第二章 分かち合いたい、分かち合えない。(Ⅶ)
暗い空間に潜み、少女は宇宙連合と各国の記念すべき初の非公式会談の開会の挨拶を聞いた。歴史に残る会談の進行が、彼女の胸を締めつける。顎から伝う汗が暗闇に吸い込まれていく……。
「許しませんよ……。絶対に、殺す、殺す。殺す」
今の双嵐朝にはその憎悪しか支えるべきものはなかった。確かに朝の心に優しい日射しを与えるくらい、みみるとの接触は精神安定には重要だった。精神科医がもし、この場にいたとしたら、それを両手を挙げて認めるだろう。そして、それを続けなさいと言うだろう。
だが、もし、精神科医がこの場に……朝の潜んでいるダクトにいるとしたら、引き摺ってでも入院の手続きを取るだろう。
「止めなさい、そんなことをしても無くなった時間は元通りにならないよ」
「お姉ちゃん、もういいから。ちゃんと高校を卒業して幸せになって」
「どうして、どうして、あたしにはもう、これしかないのに」
「そんな顔しないでよ、お母さん、明日」
声はするのに、そこには母や、妹の明日の影さえなかった……。
会談はその場にいる人間達の緊張に包まれていた。ずらりと、国際連盟に加盟している国々のトップがこの為に改装されたロイヤルホールの席にそれぞれ着席していた。勿論、公用語の英語で会議はつつがなく、進行している。国々のトップの視線を一斉に集める形で僕と蒼空、さらにその僕らの背の先にみみるを中心とした宇宙連合の重鎮が着席している。宇宙連合の方々は僕たちと姿形は変わらない。それは宇宙連合が宇宙に散らばった人類を集めたコミュニティーだからだ。そう、最初に宇宙連合で代表を務めるみみるが人類側に説明をした。
その言葉にも驚いたが、彼女らが英語を話していることにも声をあげて、国々のトップは驚嘆した。だが、僕はあまり、英語が得意ではないので不安になった。これでも、米乃国太郎になる前は、陽乃財閥内で家庭教師をつけてありとあらゆる教育を受けたのだが……。それもしかたない、人類側、宇宙人側、双方とも選りすぐりのエリートなのだ。
扉を警護しているスーツ姿の少女――扇に目を向けた。彼女も、きっと、そのエリートの端くれなのだろう。
僕は不安のあまり、用意された天然水を飲む。蒼空もそれに合わせて天然水を飲む。
「では、たった独りの少年と萌え星人に我が、地球の命運を託せと! 日本の双嵐隼人」
野太い野性的な声はその大きなお腹から発せられるのだろうか、シンガポールの大統領 ロラ・シェが不満げに言った。
マレーシア、ニュージランド、アメリカ合衆国からも不満が漏れる。特にアメリカ合衆国は日本と深い関係にあり、基地なんかもあったりする。宇宙人と日本が結託して、アメリカを越える軍事大国になるのでは? という懸念がどうしても彼らにはあるのだろう。それに中国なんかも、日本と決して良い関係ではない。気が気ではないだろう。
僕はそう、分析し、空のグラスを覗き込んだ。
「ああ、そうだよ。みみる地球連合代表が言うには、萌え星人を保護するのはその少年。えーと、陽乃財閥の――」
「米乃国太郎です。朝ちゃんの……双嵐総理」
ダンディーなヒゲをボサボサに生やし、長髪の男性――双嵐隼人はどちらかというと、そのアラブ的な風貌からよく、アラブ人に間違えられる。僕が双嵐家とお付き合いがまだ、あった半年前の記憶が正しければ、おじさんは日本人だ。
そのおじさんは半年前と同じ人の好さそうな笑顔で僕を見つめた後、立ち上がった。そして、各国の代表達に説得する。僕がいつも、貰っているおじさんの励ましの手紙――朝は機嫌を損ねているが、君がめもの死に責任を感じることはない、あれに責任があるんだから。君は君の人生を送りなさい、私はいつでも応援しているよ、の文面通りの大人がそこにはあった。僕はその姿が見られずに……透明なグラスの底を眺めていた。
