【事件は東区レストランにて】
元の山道に戻ってきたリオは、木々の合間から空を見上げた。
夕陽が空を染めている。夜の気配が、向こうからやってくる。
食材採取に、思いのほか熱中しすぎていたようだ。
低木の木の実、キノコ、仙麗の水、野草やトトの実などなど、戦果は十分だ。
「……帰るか!カモシカもベリア苔も、またでいいよな!」
頷くシグと、来た道を戻り始めることにした。山道を下るふたりの足元を、風がさらりと撫でていった。
木々の間からこぼれる夕日が、落ち葉を黄金に染めていく。
今日の探索に満足したのか、リオがふんふんと鼻歌を歌っている。
「今日採れたトトの実はな、甘酸っぱくてうまいんだ~!
生もいいけど軽く煮詰めると保存も効くから、後で作ったらちょっと味見してくれよ。
そんで今度の野営のデザートにでもしようぜ!」
前を見て歩きながら語るリオは、知識を披露している、というよりは、本当に楽しそうに話している。
シグはその後ろを黙って歩いていた。声に出すことはないが、今日という一日が、悪くないものであったことは確かだった。
時折聞こえてくるリオの笑い声が、森を抜ける風のように胸をくすぐる。
「シーアジーアは麻痺毒のある山草で、食うと呂律が回んなくなっちゃうんだけど、森の魔物たちは普通に食ってるみたいなんだよなぁ。
魔物の消化酵素があればどうにかなりそうだけど、さすがに市場に魔物の内臓は売ってないし、まぁ当分は倉庫の肥やしだな!」
シグがわずかに肩を落とす。やはりこの料理人、毒のある野草を当たり前のように食っている。
もはや諦めに近い感情すら沸いてくる。
「……気を抜くな。日が落ちる前に抜けるぞ」
低く短い一言に、リオがぴたりと足を止め、くるりと振り返った。そこには、叱責ではなく、ただ日暮れを気にする相棒の気遣いがあった。
ふふっと小さく笑ったリオが、素直にうなずく。夕日が、ふたりの影を長く伸ばしていた。
街に戻ると、ふたりはまっすぐ宿屋に帰った。宿の部屋には、夕陽に追い立てられるようにして夜の空気が差し込みはじめていた。
窓の外には街灯の光がともり始め、人々の声が少しずつ、昼とは違う音色を帯びていく。
それぞれの部屋で荷をほどき、大きく伸びをする。シグがリオの部屋にやってきて、リオもそれを迎え入れた。夕飯の支度だ。
テーブルの上には、さっきまで山道を揺れていたリュックが置かれ、そこからは香草のかすかな匂いが漂っている。
その隣に立つリオは、空間魔法の中に手を差し入れかけたところで、ふと思い出したように振り返った。
「あ、なぁシグ。俺の飯食わせるっていう約束だけどさ、たとえば、この街の飯が食ってみたいとか思ったら遠慮なく言ってくれよ?
東区にあるレストランはうまい魚料理を出すからオススメだし、冒険者ギルドの近くにある酒場は酒もうまいしお姉さま方も美人ぞろいだ」
一瞬リオの顔が緩む。
「せっかくこの街に来たんだ、一緒にどっか行くか?」
”一緒に”——、どちらにしろ、そこは変わらないのか、と、シグは少し口の端を緩めた。
「……」
冗談めかした口調のその一言に、けれどシグはすぐ返さなかった。代わりに、まるで選び取るように視線を動かし、しばし黙ったままリオを見つめる。
さっきまで森で走り回っていた男とは思えぬほど、今のリオの表情は落ち着いていて、……その言葉の底には“どっちでもいい”のではなく、“お前がいればいい”という意思が透けていた。
やれやれ、と小さく息を吐いて、シグは壁に凭れた。腕を組み、低く、ぼそりとつぶやく。
「……行くなら、どこでもいい。お前のおすすめなら、なおさらな」
それは、言葉数こそ少ないが、確かな肯定だった。
ぱっと表情を明るくしたリオが、楽しそうに手元の調理器具を片付け始める。
「そっか!じゃあ折角だし、東区画のレストランに行こうぜ!俺の料理はいつでも食えるし、俺も頼まれればいつでも作ってやるしさ!」
てきぱきと片付けたのちに短めの外套をさっと羽織って、リオとシグは連れ立って部屋を出た。
