじゃ。それが本当の陽乃心か。最期に心の本質に会えて良かったのじゃ。一応、安全な場所に待避しておれ。さらに地下のトワイライトシェルターがオススメじゃ」
「おい、そんなのが聞き――」
「さよなら、そして、御免なのじゃ、地球人達」
「おい、応答を……。頼む、みみる! あっ……そんな」
中空に浮かぶホログラムモニターには通話不能とだけ表示されていた。
「無駄です、彼女の意志は固い。私としては仇のような女です。どうとでもなってくれて結構ですが、娘のために早く」
気がつくと、蒼空がみみるを按じて、人形のように黙っていた。蒼空にしては珍しいというより、その表情を見るのが初めてだ。
深呼吸して、俺が……僕が落ち着かなきゃ、と考え直した。
転送陣が僕と蒼空を連れて行った先は何やら、無骨な装置が所狭いしと並んでいる。
耳の奥底を刺激するような重々しい音はこの機材達が唸っているのだろうか、これから始まる血と血のぶつかり合いに興奮して。
中央にはアカエルがいつも、浮いているあの試験管、いや、彼女がいうにはネバーが固定されていた。もちろん、アカエルはその中にいる。
「蒼空を双対象人物に指定」
鋭い口調で有無を言わさずに、蒼空に指示を与える。そのアカエルが指さす方向には小さなシャボン玉が口を開けて蒼空が来るのを待っていた。
蒼空にはそれに対する恐怖はないのか、あい! と自分自身に対して肯くと、
「あい! そらのせき」
そう言って駆ける。すると、蒼空が内側に入ったのを確認したシャボン玉自身が意志を持っているが如く、口を閉じた。それと連動して、銀色の剣の刻印を刻んだ円陣が蒼空の足下に出現した。
蒼空を包んでいたシャボン玉が全体に広がった。そして、シャボン玉は、個々を包む膜に分かれる。
「蒼空はその円から出ないで」
「大抵の攻撃はこの膜――ディアシールドが防ぎますから皆さん、安心を」
そのアカエルの淡々とした口調のすぐ後に、円陣から、二本の細いチューブが飛翔した。僕は驚いて目を瞑った。
ちくっとした蚊に刺されたほどの痛みを感じて恐る恐る目を開く。今度は開いた目が閉じられなくなった。驚いた……。自分の肩にそのチューブが深く突き刺さっていた。だが、痛みは継続せず、身体の一部みたいだ。
ネバーの機械部にもチューブは収まっていた。そのチューブの挿入口をアカエルは確認すると、指揮者のように両手を軽やかに舞わせる。
それに合わせて、生命維持に必要とする液体内に透明なキーボートが出現した。それに素早く、アカエルは両手を走らせた。あまりの速さにこちらの目が追いつけない。
「想い人はアカ・エル、陽乃心。双対象人物は陽乃蒼空。白妖精剣、起動します」
「起動、起動、どうして!」
どうやら、アカエルは起動に必要なプログラムをこの短時間で成し遂げ、エンターキーを何度も押すが……起動には至らないらしい。
アカエルには明らかに焦りの色合いが浮かんでいた。手順を口ずさんでいる。その声が徐々に大きくなる。そして、僕はある人物からも聞いた単語を耳にした。
「やはり、感情値が……」
「みみる、お前の言う通り、感情値が足りないと動けないのか……。アカエルさん、感情値って!」
「感情値はこの第六世代の場合は、双対象人物に対して、二人の想い人がどれだけの共有する感情を持っているか……。一体、どれに設定すれば?」
僕はその問いに考えた。蒼空と僕を繋ぐもの、蒼空とアカエルを繋ぐもの。僕は蒼空に異性としての愛を感じている。アカエルはきっと、蒼空に親としての愛を感じている。
どちらも、他者を想う心。ならば、こうも解釈できないか? それは恋愛だと。他人を強く想う。それが恋愛だから。
「恋愛感情値ってありますか?」
「あるけど……それでも、予想される値は……稼働に必要な五万マターには程遠い、三万マター」
「何か、何か、あるはずだ……。考えろ、陽乃心」
だが、どんなに考えても一介の高校生には良い名案は浮かばず……時だけが無情にも過ぎていく。
機体内にある無数のホログラムモニターの群れの一匹が逃げ惑う雛鳥を見つめていた。
僕はどうしても我慢しきれなくなって、アカエルに叫んだ。
「みみるに俺の声を届けて欲しい。みみるの応援しか俺には出来そうにない。くそっぉおおおおぉぉおおおお!」