「米乃国太郎君に彼女を託した方が良い。萌え星人の特性上、始めに見た動物を親と見なすそうだ。親と子を離れ離れにするのは倫理的にどうか、と思うが? ドイツのグテンチーズ」
ドイツのグランチーズ氏ではなく、みみるが応える。
「そうじゃな、我もそれには賛成じゃ。それにの、萌え星人は三年しか生きられないのじゃ。ある特殊能力故にと、仮説を立てる学者もいるのじゃが……。とにかく、こうも、臆病な子じゃ。親が認めた人物と以外、口も開かないのが萌え星人の特性でもあるのじゃ」
その臆病な萌え星人が声も出せず、涙も出せずに泣いている僕の膝の上に乗っかり、視界を塞いでくれた。
ありがとう、先から僕を心配するように、応援するように、見つめる朝の父親の視線が痛かったんだ。そう、僕はその視線で心が瀕死の状態に陥っていた。今は蒼空の黒髪がその熱視線を防いでくれていた。ごめん、ありがとう。
僕のこの場を離れたい気持ちとは裏腹に会談は続く。
「星が滅んだ時も、そうでした。第一級戦艦 ブレイブロードを初めとする戦艦で萌え星人……遺伝上では女性しか産まれないので、彼女たちと言っても差し支えはないでしょう。その彼女を救いに行ったのですが拒絶されました。なんでも、萌え星の外には底なしの穴が広がって、落ちたが最後、そこから抜け出せないという迷信とそれを産み出すとされる深白神様を頂点とする宗教 深白神教が一般的でした。ですから、親である米乃国太郎君が頼りになるでしょう」
僕と蒼空を不利にさせないべく、地球大使の紲がやや早口気味で各国に説明した。それに一早く、反応したのはアメリカの大統領 エル・ミーネだ。エルは僕らと同じ年代のようだ。スーツに着られているという印象だ。
「そうならば、仕方ないですわ。日米和平条約に基づいて、我がアメリカは米乃国太郎君と米乃国蒼空ちゃんの平和な暮らしを保証しましょう」
その小柄な体格からは理解しがたい大声がロイヤルホール全体に響いた。
「いやいや、ことはそれで収まるレベルではありません。どうです、みみる様? この際、公式に宇宙連合と地球の関係を広く、公表し、同時に各国の軍隊で太郎君と蒼空ちゃんを護衛するというのは」
「イタリアのフルセス……。前半は我もいずれはすべきだと思うのじゃ、いずれな。後半は……何を恐れておるのじゃ。よもや、護衛にかこつけて、スパイを送り、我らの真意を探る腹じゃろうか?」
「ふん、宇宙人共が変な事をしたら、石油を初めとしたエネルギー源を日本に輸出全面禁止する処置をとらせていただく。侮るな、宇宙人」
イタリアのフルセスはみみるの言葉に尻込みしてしまったが、OPEC(石油輸出国機構)の加盟国の一国、サウジアラビアのオウセラスト国王がみみるに怒鳴りつける。
「まぁ、まぁ、熱くなるな」
と、ロシアのアルコノフが仲裁に入る。
「そうじゃな、熱くなる理由はない。それにのぉ。我の愛機 エクスカリバーを駆らせるだけでも充分、地球征服できるテクノロジーを宇宙連合は用いておるのじゃ。今更、種も仕掛けもありませんなんて、だまし討ちはしないのじゃ」
「それも、そうですな」
「そうですとも」
と苦虫を噛んだ表情を浮かべた各国の代表達から賛同の声が挙がる。
ようやく、本題に入れそうだ。各国の軍事的な思惑なんてどうでもいいんだよと内心、僕は蚊帳の外で思っていたところだ。
僕の膝がふるふると震えているのに気が付いた。正確にいうと蒼空が地団駄踏んでいる。心無しか、両の頬が桃色に染まっている。
丁度、僕と蒼空の様子を見に近づいてきた扇に小振りながら手を振る。相手は怪訝そうな顔をしたが、蒼空の表情を見てにやりとした。また、この人だけが何か面白いことを考えている。
