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【シグ、用心棒になる】




夕暮れに染まっていた空が、紫色の薄闇を連れてきていた。

商人たちの呼び声は遠ざかり、石畳には露の気配がうっすらと降りている。


盛況していた露店も今は人がまばらになり、リオも撤収作業をしている。

折りたたまれた焼き台、片付けられていく調味料の瓶、下膳された皿が木箱に重ねられ、湯気の立たない鍋だけがぽつりと残されていた。


その傍ら、シグはその場を離れず、木箱に座ったままその様を見ていた。

立ち去る気配もなく、ただ無言でそこにいる。リオもちらりとそちらを見やり、笑いながら話しかけてくる。


「そうだ、怪我どうだった?結構ひどそうだったから、治療院一回で治るかな~って心配してたんだぜ俺」


リオが肩越しに振り返り、明るくも少しだけ気遣うように問いかける。その言葉には、軽さの裏に確かに“気にしていた”という温度がある。

紫の空を渡る風が、リオの髪を揺らし、快活な彼の笑みを一瞬だけ柔らかく見せた。

シグは少し間を置いてから、ようやく口を開く。


「……骨は折れてねぇ。内臓も異常なしだ」


短く、ぶっきらぼうに。けれど、報告のように話すその声に、少しの“安心”が滲んでいた。


「治療師が言ってた。……“運が良かった”ってな」


リオの方に目を向けることはせず、沈む陽を背に。シグはただ静かに、包帯の感触が残る手を握りしめるようにしていた。

そのまま言葉が途切れ、また風がふっと通り抜けていく。喧騒の余韻だけが、まだほんの少し、空気の中に残っていた。


その答えに、リオは安堵したように、肩を上下させた。


「……そっか、よかったな!怪我が治れば、また旅に出るんだろ?」


——まるで、それが当然であるかのような声色。どこか明るく、けれど、その言葉の奥にある“当たり前”は、妙に静かだった。


リオにとって出会いとは、露店を開いたときに来る客のように、用が済めば去って行ってしまうものだった。

誰もそこに留まらない。しかしまた会えば仲良く話をする。


だからこそ、店じまいをしたのにも関わらず、こうしてそばにずっといるのが、どうにも不思議でならない。


シグはその声に、すぐに返事をしなかった。ただ、焚き火の消えた空気のような静けさの中で、風に揺れる看板の軋む音だけが耳に残る。


空間魔法への片づけを終えたリオが、木箱の隣にしゃがみ込み、肩を伸ばすようにして息をついた。

荷を背負う音もなく、火の匂いも消えかけているのに、まだ隣で笑っている。


——シグにとって出会いとは、何にもならないものだった。

恐れられ、避けられ、誰もそばに留まらない。

だがこの街で受けた他人からの目線は少し違った。それはきっと、この明るすぎる男がそばにいたからで、それがシグを巻き込んだから。

それを望んでいたわけではない。騒がしいのは好きではなく、群れるよりも一人のほうが気が楽だった。


ただ、悪くないとも思った。


隣の気配を感じながら、シグがゆっくりと視線だけを動かした。


「……ああ、行く。そういう稼業だからな」


旅に出る。戦う。報酬を得る。そしてまた別の街へ。

それは、ずっと変わらなかった。変えられなかった。


けれど——。


「だが、まだここを出る理由はねぇ。少なくとも……回復するまでは」


夕闇の中、ほんの一瞬、視線が交わる。

その目の中にあったのは、戦士の鋭さでも、傷を負った者の弱さでもない。ただ、“そこにいる”という確かな意思。


リオの目元が驚いたように揺れ、すぐに何かを言おうとした気配がある。だが、その声が言葉になる前に、シグがひとこと、低く付け加えた。


「……それに、お前の“ちゃんとした料理”、もう少し食ってみるのも悪くねぇ」


それは、不器用な言い訳だったが、リオにとってはそれだけで十分だった。


「……わはは、そうか」


リオが、少し困ったように、やりようのない嬉しさをにじませて笑った。


確かに料理の腕に自信はあるが、それを上回る自分の面倒な性分。珍しい魔獣の素材が欲しい。危険地帯にある食材が欲しい。

