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【森のグロサウレイン調査】



——《東林区域 小型魔獣痕跡調査依頼》

【依頼内容】

東林第三区画にて、「小型魔獣による痕跡被害」が散発的に報告されている。痕跡調査を行い、魔獣の行動範囲・生息数・被害状況を記録すること。本依頼は討伐ではなく調査を主目的とし、必要に応じて「個体撃退は可」とする。


【目標】

魔獣による被害状況の確認、行動範囲の解明


【報酬金】

銀貨六十枚(調査精度に応じて追加報酬支給)


【特記事項】

・確認されている痕跡は「幹や枝の削り痕・果実食害・根周辺の掘り返し痕」。

・個体数は「群れ行動で五~十体規模」と推定。

・”糞・足跡の分析”による追跡を推奨。




シグが選んだ依頼を見て、リオは満足げに頷いた。

その足で、そのまま受付カウンターへと歩を向ける。受付には、いつものようにマリーナが座っていた。


「マリーナさんおはよ!これお願いします!」

「おはようございます、リオさん、シグさん。確認いたします」


受付嬢スマイルで返事をしつつ、マリーナはリオの背後に立つシグへと視線を向けた。

相変わらず威圧感を漂わせながら、無表情で壁のように立つその男。

だが、屈することなどできない。無言で、そちらへもすっと手を差し出す。

その背に隠し持つ供給……いや、依頼書を、見逃すわけにはいかなかった。


「シグさん、あと二件持ってらっしゃいますね?そちらも承ります」


ぴく、とシグの肩が揺れた。思わぬ加勢。リオも、同じように後ろを振り返ってにやりと笑う。……逃げ場はなかった。

無言のまま、後ろ手から二枚の依頼書——《魔樹花(まじゅか)の蜜採取》と《ナナシタケ群生地調査》を取り出し、マリーナへと差し出す。


「……それは、予備だ」


まるで言い訳のような言葉が添えられるが、マリーナはにっこりと受け取った。


「はい、予備ですね。承りました」


その口調に滲む“完全勝利”の響き。にやにや顔のリオ。

じわ、と金の瞳がわずかばかり細くなる。


(……やられた)


