【リオの携帯食】
道具屋での補給を済ませたリオは、シグと待ち合わせていた宿屋へ足を向けた。
道中人々から何度も声をかけられる。
うまかったよ、またきてくれよ、あれも作ってほしい。
そんな言葉を聞くたびに、料理人冥利につきると、顔をにやつかせた。
待ち合わせは、リオが宿泊している宿屋と併設の酒場だった。
宿屋の暖簾をくぐると、ふわりと木の香りと煮込みの匂いが鼻をくすぐる。夜の酒場は柔らかな灯火と、低く響く談笑で満たされていた。
冒険を終えた者たち、荷を解いた旅人、顔なじみの住人――それぞれが静かな酒のひとときを過ごしている中で、ひときわ目立つ大柄な男の姿があった。
銀灰の髪、鋭い金の瞳。手にした木の杯を傾けながら、無言のまま卓に腰掛けている。
空気を威圧するようでいて、誰もそれを恐れた様子はない。
――昼間、リオと一緒にいた男だ。周囲に、その認識があった。
通りがかる冒険者たちはちらと目をやっては、軽く会釈をして通り過ぎていく。
もはや“そういう人”として、すでに酒場に馴染んでいる雰囲気すらあった。
そんな中、リオがその姿を見つけ、嬉しそうに歩み寄る。
「シグ、帰ってたんだな!なんかいい情報はあったか?」
シグは顔を上げずに、杯を置く音だけで応えた。
そして、先に用意しておいたもう一つの杯を、隣の席にスッと押し出す。
「……座れ。調べてきた」
短く、それだけ。けれど、その言葉の裏には、確かに“待っていた”という静かな気配があった。
テーブルの上には、紙片が一枚。そこには簡素な文字で、数体の魔物の名が並んでいる。依頼として貼り出されていた情報を、シグがまとめてメモしてきたようだった。
「クロヤミワラビ、山間の南斜面に群生。毒胞子あり。見た目は黒い羊歯。
スナヤドリ、乾いた尾根にて群れで出没。肉は硬いが、腹部に脂身。
ケズリホネ、討伐対象。夜行性。最近の目撃報告では複数体。……これは、やめとけ」
リオの手元にその紙を押しやると、シグは杯をもう一度手に取り、ひと口。
「お前の目の色が変わりそうなのは、正直まだわからん。食う気になるかどうかも……知らん」
その言い方は、淡々としているようでいて、どこかくすぐるような響きだった。隣に座った料理人が、早くも“うずうず”している気配に、シグの金の瞳が横目でちらりと光る。
リオもまた、――シグの話を聞いて、にんまりとしていた。自分の旅の目的を、めんどくさがるどころか、意図を汲んで協力までしてくれる、屈強な戦士。
「わはは、最高じゃん!俺、シグに出会えて本当によかったよ!」
酒場の柔らかな灯りの下、リオの笑顔が花のようにぱっと咲いたようだった。嬉しそうに杯を手に取り、紙片を覗き込む。
その隣で、シグは無言のまま杯を傾けていたが――その耳に届いた「出会えてよかったよ」という言葉に、わずかに視線を落とした。
それは冗談交じりでも、お世辞でもない。本心からの言葉。だからこそ何も言わずに、飲んだ。
「なになに~?クロヤミワラビ……は聞いたことあるなぁ。あの辺足場悪すぎて、時間かけて採取できない地域だったんだよなぁ。
スナヤドリは一回だけ罠にかけたことあるんだけど、近くに雛がいたから逃がしちまったんだぁ。
ケズリホネは知らねぇなぁ。どういう魔物なのか見てみたいもんだな」
ふんふんと鼻歌を歌いながら、リオはどこに行こうかと目を輝かせる。
こうして行き先を提示してもらえることが、よほど嬉しかったようだ。
「クロヤミワラビは胞子の扱いに注意しろ。接触したら、食材どころか呼吸器までやられる。
スナヤドリは、夜明け前に動く。群れで跳ねる音が目印だ。……雛がいるなら、そっちは避けとけ。
ケズリホネは……獣骨に群がって巣を作る。夜行性。咬みつかれたら骨まで削られる」
リオの興味がどこに向いてもいいように、シグはぽつりぽつりと、補足を加えていく。
それは冒険者の報告書には書かれない、生き残ってきた者だけの観察眼だった。