「扇さん、蒼空が先程からもじもじしてるんですけど……もしかして」
「察しろ、ヘタレ君」
「でも……この会議の最中」
「ああ、注目の的だな」
朝の視線は一人の少女を注視していた。三年しか生きられない少女、陽乃蒼空に。彼女が彼を失ったら、やはり、自分と同じようにどす黒い感情を自分に向けるのだろうか。そう思うと、朝はぞっとした。自分がそれをやろうと思った時はなんて、自分は正しいことをしているのだと甘美にも似た血のシナリオが脳に浸透したというのに……。
そのなんとも苦い迷いを掻き消すように独り言を放つ。
「うちのお父様。話し長いよ」
そう言っても、自分の心に所狭しとやってくる感情――憎悪、迷い、嫌悪、緊張、逃亡、死、恐怖、夢などのキーワードは渋滞を創り出す。それを掻き消すべく、ワッーーーーと思い切り喋りたかった。それは許されない。ここは会談の場の真下なのだ。
「何が宇宙連合治外法権法を成立よ。これで、終わり、終わりなんですよね」
そう、呟いても渋滞は続く。
握った果物のナイフの鞘を捨てた。そこから現れたのは濁りのない銀色の輝きだった。
「蒼空、がんばれ……きっと、これで終わりだ」
僕は蒼空の、主に蒼空の下半身に向けて小さなエールを送る。ここでしーすれば、世界の笑いものだぞ、蒼空。
「あい、そら、がまんする!」
「蒼空! だめ」
その言葉は虚しく、蒼空は僕の言葉に対して過剰なまでのやる気を出した。よく、体育教師、または音楽教師が言う、腹から声を出せとはこういう声のことなのだろう。
僕と蒼空のやり取りに各国のトップや、宇宙連合の方々がざっと、一斉にこちらを向く。まるで、敵兵を発見したやり手のスナイパーの目のようだ。怖い……。
蒼空も恐怖を感じたのか、ちょっと、僕の両膝が湿る。
その異様な空間を破ったのが、商店街の気前の良いおっさんの如き馬鹿笑いだった。その人は腹を抱えて笑っていた。とても、この国の代表とは思えない。
「はっはは、変わらないな、米乃国君は」
「やっぱり、隼人さんは気づいて……いたんですね」
そう言えば、昔の僕と朝の構図に似ていたものな。双嵐隼人が蒼空の様子に気が付いても当然だ。昔の娘と同じ状態だったのだから。
「レディをエスコートしなさい」
「あ、はい」
辛くも双嵐隼人の機転で僕は蒼空の右手を引いて、扉に向かおうと歩き出した。
背後からは暖かい笑い声が聞こえる。人格者達が集まっていて良かったと僕はため息を吐いたが……
……急に痛みを感じた。
重い音が僕の右側から聞こえる。なんだと思った瞬間、赤く染まった右腕と、懐かしい顔をそこに見た。
僕の瞳孔は開く限りまで開かれる。
スーツ姿の女性はポニーテールを鞭のように翻らせながら、瞳には迷いの光もなく、トドメの一撃を僕に加えるべく、腰を落とす。握り締めた真っ赤な果物ナイフは僕の肺に焦点を充てている。
苦しんで死ねってこと? それが君の天国から受けてきた答えならば――
「朝、やめるのじゃ!」
「お願い、止めて、私の息子に……」
「諸刃の刃において命じる。来い、フランジュベルグ」
「止めろ、そんな事をしても! めもは生き返らない!」
みんな、御免……受け入れる。
スローモーションに見える。死にたくないから、避けろって脳が命令しているのか?
でも、却下だ。楽しい人形(米乃国太郎)劇はここで終わりにしなきゃ彼女にだけはその権利がある。
朝の身体が一度、後方に飛び、素早く助走を付ける、僕を確実に苦しめるべく。
僕の右手から温もりが消えた。
「だめ、しーちゃん、だいじ」
必死の形相で蒼空はそのナイフを両手で包んだ。
「蒼空、なんで……」
ナイフが僕の肺に刺さるって解ったの?
