【ホワイトウルフ討伐隊】
「――で、やっぱり降ろしてもらえないわけな?」
のしのしと歩くシグに運搬されながら、リオはそうぼやいた。
返事はない。表情もない。けれど解放される気配もない。どこか大きな狼が拗ねてしまったような、そんな印象。
歩く動きに揺れながら、銀灰色をゆるりと撫でる。
「なぁせめて街に着く前に降ろしてくれよ?魔樹花の蜜で担がれた時とはわけが違うぜコレ」
斜め上から首を傾げ、その顔を覗き込む。その仕草にシグの口元がわずかに引きつり、やや顔を逸らした。
それは怒りでも苛立ちでもない――もっと、ややこしい感情の混ざった“無視”の仕草だった。
「…………考えとく」
低く、短く、吐き捨てるように返す。降ろせば、また逃げられる気がしてならない。
なにより、“降ろせ”と言っておきながら、この男は心底楽しそうな声を出す。
腕に感じる重さとぬくもり。こちらに向けられる柔らかな眼差し。そのすべてが、ナナシタケよりよほど手に負えない。
「……気が向けば降ろしてやる」
「まじかよ」
吐き捨てるように言いながら、シグの歩みは止まらない。
肩に感じる手の重さと、こちらを撫でるその動きが、何よりの“甘え”の証拠だということに、リオが気づいているのかいないのか。
金の瞳がちらりとリオを見上げたが、……真横で笑うその顔が眩しすぎて、視線を戻すしかなかった。
結局、シグがリオを地面に降ろしたのは、街門まで残りわずかというところだった。
ぎりぎりまで降ろそうとしなかったシグと軽いひと悶着をして、リオはやっと身体の自由を得る。
一日ぶりの昼過ぎの街はいつも通りで、焼き立てのパンが並ぶ店があり、噴水のそばには遊ぶ子どもたち。行き来する商人や冒険者。ざわめきが心地よかった。
心の内を暴かれるあの群生地が、幻だったかのように。
冒険者ギルドに入り、シグが受付カンターに依頼の報告へ行く。ギルドの中は、外の喧噪とはまた違う、どこか研ぎ澄まされたような空気があった。リオは、……依頼掲示板を眺めて待つことにした。
討伐、護衛、採取、調査――相も変わらず、多種多様な依頼が並ぶ。新しい依頼書も、古い依頼書も、ないまぜになっている。
……そしてその中、目を引いた二つの依頼。
ホワイトウルフ群の殲滅。グラフドラゴンの撃滅。
どちらも討伐隊の編成が必要な高難易度の依頼で、誰にも選ばれないのか、紙の端がくるりと丸まって古くなってきていた。
(……まだあんのか、コレ)
しばらく、目が離せなかった。
冒険者たちの声、受付嬢の応対、紙をめくる音。併設の食堂から聞こえるざわめきも、装備が鳴る音も、どれもいつもと変わらない。
けれど、依頼掲示板の前に立つリオの瞳だけが、ほんのわずかに沈んでいた。揺らぐ視線が、二枚の古びた紙の上を何度も往復する。
ホワイトウルフ。グラフドラゴン。
どちらも、普通の冒険者なら“見るだけで通り過ぎる”ような難度。
紙の端に指を添えて、わずかに持ち上げる。風にくるりと巻かれそうなその軽さの裏に、討伐されないまま時が過ぎていった“誰かの願い”が残っている気がしてならなかった。
(……誰かがこれを、選んでくれると願って、出したんだ)
以前、そう感じたことがあった。今、それがまた胸の奥で疼く。
……「あの群生地より、ずっと危ねぇよ」。
ふと、自分の声が聞こえたような気がして、リオがそっと肩をすくめたときだった。
「……難しい顔してんな」
低い声とともに、ゆらりと視界の端に外套が揺れる。報告を終えたシグが、手に書類を持ったまま戻ってきた。
その視線は一瞬だけ依頼掲示板を流し、そして、リオの顔を見て止まる。何も言わず、けれどその眼差しが、「行くなら、ついていく」と語っていた。
――《凍結林の白影討伐 ホワイトウルフ群の殲滅》
【依頼内容】