そして何より、その“語り”が、これからの旅の始まりを予感させる音にも思えた。リオがぱっと紙から顔を上げて、にやにやと笑いながら振り返る。
その顔を見て、シグは思わず――ぐ、と目を細めた。
「……わかった。行きてぇのはわかった。ひとまず明日からだ」
低く呟いて杯を置きながらも、その声にはかすかな笑みの気配がにじんでいた。
「わはは!わかってる!ありがとうシグ!」
やがて興奮もひと段落付き、リオは改めて、杯を手にシグに向き直った。出会いの乾杯だ。
「じゃ、迷惑かけると思うけど、これからよろしくな、シグ。美味い飯は任せろ」
そういってにかっと笑い、シグのほうへ杯を傾けた。差し出された杯を見て、シグも一拍だけ間を置く。
そして静かに、それを受けるように持ち上げ、杯をリオのそれと重ねる。
木の杯が、酒場の片隅で小さく触れ合う。かすかな音が鳴る。それは、勢いに任せない、穏やかで暖かな乾杯だった。
「……任せた」
ただそれだけ。
けれど、声には生まれたばかりの信頼が込められていた。
隣では、リオがいつものように笑っている。しかしその笑顔はもう、森の中で出会った時のものとは違っていた。
一緒に焚き火を囲んだ仲間として、背中を預ける相棒として――そして何より、“これから”を共に進む旅の同行者として。
ふたりの杯の中で、琥珀色の液がわずかに揺れる。
その揺らぎが、未来のどこかを照らす光のように、かすかに煌めいていた。
リオは少しすっきりしたように、けれどどこか照れたような表情をしていた。
「わはは、なんかこっぱずかしいな!」
そう笑いながら、杯の中身を飲み干した。
「――うん、よし!俺はこのあと、宿屋の自分の部屋に行って今後の準備するよ。お前はこのままここで飲むか?それとも、俺の部屋で飲みなおす?」
言い終わる前にリオは、テーブルに両手をついて腰を浮かす。傾げられた首が、どうする?と問いかけていた。
シグはリオのその問いに、わずかに眉を動かした。その仕草は、珍しく迷ったようにも見える。
「……準備、か」
シグはそう呟くと、杯を静かにテーブルに戻す。そして、ゆっくりと腰を上げた。
「……飲みなおすなら、つまみも用意しとけよ」
それは、選んだというより――自然とそこに向かうような返答だった。リオがぱっと顔を明るくして、肩を竦めて笑う。
「おう!じゃあ一杯やろうぜ!」
その笑顔を見て、シグも小さく鼻を鳴らすように、ほんのわずか――口の端を上げた。
こっちこっちとリオに促され、シグはやれやれといった具合で二階への階段を上がった。リオが招いたのは、階段を上がってすぐの個室。
シグは部屋の扉が閉まる音を背に、無言で室内を一瞥した。リオの部屋は思ったより片付いていて――というよりも、物がなかった。
ほとんど空間魔法へしまっているのだろう。あるのは壁にかかった寝間着と、枕元の匂い袋だけ。
「まぁ、座れよ。いやぁ、俺、酒も集めてんだよなー!どんな酒がどの料理に合うかって、すっげぇ大事だろ?」
椅子を引き、どっかと腰を下ろしたシグは、そのままリオの手元を見つめた。リオも笑いながら嬉しそうにシグの向かいに座り、またも空間魔法を展開する。
宙へと差し出された手が、目には見えない空間にすっと沈み――やがて酒瓶が、ひとつ、ふたつと現れる。
「えーと火酒に熊酒、猿酒と鬼潰し……。もう少し軽い奴ならスターヤムとか葡萄酒とかかな……どれか飲んでみたいやつはあるか?」
「……お前、物好きにもほどがあるな」
無精に見える体勢のまま、視線だけで酒瓶を追いながら、シグがぼそりと呟いた。
だが、その声に呆れはあっても嫌悪はない。むしろ、慣れてきたのだ――この男の“変な熱量”に。
「……鬼潰しはやめとけ。明日が潰れる」
「……まぁ確かに」
ぴたりと、リオの手が止まる。
「火酒は軽く一杯ならありだが……」