そんな言葉を、口にはせずとも全身で語っていた。




卵をマリーナに預け、二人は街を後にしていた。

リオが改めて、魔獣の痕跡調査の依頼書を眺める。その隣、街道を歩くシグは、遠く山や風の動きに目を走らせていた。

天気は悪くない。風向きも今のところ順調で、先日のような土砂降りの気配もない。

依頼書をカサリとたたんだリオが、それを革鞄にしまいながら隣を見上げる。


「俺は木の上から観察していくのがいい?」


シグは風を一瞥しながら、すぐにその提案に答えるように口を開いた。


「……上からの偵察、悪くなかった。音と動きに気をつけろ。枝は踏み抜くな」


暗に、”任せた”という響き。頷くリオを金の瞳が横目に捉え、一拍おいて続ける。


「目印になる痕跡を見つけたら、声じゃなく……指笛で知らせろ。ケズリホネのときと同じだ」

「おう、まかしとけ」


風に揺れる木々のざわめきのなかに、ふと小動物の走り抜ける気配が紛れた。

それに気づいたシグが、背後の気配にも気を配りながら、軽く首を鳴らす。


「……俺は下から回る。あまり離れるな。餌食ってた跡があったら、先に俺に見せろ」


口調はいつも通りの無骨なものだったが、どこか、その言葉には“リオを先に行かせたくない”という静かな警戒が滲んでいた。

そして、最後に。


「飛ぶなら、気をつけろ」


そうにやりと付け加えた声は、あまりに自然で、あまりに静かで。

そのまま彼は、草を分けて、音もなく林の奥へと足を踏み入れた。


「……とっ、飛ばねーよ!」


リオは思わず肩をいからせ、ついで手近な木に足をかけた。ひょい、ひょい、と軽やかに樹上へ登る。

最終的に飛び乗った枝は、リオの体重に軽やかに揺れただけ。眼下のシグの動きを見ながら、リオは一歩ずつ確実に、枝から枝へ移っていった。






そのうち、ある一角で、リオの動きが止まった。

飛び移った枝のすぐ近くの幹に、ぞり、と削り取られたような跡が複数ある。歯形、に見えないこともない。

だが地上から高さがあり、足場も細い。まず、シグはここに来れない。ひとまず、シグへの合図の指笛を鳴らす。……ヒュイ、と澄んだ音が森に響いた。


風の流れが変わり、鳥が一羽、枝を払って飛び立つ。合図がその音に紛れることなく、シグは立ち止まり、すぐさま顔を上げた。


金の瞳が、後方にいる樹上のリオを正確に捉える。それだけで、どこに何があるのかを察したようだった。

ざっ、と落ち葉を踏む音。木の根を回り込むように、シグはその樹の真下まで歩を進め、見上げる。


「シグ、ここ削り痕あるぜ」

「……高さ、三間。俺は行けないな」


互いに呟く声は聞こえぬほど小さく、しかしその瞳は鋭く観察していた。

風に揺れる枝。リオの足元の不安定さ。幹に残る、深く鋭い削り痕。


「痕跡、写せ」

「おう」


低く、しかしよく通る声が届く。

同時に、シグは腰のポーチから布巻きの小さな帳面と炭筆を取り出し、膝をついて地表の確認を始めた。

足跡などはない。だが……。


「……果実の皮だ、新しい。今朝か昨夜のうちに食ったな」


拾い上げた果実の外皮には、明らかに噛み跡が残っていた。


「この痕、そっちの痕と、位置を合わせて記録する」


言いながら、彼は地表に簡易な杭と糸を使って、痕跡の位置をマークし始めた。

枝の上と地面……二点を基軸にして、行動範囲を測るためだ。




リオは削り痕を描き写しながら思案した。


今、リオがいるこの高さに痕跡がある。ということは、地上から樹上までを移動できる魔獣だ。

恐らく草食。だが木を登れるなら硬い鉤爪のようなものがあるはず。


依頼書の”小型魔獣”というところからみて、この削り痕が歯型だとすれば、口の大きさはなかなかのものだ。

木の根元を掘り返す性質。果実や樹皮を主食とし、樹上への移動も可能な……。

スケッチを終え、素描を持って下へ降りた。シグにそれを渡しながら、記憶を手繰り寄せる。


「シグ、確かグロサウレインっていう魔獣、いたよな」


……それは、五十センチ程度の小型の竜種で、警戒心が強く、木の枝に擬態して隠れる性質をもつ魔獣だった。

一本の大樹を拠点とし、周囲十~数十メートルが活動範囲となる。


シグは素描を受け取ると、じっとそれに目を落とした。

樹皮に残された抉れの角度。深さ。間隔。そしてリオが添えた注記の細やかさ。彼の指が炭筆の黒をなぞるように滑り、眉間にかすかな皺が寄る。


「……ああ、グロサウレイン。南の方にしかいないと思ってたが」


つぶやく声に、わずかな警戒の色が混じった。


「警戒心が強く、縄張り意識も強い。が……一体なら威嚇だけで済むこともある」


ゆっくりと立ち上がり、視線を広く巡らせる。葉の揺れ。鳥の鳴き止む間。風の切れ味。

そして、すぐに次の言葉が続いた。


「……ただし、複数いたら危険だ。樹の上から襲ってくる。枝に化けて、群れで」


手にした素描を半分に折って収納しながら、シグは歩を進める。


「他の痕跡を見てから決めよう。まだ確定じゃない。だが、そいつなら……痕跡が一本の樹に偏って出る。範囲も限られてる」


シグがこうして考えながら話すとき、リオはただ押し黙る。思考の邪魔をしないように。……軍師の指示を待つように。


「行けるか、リオ。枝の先まで調べるなら、あの樹の南面に登れ」

「ん、」


指し示されたのは、一本だけ周囲よりも樹勢の良い木だった。その南側に、わずかに斜めに傾いた枝が何本も重なっている。

……擬態には、うってつけの配置だった。


当然のように、託され、……頷く。


歩みを揃えて木の真下までくれば、大樹は大人が数人で囲んでも抱えきれない太さだった。その幹、目立ったとっかかりもない中、リオはわずかな段差に手をかけて身体を持ち上げる。