凍結林にて活動を活発化させたホワイトウルフの群れの殲滅をお願いします。特に群れを率いるアルファ個体は過去の討伐隊を退けた記録があり、並外れた戦闘力・知性を持つ個体と推測されます。群れ全体が高い連携行動を示しており、長期的被害の拡大を防ぐためにも、速やかな殲滅作戦が求められます。
【討伐対象】
・ホワイトウルフ群 八~十頭(全滅確認が必要)
・アルファ個体(大型個体、優先討伐対象)
【報酬金】
・金貨一枚
・アルファ個体の素材回収成功時、追加報酬支給
・群れ全体の素材は依頼達成時、全量買い取り保証(別途評価査定)
【注意事項】
・ホワイトウルフ群は寒冷適応が非常に高く、氷雪上での高速移動を得意とします。戦闘区域外への誘導は困難であるため、現地での包囲・殲滅が基本戦術となります。
・アルファ個体は過去の討伐隊の戦術を記憶し、奇襲・側面突撃・囮誘導を駆使する知略的行動が確認されています。
・群れ全体が”無言の連携”を行うため、視覚・聴覚を封じる煙幕等は効果が薄く、各個撃破を徹底する必要があります。
・戦闘時は氷結ブレス・冷気波動による広範囲攻撃に備えてください。
【備考】
・討伐成功後、ホワイトウルフの毛皮・爪・牙・心核(魔力結晶)はすべて資源評価対象となり、ギルド側で適正査定後に買取を行います。
・アルファ個体の心核は特級魔術触媒として高値で取引されるため、破損なき回収を推奨。
「少なくとも前衛壁役が二人、高機動の戦士が四人、魔術師系が二人、追跡・索敵が一人……か」
依頼書に書かれた推奨構成を見て、リオが小さくため息をついた。……当然のことながら、やはり強敵の部類に入る魔獣だったようだ。
報酬はそこそこ、というか下手をすれば割に合わない。それがさらに、この依頼が”余る理由”を物語っている。
隣ではシグが腕を組んでそれを見ている。リオが行くと言えば行くつもりだろう。だがもし行くならば、支度を十二分に整える必要性があることを誰よりもわかっている。
もちろん、リオも簡単には決断できないでいた。
「よう、リオ。何見てんだ?」
声をかけてきたのは、よくリオの露店に顔を出す冒険者だった。その視線の先にある依頼書を覗き込んで、リオとシグを交互に見る。
「……リオお前、こいつも食材にするのか?」
そう聞かれ、リオは困ったように笑う。確かに、そういえばそうだった。
「わはは、してみてぇけど……なあ?」
「だろうな……」
しばし迷って、その冒険者が後ろを振り返る。
声を、張り上げた。
「おーい皆!リオがホワイトウルフ食いたいって!」
「なにィー!?」
「リオまじ!?あはは!」
「やるなぁリオ!」
聞きつけ、口々にからかい、笑いながら、……資料棚から、食堂から、演習場からも、冒険者たちが集まってきた。
その声色は「おいおい」「参ったな」という”やれやれ”の色を宿していたが、皆、掲示板に貼られたホワイトウルフの依頼書を覗き込んでいく。
その視線は、ただただまっすぐで。
「ずっとあったよなぁ、この依頼」
「あたし盾になれるぜ」
「じゃあ俺は魔術で牽制するわ」
……そんな声が、集っていく。
「えっ……な、なに、皆協力してくれんのかよ」
驚いた顔で、リオが周囲を見回した。今だかつて、冒険者たちがリオに対して、こんなに協力的になったことはなかった。
それ故に、この状況に戸惑いが隠せない。
「いやぁ、俺らだって手伝いたくないわけじゃなかったぜ?」
「そうよ。でもリオ、あんた突っ走るから怖くて」
「でも今は……なぁ?」
それを皮切りに、皆の視線が集中したのは、シグだった。……そう、今はリオの暴走を間違いなく止められる”砦”がある。
返事をするでもなく、シグが小さく鼻を鳴らす。
ギルドの掲示板前には、気づけば十人近い冒険者たちが集まり、誰が何を担当するか、さも雑談のように話し合いが始まっていた。
