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【トトの実のデザート】


宿屋の部屋で、リオは下準備をしていた。

時間がかかるため、シグには風呂を勧めてある。


トトの実の茎と種を外す。新鮮な実は皮がむきづらいが、その中からほんのり透けた薄桃色の果肉が現れる。

小さな鍋に敷き詰め、シロップを少し回しかける。蓋をしてじんわりと熱を入れていく。


次第に部屋の中に、トトの実の爽やかな甘さが漂ってくる。

小鍋の中の水分がとろりとまとまれば、完成だ。


シグが風呂を終えて部屋に戻ってくる。

まだ水滴の残る髪を、首からかけたタオルで雑に拭いていた。


「あ、おかえり。さっきできたとこだぜ」

「……おう」


リオは、まだほんのり温かいトトの実を小さな器に盛り、スプーンを添えてシグに差し出した。


「はい、お待ちどおさん。本当は冷やして食べると美味いんだけど、出来立てだし勘弁してくれよ」


軽く微笑んだリオは、小鍋の中身を冷ますように蓋を少し開けたまま、部屋の出口へ向かう。


「俺も風呂行ってくるわ!ゆっくり食ってて」


片手をあげるシグに見送られ、リオは部屋を出ていった。


部屋に残されたシグは、差し出された器を無言で手に取った。甘い香りが湯気に混じり、まだ少し残る湿気の中にほんのりと漂っている。

器の中で、薄桃色のトトの実が艶めきながら揺れていた。


スプーンですくい、ひと口。

温かさの残る果実は柔らかく、噛むとじゅわりと甘酸っぱい果汁が広がる。甘すぎず、後味にほんのわずかな酸味が残って――自然と目を細めていた。


……これは、出来立てでも悪くない。

いや、それどころか、“お前のために作った”という気配が、温もりと一緒に舌の奥へ届く気がした。


窓の外では、夜の帳がすっかり降りている。街の喧騒は遠のき、宿の廊下も静かだ。


器にスプーンが触れる音が、小さく鳴る。中身が、少しずつ減っていく。

シグは時折、扉のほうへ視線を向けていた。リオが戻ってくる気配はまだない。


そのくせ、妙に器の中身をゆっくり味わっていた。

まるで――もうひと口、もうひと匙のあいだだけ、この時間を取っておきたいとでも言うように。




リオが風呂を終えて部屋に戻ると、シグは目を閉じて静かに息をしていた。

その巨体にもたれかかられた椅子は、普通のサイズなのにも関わらず、だいぶ小さく見える。

思わず足取りも小さくなる。


森の中で周囲に目を光らせ、怪しい野草からリオを遠ざけ、帰りも迷わないように先導してくれた彼も、こうして気を抜く時があるのだ。


「……」


静かな動作で食べ終わった食器を片付け、冷めたトトの実を瓶に詰めていく。


洗い物をするのに下の厨房を借りよう。

でもその前に、シグを部屋に帰したほうがいい。


リオは静かに歩み寄り、少し屈んでシグの肩を揺すった。


「シグ、起きろよ。風邪ひくぞ」


肩に触れた手の温もりに、シグはゆっくりと金の瞳を開いた。

起こされる前にうっすらと気配は感じていたのか、驚く様子もなく、ただ目を細める。


「……寝てねぇ」


かすれた声で、そんな強がりを呟く。

けれど、その声はやけに低く、眠気が抜けきっていないのは明らかだった。


髪はすでに乾きかけていて、首のタオルは少しずり落ちている。

そんな姿を見て、リオは肩をすくめながらもどこか嬉しそうに口元を緩めた。


小さな器に残っていたスプーンが、リオの片付けた手の中で軽く音を立てる。

その音にシグがちらと視線を落とす。


「……うまかった」


ぽつりと、そう呟いた。

その一言に、リオは「だろ?」とでも言いたげな笑みを浮かべる。

今にも次の言葉を返しそうだったが、すんでのところで口を閉じた。

代わりに小さく息を吐いて、再び静かな声で――


「寝るならベッドにしろよ」


そう言って、そっと椅子の背に手を添えた。

あくまで“自分で立て”と言わんばかりの、控えめな優しさだった。


シグは部屋に戻るため、リオは洗い物をするために、部屋を出た。


歩くたび、リオの手の中、小鍋と食器がカチャカチャと音を鳴らす。

しんと静まった廊下は、一階と繋がっている酒場からのかすかな喧騒に包まれている。


「じゃ、おやすみな。明日もよろしく、シグ」


シグの部屋の前、リオが立ち止まり、小声でそう笑った。

シグは無言で頷いた。その一度きりの動きに、静かだが確かな気配が宿っている。

明日も同じように、また共にある。

それがどこか、くすぐったかった。


リオの声に振り返ることもなく、扉の前に立ったまま、しばしその背を感じていた。

ふいに、その背が離れる音がする。


階段へ向かうリオの足音。

軽く、規則正しく、少しだけ浮かれているようなリズム。


「……おやすみ、リオ」


声に出したのは、彼の背が完全に見えなくなった後だった。


たくさんの人にそう呼ばれていた。

自分の名前も、――たくさん呼ばれた。