下ではシグが、周囲に視線を巡らせながらも、リオの万一の落下に備えていた。


一番低い枝に足をかけ、眼下を望む。シグが手振りで行く先を示してくれている。


ならば、応えねば。


シグの指さす方を見上げれば、次の足場となる枝があった。軽い跳躍で飛び上がり、登る。反動をつけて、また登る。


金の瞳が、どこか不安げな色を宿す。リオが自分の手の届かない場所にいる。それが何よりの不安だった。

だが、信じて任せることでこそ示せる信頼の形もまた、ある。すべての脅威から守り続けることが最善とは限らない。リオもシグも、互いにそれをわかっていた。


樹形の中腹、葉が一層生い茂る太い枝に飛び乗り、リオは注意深く様子を観察した。

足元を確認しつつ、一歩、また一歩と枝先まで歩を進める。



——その先に、形が歪な枝があった。



巧妙に擬態しているようだが、硬鱗の質感が、周囲の枝から若干浮いている。

五、六……八体は確実にいる。


(擬態……息を潜めてるのか……寝てるのか)


リオが呼吸を小さく落とし、眼下のシグを捉える。その視線に向けて、指を八本立てた。




地上でリオの姿を見守っていたシグの金の瞳が、わずかに細められる。


葉擦れの音を越えて、上からの無言の報告——“八”という数字。その指が揺れないことに、確かな確信があった。

だが、それは同時に、リオが八体の魔獣と至近距離にあるという事実を示している。


手の届かない場所。刃も、届かない位置。顔を真上に向けねば視界にすら入らない高さ。

シグの喉がかすかに動いた。息を、深く通す。


瞬間、……土を蹴った音すらなかった。シグの足元から七間——十余メートルにも及ぶ、苔むした急傾斜の巨石へ、地形に逆らうようにシグの身体が“駆け登っていた”。

筋線が張り詰め、影のように駆け上がる。到達と同時に止まり、——枝の先へ鋭い視線を送る。


腰から短剣を抜き、刃の反射で光を操るように、リオに合図を送る。“威嚇だけで済ませる”か“殲滅する”かを問う、あまりに無骨で単純な合図。


——選べ。お前の判断を、信じる。


刃の先が、わずかに震えた。風を読んでいる。次の瞬間に飛ぶ覚悟も、すでにできている。

ただその眼差しは、木上のリオだけを、真っ直ぐに見つめていた。




リオは、逡巡した。


グロサウレインは、樹木資源を主食としてしまう、いわゆる害獣だ。だがそれは、群れの規模が大きければの話。

恐らくシグは、これらを難なく殲滅できる。威嚇で散らすだけにしたとしても、またここへ戻ってこないとも限らない。


(——冒険者としては、甘いのかもしれないけど……)