次々に瓶を見やって、シグは一度だけ顎を引いた。
「葡萄酒だな」
それは、たぶんリオにとっては“安全すぎる”選択だったかもしれない。
だが、その“選んでくれた”ということ自体に、どこか静かなあたたかさが宿っていた。
「……どうせ、お前のことだ。飲み始めたら、酒に合う料理の話で夜が明けるんだろ」
ちらと視線を投げたシグの金の瞳に、わずかに光が滲む。
それは、まるで先を見越したような、あきらめ半分――楽しみ半分の色だった。
「わはは、わかってきたなぁシグ!つまみいるよな!お前甘いのいける?」
心底楽しそうに笑うリオが、携帯調理道具の一式を取り出す。
昼間の露店でのものよりだいぶ簡素なものだが、それでも十分に期待感はあった。
「ちょうど、甘いつまみを試してみたかったんだ。ナッツの密煎りなんだけど、これ葡萄酒にも合うと思うんだよなぁ」
リオの手元で、小さな焚き火用の魔法石が灯る。ぱちりと乾いた音が響く。空間魔法から取り出した小瓶から、甘い蜜の匂いが、室内にほのかに広がり始めた。
簡素な鍋にかけられたナッツが、蜜と絡まりながら香ばしく焼き上げられていく。
その間も、リオは嬉々として調理の温度や香りの変化を口にしていたが、シグはそれに返事もせず、ただ黙って隣の炎と声を見ていた。
やがて、飴がけのように艶やかに仕上がったナッツが、木皿に盛られてシグの前へ置かれる。
外は薄くカリッと、だが焦げはない。蜜の色も絶妙だった。
「な、食ってみ!」
「……ああ」
短くそう呟いて、一粒を指先でつまみ上げる。くるりと回して、じっと観察して――そして、口に放る。
静かに噛んだ瞬間、コリ、と控えめな音とともに、ナッツの香ばしさと蜜のほのかな甘さが舌に広がった。
過剰ではない。くどくもない。それでいて、葡萄酒の酸味を邪魔しない絶妙な甘さ。
「……合うな」
低い声が、ぽつりと落ちる。
それだけで、リオの表情が目に見えてぱっと明るくなった。
「甘いのは苦手だが……これは、いける」
杯を手に取りながら、もう一粒をつまんでいる――それは、無言の“もう一口”の証だった。
苦手だ、と言いながらも、ナッツをつまむその手は進んでいく。
甘くないやつ作ろうか?と聞こうとしたが、シグの満足そうな顔に少しはにかんでしまう。
それを誤魔化すように、リオは話題を変えた。
「わはは、そっか、よかった。――で、だ!
明日もしどっか採取行けそうなら、これ採りに行きてえんだよなぁ」
そう言ってリオは、空間魔法から、瓶に入った緑の液体を取り出した。
透明の液体に溶かされているようで、ソースか何かに見えなくもない。
シグはちょうど三粒目のナッツを口に運んだところで、リオの動きを見た。虚空から取り出された、瓶に入った緑の液体。とろりとした質感。
透明な基液に浮かぶ、苔のような――いや、確かにそれは“苔”だった。金の瞳が、ぴたりと瓶に注がれる。
「……それは、なんだ」
声にわずかな警戒の色が滲んでいる。それも当然だった。見た目こそ綺麗だが、見慣れぬ緑色の液体を、嬉しそうに差し出してくる料理人。
さきほど”止めてくれ”と言われていたような未来が、今まさに机の上に置かれた。
「わはは、やっぱりそういう反応になるよな」
リオはちょっと困ったように鼻の頭をかいて、笑みを浮かべた。瓶の底で揺れるその液体は、明らかに普通の調味料ではない。
シグはしばらく黙って瓶を睨んでいたが――やがて、ゆっくりと腕を組み、リオにだけ聞こえるような低い声で呟いた。
「……それ、採取場所はどこだ。周囲に魔物の巣があるなら、先に確認する」
それはつまり、「内容によっては付き合ってやる」という意思表示だった。
真正面から断るのではなく、見定める。自分が横に立つことを前提として、判断する。
リオが、少し困りながらも笑った理由。それが“この反応を少しだけ期待していたから”だということに、シグはもう気づいていた。