その叫びと一緒に床を叩いた。だが、叩こうとした手は床の目の前で止まった。決して、自分の意志ではない。
「感情のやり場が見つからなくてごめんなさい。そういう自傷行為は勝手に対象者の脳に命令してチューブ――エンゲージチェーンが防いでしまいます。今、二人に共通した蒼空と共有できそうな感情値を大急ぎで検索してます。回線は開いたから、私を含めたここにいる全員がみみる様と会話ができます」
その言葉は機械的で、全ての思考を指先に導入していた。
本当は自分が一番、父親に愛されているとその答えだけを知りたかった。だけど、どうだ。この様は……。
七歳の時、みみるは自分の開発した最初に父に認めて貰ったエモーショナルエンジンを最大加速させる。だが、第五世代であるエクスカリバーでは宇宙に豆粒のように拡散するランスタイプの敵ユニットに対して攪乱すらできない。それでも、みみるは冷たい微笑を浮かべる。
それはアリクの兵に向けたものではない。少女の感情値の源であるディアシールド内に佇む円らな瞳の雛のぬいぐるみに注がれたものだ。
「お父様が褒めてくれたのじゃ。エクスカリバーは敵がいるほど、強くなる。すなわち、敵を喰らう機体なのじゃ。エクスカリバーに注がれた愛情は全て、我のものじゃ!」
雛の縫いぐるみとは別のディアシールド内にいるみみるの手元には透明なキーボードが浮かんでいた。そのキーボードを素早く、操作する。そして、エンター!
その瞬間、虚空の闇に金色のコウモリが七匹、放たれた。
当然のように敵のランスタイプは逃げ惑う。連隊を組んでいた彼らだが、今や、その機能を失っている。それを群れにはぐれたガゼルを追い回す獅子の如く、牙をその胴体に向けた。
但し、この牙は一閃で相手を絶命させる!
「地球を巻き込むことは許さないのじゃ。アリク連合……偵察部隊! 我らも退く。だから、貴様らも撤退するのじゃ!」
言葉とは裏腹にみみるのエクスカリバーは先端の刃を振り回し、有無を言わさず、逃げ遅れたランスタイプを一網打尽に切り裂いていく。
アリク連合偵察艇 シラメはエクスカリバーに対処するためにランスタイプの他にシールドタイプの機体を出撃させる。
だが、みみるは怯まなかった。
みみるの機体、エクスカリバーの周囲に先程まで敵を攪乱する役に徹していた七匹の忠実なるコウモリが戻ってきていた。
「ほう、その盾で我の聖剣を受け止めたのじゃな」
シールドタイプに易々とエクスカリバーの刃は受け止められる。そのどさくさに紛れてコウモリ達がシールドタイプに貼り付く。
背後にはランスタイプが三機。それはみみるを憎しみ一つで殺すべく、迫っていた。
みみるは口内で楽しげに舌を転がした。まろやかな言葉を詠う。
「頃合いなのじゃ」
いきなり、シールドタイプの駆動音が消えたことを無数にあるホログラムモニターの一つが情報として送ってきたが、みみるは見向きもしない。
シールドタイプと対峙していたエクスカリバーは転身。突撃してくるランスタイプを一降りで払い、柄から素早く、可愛らしい星形の機体が放出される。
「逝け、愚者共。切り刻め、スターカッター」
カッターという言葉が可愛らしくなるくらい、それは神速と呼ぶべき速度でランスタイプの間を往き来して同時に切り刻んでいく。それに対抗しようとランスタイプがスターカッターを貫こうとするが、何せ、小さな的なので当たらない。
残酷にも部品のみになった三機のランスタイプからは無数の血の粒子が浮かんでいた。
それを見届けることはない。スターカッターはさらに転身すると、コウモリ達に感情値を吸われ、空中に漂うのみのゴミを始末した。
「まだ、まだ、みみる様もいけるなのじゃ!」
気を良くした訳ではない。戦況が変わった訳ではない。エクスカリバーを気づいたら、七十機のランスタイプやシールドタイプが囲んでいる。
みみるはその光景に腹を抱えて笑うしかなかった。
だって――
「まんま、と引っ掛かりおって、馬鹿なのじゃ! この勝負、貰ったなのじゃ! エクスカリバー 聖剣分離。注げ、コウモリ、今まで集めたアリクの感情値を」
そう興奮のあまり、荒々しい言葉がみみるの口から溢れた。
同時にエンターキーをみみるの指が激しく、突いた。
エクスカリバーの刃が真っ二つに割れ、そこからは巨大な大砲が出現した。それを観測したアリク兵達はシールドタイプを前列に置く。