「おい」「お前」では釣り合いが取れないと、少し思ったが――それを口にしてしまえば、彼の存在を自分の中に、確立させてしまいそうだった。


けれど口にした名前は、驚くほどスッと自分自身に浸透した。

自分の中に、他人の居場所を作るという違和感。


誰に聞かせるでもない、ただそこに置いた一言。


明日も同じように――そう思えることが、こんなにも心に灯をともすとは、思ってもいなかった。


シグは静かに扉を開け、自室へと入っていった。






――翌日、朝。


ギルドの緊急会議室には、冒険者たちとギルドの書記官、受付嬢が、緊迫した面持ちで顔を突き合わせていた。

盾、剣、杖が噛みあうようなエンブレムが壁に掲げられている。

それは、己の実力こそがすべてのこの業界の、確固たるシンボルでもあった。


巨大な一枚板の机の上、出された紅茶には、誰一人手を付けていない。


「報告します――」


沈黙を破って声を上げたのは、受付嬢だった。


「数日前、血風(けっぷう)のエルラント――、シグ・エルラントが街へやってきたことは、皆さんご承知かと思います」


面々が、重々しく頷く。


「傍らにはリオ・ヴァレン――。噂によると、怪我をして動けなくなったシグ氏を助けたとのこと。こちら証言は……」

「はい」


手を挙げたのは、回復術師の冒険者だった。


「自分は治療院でボランティアをしております。”血風”は酷い怪我を負っておりましたが応急処置がされており、自分が治療魔法を施しました。問題は――」


回復術師が一拍置く。長く、長くもったいぶって。


「恐らくリオ・ヴァレン氏が応急手当を施したものと思われます――」


「おお」「なんと」「それは」と集っていた面々がにわかにさざめく。

カリカリと、その証言を、書記官が書板に記入していく。


「そして、血風はその後――」


またも回復術師がもったいぶった。会議室に緊張が走る。


「――必要なくなった包帯を、丁寧に持ち帰っておりましたっ――!」


皆が天を仰いだ。語彙を消失している。


彼ら冒険者の中で囁かれてきた”血風”といえば、孤高の狼で、戦場でも誰にも背中を預けず、単騎で敵を殲滅していく。

――そんな存在だった。だからこそ。


「……あてられたのか、あの太陽に……」

「ああ……真っ向から食らってしまったんだろう、あの笑顔を……」


リオの破壊力に、恐らく孤高が瓦解したのだと、容易に理解できた。


彼らはリオとシグを観測する、”(プレート)隊”。

その波は、水面下で、だが確かに広まりつつあった。


「……それでは次の議題に移ります」


紅茶すら冷えたまま、誰かの震える声が空気を断ち切った。

資料を手に立ち上がったのは、情報収集を担うギルド書記官。

その顔色は決して悪くないが、どこか呆けたような目をしていた。


「こちらをご覧ください」


広げられたのは、一枚の絵。

リオ・ヴァレンとシグ・エルラントが並び立つ、“街中での姿”のスケッチだった。

通りすがりの商人が偶然描き留めていたものを、情報班が入手したという。


「リオ氏は、明るく、まるで通りの子供たちにでも手を振るかのような仕草。シグ氏は……見よ、この無表情!」


がたっ、と誰かが立ち上がる。


「しかし!その無表情が、もはやリオ殿の笑顔を受け止めるためにあるようにしか見えん……!」

「無表情が!喜びの擬態に見えるとは……!」

「擬態とか言うな!血風に感情はある!我々の観測によって確認された!」

「というかこの距離感を見ろ!この絶妙な!”他人に踏み込ませない空気”を纏う血風が!!街中でリオ氏の横に立っている!!!」

「ちょっと待ってくれ!プレート隊はまだ創設から三日だぞ!?進捗が早すぎる!」


ざわめきと書記官のペンの走る音が交差する。

緊急会議室には、奇妙な熱が生まれていた。


そして一人が、小さく呟く。


「……これは、観測対象への”接触申請”が必要かもしれない……」


その場の全員が一瞬息を呑む。

だが、それを口にした者も、誰もがわかっていた。


――あの太陽のようなリオ・ヴァレンに、真正面から話しかける勇気など、誰にもない――


沈黙。

紅茶は、やはり誰の手にもつけられないままだった。




バァンッ!!


「――っほ、報告します!!」


突如、会議室の扉を開いて入ってきた者がいた。

息を切らせ、額に汗を浮かべている。一同がわずかに腰を浮かせてざわめく。

緊急会議室――その扉を開いて駆け込んでくるのは、よほどのことだった。


「何があったんです!」


受付嬢が鋭い声を上げた。

飛び込んできた冒険者は、今にも倒れそうになりながら、開いた扉に寄りかかっていた。


「はぁっ、はぁっ、……で、デザートと……!」


まるで街のすぐそこまでスタンビートが迫っているかのような切迫感。

その緊張は、周囲にも伝播する。


「デザートだと!?」

「言え!どうしたんだ!」

「さ、昨夜、東区のレストランにて、リオ・ヴァレンが血風に『帰ったらデザートだな!』と……!!