だから、ナッツの皿にもう一粒手を伸ばしたまま、目だけをリオに向けて、一言付け加えた。
「ただし。毒だったら、お前の舌に先に乗せる」
それは冗談とも、本気ともつかない――だが、確実に“用心棒としての了解”が込められた声だった。
シグの行動が、リオと同じ方向に向き始めていることに、リオが満足げにひとつだけ、笑った。
「これ、西の山道に生えてるベリア苔っていうんだけど、生で食えば口内に炎症が起きるんだ」
シグの片眉がピクリと動く。指が、器の縁でぴたりと止まった。生で食えば炎症が起きる、という言葉が出た瞬間、金の瞳が鋭く光る。
それはつまり、”食った”ということ。あの森で出会った時と同じ“警戒”が、ごく一瞬だけその瞳に宿った。
――が、リオが手で”大丈夫だ”という仕草をする。
「け、けどさ、こうして酢漬けにして密閉しておくと、こう、とろ~っとしてきて口当たりもよくなって、ステーキにかけてもスープに溶かしても美味いんだぜ!」
とろみのある緑の液体――ベリア苔の酢漬け。言葉だけなら確かに調味料になりそうだ。
ただ、“食べるまでが命懸け”というのが、この料理人の常のようでもある。
「それに滋養強壮にもいいから、俺ぁよく”携帯食”に混ぜ込んで――あっ、」
ぴたりと、リオの動きが止まった。ベリア苔とシグを、交互に見つめる。目の前で瓶と自分を交互に見つめる姿に、シグも問いかけるでもなくただじっと待った。
そして漏れたひとこと。
「……これからはお前も、俺の携帯食食べるかもしんねぇよな……」
そのとたんに表情が止まり、動きが固まり、まるで“自分で口にして初めて実感した”かのような気配があった。
口元を抑えたリオが、思案気にシグを見つめる。
「変な食材入れんの、やめたほうがいいよな?」
”変”という自覚はやはりあるのか……。その言葉に――シグの口元が、ごくわずかに、引きつる。
無言のまま視線を逸らし、低く、ぼそりと。
「……気づけたか」
それは皮肉にも聞こえるし、安堵にも似た響きだった。けれど、そこに怒りや呆れはなかった。むしろ、“それでも同行する”ことを決めた男の言葉だった。
「……食えりゃいい。命に関わらなきゃな」
そう言って、ナッツをもう一粒口に放りながら、金の瞳をほんの少し細めて――シグは、静かに見つめていた。
その視線を受けて、リオがまたも嬉しそうな笑顔を浮かべる。
「……なんだお前、案外俺の料理信頼してんだなぁ?」
普通の食材を使った料理ならまだしも、こうした”異質な料理”を誰かに知られるのも、そして認められるのも初めてだった。
次に、ちらりと悪い笑顔も出る。
「じゃあ俺の”携帯食”の材料、みるぅ?」
「……見せる気満々じゃねぇか」
シグはナッツを噛みながら、呆れたように天井を見上げた。
けれど、その声に刺々しさはなく、もはや半ば覚悟した男の、諦めと苦笑の入り混じった響きだった。
リオの嬉しそうな笑顔は、まるで幼い子供が宝箱を開けるときのようだ。“自分の作ったものを誰かに見せたい”という、純粋な高揚と信頼。
異質だとわかっている。人に避けられるような材料だと、重々承知している。
それでも見せたいと思ったのは、目の前の男が自分の“異質”に、ただの怖れや否定を向けなかったからだ。
「……一応聞いとくが」
シグは視線だけをリオに戻し、低い声で問いかける。
「その中に、“火を吹く種”とか、“動く粘菌”とか、“名前が三行ある草”とか――入ってないよな?」
それを聞いたリオがどう答えるか、その返事次第では――ナッツを摘まむ手が止まる可能性も、大いにあった。
「わはは!んじゃあ見てろよ!今から作る!」
水を得た魚のように、リオは空間魔法から次々と珍妙なものを取り出した。
部屋の淡い灯火の下、リオの手が止まることなく動く。空間から次々と取り出される奇妙な素材は、ひとつひとつが“普通ではない”ことを、見る者に無言で告げていた。