シグに、指を五本立てた。——三体は生かそう。群れの数を半分以下に減らせば、食害も減る。

その決断が、正解かどうかはわからないけど。


シグが一拍だけ、動きを止める。リオの指が、明確に「五」を示す。それが正しいかどうかではない。リオがそう選んだ。

それだけで、彼の中にある判断の天秤は、あっさりと傾いた。


銀灰の髪が風に揺れ、刹那、シグの姿が視界から消えた。


「——ッ」


枝と幹の間を駆け上がる音すらなく、彼はまるで“跳ね上がった風”のように、グロサウレインたちの潜む枝へと踏み込んだ。


一体目。気配を悟られる前に、胴を断つ。

二体目。鳴くより早く、枝から落とす。

三、四体目。警戒して身を逸らした瞬間に、両肘を刃の反動で抉るように撃ち落とす。


五体目は、気づいた瞬間には首が横に傾いていた。血も声もない。


……残った三体は、あまりの速さと無音の連撃に恐怖し、擬態を解いて飛び退いた。

ばたつかせるように身を翻し、木々の奥へと逃げ去っていく。



一瞬の事だった。呆気にとられたリオが、一度だけ瞬きをしたかもしれない。

ざわめき。葉の舞い。木々の間に、再び静寂が戻ったとき……シグは枝に片膝をつき、背を向けたまま、ほんの少しだけ振り返った。


「……リオ」


……ぽつりと落ちた声は低く、短く。けれど、そこには問いも責めもなく。ただ、“お前の今の選択を否定するつもりはない”、そう伝えるための一言。


その後ろ姿に、リオが返事をしようとして…………みしり、と足元で嫌な音がした。


身軽なリオだけならまだしも、巨躯のシグが飛び乗ったことにより、足元の枝が静かに、……限界点を迎えていた。


「……あっ」


リオがサッと青くなる。木登りは得意だ。樹上の移動にも長けている自負がある。

だが、さすがにこの高さからの自由落下による着地には、全く自信がなかった。


バキバキッ——と乾いた破裂音が森に響き、枝が支えを失った。


刹那。

金の瞳が鋭く光を放つと同時に、崩れる枝の軋みを合図に、彼の身体が空気を裂いた。


「……ッ!」


リオが落ちるその一瞬の間に、重力に逆らうようにシグの大柄な身体が宙を駆け、斜め下からリオを受け止めるように突き上がる。

その動きは野生そのものであり、しかしリオの身体を決して傷つけぬよう、細心の注意が込められていた。


木肌を蹴る、枝をかすめる、葉を裂いて——ごう、と風が巻き上がる中、リオの背にぴたりと片腕を回したシグは、真下の幹の分岐を視認。

その瞬間、全身の筋肉を躍動させて、そこへ向けて身体ごと滑り込んだ。


——どん、と硬い衝撃。


巨木の幹、その凹みに膝と肩を打ちつけながらも、シグはリオを抱いたまま、その身を盾にして制止していた。


葉が落ちる音。静かに揺れる枝。もう何も落ちてこない——その確認とともに、穏やかな眼差しがリオを見下ろした。

胸元に収まる温もりは、無事である証拠。シグの表情は、怒っても、呆れてもいない。

ただ静かに、唇の端がわずかに——ほんのわずかに、引き上がっていた。




地面へ叩きつけられる衝撃もなく、背中に回る覚えのある力に、リオは一瞬で状況を理解した。


「……びッッッくりしたぁーー!!」


声を森に響かせながら、はるか眼下を見て地面を確認し、シグを見上げてその無事を確認する。

頭に葉っぱなどをつけている、やや安心した表情の用心棒。その両腕の中で横向きに、丸く抱え込まれている自分。


「うっわぁ、ありがとうシグ!!大丈夫かお前!」


シグはリオの言葉を受けて、小さく息をついた。そのまま腕を緩めず、ぐっと抱き寄せたまま身体を起こす。

片膝を幹に立て、リオを抱いた状態で姿勢を整えるその動作は、どうやらまだ降ろすつもりはない。


金の瞳が、至近でリオの顔を見つめる。ついで、肩、腹、足先などに、その視線が流れていく。

表情は変わらず無骨なままだが、その視線の奥に滲むもの——それは明確な“安堵”だった。


「……大丈夫だ。お前は、どこもやってないか?」


低い声。目視でも確認をとりながら、けれどどこか強く抱きすぎていないかと、遠慮がちに力を調整してくる。それがまた、無意識に気遣いが滲んでしまっている証拠だった。


リオの背中越しに風が通り抜ける。葉擦れの音とともに、少し遅れて、地面に落ちた枝の破片がパラパラと舞い散る。

それを受けてか、シグはふっと小さく鼻を鳴らした。


「……飛ばなくてもこうなんのか」


その一言は、皮肉にも似て、しかし限りない優しさで包まれていた。


「わはは、飛んでねーよ落ちたんだ!お前のせいで!」


思わず笑いながら、リオがそう返す。

もちろん、シグがあの枝に飛び乗ってきたのが魔獣を狩るためだというのはわかっている。……だが、その結果がこれだ。おかしくもなる。

いやいや助かりました、と降ろしてもらおうと体をひねる——が、やはり何をどうしても腕が外れない。