街の中、石畳を踏む足音が、ふたり分。
ゆっくりとした速度で街路を進むその影は、夕暮れの光に長く伸び、しばらく交差してはまた離れる。
喧騒は穏やかで、あちこちの店先から漏れる魔法灯の灯りが、街全体をやさしく包み込んでいた。
中央通りに出れば、夕暮れの陽光が建物の影を長く引き、通りはゆったりとした時間の流れに包まれていた。
行き交う人々の視線が、時折リオと、そして隣を歩く大男に向く。
けれどシグは気にした様子もなく、歩幅をリオに合わせて静かに歩いた。
「あそこのレストラン、魚料理がうまいんだ。街の外から陸路で入ってくるみたいなんだけど、いっつも新鮮でさ!今日は何の魚なのかなぁ!」
いつものように、快活に笑いながら、リオがシグを振り返る。それは、”楽しい”が見事にあらわれた笑顔だった。
リオの笑顔に、シグは一度だけ瞬きをして、その顔をまっすぐ見つめた。何がそんなに嬉しいんだとでも言いたげな顔ではあったが、その口元はわずかに緩んでいる。
「……」
言葉を返す代わりに、シグは少しだけ歩調を緩めた。
その一歩分、リオの顔が少しだけこちらに向きやすくなったことを、本人はおそらく気づいていない。
通りの向こう、灯りの下で音楽が流れていた。誰かが笛を吹いているのか、リュートを奏でているのか、街の宵にふさわしい、やさしい音色だ。
その音にまじって、リオの話し声が続いていく。
シグは隣で、それを聞きながら、ふと自分の手のひらを見る。ついさっき、そこに軽い体温を抱いていたことを、指先が覚えていた。
思いがけず、何かを手にしたような感覚。この街の灯りのように、リオの存在が、少しずつ染み込んでいくような夜だった。
木製の両開きの扉を開けると、店内には香ばしい匂いが漂っていた。明るすぎない色合いの石膏の壁。客層も落ち着いており、酒にまかせて騒ぎ立てる様子もない。
店員がリオたちに気づいて声をかける。
「いらっしゃ……あらリオ!いらっしゃい、座って」
店内のほかの客も、ちらほらとリオに、おう、だとかよう!などと声をかける。
シグ自身、自分の気配だけが浮いて見えたのは最初の一瞬だけで、すぐに店全体がふたりを自然に迎え入れていた。
リオが、そういう空気を作るのだ——知らぬ間に、場を柔らかくしてしまう。
「店長ー!リオがまた厨房乗っ取りに来たわよー!」
店員が半分面白がって裏に声をかける。裏からは店主の、「なにー!」という声が、笑い交じりで返ってくる。
周りからもにわかに笑い声が上がる。
「ちょっと違ぇって、今日は食いに来たんだよ!」
リオも笑いながら、半分慌てたように奥へ声をかけた。
「乗っ取るとかほんと、うちの相棒怒ると怖いんだから勘弁してよ!」
「おい」
「ホントじゃん!」
交わされるやりとりに、周囲の客からも笑いが起こる。店員もにこやかに、リオたち二人分の注文を取って奥へ引っ込んでいった。
客たちの笑い声や呼びかけに、シグはわずかに目を細めた。居心地の悪さはなかった。
むしろ、こういう場所にリオがいて、リオを囲む人たちがいるのだと、少し不思議に思う。
案内された席に、シグはリオと並んで腰を下ろす。木の椅子は手入れが行き届いており、落ち着いた温もりがある。
テーブルの上には、季節の草花を挿した小瓶が飾られていて、彩りもささやかだが美しい。
厨房からはジュウ、と油のはぜる音がしてきた。魚を焼いているのか、それとも香草を揚げているのか。
鼻孔をくすぐる香りに、つい目を細めてしまいそうになる。
騒がしくない笑い声、美味い料理の匂い、隣にいる男の体温。思いのほか、この夜は、居心地がよかった。
「……こういうのも、悪くないな」
シグの呟きに、少しはにかんだように、リオが笑う。
「うん、悪くないだろ。俺も好きなんだ、この空気」
出された水に口を付け、店の奥を見る。
ちらりと出てきた店主が、リオを見て軽く手を振っていた。リオも手を振り返す。