「そんなのじゃ、防げないのじゃ。さぁ、一緒に地獄に行くのじゃ! さぁ、旅立ちなのじゃ!」
コウモリ達がエクスカリバーの刃に貼り付くと刃に劇的な変化が訪れた。
大砲から淡い光が集まり、始める。それは一瞬にして、アリク連合の集まる前方を攻撃し、まだエネルギーの奔流は停まらない。さらに左右、後方をも、エクスカリバーは器用に回り、攻撃を加える。
光の奔流――セイントブラスター クラスリミットが収まった時にはエクスカリバーの周囲には大量の塵が舞い上がっていた。
「エクスカリバー、我は勝っても、負けても、なれとはお別れじゃ。本当はなれが嫌いだった。お父様が好きだったのはなれや、エモーショナルエンジン、インフィニティーエモーショナルエンジン……。くっ、くっくくく、ははははは!」
「どれも、戦争の道具なのじゃ。我は結局……愛されなかったのじゃ。あるるはこの事実に気づくのじゃろうか……。どちらにしても、予想外の展開、我は生きておる。地球に帰還して、我は普通の少女として暮らすのじゃ……。それを心は――」
許してくれるじゃろうか?
それは言葉にならなかった。
「な、なんじゃ。あの黒い機体! エクスカリバーよりも……。うぐっあぁ」
塵のカーテンは突如として破られる。その瞬間、みみるは激しい痛みを全身に感じた。
みみるを完全に守るはずだったディアシールドの多重再生が追いつかないスピードで、みみるの全身にナイフの刃ほどの光り物が突き刺さった。
激しく鳴るアラーム音と共にエクスカリバーの凶刃の破片が刺さったことにより、生じた壁の穴は自動的に隔離されていく。
あの一瞬で黒い機体はエクスカリバーの分離した刃の一部を破壊し、反撃が来ないように離脱した。そう、みみるはホログラムモニターに映る存在を見て、分析するしかなかった。まるでスペックが違う……。
塵の壁が完全に晴れた時、その正体に驚愕した……。
「黒妖精剣! 何故、何故……。あれがあそこにあるのじゃ?」
黒妖精剣。かつて、アカエルがみみるに無理矢理、搭乗を命じ、萌え星を一刀両断した機体。だが、かつてとは違い、柄の部分にはドーム型のサブエンジンを搭載していなかった。それでも、黒い羽根がはためく度に寿命が縮まる感覚に襲われる。あの機体に装備されているものを開発者であるみみるは全て、知り尽くしている。また、その改良が行われないよう、厳重なパスワードが掛かっていることを。それは無理な改良により、星を二つ、三つ、呑みこむ感情値臨界現象がエンジンの装甲を破壊しかねないのを防ぐ目的と、単純に弄られたくないだけだ。
「あの形態は、速度を重視したウィングモード。初期とはいえ、さらにインフィニティーエモーショナルエンジン搭載機」
みみるはホログラムモニターに映る地球を見つめる。実に青い星だ。あの中に死んで欲しくない者がいる。その存在、その願いを知らないアリク連合の機体はみみるの大切な人を無意識に殺すだろう。確率はどれほどか、知らないが……みみるにはそれが許せなかった。
みみるは激痛に耐えながら、姿勢を正した。既に自分を守るエクスカリバーの外壁は一部、脆くなったが……自分を包むディアシールドは完全に回復している。
「いける。我はまだ、闘えるのじゃ。闘えるなのじゃ……」
そう、自分に言い聞かせる。それに反対するようにアラーム音はさらにけたたましく、鳴る。
ホログラムモニターの一部に通信を求める宇宙共通語 スワル語が浮かんでいる。
「ボイス通信、要求。良いじゃろう。我を殺す愚か者の声を憶えておいてやるのじゃ……」
「俺は蒼天の槍と呼ばれているアリク連合の貴族 アリス・レオ。スパイ衛星が王機 エクスカリバーを捉えたことがある。お前の機体と同じ型。間違いなく、お前は」
聞いたことのある精悍な声がみみるの耳に届くと妙に笑ってしまう。萌え星植民地戦争以来か。
「ふっふっふふ」
「何が可笑しい。しかし、随分と苦しい声だな、雛みみる。可哀想に先程の攻撃でちょっと、ばっかし、逝きかけたか?」
「そうじゃな……。息……欠けたのじゃ。そのせいか――」
「無謀な戦をしたくなるのじゃ!」
エクスカリバーはみみるの意志に応じて今や、細身となってしまった剣で相手の剣を押さえつけると、そのまま、幸運にも破損を免れた砲弾からセイントブラスター クラスノーマルを打ち込む。奇襲の成功を確信したみみるは手応えの無さに不快感を覚えた。