「まず初めにクルッカの実の、種の部分だけをすり潰した粉を――」
クルッカの実は市場に滅多に出回らない苦みと渋みのある黒い実で、食用ではなく、実が灰汁抜きに使われるものだったはずだ。
……種は通常捨てられる。苦味と渋味の象徴のような粉末に、シグが苦い顔をする。
「仙麗の水で練ってペースト状にする。これがベースな!」
仙麗の水は、森の生き物たちの秘密の水飲み場の水だったか…、魔力が含まれているらしいが、滅多に見つけることはできなかったはず。あの水は、ただの湧水ではない。
魔物すら寄りつかない、清浄な力を帯びた水源。
リオの指先、小さな小瓶からそれがさらりと注がれ、粉末が静かに練り上げられていく様子を、シグは口を挟まずに見ていた。
「ここにナッツ類を砕いて混ぜ込んでいく。リガの実と岩心と潰れ結晶だな」
リガの実は今シグも食している普通のナッツであるが、岩心はフィールドの岩の中に無作為に生成される見つけにくい食材であるし、潰れ結晶はその名の通り、潰れてしまって価値のなくなった結晶花という薬草の芯部分だ。
岩心と潰れ結晶の名が出た瞬間、明らかにシグの目が細くなる。
特に潰れ結晶の芯――薬草の“捨てられた部分”が、ここに来て混ざるというのは、常識で言えばもう料理ではない。が。
リオは止まらない。そしてついに、ベリア苔をひと匙。
「全体が混ざったらさっきのベリア苔を入れて……」
とろ、と少量の苔がボウルの中に落ちた途端、それらが、淡く、光を帯びた。
シグの目が、はっきりと見開かれる。椅子の背にもたれていた身体が、ごく自然に前のめりになっていた。
それは、魔力の干渉だ。だが攻撃的な反応ではない。
融合、もしくは調和。それぞれ単体では役立たずとされた素材たちが、リオの手で“何か”になり始めていた。
リオは何の躊躇もなく、それを手早く練り上げ、器の内側に沿わせるように塗り、成形していく。
シグの瞳が、その動きを一瞬たりとも逸らさず追っていた。料理――それは“命を整える技術”であると、知っているからこそ。
「……お前、本当に、食えるやつなのか」
低く呟かれたその言葉は、呆れでも疑いでもなく、“すでに認めつつある者”の問いだった。
一方リオは、また困ったように笑い、シグを見つめた。
「うん、大丈夫だよ、俺素材集めの時、毎回食ってるもん。あ、ごめん毒かどうか気になるよな!」
慌てたように、ボウルの中身をシグに見えるように傾ける。――見たところで、わかるものではなかったが。
「効能はな、”クルッカの種”が”状態異常防御”、でも限度があって、さすがに痺れ沼に突っ込んだりしたらアウト。あ、サラマンダーの火の粉くらいなら全然平気。
”仙麗の水”は魔力と交換で動物たちから分けてもらえるんだけど、水場の持ち主ごとに効果が違って、俺がよくいくのは”森猪”の住処。”俊敏”が上がるんだぜ。上がった速さに慣れるまでちょっと時間がかかるけど、感覚が慣れちまえばこっちのもん」
リオはそう言いながらちら、とシグを見やった。
説明はまだ途中だ。だがおかしなことを言っている自覚は十分ある。
シグはその視線に、正面から応じるように無言で見返した。リオの言葉ひとつひとつを――逃げずに、耳で、目で、受け止める。
状態異常防御、痺れ沼、火の粉。森猪の水場、俊敏上昇、感覚の慣れ。
言葉だけを取り出せば、どれも荒唐無稽。だが、リオがそれを“本当に知っている者の声”で語っていることは、シグには分かっていた。
室内の光が、ベリア苔を練り込んだ調理物の表面を、ほのかに照らす。淡く光るそれは、今まさに“料理”と“魔法”の境目をまたいでいる。
それを前にして、シグの指が、ナッツの皿から離れた。
ごくわずかに――ほんの一瞬だけだが、その金の瞳が静かに細められる。それは、警戒ではなかった。受け入れる前提で、確かめようとしている目だった。
「……続きを話せ」
