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【シグの役目】



翌朝。


野営を撤収し、ふたりはまた湿林地帯への移動を開始させていた。どこか憔悴気味……いやむしろ覚醒気味のシグを見て、リオが首を傾げる。


「……大丈夫か?仮眠足りなかった?」


悪意なき無意識の口撃に、シグの眉間にきゅっと小さなしわが寄る。

リオはというと、小さく首を傾げただけで……ナナシタケの群生地を書き記した手帳のページを開いて、進捗状況を確認しているようだった。


返答をせず、ただ前を向いて歩くシグの横顔には、夜を越えた者特有の静かな張り詰めがあった。金の瞳は鋭く、しかし足取りは普段通り。だが、肩の力の抜け具合、指先の動きの硬さが、彼の“眠れなさ”を物語っていた。


「……気にするな。予定どおり進め」

「お?おう!」


その返事を聞き、シグはわずかに歩調を早める。それに合わせてリオもぱたぱたと追いかけるように小走りになり、横に並び直した。

開かれた手帳には、前日までに記録された変異パターンのスケッチや、簡易的な魔力反応のグラフが描かれていた。

そして空白の下段には、今日調べる予定の範囲――“中央密集区”の文字。


(まだ終わらないのか、あの地獄が……)


ナナシタケ群生地……感情共鳴型毒茸との戦い、第二ラウンドが、いま始まろうとしていた。




一日目は群生地の外周をぐるりと回り、おおまかにその生息範囲を調べた。

二日目の今日は、中央のナナシタケ密集エリアへ赴き、総個体数を調査する。


リオは昨日と同じく、害のなさそうな変異をさせながら進んでいく。

香り、開花、少しの鏡面。


一方のシグはまたも、自分の周囲に鱗状の変異と棘状変異を発生させてしまい、ふっと肩の力を抜いた。

警戒も怒りも不要。平穏でいることこそが、今一番リオを守る行為となる。


ペンを持つリオの手が、何かを数えるように揺れては、手帳に落ちてカリカリと書き記す。

その若草の瞳がふとこちらをみて、そして足元に視線を落とし、何も異常がないのを確認して笑う。よしよし、その調子、とでも言いたげな顔。



そうしてリオが立ち止まった場所、変異したキノコたちの中に、初めて見るキノコがあった。

はっとシグがそこを注視する。シグの周囲に、ざわりと”警戒”の鱗状変異が広がった。


その”初めて見るキノコ”は、リオの足に寄り添うように傾き、変異していた。立ち止まったシグの視線に気づき、リオが自分の足元を見る。


「ん、なんだこれ。何の感情……?」


触れはせず、少し足をずらし、観察する。

そのキノコはどこか、寄り添うような、寄りかかるような、……”触れたがっている”ような傾きをしていた。


シグの周囲の鱗状変異が、……じわじわと収まっていく。その代わりに、その金の瞳がリオをじっと見る。

リオもしばらくそのキノコを眺めながら、自分が直前に抱いた感情を反芻していた。


――何を考えたっけ。

確かシグがうまいことキノコを変異させないでいたから、よしよしって思って、近くにいたら撫でてやったのになって思って……。


金の瞳が、リオを、じっと見る。


リオの足元にある、触れようとする形。それがリオの感情だったのであれば。「……ほう?」とその目が細くなる。

そのシグの足元にもまた、同じキノコが、ぽつりぽつりと現れてきていた。




風が止んだ。

いや、風は吹いていたのかもしれない。ただ、それを意識の中で認識できないほどに、空間が静まり返っていた。


中央密集域のナナシタケたちは――それまで感情に応じて個々に変異していたはずが、いま、まるで“新たな共鳴”を察したかのように、全体が静かに、傾きを同じ方向に揃え始めていた。