重苦しい空気が漂っていたその場には、今はまるで遠足の準備のような熱気が立ち込めている。その中心で、リオはまだ信じられないといった顔で立っている。
――「お前が、ホワイトウルフを食いたいって言ったから」。
そんな冗談のような理由で動き出した、仲間たちの輪。
「……あ、ありがとうな、皆……」
照れたように笑いながらそう言うリオに、近くの女戦士が肩をぽんと叩いてみせた。
「礼なら、あんたの飯に言ってほしいね。あれ食ったら、少しぐらい命張っても元は取れるって思えるさ!」
「わはは……まあ、俺の料理だしな!」
「言うね!」
再び笑い声が上がり、空気はさらに明るくなる。シグはそれを見ながら、隣で肩を竦めたリオの横顔にちらと視線をやった。リオの目は、以前よりずっとしっかりと未来を見据えていた。
誰が前衛、誰が牽制、誰が索敵――その輪の中心に、リオがいる。無邪気に笑いながら、皆のやり取りを受け止め、頷き、応じている。けれどシグには、わかっていた。
(……こいつ、嬉しさと同じくらい、責任も感じてる)
皆が動いたのは、リオの一言がきっかけだった。冗談のようで、本気になった連中の命が懸かる討伐依頼。
リオはきっと、自分の言葉が「命を預かる言葉」に変わってしまったことを、きちんと受け止めている。
(――その背中を支えるために、俺がいる)
ふと、視線が合った。リオがぱっと笑う。軽い表情に見せかけて、その瞳は芯を持っていた。それが嬉しかった。
「血風!今回は”前”だぜ、アンタ!」
討伐隊の中、誰かの声に、シグが片手を挙げて応じる。何を足すでもない、仕草としてのその返答……それにぴくりと反応をしたのは、遠目で見ていたギルドの主任書記官だったが……声をかけることはしなかった。
シグの眼差しは、リオにしか向いていない。
「……お前らが遅れたら、全部俺がやる」
ぼそりとそう返せば、場に笑いと歓声が、再び広がった。
掲示板から剥がされた《ホワイトウルフ群殲滅》の依頼書は、今やリオの手の中に。
忙しくなるだろう。装備の点検、編成の確認、食料の調達。だが、それでも、リオの隣に立つこの時間が、シグにとって何よりの報酬だった。
その一日は各自支度を整える運びとなり、待ち合わせは明日の朝、街門の前でということになった。
ドキドキと胸が爆ぜる。
緊張か、不安か、高揚かもわからぬまま、リオが中央通りを歩く。
「……な、なぁ、シグ、俺……巻き込んだのかな、皆のこと」
歩きながらも、ついそう口に出た。……誰もが避けてけていたということは、あの場にいた全員が、その危険性をわかっていたということ。
それを、自分が、引き込んだ。
シグは黙ってその隣を歩いていた。肩にかかる重さも気にせず、一定の足取りでリオと並ぶ。
問いかけに、すぐには返事をしなかった。ただ、無言のまま歩き続け、街路の角を曲がると、足を止めた。
シグが立ち止まった気配に、少しだけ先を行っていたリオが振り返る。金色の眼差しが、まっすぐにリオを見つめていた。
「……あの場で、誰かが無理やり連れてきたやつが、いたか?」
低く、平坦な声。
「誰かが嫌々、命賭けると言ったか?」
リオの目が、少しだけ揺れる。
「……、巻き込んだんじゃない。あいつらが来たんだ」
言葉に熱はない。
だが、それはかえって深く胸に刺さった。
「お前の“本気”に、動いたやつがいるだけだ。だから……責任なら、皆で持つ」
それが、シグという男の答えだった。そして、ほんの一拍ののち――。
「……俺もいる」
誰にも聞こえないほどの声で、けれど確かに、そう続けた。再び歩き出した街路の先、明日の冒険が待っている。
リオの背はまだ風のようにとはいかなかったが、その背中を、隣で並んで歩く者がしっかりと支えていた。
――【ホワイトウルフ討伐隊】