その声に怒気はなく、ただ確かに、リオの続きを聞く準備があるという意思があった。
それは、異常を前にした人間の反応ではなく、用心棒としての返答。シグの金の瞳は、こちらを遮る気配は全くなく、小さく頷きながら視線で続きを促してくる。
リオも笑い、頷きながら進めた。
「”リガの実”は”集中力”が上がる。
あんまり摂りすぎると眠れなくなるけど…あ、お前に渡したつまみのやつは、密煎りにしてあるからだいぶ効能が落ちてる。それは寝る前に食っても平気。
”岩心”は見つけるのにつけるのにかなーり苦労するんだけど、一個見つけちまえば群生してるから採りやすいっちゃあ採りやすい。
これは”物理的な防御力”に効くぜ!ちょっとクマにひっぱたかれてもぴんぴんしてるくらい!」
そう快活に笑う顔は、間違いなく”試した”者の顔だ。
「”潰れ結晶”は、つなぎ。”異質な素材同士を繋げる”役目かな。意図しない素材同士までつなげちゃったりするから、錬金術では扱いにくくて廃棄されるらしいんだ」
リオの説明は、もはや食べられない素材の正体を語っているというより、大切な仲間のことを、ひとつずつ紹介しているかのようだった。
「んで、”ベリア苔”な。”滋養強壮にいい”って言ったけど、魔力が通りやすい性質もある。食材が光ってんのは、俺の魔力に反応してんのかなぁ。――これが俺の”携帯食”」
そう締めたリオは、全てを曝したかのような顔をしていた。
シグの視線が、そのボウルへと落ちる。室内灯に照らされるそれは、料理というには奇妙で、薬とも言い難く、だがどこか“生きている”ような気配を持っていた。
あの語りに嘘はなく、誇張もない。あるのは実感と、経験と、そして――誇り。
金の瞳が、ひとつひとつの素材の効能に応じてわずかに細められていく。
“集中力”“防御力”“魔力の通り”。
いずれも、ただの料理人が考慮するには異質な効果ばかり。だがリオはそれを、料理として”調和”させる手法をすでに確立している。
しかも、口ぶりからして試行錯誤を繰り返して辿り着いたものだ。
「……それを、いつもお前は一人で食って旅してたのか」
低く、呟くように問う声。驚きや疑いというより、誰にも頼らず続けてきたその執念に対する、静かな感情だった。
リオが小さくうなずく様子を見て、シグはふう、と鼻から長く息を吐いた。
そして静かに――手を伸ばし、ボウルの縁に触れた。
食うとは言っていない。だが、まるで“そこにあるものを認めた”ような、静かな仕草だった。
「……俺の携帯食と比べたら、ずいぶん騒がしいやつらだな」
そう言って、わずかに唇の端を上げる。それは、最初の焚き火の夜には決して見せなかった、仲間にしか向けない、かすかな笑みだった。
――リオは黙ってボウルを混ぜ続ける。
この料理の異質さは、誰よりも自分自身がよく理解していた。
寒冷地にある体が温まる料理とか、飲むと集中力の上がるお茶とか、身体の感覚が研ぎ澄まされる程度の料理は普通にある。
攻撃力や命中率の上がる、エンチャントのかかった武器なんかも、まぁ探せばある。
だが、こうもあからさまに”補助効果のある料理”は、自分の作ったもの以外、みたことも聞いたこともなかった。
だからこそ、何か妙なのかもしれないと思って、今まで誰にも話したことはなかったし、出したこともなかった。
「俺さ。ちっちゃい時からいっぱい料理してきてて、いつの間にかこんなんできるようになっちゃってさ。……でも変だなって思っててさ、絶対誰にも出さねぇんだ」
ぼそり、と静かな声が漏れた。森の中で薬草を手に話していた時のような、穏やかな声。
「だからこれは完全に自分用。非戦闘職の俺が一人で珍しい食材とか集めてこれたのも、こういう料理作って食ってたから」
そうやって、こなしてきた。危険な場所での採取も、魔獣と出くわした時の退避も。
「魔獣からシグのこと助けたときも、実のところ、こういうやつで俊敏上がってたからいけたようなもん。