リオの足元に最初に現れた“寄り添い型”の個体。

それとまったく同じものが……シグの周囲にも現れ始めている。


求める。寄る。触れたがる。


ナナシタケは“嘘”をつかない。

リオの視線は足元を見つめたまま止まっている。自分が何を考えていたか――それを思い出し、静かに、手帳を閉じる。


対するシグは、無言。ただ、まっすぐに、じり……とリオを見据え続けていた。

瞳がかすかに揺れる。感情が揺れているのではない。最初から、そこにあった“ある種の確信”が、ナナシタケたちの反応によって、形を得ただけだった。


(……触れたい、のか)


自分に触れたかった。近くにいたかった。そう思ったのか、と。

その想いがナナシタケにまで伝わり、形を成して――そして、それを“俺が見ている”と知っていて、あの無表情だ。


(……こいつ……)


静かに、ゆっくりと、シグの片手が腰の剣帯に添えられた。気持ちを落ち着けるためにその動作をしたが、胸中は存外落ち着いていた。

かわりに、自分の足元の寄り添い型ナナシタケに視線を落とし、ひとつ、ぐ、と足裏で地面を踏みしめた。ぐしゃり、とキノコが潰れて――それはまるで、平静を装う“最後のライン”だった。


眼差しが、ふたたびリオを射抜くように見据える。けれどその表情は、怒りでも拒絶でもない。

ただ――危うくも静かな、受け入れの気配を帯びていた。




長い、沈黙だったかもしれない。……だが、きっと実のところ、ほんの数秒だったようにも思う。わずか一拍置いて――、リオがシグのもとへ歩み寄ってきた。


シグの肩が小さく揺れる。リオは、いつもと何も変わらない表情。自分の深層心理に、気づいていないかのような。

閉じた手帳とペンを、ぐいとシグに押し付ける。


「……食材には向かねぇし、ずっと見てて目が疲れた!あとちょっと、頼むわ!」


あっけらかんとそれだけ言い、踵を返していった。


腹に押し付けられた手帳とペン。シグはそれを反射的に受け取り、顔だけでその後ろ姿を振り返る。

リオの言葉に、気配に、表情に……“いつも通り”の皮を被った、しかし決定的な“逃げ”が含まれていたことを、確かに見抜いてしまう。


(気づいてる)


その眼差しが細められたまま、リオの背中を静かに見送る。

あの距離、あの反応、そして――あの足元に咲いた“触れたい”の兆し。


リオ自身が抱いた感情と繋がらないわけがない。

ただ、それが何を意味するかに思い至り、「いつも通り」の仮面で、誤魔化した。

それだけのことだ、と。


(……せめてそうだと思いてぇな)


思考の底で、静かに何かが熱を持った。


――ぐしゃ。


気づけば、手帳の角がやや強く握られていた。紙の端が指先にくい込んでいる。シグは小さく息を吐き、力を抜いてその手帳を自分の腰に収める。

見上げた空は濃緑と霧に覆われ、ほんのりとした光だけが辺りを照らしていた。


ナナシタケたちは、再び静寂のうちに蠢いている。だが、リオがいたあの場所にはまだ、わずかな“寄り添い型”の傾きが残っていた。


(だったら、俺の感情も……もう、止める気はない)


静かに、シグは歩き出した。

自分の中に芽吹いた“触れたい”感情を、もう否定しないと決めた男の足取りで。






リオは岩に腰かけ、大きく空を仰いでいた。薄い霧の向こう、雲がひとつ流れていく。時間がゆっくりと過ぎていく。足を投げ出し、呆然とする。


(……あのキノコ、触りたいって思ったら出てきた)


まぁ、それはいい、と思った。リオは卵相手でも、羊相手でも、そんな感情を抱く。触ってみたらどんな感触かな、撫でてやろうかな。そう思うのがリオだ。


シグに対して”撫でてやろう”という感情が出てきたのは、一昨日の丸一日の休みを挟んだからだった。

あの日はずっと、頑なにリオを離そうとしなかったシグに、撫でたり、受け入れたり、笑ったり、今考えると少々距離感のおかしいことをしていた。


(だからその延長上の”撫でたい”だと思う)

(――うん。そうだな。違いない)