「甘ぇよ、女王様よぉぉおおお!」
その激しい失望とも読み取れる感情の迸りと共にエクスカリバーの残存していた細い剣は一振りで宙に舞った。エクスカリバーはその猛撃に半回転を強制的に余儀なくされる。
「な、これほど、まで……と」
その直後、セイントブラスターが明後日の方向に放射される。その破壊力は凄まじく、先程の戦闘で出た宇宙のゴミ――デブリを圧倒的な物量が消し去った。
失意にみみるは暮れている暇など、ない。激昂と冷静さを目まぐるしく血液から受け取りつつも、キーボードを素早く奔らせる。
みみるの操作するコウモリ達が一斉に黒妖精剣に襲撃を開始する。だが、それは到達する前に黒い羽根によって生じた無重力の波に押し戻され、コウモリ達のブレーキーが効く前には黒妖精剣はその場にはいない。
再度、現れた瞬間、みみるは操る間もなく、コウモリ全機を失う。その動作に隙があると見たみみるは柄を開き、全てのユニットを発射させる。
ネットを口から吐く龍の形をしたユニット ネットや、それと並列してスターカッターが黒妖精剣を狙う。
両者のスピードが問題にならないとレオの口から詰まらなそうに零れる。それは別の言葉によって。
「やる気でねぇよ、おい。もっと、あるだろう?」
「…………」
「おい! 聞いているのか、お遊戯会に付き合ってる暇はねぇ!」
「…………」
とにかく、やれること、全てを。そう、自分の身体を生暖かく、重くしている流血を眺めつつ、思考した。
その結果、みみるは一つのプログラムをホログラムモニターに表示させる。
第六世代機にはなく、第五世代機にはある切り札。それはインフィニティーエモーショナルエンジンを恐れての有無。
「ちっ、女王、俺はあの星に用がある。大人しく、あの星を俺にくれてやるってんなら今日はこの辺でやめにしよう。俺は急いでるんでな。時間を少し、やる。早く、決めろ! くそっ」
ホログラムモニターには、
生命維持及びディアシールドオフを実行し、敵と思われる機体を選択してください。その後、システム 死の残滓を発動します。尚、発動後には解除できません。
遺言メッセージを登録します。登録後、地球の文化レベルで認識可能な手段でデータ送信します。両動作の実行はエンターキーのみで作動します。
では、最期のひとときを安らかに……。
と長々と台詞が書いてあったが。
「メッセージ……。蒼空と心、思えば約八ヶ月じゃったが……友人のように過ごせて楽しかったのじゃ。心と出逢った冬、あの日はクリスマス イブじゃったか? 宮御びっくりしておったのじゃ。心が裸同然の蒼空を抱えていたから……。ごぼっ。すまぬ、今のは吐血じゃ。時間がないようじゃ。手とり早く、言う。白妖精剣をアカエル、蒼空、心で起動し、偵察隊を消滅させるのじゃ。アリク連合本拠地惑星 アリクに伝わる前に。それがゆ、い……ごほっ」
床にはみみるの吐いた血や涎、嘔吐物が広まっていた。もう、眠りたい……。みみるの本能の願いはその一点のみになっていた。だが、理性はまだ、どん欲に願う。
「そうすれば、地球は宇宙人達にしばらく、干渉されない。じゃが、やがては来る。その時はみみるの後継者、あるると一緒に力を合わせて……ごほっ、げほっ、はぁ、ぐっ、あ、わ。友だちになりたかった……ごほっ……」
言葉を紡ぐのを諦めて、みみるは震える手でエンターキーを……。
その薄れていく意識の中……みみるは銀色の閃光を見た。それは地球から大気圏を軽々、越えて黒妖精剣とエクスカリバーの合間を駆け抜けていく。
その光はとても、強烈で細めた瞳では、そこが天国への入口に思えた。
ああ、でも、自分はそこへは行けない。色々な人々を父に認めて貰いたい一心で、あるるよりも上だと示す虚栄心で殺してしまったのだ。
今のみみるは虚栄心の塊である父からの初めてのプレゼント――雛の縫いぐるみとは同調し切れていない。そのせいか、みみるがエンターキーを押す前にエクスカリバーの生命維持以外の機能は停止した。
時期に死神が自分の首を狩りにくると思うと、みみるは不思議と笑いが零れた。
「よ、き、せ、な、ん、だ……」
「みみる」
自分を呼んでいる声がした。
まさか、あの銀色に輝く光は?