「ああやって乗っ取りって茶化されちゃうけどさ、料理作ってる人たちってやっぱ話してて盛り上がっちゃうこともよくあってさ。
普段は焼きで食べる魚を蒸してみるかとか、あの香辛料のほうが香りがいいとか、じゃあちょっと試作してみるかって感じで、いつの間にか厨房に入らせてくれんだ。
俺のほうがうめ―!ってなるときもあるし、やっぱ店のほうがうめー!ってなるときもある。楽しいよ」
言い切ってシグを見ると、じっとリオの目を見て静かに話を聞いていた。
思わず面食らって手元の水を見る。しまった、またマシンガントークが暴走してしまった。
リオが水の入ったグラスをくるりと回す指先を見ながら、シグは軽く息を吐いた。ふいに話すでもなく、けれどどこか肯定するような静かな声音で、ぽつりとひと言。
「……自分のやってることを、そんなふうに楽しそうに話せるのは、悪くない」
それは誉め言葉というより、ただの感想のように素朴で、真っ直ぐだった。
リオが顔を上げる。目が合う。その視線に、リオの言葉が誰かを飾るためでも、自慢でも、何でもなかったことが伝わっていた。
厨房の奥から、香草と魚を焼いた香ばしい匂いが、ふわりと流れてくる。
そんな中、シグは再びグラスを取り、無言で水を飲む。ただその沈黙が、何かを遮るものではないことは、隣の料理人にはきっと伝わっている。
「……うん」
リオが一つ深呼吸をした。シグの言葉に嘘やおべっかはない。本心で言ってくれるし、どの言葉もすとんと腹に落ちてくる。
それと、すべて言い切ったところで目をそらして照れ隠しをするようなところも。このぶっきらぼうな男のことが、なんとなくわかってきた。
「ありがとな、シグ」
リオは水の容器を軽く揺する。もうすぐ料理が運ばれてくる。周りの賑やかさが心地よい。もしかしたらシグにはまだ、騒がしく感じるかもしれないけれど。
運ばれてきた魚料理は、黄金色に揚げられていて、まだしゅわしゅわと音を立てていた。
付け合わせの野菜も新鮮そうにつやめいている。
野菜がふんだんに使われたスープも、湯気を立てて温かそうだ。
「さ、食べようぜ!」
ナイフとフォークを手に取り、リオは食べ始めた。
普段であれば、あの食材がこうだ、この野菜はああだとしゃべり続けるが、今は静かに食事を楽しんでいる。
そして、自分が喋ることでシグの食事を邪魔しないようにしている気配すらあった。
シグも無言で、ナイフとフォークを取った。静かに、しかしどこか丁寧に、一口目の魚を口に運ぶ。
揚げすぎず、焦げもなく、衣の中はふっくらとした白身。塩加減も香辛料の主張も、どれも過剰ではなく、それでいて確かな輪郭がある。
「……悪くない」
それだけぽつりと言うと、また黙って食べ進めた。口数は少ない。だが、それは満足の証でもあった。
その横顔を、リオはちらりと見た。自分の料理ではないのに、嬉しそうに——どこか、誇らしげにすら、笑っていた。
街のざわめきが外からかすかに届き、グラスの水面が、ほんの少し揺れていた。
スープを口に運びながら、リオはシグに視線をやった。
「うめぇだろ?言ったろ、おすすめだって」
「……ああ」
ぶっきらぼうに一言返したシグが、目線で”喋れよ”と言っているのを見て、リオも思わず笑う。
「わはは、さすがに俺にしちゃあ静かすぎたか!えっとな、これはギラガって川魚だな。
川魚は揚げちゃうと臭みが際立っちまうんだけど、これは全くねぇ。下処理がいいんだな」
厨房の奥から、「ありがとよー!」と声がする。リオがそれを受けて、笑いながら続けた。
「付け合わせの野菜も、火を通しすぎるとグズグズに崩れちゃう品種なんだけど、火はしっかり通ってるのにぱりぱりのままだ。何回も試したんだろうな」
「ほう」「たしかに」「ほんとね」、と周囲から呟きが聞こえる。
「スープも野菜と燻製肉のダシが利いてて染みるよなあ。これ飲むと、二日酔いしねーんだぜ」
周りで次々とエールの注文が飛ぶ。店員がリオを見て、「もう!」と笑う。
ごめん、と笑うその表情は、やはりここでも、どこかいたずらっ子のように周囲に溶け込んでいた。