それに……それこそ、この料理だけの納品依頼とかあったら、それは俺の本意じゃない。俺は食った人がうめー!ってなって、幸せー!ってなる料理が作りたいだけ」
鉄なべを取り出して、火にかけた。練り合せた混合物を鍋に流しいれ、火を通していく。
淡い灯に照らされた小鍋から、甘くやさしい香りが立ちのぼる。焦げることなく、ふっくらと膨らんだ表面には、うっすらと光が反射していた。
魔力の気配は、もうほとんど感じない。今そこにあるのは――ただの“美味そうな匂い”だった。
しばしして焼きあがったものを、味見程度の小さな欠片に切り分けてシグに手渡す。
それは決して”補助効果”の及ばない、ごく自然な量。
「味は保証する。なんてったって俺、超人気の料理人だからな!」
リオの言葉は冗談めかしていた。けれどその声色には、胸の内をすべてさらけ出した後の、少し照れたような静けさもあった。
シグは黙ってそれを受け取り――掌で重さと温度を確かめるように持ち直すと、ゆっくりと口に運んだ。
ふわ、とほどける。苦味も、酸味も、焦げもない。甘すぎず、けれど芯がある。
どこか薬膳にも似た深さを持ちつつ、料理として完成されている味だった。
食材の背景を知らなければ、誰もそれを“異常な混合物”だとは思わないだろう。むしろ、技術と情熱が詰まった、名のある職人の一品。
そんな、味だった。
シグは静かに目を伏せ、言葉少なに、ぽつりと呟いた。
「……うまい」
その一言は、飾り気も装飾もなかった。ただ、正直な感想。
けれど、それを聞いたリオの顔が、少しだけ晴れやかに、誇らしげに、そして――安心したように、緩んだ。
その笑顔をちらと見やってから、シグは唇をぺろりと舐めた。
「……確かに、ああいう連中に渡すには、惜しい」
“ああいう連中”――それが誰を指すかは言わずともわかる。この料理を、金や権力で欲しがる者たちのことだ。
そしてそれを“惜しい”と思ったのは、誰よりも先に、いま隣でこれを味わっている自分がいるからにほかならなかった。
「――うん、ありがとな、シグ」
そう呟くリオの声は、これまで聞いたどれよりも、静かで、深く、暖かだった。
そして、自分を見る金色の瞳を見て、笑う。
「今までは”俺だけの料理”だったけど、お前がいいなら、”俺らだけの料理”にするよ、俺は!」
リオは、携帯食を保存用に切り分け、軽快に笑う。“俺だけの料理”から――“俺らだけの料理”へ。
それはただの言葉ではない。
リオが誰にも渡さなかった“命綱”を、隣に座る戦士と分け合うという選択だった。
シグは何も言わなかった。けれど、その言葉を拒む理由も、遮る理由も、どこにもなかった。
黙って、リオの動きを追い、保存用に切り分けられていく携帯食を、「共に背負うもの」として目に焼きつけていた。
「いやぁ、お前みたいに俺の長話聞いてくれる奴、ほんと変人だよ。お前そのうち、食材に詳しくなっちゃったりしてな!」
リオの軽口が続き、シグの金の瞳が一瞬だけ細められる。
「……詳しくなる気はねぇ」
けれどその声の奥には、“ただし、お前が話すなら聞いてやる”という含みがはっきりとあった。
その視線が、リオの横顔に落ちる。食材云々なんかよりも、お前自身のことが、と、ぼんやりと思った。
が、そんなシグの視線に気づかず、リオはにかっと笑う。
「どうするシグ、明日も早いし、そろそろ解散するか?それとも、もうちょっと飲んでくか?」
「……明日は、出発するなら朝一がいい。山道なら霧が晴れるのを待って動く」
ぽつりと返したその言葉は、つまり、“今日はこのへんで切り上げろ”という意味。
「飲みたいなら、また帰ってきた夜にしろ。お前の話、どうせ止まらねぇからな」
ふっと鼻で笑いながらも、口調はどこまでも穏やかだった。
まだ立ち上がる気配はない。けれど、その余韻の中には、静かな満足があった。
――【リオの携帯食】