驚愕のまま、動けない僕を尻目に銀色の光沢は、赤く鈍っていく。僕はそれが床に赤い点々をつける瞬間を見続けているだけで何もできない。
いや、あっ、と情けない声は出た気がした……。
蒼空の能力の意外なほど、早い開花に母親であるアカエルは絶句していた。自分がやらねばならないこの事態への考察をできずに、にゃんの瞳から覗く娘の血によって現実へと引き戻される。
その瞬間、自分の手に痛みを感じた。確認しても勿論、そこには傷一つない。試験管の周囲にある液体が瞬時にアカエルの傷を治すからなのか、お肌が常にすべすべだ。
「萌え星人の先読み能力……蒼空が? でしたら……」
「フランジュベルグの出撃は却下。同じ理由でエクスカリバーの出撃も却下。エデンはそのまま、待機します」
にゃんの脳を少し、借りて、蒼空の素晴らしい真剣白羽取りにひゅーと慣れない口笛で驚いている仕草を表現する扇にそう伝えた。
双嵐隼人総理大臣は自分の娘にただ……
「馬鹿なことは良しなさい。まだ、朝と心君は婚約者なんだよ。こじれたあれ、これが解ければ、前みたいに君たちは――」
「うるさいよ、お父様」
と娘に翻弄されているだけだ。
「蒼空は大丈夫だ。確か、双嵐隼人総理は元医者だしな」
楽観的な言葉が扇から飛び出た。確かに……宇宙連合側としては無闇に武力を示して相手方を怖がらせるというのも外交上、問題がある。
特に白妖精剣は地球でいう核レベルのヤバさの代物を積んでいる。
「インフィニティーエモーショナルエンジンによる瞬殺白神剣……。あ、搭乗者が足りない……」
「馬鹿になりました、アカエルさん? それ以前にそんなん、使ったら制御不能で星が崩壊する……。現実的にはエクスカリバーの拘束機が妥当だろう。でもな、過去はあいつがケジメをつけるべきなんだよ」
そう言った扇も、アカエルも、まだ、蒼空任せのどうしようもないヘタレに静かなエールを送る。言葉にも、動作にも表れないが今、彼らができるのはそれだけだ。
「馬鹿! あなた、なんで?」
無数の唾が怨念の籠もった言葉と一緒に蒼空の黒髪に飛散した。それだけでも、怖いのに、
「そら、ゆるさない。しーちゃん、そらのぱぱ」
いつもの蒼空の幼い日本語なのに気迫が一音、一音、籠もっていた。それは大切なオモチャを取られないように意固地になって、抱いている小さな女の子のそれに似ている。
可哀想に、蒼空の左手薬指に光る指輪が赤く、染まっている。
可哀想に? 僕は何を言っているんだ。そう言える資格があるのは、蒼空を一秒でも、早く、朝から離し、自分で決着をつける男だけだ。
両足がガクガク、震えている。最低だ、僕。
「え? そうか……」
朝はその指輪を眺めて、すっーと俯いた。そして、僕をこの世のありとあらゆる憎悪を纏めた眼差しで敵視した。その瞳を蒼空に向けて、突然、蒼空からナイフを離す。
すかさず、僕は蒼空と朝の間に入る。だが、事態は余計に悪化した。
白い喉に自ら、朝が突き立てる仕草をする。少し皮膚に刺さり、鮮やかな血が肌を汚す。
「でもね、あたしは殺されたんだよ、ママをぉおおお。返せよ、陽乃心。妹をぉおおおお! ねぇ、返せよ、陽乃心。こんなとこで子育てごっこなんて……」
そう言った次の瞬間、全く予想できない速さで僕の心臓を突き刺そうとする。今度こそ、覚悟を決めよう。だが、そんな決意の前に蒼空の手刀がナイフを落とした。それがまるでナイフの軌道がそこに来ると解っていて、待っている感じでやってのけたのだ。
ナイフを落とした反動で朝はよろめき、床に両手をつく。
それでも悔しさのあまり、朝は顔を真っ赤にして吠える。爪の暴力が床に悲鳴をもたらしていた。
「お前! どこまで、あたしの心を弄ぶんですか!」
「僕はそんなつもりじゃない。朝が僕の命を欲しいっていうのなら償いの為に差し出す」
「ふざけんなよ、どこまで良い子、なんですか!」
ポケットから、バタフライナイフを取りだし、わざと僕に刃先を見せびらかす。もう、朝の瞳は新手の呪術に掛かったように焦点がない。
バタフライナイフを朝が軽く振ろうと動作したのと、同時に蒼空が握り締める。蒼空も怒りのあまり、顔を火照らせていた。
僕はただ、その光景を見て後悔していた。
半年前を。そう、半年前の冬の一番、小雪だった日。入試の一週間前のことだった。
どうやら、二人とも裏世高校に合格できそうなラインまでは到達した。そのことに気分を良くした僕は珍しく、朝のパシリを申し出た。
道路中央をスキップで歩く中学三年生なんて、補導されても仕方のない怪しさだ。だが、そんなのは気にならず、大袈裟に食材――浅漬けの材料や卵、食パン、スナック菓子の入ったビニール袋を観覧車の如く、回していた。これに人が乗っていたら何人も殺しているなぁ、と浮き浮きしている僕を、未来の僕は本当の大馬鹿野郎だ! と何度も叫んだことか!