反動をつけてリオは岩の上に立ち上がった。視界が高い。

霧の中、群生地の影が揺れる。鱗も棘も花も鏡面も、今は息をひそめるように沈黙していた。


そのなかを、ただ一人、シグがゆっくりと歩いてくる。パッとリオの顔が明るくなる。


「おっ!終わったか!おつかれー!」


明るい声が、空に響く。金の瞳がまっすぐにリオを捉え、視線は一度も逸れなかった。

細身の大剣を背に、風も霧も意に介さず、重くもない足取りで。


「……終わった」


それだけを言ってシグは、手帳とペンをリオの胸元へ押し返した。さっきリオがしたのとまったく同じ仕草。

わは、とだけ笑って、リオが受け取った手帳をぱらぱらとめくる。

調査を結果的に押し付けてしまったが、群生範囲や密度が端的に走り書きされ、わかりやすくまとめられている。


「続きありがとな!」


努めて明るくそう言いながら、それを背負いの革鞄にしまい込んだ。

岩の上に立つ自分を、シグが下から見上げている。返事もしない。何も言わない。瞳だけがこちらを見ていた。


きょとん、とその眼差しの真意を――得ようとして、ふ、とリオの頬に笑みが溢れた。両手を広げる。

いつかの森の中でのように、飛び込んでやろうか、と若草の目が笑う。あの時よりは、ずいぶん距離が近いけれど。


ごく自然なその動きに、シグの目が、わずかに細められる。“樹上からの跳躍”が脳裏に浮かぶ。

空気を裂いて飛び込んできた軽い身体と、受け止めたときの衝撃、温度、そして、なかなか離せなかった自分の腕。

それが今、わずか数歩先の岩の上で、笑いながら再現されようとしている。


(また……そうやって)


シグは微動だにしなかった。

剣を背負ったまま、両足をしっかりと地に据え、手も出さず、ただ見上げる。目の前で両手を広げるリオへ、「お前がそうしたいなら、来い」、そう言わんばかりの、かすかに挑むような視線を向ける。


どこか諦めに似た、だが優しさを含んだ覚悟。飛んでくるなら、確実に受け止める。それが、シグの役目で。

風が少しだけ揺れ、リオの髪を梳いた。岩の上と下、距離にして数歩。けれど、心の距離は、いまが一番、近かった。




「……っわはは!」

「ッ……」


至極楽しそうに、その身軽さをもって、リオはシグのもとへ飛び込んでいった。膝で弾みをつけたが、その巨躯は微動だにしない。それがまた、存分に”じゃれつける”感じがして、それが心地よくて、楽しくて。


「すっげぇ群生地だったな!十年分くらいのキノコ見たぜ俺!」


両腕で、銀灰(ぎんかい)の頭を抱えこむ。少し隙間を開けて、胸のあたりでシグを見下ろすようにして、リオが楽しそうに喋る。

シグの腕も、ゆるりとその身体を支える。内心の張り詰めていた何かが、ふっと緩むのを感じた。


リオの腕が、無造作に、しかし確かに自分の頭を抱えている。抱きしめられている。近い、あまりに。若草色が、真上から覗き込むようにこちらを見下ろしている。

特別な感情は見られない。言葉もいつも通りだ。笑顔も、声も、身のこなしも、リオらしいとしか言えない。


だが、その“じゃれつき”の温度が、どこか昨日までとは違っていた。


「……もうしばらくナナシタケは、いらん」


低く、喉の奥でこぼすようにシグが返す。だがその声に責める色はなく、ただ深い疲労と、そして少しの安堵が滲んでいた。

自分を受け入れたようにゆるく回された腕の重み。そのまま、頭を動かすことなく、額をリオの胸元へ軽く預ける。


――これは甘えじゃない。そう言い訳をする。ただ、目を閉じてしまいたくなるくらい、静かで、安心してしまっただけだ。


「……撫でていいぞ」


ぽつりと、ぼそぼそと。

まるで、あのナナシタケの再現のような、寄り添いの言葉だった。






――【シグの役目】

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