それを知ってか知らずか、冒険者は軒並み自分を避けていく。だから正直、ここまで自分の話をまともに聞いてくれる冒険者には、出会ったことがなかった。


しばし迷う。——断られても大したことじゃない。今までもそうだったから。

そう踏ん切りをつけ、思い切って尋ねる。


「なぁ、シグ、お前、俺の食材探しの用心棒になってくれねぇ?」


夕暮れの街に、風鈴のようにその声が響いた。柔らかく、けれど確かに——勇気を込めた問い。

リオは笑っていた。笑っていたが、それはいつもの快活な笑顔ではなく。

どこか困ったように、そしてほんの少し、不安げに口元をゆがめていた。


街の喧騒はすでに遠く、露店の灯りも消えかけている。

人通りの少なくなったこの通りで、ぽつりと投げかけられたその言葉に、シグは静かに顔を向けた。


「……」


しばしの沈黙。

その間に、夕風がふっと吹いて、リオの小麦色の髪を抜けた。若草色の瞳が、まっすぐにシグを見ていた。

シグは腕を組んだまま、わずかに視線を落とし——何かを噛みしめるように、短く息を吐く。


「……お前の食材探しが、普通の場所で済むならな」


それが冗談か皮肉か、一瞬わからなかったかもしれない。けれど、その口調にあるのは、呆れではなく——諦めにも似た、了承の色。


「……無茶すんなよ。止めるのも、用心棒の仕事だからな」


リオの目が、ぱっと見開かれる。そしてすぐに、晴れやかな笑みが広がった。


「い、いいのかよ!俺、断られちゃうかと思ってた!」


その笑顔を前にして、シグは目をそらすように小さく舌打ちする。


「ありがとうシグー!!」


座っているシグの首元に、リオが飛び込んでくる。

首元に突っ込んできたリオの勢いに、シグはわずかに身を引く——が、それより早く、細身の身体ががしっと抱きついてくる。

立ち上がるでもなく、逃げるでもなく、ただその場で固まるシグ。

手は宙を泳ぎ、行き場を失ったまま中途半端に浮いていた。


「……おい……!」

「じゃあさ、俺がさ、マジで危ないことしようとしてたら、それは本気で叱ってほしい!

俺は欲しいものがあったら猪突猛進しちゃうからよ、それが危険だったら、がつんと止めてくれるストッパーになってくれよ!

あと、お前無口だけど常識人っぽいし、俺がなんか非常識なことしてたらそれも教えてくれな?

その代わり、毎日の絶品グルメは約束する!な!」


リオのマシンガントークは止まらない。

まるでこの一瞬に、胸の内をぜんぶ叩きつけるかのように——一気に、真っ直ぐに。


猪突猛進、危険地帯、非常識、それでも料理の腕は絶品保証。

まるで信用してくれと叫んでいるようなその言葉に、シグの金の瞳がわずかに揺れる。

あまりの距離感に戸惑うシグをよそに、リオは快活に、にかっと笑った。


「ほんとありがとう、シグ!」


やれやれとでも言うように、ゆっくりと両手を下ろすと、シグはリオの肩を片手で掴み、ぐいと引き離した。


「……人の懐に入るときは、せめて許可を取れ」


低く呆れたように言いながらも、その手に乱暴な力はなかった。

リオが見上げると、そこにはいつもの無表情——の中に、わずかに口角が上がったような、そんな気配が見えた。


「こういうのも、教えていけばいいのか?」


それは、すでに“受けた”という証明だった。

用心棒として。料理人のストッパーとして。——そして、それ以上の何かとして。


「……ったく、面倒なやつに拾われたもんだ」


だがその声音には、不思議と棘がなかった。

まるで、誰かに自分の居場所を少しだけ預けたような、そんな響きだった。


街の灯が、ゆっくりと夜の帳に包まれていく。

二人の影が、石畳に寄り添うように伸びていた。






リオとシグは、街の中央通りを歩いていた。

夜の帳がゆっくりと街を包み、石畳に灯された街灯が、二人の影を細く長く引いていた。

軒先から漂うスープの香り、遠くから聞こえる笛の練習、冒険者ギルドへと向かう装備音——、街は、昼の喧騒とは違う、落ち着いた息遣いを始めていた。


「俺、今日はひとまず、道具屋に物資の補給にいくよ。そうだ、お前冒険者やってんだし、俺にはない情報網とかないのか?なんか面白そうな魔物とか、食材の情報がないか調べてくれよ!」