「……い、いや離せよ……またかよ……」


少し声を上ずらせ、半目でシグを睨み上げた。

シグはその睨みに、ほんの一瞬だけ目を伏せ……そして返事の代わりに、腕の力を強めた。


がっちりと、逃げ道のない抱え方。背に回る腕、腰を支える手。慎重かつ頑なに、その身体を保持している。


「……こうしてる方が、安全だ」


低く、ぼそりと呟く。

まるで“俺がそう判断した”と言わんばかりの理屈を盾にしつつ、その声には理性と衝動の隙間が滲んでいた。


リオの体温、声、鼓動、匂い。

すべてが、今この瞬間、自分の腕の中に収まっている——その事実に、シグの喉仏が、わずかに上下する。


「……怪我させたかと、思った」

「そ、それは……」


どうにも切なそうな、そんな声とともにぎゅうと抱きすくめられては、リオも、ぐ、と口ごもるしかない。どちらが悪いわけでもない。事故だ。そして大丈夫だった。

だからそこまで気に負うことでもないはず。


「……助かったよ、シグ。ありがとな」

「……ああ」

「もう落ち着いたし、離してくれて大丈夫だぜ」


ぽん、と抱える腕に軽くタッチする。ところがこの大男、それでもこの抱擁を手放したくない、とでもいうように、こめかみにぐり、と額を押し付けてきた。

リオの表情を確認するように、ちらりと腕の中を覗き込んでくる。


「もうこのまま帰る」

「おっまえ……」


わは、とリオの顔がわずかに笑った。……いや、どちらかといえば、困り笑い。というかあの、もう、近い、顔が近い。


「ま……まだ終わってねーだろ依頼が!痕跡まとめて調査……報告書?とか書かなきゃいけないんじゃねーの!?生体数とか!こっ行動範囲とか!」


対するリオも必死に、思いつく限りの”やらなければいけないこと”を述べる。かろうじて自由な手で抵抗を試みる。精いっぱいの睨みはちっとも効かない。

それどころか、金の眼差しが近すぎて直視できず、わずかに顔を逸らした。


シグの腕の中、ふいに空気が和らぐ。

逸らされた横顔、赤く染まる頬。手のひらに伝わるかすかな震えと、ぎこちない抵抗の動き。

それは、命の重さとはまた別の、確かに“守りたいもの”の手応えだった。


——ふぅ、とシグがゆっくりと息を吐いた。

そして、ようやく腕をほどく——ように見せかけて、ほんの数秒、意地のようにそのまま保持。


「……そうだな。報告書、まとめなきゃな」


やっとのことで緩められた腕の中から、リオが逃げ出す寸前、シグは耳元すれすれで低く囁いた。


「あとで、逃げんなよ」

「っあ!?」


それだけを言い残し、リオを枝の上へとそっと降ろす。

自分は木の幹に手をかけ、そのまま地上へと飛び降りた。ほとんど音もなく着地した姿は、既に次の動作に入っている。


「……さっきの幹の北側に、掘り返し痕。たぶん寝床跡だ」


何事もなかったかのように、調査の続きを始めるシグ。だがその耳の先がほんの少しだけ、赤く染まっていた。




リオは、枝の上、囁かれた方の耳を思わず手で覆っていた。


(——あとでってなんだ?なにがあとで?)

「……くっそ……!」


シグに聞こえない声でぼやく。


まんまとしてやられている。落下から救われたのは確かだが、なんというか、隙あらば接触を試みてくる。

何故か熱い顔を見られぬように、シグから離れるように、また枝を登っていく。


そうだ、この大樹にある残りの痕跡を探そう。決して逃げているわけではない。

だって結局同じ宿に帰る。同じ部屋に帰る。


(誰だあいつと俺を同室にしたのは!)


過去の自分に、小さく悪態をついた。下からは、かさりと葉を踏む音。


リオの独り言は、木々のざわめきに紛れてシグには届かない。届くのは、枝を登っていく衣擦れと、かすかな物音だけ。地上のシグは、それを追うように上を見上げ……ぽつり。


「……気をつけろよ」


またしても、リオの姿が手の届かない場所へと登っていく。だが今度は、ほんの少しだけ距離を取って見守っている。

口元には、ほとんど気づかれないほどの笑み。


その笑みには、からかいではなく、“戻ってきてくれる”という確信が滲んでいた。


リオが枝を這い、幹の裏手に回ると、樹皮の間に乾いた泥の痕が続いている。細い爪痕も並び、どうやら夜間に複数の個体が一度に移動した形跡だ。

このあたりが彼らの活動の中心だったのだろう。


風が通り、葉が擦れる。

森の中は、魔獣の気配よりも、なぜかふたりの体温だけが濃く残っていた。


地上ではシグが、次の痕跡を記録するため、再び炭筆を手にしていた。

その指先は相変わらず粗野で無駄がなく、しかし、時折ふと枝の上——リオのほうを見上げる癖が、つい抜けないままでいた。






——【森のグロサウレイン調査】

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