エクスカリバーといえば、アリク連合でも恐れられている宇宙連合の兵器。それをここまで追い詰めたのだ。このチャンスを逃す手はない!
最後はひと思いに串刺しにしてやろうと、残酷な笑みを浮かべる。そうさ、妹をこんな目に合わせたあいつが死ぬにはそれが相応しいと、レオは当然のように思っていた。
感情は冷静。ホログラムモニターも正常。自分の感情値を引き出す妹が昔、髪を結わえていたリボンと自分との同調率も、一番高い値を示す家族に対する愛情に設定してある。
「これで負けるはずがない!」
その言葉を憎悪の終焉の気合いとして、刃に乗せる。目の前の満身創痍の聖剣がそれで木っ端微塵に破壊されるはずだった……。
もう、速度の落ちないゾーンまで来た時だった。
突然、ホログラムモニターの一画面が未確認物体接近警告と表示される。だが、レオは冷静だった。経験上、ただの石ころやデブリだったり……。
「な、なんだ。この威圧感! 誰だ、誰だ……。耳障りな感情値を垂れ流しにする馬鹿は!」
と、レオ自身の驚愕混じりの言葉により、己の油断に気づく。
だが、それは遅かった! いや、知っていたとしても遅い。予期可能でも避けられない。それはそういうものだった。
その銀色の輝きは黒妖精剣の刃を根こそぎ、消滅させて通り過ぎた。宇宙空間に塵一つ残っていない。代わりに通り過ぎたはずの銀色の光が刃を失った黒妖精剣の正面に具現化した。
短時間ワープを試みたのではない?
「圧倒的に早いのか……。何だ、あれは。俺の知る限り、その速度に到達できるのは白妖精剣。クロエルが死に際に呟いていた聖戦のための聖剣か。そんなもの! 俺は妹の為に大量の酸素を持ち帰らねぇといけねぇんだ」
目の前の白い四枚の羽根を羽ばたかせた聖剣――白妖精剣に向かって淡々と吠える。
悠然とそれは黒妖精剣と、その搭乗者 アリス・レオを眺めていた。まるで無機物でも相手にしているように……。
それはレオのプライドを激しく傷つけた。その瞬間、今までの感情値 四万マターから五万マターへと増大する。機体が怒りの詩を、暴君の詩を無機質に奏でた!
「俺は! 俺は……アリク姫を守るセブンガードの一人、蒼天の槍だぁああああああ!」
無駄だと解っていてもレオは折れた剣を振るう。
アリク姫と約束した、姫の友人であり、レオの妹でもあるカノンに適合する酸素を探す旅と三年もの長き惑星偵察の成功を。
僕は動揺した。まだ、闘う気なのか? 黒い羽根を鍔に装着した初期のインフィニティーエモーショナルブレイカーは折れた剣で猛攻を繰り広げる。
「よけるの、せいいっぱい、よち、まにあわない。でも、ともだちはだいじ」
そう、蒼空が決意した瞬間、総感情値数が桁外れに増大する。五十万マター……。
蒼空はアカエルを母親だと知らなかったから、あの設定では数値は安定しなかった。
アカエル、蒼空、僕が共有する感情値は激しく震える蒼空の思いに集約されていく。
それはみみる。初めて蒼空が認めたお友達。みみるの方もそう思っていてほしい。
「アカエル、君も良い人過ぎるよ」
「昔から良い人ですよ。萌え星人 良い人ランキング連続四位ですから」
「それよりも、白妖精剣の最強形態 星崩しの光をそろそろ、解除しましょう」
その声に賛同してか、白妖精剣の装甲が自分の有り余る力に圧迫されて、悲鳴を上げる。
「そうですね、瞬殺白神剣の波動を推進力に使ってここまで来られただけでも、良しとしないと自爆ですね。それに僕は殺したくない」
「ヘタレですが、その意見には賛成です。ホログラムモニターで確認したところ、偵察艇が母艦のようですし、交渉次第では捕虜にできるでしょう」
「捕虜? 手荒なこと……しないよね?」
「それは状況次第ですね」