「朝、疲れてんだろうなぁ。あいつ、徹夜って弱いし、浅漬けでも作ってやるか。朝なだけになぁ」
「うぁへぇ、やばっ」
気持ちの悪い笑い声だ、面白くもない。とうとう、勉強のし過ぎで頭のデータがクラッシュしたか? なんて考える余韻があったのならば、ちゃんと歩道に戻れば良かったんだ。
未来の僕は拳を握り締め、脳内で再生される思い出に歩道! 歩道だ、馬鹿! この馬鹿! と叫び続けていた。
だが、結末をしていると、呆気ないものだ。
僕の目の前に目が潰れると思うほどの自動車の放つ光量が近づいてきて、急に慌ただしい音がタイヤから溢れ、僕を避けて、ガードレールに激しく激突した。
しんと静まりかえった夜のとばりを鬱陶しく、感じるくらい、衝撃で凹んだ扉が開かなくて四苦八苦した。
そんなことしても、無駄だった。ただ、開かず、僕は無力に頭と口から血を流した意識のない朝の母親 双嵐めもを眺めるしかなかった……。
数分後、巡回中の自転車に乗った警官が通るまで、心の中で自分じゃない、と連呼した。
本当に情けない。
だから、現在……そう罵られても仕方なかった。
「いつまで、あたしのナイフ握ってるんですか、退け」
だけど、そんな僕を蒼空は守ろうと必死にナイフに食らいつく。
「あいぃ、いたい、いたい! いたい! いたい! いたい!」
「蒼空、もう良いよ」
蒼空の肩に優しく手を置いた。
蒼空はそれでも、首を縦には振らない。長い髪が横に撓る。
僕は諦めて朝を直視する。
「そうだ、それも僕の罪だ。僕は弱かった。すぐに携帯を使って通報する勇気が持ってなかった……」
「そう、あんたのせいで、お母様は」
手術中を示す赤いランプが光っている。その光景を僕は夢心地に眺めていた。冷たいソファに腰掛けて、必死にだってしょうがないじゃないか、起こりえないことが起こったんだから、と必死に言い訳、都合の良い救いを天井に探していた。
あるわけない。ただ、蛍光灯が微かな音を立てて輝いているだけだ。他はたまに、通る看護士のシューズの音くらいなものだ。
この世界が終わったような寂れた光景さえ終わりは来る。でも、来て欲しくなかった。
医者が一人で申し訳なさそうに出てきたからだ。
そして、彼が全ての命を司る神様のように厳かに伝える。神様は白いマスクを手術着のポケットにねじ込んだ。まるで不幸の言葉を発する踏ん切りをつけるように。
「我も最善を尽くしましたが、母子共に死亡を確認しました。時刻は……十月十日 午前六時三十分でした……」
「先生、ありがとうございます」
暗い表情と無理に絞り出した声は両者とも同じだった。
そんな僕らのお辞儀が終わったところに朝がパジャマのまま、駆けつけてきた。履き物が三年二組とネーミングされた上履きだった。
朝のお父さんにも病院側が連絡してくれたのだが、総理大臣である双嵐隼人は頻繁に関東で起こる地震についての緊急対策会を纏める仕事があった。関東大震災クラスの地震が遠くない将来あると言われて育った身としてはそれは仕方がないように感じた。
「お母様は?」
粘ついた声が僕を責めている。実際に僕は壁際まで追い込まれていた。
医師は既に役目は果たしたとばかりにこの場にはいなかった。医師にとって、それは日常。でも、僕らは瞳さえ、交わし合えなかった。
「朝ちゃん、ごめんね。僕が君の……お母さん、めもさんを……ころ……したんだ。僕が車道の真ん中を呑気に……歩いていなければ……。ガードレールに激突することは……」
「そう……あんたが代わりに死ねば良かったんだ」
始め、朝はそう、自分の理性で言った。震える肩は暴力の衝動で今、思えば震えていたのだろう。当時は廊下の寒さのせいか、それとも母と妹を失った悲しみだと漠然と思っていた。
かっと朝の黒い虹彩が開いた!