運よく現場に居合わせた冒険者らはいまだ意識不明です!……っく……!」


そう言い、彼もその場に倒れこんだ。会議室の全員が、深く絶句する。


重い沈黙が落ちた。


“帰ったらデザートだな”――その一言が、どれほどの破壊力を持つか。

この場にいる全員が、それを理解していた。


「…………」

「…………」

「………………えっろ……」


ぽつり。


誰かが、己の理性を超えて呟いてしまった言葉。

その一言が、まるで火口に投げ込まれた薪のように、会議室を爆発させる。


「いやおかしいだろ!!!」

「今までの観測記録を上回ったぞ!?破壊力が!桁違いだ!!!」

「皿隊の設立目的は何だった!?いや、もう再定義しろ!これはもはや災害観測班だ!!」

「落ち着け!このままじゃ全滅する……!我々は、我々は観測を続けるために集まったんだ……!!!」

「ちがう、これは……進行だ……!」


どよめきの中、書記官が震える手で新たな記録用紙を取り出す。


「記録します……!『デザート爆撃事件』……!これは、“言葉選びの無自覚な破壊”による精神的被害と判断。今後、対策を講じるべきです……!」

「対策ってなんだよ!?」

「耳栓か!?耳栓で防げるのか!?」

「無理だ!視覚からもくる!あの笑顔、あの声色、そしてあの距離感!!防御手段がないんだよ!!」


誰かが、鋭く机を叩いた。


「……いいか、我々の任務は“日常の観測”だ」

「そうだ……あくまで、観測。介入は禁止だ……」

「今後の観測においても、リオ・ヴァレンと血風の接近は急速に進行すると予想される。……いいか、正気を保てよ。これはただの“デザート”だ。いいな?た、たぶん甘い果実と、やさしい笑顔の話だ……!」


震える手で紅茶に手を伸ばした者が、一人。

冷めきった紅茶をすするその瞳には、すでに“覚悟”が宿っていた。


「……くるぞ。次は何だ。次は……何を爆撃してくるんだ……!」


誰かが、ぽつりと呟いた。


「……いや、待て……デザートってことは……め、メインディッシュもある……?」


凍りつく会議室。


そして次の瞬間――全員が絶叫した。


「観測延長ッッッ!!!」

「全班、夜まで張り込みだ!!!」

「最悪の場合、ギルド長に許可を取って宿に潜入する必要がある!!」

「このままじゃ、我々が寝られない!!!」


こうして、プレート隊の活動はさらなる深度へと突入した。

これはもはや、ただの観測ではない。


――恋の気配にあてられた、悲しき……いや、愛しき執念である――。






――そんな水面下の冒険者たちを知る由もなく。



リオは、宿屋のシグの部屋の前に立っていた。

軽くノックをすると、中から返事が返ってくる。控えめに扉を開けて、中に入っていった。


「シグおはよう!下の食堂に朝飯用意してあるぜ!」


ベッドの中から眠たそうに唸る声が、リオをさらに笑顔にさせる。

足が少々はみ出しそうになっている。シグにはちょっと、ベッドが小さいのかもしれない。


「起きてさ、飯食ってさ、今日こそベリア苔採りに行こうぜ!こないだは森猪のとこ行っちゃったからさ、行けなかったじゃん?

蒼角カモシカもでてきてくれるかもしれねぇし!」


柔らかな布団の上からのしかかってくるリオに、シグは一瞬だけ肩を揺らした。


――大丈夫だ、この数日で慣れた、この距離感に。


薄暗い朝の光が、カーテン越しに静かに差し込む。

リオの軽やかな声とともに、部屋の空気が少しずつ目覚めていくようだった。


「……うるさい」


低く唸るような声が、布団の中から漏れる。

が、それもどこか柔らかい。拒絶ではなく、眠気と折り合いをつけながらの、日常の一部のような響きだ。


リオの体重が布団越しにかかり、シグの呼吸がわずかに変わる。

ああ、これは夢じゃない、という確認のように。


「……こないだ、迷子になってたやつが、よくもまあそんな元気に……」


片腕を伸ばして、布団の外にリオの顔を押しのけようとするが、彼の笑い声にすぐ失敗する。

リオは器用に体をずらして、完全にのしかかってくるのは避けている。


「ベリア苔……蒼角カモシカ……ああ……メシ食ったら支度する……」


起き上がりながらそう呟いたシグは、ぐしゃぐしゃの髪を手でかき上げる。

金の瞳が朝日にかすかにきらめいて、リオと目が合った。


「おはよ、シグ!」

「……なんでそんなに、楽しそうなんだか」


その一言に、リオはまた、ぱっと花が咲いたように笑う。

それはまるで、“今日も、シグと一緒だ”という当たり前の喜びを、そのまま表現したような笑顔だった。






――【トトの実のデザート】

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