街路を歩くリオは、元気そのままにシグを見上げる。予期せず得た相棒に、口調は飛びぬけて軽やかだった。

さっそくか、というシグの視線をものともせず、リオの瞳が、ひときわ大きく輝く。


「……お前な」


シグの視線が横から刺さる。“さっそくそれか”と言いたげな、半眼の金の瞳。だが、リオはまったく怯まない。

むしろ、”うまそうな匂いがしたら突っ込む魔獣”のような瞳で、輝いていた。


「食材の情報、な……」


ぶつぶつと呟いたシグは、腕を組みつつも考え込むように視線を上げる。


冒険者としての情報網——確かに、ないことはない。討伐依頼や遭遇報告には、日々更新される魔物の動向も含まれている。

その中には、普通の冒険者なら見向きもしない奇怪な種——つまりリオの言う”おもしろそうな食材”……いや、食材かは定かではないが、そんなものも含まれている。


「ギルドの依頼掲示板にあるかもな。普段は俺は見ねぇが、……お前が食材にできそうなやつも、多分いる」


そう言って、わずかに視線を下ろすと、リオが「おおっ」と目を輝かせていた。


「だが、調べる前にひとつだけ忠告しとく」


足を止め、石畳に影を落としながら、シグはリオの顔をまっすぐに見た。金の瞳が夜灯に照らされ、かすかに光る。


「その中の半分以上は、“食うな”ってやつだ。……俺が判断する」


それは、妥協ではなく、“約束”に近い言葉だった。

リオの無茶を許しつつも、きちんと止める。——それが、さっき交わした言葉の続きだった。


「いやいや、そういうのでいいんだよ!」


冒険者として登録しているわけではないリオは、新鮮なその情報に目を輝かせた。

もちろん、約束はきちんと守る前提で。


「正直俺は依頼の見分け方とかわかんないしさ、珍しい依頼なんかだと特に。分かるやつがいるとすっげぇ心強いよ。

俺も別に冒険譚つづりたいわけじゃないし…あ、でも、もしシグ個人になんか依頼が来たとかだったら、俺全然手伝うから言ってくれよな。もちろん戦闘以外で!」


リオの手が、眼前を遮るようにピシッと止まる。

”ごめん!”と”無理です!”が混ざったような表情だった。


「じゃっ、俺道具屋いってくる!あとでこの先の酒場で待ち合わせしようぜ!簡単にでいいから調べてきてくれよ!」


そう言いながら去っていくリオは、やはりさながら風のようであった。街灯がぽつぽつと灯り始めた石畳の道を、リオの足取りが軽やかに遠ざかっていく。

まるで空気ごとかき回していくような、鮮やかな残像。


シグはその背中をしばし無言で見送っていたが——最後に振り返って手を振るリオに、わずかに片手を挙げて応えた。

リオの言葉は、全部聞こえている。その“戦闘以外”という妙に念の入った身振りにも、ちゃんと苦笑交じりの理解があった。


「……まったく、忙しねぇやつだ」


低く呟きながら、シグは踵を返す。向かう先は、冒険者ギルド。

目撃情報、未分類の魔物、討伐にはならない奇種の報告。普段の自分ならまず目を通さない、奇妙な項目ばかりの掲示板を、今日はのぞいてみるつもりだった。


「……戦闘以外って言ったが、そもそも“食う前提”の素材探しが常識外だろうが」


そんな独り言も、どこか楽しげに宙へと消えていく。

夜風がさらりと吹いた。一日の熱気を冷ますように、静かな空気が街を撫でていく。


(あいつのそばは賑やかだが、——悪くない)


心のどこかでそう思いながら、シグは夜の街路を、ゆっくりと進んでいった。






——【シグ、用心棒になる】

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