それに驚く間も無く、僕は激しく、壁に頭をぶつけていた。後頭部を抑えながら、彼女の新しい一面に僕は恐怖で動けなかった。
「あんたが! うわぁあああああ」
朝の感情の吐露が彼女の汗臭い匂いと一緒に僕を苦しめた。彼女という存在の檻が僕の目の前に今、まさに構築したのだ。
その騒ぎに気付いた通りがかりのベテラン風のおばあちゃん看護士が朝の右手を押さえた。朝は僕を力一杯殴ろうとしていた。そういう体勢だった。
「止めなさい、ここは病院ですよ」
衰えの見える看護士の声にこれなら、と思ったのか、朝は獣じみた言葉と一緒に看護士の手を振り切った。
「そんなの知るかぁ! 死ね、陽乃心!」
そう叫んで、一発目で倒れた僕の全身に馬乗りになり、朝は僕の全身に醜い青アザを造り、噛み傷を首筋に造り、最後に泣きながら、僕にくちづけをした。
その意味を僕は結局、今も解らない。
だけど、今、すべきことなら僕は解る。
未だに朝のバタフライナイフが暴れないよう、持っていた蒼空の両脇に手を添えて僕は蒼空を思いっきり、くすぐった。
蒼空は爆笑しながら、それでも、
「そらのすきなしーちゃん、ころされる」
と歪だけども、ちゃんとした日本語を喋った。こんな時にこの子はまた、一段、大人道に一歩進んだ。
バタフライナイフが朝の制御下に完全に戻った。
嬉しかったけど、ここでお別れだと僕は笑い、蒼空は泣き、朝も泣いていた。
だけど、ナイフは……。
ナイフを握る蒼空を観ていたみみるはもう、我慢の限界が来ていた。にゃんを抱っこすると、その猫に向かって厳しい言葉を投げかける。
「エデン、ブレインウェーブ撒布オフ。エクスカリバー 対人攻撃機発射なのじゃ。この状況を打開するのじゃ」
その言葉と共に、蒼空と朝、心に注目していたこのロイヤルホールに集まる人間に気づかれず、エデンは静かに姿を現した。その姿は不死鳥のようだった。
その不死鳥の嘴から、一対の輝く剣が放出された。但し、戦闘機程の大きさだ。そのエクスカリバーの柄が二つに割れて、そこからみみる達、宇宙連合の言うところの拘束機が表れた。もし、心が日常でこれを観たらただのペリカンだろう! とツッコミを入れるだろう。
しかし、そのペリカン 八匹の嘴からプラズマが発射された。
そのプラズマが見事、邪魔な窓硝子を大破させた。
バタフライナイフは突如、侵入してきた強風に翻弄されて、持ち主の手から離れて絨毯に落ちた。代わりに同じく突風で前のめりに倒れそうな僕の背中に硝子で構築されたナイフが刺さった。
「はっ」
僕の最後には相応しい断末魔の声が腹から漏れている? 少なくともそれは僕の声ではなく、朝の昔……僕が指を包丁で切った時の声に似ている。
さすが、地上五十階。それだけに息がままならない。
背中にある激痛でどうすれば、良いのか? 次、取るべき行動が浮かばない。スランプの作家さまのように。
「おい、馬鹿みみる! この状況を打開だ? みろ、私の、私の……」と慟哭する先輩。
やだな。貴重な顔をしているだろうに。景色が霞んでいる。
「くっくっ、なんか……」
おかしい。青い色が床、一面に広がっている。
「あい、あい! しーちゃん」と蒼空の悲哀の叫び。遠ざかっていく。
麻痺しているのだろう、僕の両足は床を舐めている感覚を覚えていない。
「いやぁあああああ、心君」とこれは、宮御紲叔母さんの声。