「……まったく、お前はどこ行っても……」
呆れ混じりの声を低く漏らしつつも、シグの目元はどこか和らいでいた。
テーブルの上、リオの語りに合わせてスプーンの手が止まることなく動いているのは、静かな信頼の証。
周囲の客たちはリオの言葉を聞いては「へえ」と頷き、匙を進め、さらには追加注文を出す者までいた。
店の空気はあたたかく、笑いと食欲とが満ちている。
「……料理だけじゃなく、空気も作るのか、お前は」
ふと漏れたその一言に、リオがちょっと照れたように肩をすくめる。
「……まぁ、いいな、こういうのも」
その言葉は、料理だけを指してはいなかった。シグの金の瞳は、リオの笑顔と、店内のあたたかなざわめきを、確かに見ていた。
照れながらも、リオも食事に向き直る。そして、黙々と食べていたシグに、軽く明るい調子で、
「部屋に戻ったら、お前にはデザートだな!」
と笑った。
はた、とシグが止まる。
すーっと賑わいも消えていき、皆——耳をすましている。
「……ん?なんだ、皆の分はねーぞ?」
周りを見回したリオに言われ、店内が息を吹き返したかのように、またざわざわとさざめきだした。
「お、わはは、そうだな」
「そうだよなデザートだよな」
「あたしちょっと勘違いしちゃった」
「なんだぁ?俺に負けず劣らす皆食い意地張ってんな!……なぁ?」
そう笑い、リオは同意を求めるように手を止めていたシグを見やる。
シグはというと、フォークを持った手を宙に浮かせたまま、しばし固まっていた。
ちら、と周囲を一瞥する。何人かの冒険者風の客が、飲みかけのエールを持ったまま、口元を押さえている。
明らかに、言葉の真意を斜めに受け取って、勝手に盛り上がっていた様子だった。
「……お前なぁ」
低く一言だけ、シグがぼやく。その声に、リオは「ん?」と首をかしげる。笑いをこらえるような周囲の空気に、まったく気づいていない。
「……知らねぇ。俺は、知らねぇぞ」
そう吐き捨てるように言いながらも、わずかに赤みを帯びた耳を隠すように、シグは水を一口あおった。
そして——リオと目が合うと、観念したように片眉をあげて、ようやく一言。
「……楽しみにしとく。甘いやつ、だろ」
その言葉に、再び店の中が笑いに包まれた。周囲の空気とシグの視線の意味が理解できず、リオはいつもの調子で笑っていた。
「ええ?ちゃんと甘いやつだよ。甘くてもいいって言ったじゃん」
甘いやつとはトトの実を煮詰めたもの、甘くてもいいと言ったのはシグが飴を気に入っていたからなのであるが、なにぶん言葉が足りなすぎる。
「ひゅー!」やら「おいおいおい!」やら歓声が飛んでくる。
シグは額を抱えている。冒険者たちは天を仰いだり机に突っ伏したり様々だ。
リオはというと、困惑した笑いできょろきょろとしていた。
「ええ何?だからみんなにはないって!」
「だろうなあ!」
「殺されたくねぇよ俺ら!」
全方位無自覚に爆弾を投げ、それに気づきもしない料理人リオ・ヴァレン。
まるで、自分が落とした石で池に波紋が広がっていると気づかず、ぽかんと眺めているような顔だった。
シグはついに、がっしと両手で頭を押さえた。
無言の嘆きというより、すでに諦めに似た溜息が漏れていた。
「……もう黙ってろ、頼む」
そうぼやくと同時に、シグは無理やり自分の意識を料理に戻すように、皿の魚にフォークを突き刺した。
店内の誰かが、「リオつえぇ……」という呟きを落とす。
そして冒険者たちは、リオの鈍感な破壊力に膝をつきながらも、それを遠巻きに見守っていた。
リオはというと、ちょっと困ったような笑顔のまま水を口にし——ようとして、ぴたりと止まった。向かいに座るシグの耳が、赤い。
それを見た瞬間、なぜか一瞬だけ静かになるリオ。何かを言いかけたが——口に出さず、首を傾げてそっと視線を落とした。
なぜ皆がお祭り騒ぎになっているのか。
この男、全くピンとこないのだった。
——【事件は東区レストランにて】