「そら、そろそろ、くるしい。しーちゃん、はやく、さけきれない」
感情をエンゲージチューブを通して、蒼空に送る役割の僕とアカエルよりも事実上、脳内で操縦している蒼空の負担は大きい。せめて、キーボードを使いこなせれば良かったのだが。
「敵に回線を開いて!」
「はい」
「こちら、宇宙連合所属 白妖精剣 搭乗者 アカエル」
「聞こえてるぜ、聖戦の英雄候補様よぉ」
若い男の声だ。随分と疲弊している印象を受ける。
「いいえ、残念ながら萌え星人です、きっと、貴方が想像する悪魔とは全然、違う可愛い女の子ですよ」
「萌え星人 クロエル……の仲間か?」
疑う男の声に、さらにアカエルが疑いの眼差しでボイス通信とだけ表示されたホログラムモニターを眺める。
「知っているのですか? クロエルを」
「一応、妹を助けてくれた命の恩人だ……。俺はその恩人の仲間に刃を向ける剣を持ち得ていない」
男の声は鋭いものから一気に軟化した。クロエルの評価は男の中ではかなり、上位の方にあるらしい。
「クロエルは今……聞く必要はありませんね……。クロエルお姉様は寿命が尽きて死んだのですね?」
「ああ、あらゆる限りの手を尽くし、助けようとしたんだ! でも、神様には勝てねぇ……」
「その割りには……。我を……ボコ殴りにしおったのじゃ」
と、回線を開いて、勝手に割り込んできたみみるが愚痴を言う。いつもの偉さは翳りを見せ、代わりに少女らしい儚げさがあるような気がする。
「部下もお前にやられて全員、死んだ」
「………」
そう言われると、みみるだけではなく、僕らは黙ることしかできなかった。それを吹き飛ばすようにわざとらしく、陽気な声で男はその沈黙を破る。
「気にするな、戦場ではよくあることだろう。とにかく、そういう事が解った以上、俺は降伏せざるを得ない。只、条件がある?」
「条件?」
「ああ……。妹を助けてほしい。クロエルの仲間ならば、快く承諾してくれるな?」
「妹さんは……」
「酸素アレルギーだ。やっと、適合したのがそこの地球の酸素。特に日本の酸素が良いらしい」
酸素アレルギーという言葉が僕には理解できなかった。すぐにキーボードを使って雛星のネットワークからその情報を拾う。どうやら、空気中の酸素にアレルギー反応を起こし、全身に発疹が現れ、そのため、人よりも極端に疲労しやすい体質になってしまう不治の病らしい。但し、環境を変えることで症状を限りなく、皆無にできるようだ。
「みみる様?」
「頼む、みみる。お願いだ、妹を。頼む」
「われ、にも、いもうとがおる。おなじ、いもうと、持ちのよしみじゃ。我も話せるていどには……生きているのじゃ。許そう」
満身創痍なはずのみみるは嬉しそうに妹という共通キーワードを口にした。
二時間後、アリス家の偵察艇 シラメが地球へと降下を始めた。エクスカリバーと白妖精剣を収容する目的で宇宙に上がったアースガーディアンと共に。
僕はこの事件で知ってしまった。僕たちの人生を変える植民地拡大戦争の断片を。聖戦というキーワードも頭に引っ掛かっていた。それは白妖精剣と関連があるようだ。両方とも、みみるに訪ねたが、
「もう、白妖精剣になれらは搭乗しなくて良いなのじゃ。だから……平和に過ごすのじゃ。蒼空のためにも、なのじゃ」
そう、みみるは言うだけだった。そして、今までの偉そうなみみるに戻って有耶無耶にされた
それから、夏は過ぎ去り、今年の冬、蒼空は僕と蒼空の子である陽乃深白を産んだ。偶然にも蒼空と同じ誕生日、十二月二十四日 クリスマス イブ。
まだ、元気に蒼空も、僕も、深白も。もちろん、みんなも暮らしている。平和は続くと思っていた。
無限に広がる宇宙の雄大さのように……。
でも、それは理想だ。