マラソンの日
「皆さん、おはようございます。今日は快晴に恵まれて、絶好の運動日和となりました。皆さん怪我をしないよう、注意しながら精一杯頑張りましょう」
衝撃(笑)の告白から一夜あけた二月二日。今日は全学年による大マラソン大会の日で、みんな校庭に集まった
壇上で生徒達に挨拶をしているのは、この学校の生徒会長でである、まよい姉さん
堂々と挨拶を終えた姉さんに、生徒や先生方が拍手を送る。僕のクラスメートの何人かも、陶酔した眼で姉さんの姿を追っていた
「はぁ……。いつ見ても美人だな、白波瀬先輩は」
「この前、間近で見たんだけど顔超ちっちぇのな」
そんな会話が近くで聞こえ、少し気まずくなってしまう
「あ〜あんなんと付き合いてぇ〜。身体もエロいし、マジ最高だろ」
「お前じゃ無理だろ。もう何人も撃沈してるらしいし、美咲怖いし」
「美咲は関係ないだろ、っては言えないわな……」
美咲さんは僕と同学年で、生徒会の書記を務めている
彼女は姉さんに憧れていて、いつも姉さんの側に居る印象の人。本人は特別怖いって感じじゃないけれど、お兄さんが凄く怖い人らしい
なんでも、このへんを走る幾つかの暴走族を一人で壊滅させたとか、瓦を小指で50枚割ったとか界王拳が使えるとかなんとか
どこまでが本当か分からないけれど、みんなからは北高の虎と呼ばれて恐れられているのは事実
「それじゃ、スタート地点に行くぞ〜」
準備が整ったのか、担任である小川先生が僕達をスタート地点へ誘導した
「一組から順に30秒遅れで走るからな。うちは3番目だから、ゴールしたらタイム係に時間を聞いて、60秒引け〜」
一周が約1500メートルもある校庭。凄く広いけれど、さすがに全生徒277名が一斉に走るのは無理なので、こういう形をとっている
因み男子は4周、女子は2周。倍ってのは不平等な気がするね
「よ〜い……スタート!」
体育の村山先生の掛け声で、走る一組の生徒達
最初から飛ばす人もいれば、ペースを考えてゆったり走っている人もいる。他にはやる気がなさそうな人や、苦しそうに肩で息をする人もいた。十人十色だ
そんな人達を眺めている内に二組がスタートし、次は僕達の番となる
運動は苦手なんだよね。嫌々ながらもスタート地点に立ち、ため息をつく
「頑張れ、さとる〜!」
どこかから姉さんの声が聞こえてきた。恥ずかしいな
「たくさん頑張ったら、いっぱいご褒美あげるねっ!」
そういう事を人前で言うから僕は、クラスや学校中の男達からいわれの無い怨みを買うんだっての
「…………はぁ」
ほどほどには頑張るけれどさ
「スタート!」
合図があり、僕らは走り出す。僕のペースは、みんなの真ん中あたり。クラスで10位以内に入れればそれでいい
「悟、一緒に走ろうぜ」
「いいけど遅いよ?」
声を掛けて来たのはサッカー部の山口 裕太。クラス内で一、二を争う俊足の持ち主だ
「いいって、いいって。こんなもんにムキになる必要ないから。それに……」
子供っぽい笑顔を僕に向け、そのあと
「まよいさんも見てくれるし」
と、恥ずかしそうに言った
「じゃあ一緒に」
「ああ!」
裕太は中学校の頃からの友達なので、気を使う必要がない。僕は自分のペースを守りながら黙々と走り続ける
1周目が終わり、肩で息をする人がちらほらと出てきた。このまま速度を落とさずに行けば、目標の順位は堅そうだ
「……まよいさんさ」
「うん?」
「少し髪切った?」
「よく分かったね」
昨日、姉さんは僕にフラれたからと、泣き真似をしながら後ろ髪を切った。とは言っても1センチないぐらいで、長さを揃えただけとも言える
「なんとなくな。いつも綺麗にしてるから、分かった」
「そっか」
姉さんの髪は、腰まで伸ばしたストレート。整えるのに毎朝一時間も掛けてるから、大変だとは思う
「それ姉さんに言ってあげたら? 姉さん髪大切にしているから、些細な変化を気付いてくれたら喜ぶよ」
「俺が言っても喜ばないって。大丈夫、届かないってのは分かってるから」
寂しげに笑って、裕太は僕の先を走って行った
それから一人で淡々と走り続けて、息が苦しくなった頃に4周が終わる。タイムを聞いたあと、ゴール付近で先生からもらった順位札には7の数字が書かれていた
「おつかれ」
先にゴールしていた裕太が、僕に缶を投げてニカっと笑う。慌て受け取り、缶を見てみると、お汁粉の文字が
「……これしかなかったの?」
「んにゃ、いっぱいあるよ。だけどこれが一番うまいし」
そう言ってグイッと飲むのは確かにお汁粉だ
「冷えたお汁粉は、僕の中にはない」
温めた炭酸飲料ぐらい、ない
「そうか? 交換してきてやろうか?」
「自分で行くよ、ありがとう」
「うまいんだけどなぁ」
首を傾げる裕太を置いて、僕はクーラーボックスが置いてあるテントの方へ向かう
校庭の端に設営されたテントには生徒会役員と先生方が待機していて、走り終わった生徒達にジュースを渡してくれる。だけど困った、凄く混んでいて熱気が暑そう
「……ふぅ」
お汁粉でもいいか。そう諦めかけた時、首筋が急にゾクッと冷たくなった
「うわ!? な、なに……姉さん?」
振り返ると姉さんが笑顔で立っていて、その右手には僕の首に押し付けたのだろう、缶ジュースが握られていた
「おつかれさま、るんくん。よく頑張ったね」
「人前で、るんは止めて下さい」
本当は人前じゃなくても嫌だけれど、姉さんは絶対に直そうとしない
「ごめん、悟。はいオカエリヤス」
差し出されたスポーツ飲料を受け取ると、缶についた水滴が指を伝って肘まで流れた。冷たくて気持ちいい
「どうして?」
「裕ちゃんが君の分もちょうだいって、お汁粉二本受け取ってたから。悟の中に冷たいお汁粉はないでしょう?」
「え、ええ、まぁ」
「だからこっそり仕事を抜け出して、君を待っていました。そんな姉を褒めてあげて下さい」
「褒めたらいけないような気がしますが……ありがとう、姉さん」
「うん!」
褒めた訳じゃないのだけれど、それでも姉さんは満足したらしく、嬉しそうに頷いた
「……って、飲み口に何かついてますけど?」
そう、これはまるでリップのような……
「ぴーぴぴー」
視線を逸らし、急に下手くそな口笛を吹き始めた
「……姉さん」
「か、間接キスなんて狙ってないから!」
「バカ」
「一言!?」
「……まぁ、いいです」
拭けばいいだけだし
「それより姉さん」
「は、はい」
「仕事に戻って下さい。生徒会の方が呼んでますよ?」
あちこちで会長を呼ぶ声が聞こえる
「……はーい」
姉さんはもの凄く不満そうに返事をし、
「じゃあね」
とても下手くそなウィンクをして、テントへ戻って行った
カシュっ
「……うん」
よく冷えている