最後くらい、母さんだって言ってあげれば良かったね、と僕は心にもないことを噛み締め、地面に向かって落ちていく。
「頑張るんだ!」
朝の父さん? 何を頑張れって。無茶な要求に僕は苛立った。
「頑張るんだ! 朝!」
「え!」
太腿に何かが巻き付いた。この懐かしい冷たさを知っている。けど、この冷たさは双嵐朝の暖かい心を冷やす冷却装置みたいなものだ。だから、僕は困惑した。その困惑が身体に伝わり、余計に左右に揺れる。
「死なせない、死なせない、死なせない。心君、足を離したら、いつものようにお買い物に付き合ってもらいます。しかも……」
言葉を切って僕の重みに堪えるように、朝は叫んだ。
「しかも、私の下着選び!」
その声に呼応するように僕の身体は持ち上がり始める。視界がやっと、ロイヤルホール内の会場に戻る。蒼空が必死に朝の胴体を支えていた。
「ああ、朝ちゃんのスーツ、血まみれだ」
「いいんです。謝るべきは私です、ごめんなさい、蒼空」
「ゆるさない」
「そうですね、私は今が許せなかっただけなんですよ、きっと。心君は前に進んでいる」
僕を引き上げた後、素直に蒼空に謝罪したが、朝を蒼空は許そうとしなかった。だからなのだろう、表情に翳りのある少女は両腕を組んで寒そうにしている。
今にも凍えそうなのだろう、心が。そして、やがて、死んでしまう。
だから、僕は言おうとした。
「違うよ、僕も――」
朝と同じだ。死んだ? いや、死んだふりの上手なだけの米乃国太郎だ。
そういう心の吐露を僕は吐けなかった。代わりに朝が吐いたのだ、それはもう、豪快に涙を流しながら……。
豪奢な絨毯に散らばった硝子の破片達はその落ちてくるにわか雨に襲われる。
「解ってはいたんです。でも、ずっと、心のモヤモヤをぶつけようがなかったんです。お母様の事故は――」
朝は大きく、息を吸い込む。そのモヤモヤを振り切れないのに無理している。
「お母様が定められた速度以上に車を飛ばしていたのが原因なんですから。心君を恨む理由なんて、なんて……」
そこで彼女は堪えきれなくなった。昔、僕がいじめっ子にコテンパンにされ、朝に慰めてもらったように、朝は僕の肩をすっぽりと包み込んで人の言葉にならない声で喚いた。
僕だけには解っていた。
いや、蒼空にも解っているようだ。少し背のびして、朝の髪を優しく撫でている。
それは蒼空なりの許してやるよ、っていう寛大な心の表れなのだろう。
奇しくもこの出来事が宇宙人ってふざけた存在がいることを世に知らしめた。
それを知ったのは、ベッドの上で新聞を開いた時だった。
何故って? これから僕は出血し過ぎた痛みと吐き気に堪えきれず、脳が勝手に僕という名のゲームを強制セーブして、テレビの電源を切ったからだ。
ただ、不思議と蒼空? に似た声を聞いた。すぐでは無かったとは思うのだが……。
「ごめんなさい、まだ、彼の存在を知らない星の方を巻き込んでしまって」
何だ? それは……。
「蒼空と貴方の絆がやがて……」
蒼空? の癖に習い立ての外国人の如き、日本語ではない。
「夢か……」
「そうです、これは覚めない悪い、悪い夢の始まり」
そして、静けさが戻り、確か、蒼空と朝、扇が、誰が一番、僕を調教できるか? という内容の凄いマニアックな夢を見たような気がする。
高校生はこれでなければ、いけないな……。