【隠し事はお上手ですか】
朝リオが目覚めると、目の前にシグの寝顔があった。はっと身を引きそうになるが、起こしてしまう、とすんでのところで止まる。
卵はというと、布団の中、腹のあたり、リオとシグの間でぬくぬくと温まっていた。
(そうだ、昨日、捕まって……)
逃げられず観念して、こうして寝たことを思い出す。
外はまだ白み始めてきたところで、太陽は昇っていない。
「……」
息を殺して、気配も消して、そろり、と布団からの脱出を試みる。が……リオの肩がわずかに浮いた、その瞬間。
「……無理だ」
低く、かすかな声が耳元を打つ。
覚醒したばかりの低音。それが妙に素肌に染み込むように響いてくる。
「今動いたら……寒い」
まるで本能が先に口を開いたような言葉だった。
そしてその直後、リオの腰のあたり、するりと回された腕がきゅう、と締まる。
……思わず両手で顔を覆う。なんだこの男は。なんなんだこの男は。
ちょっとどなたか入れ替わりましたか。数日前までのお前ってそんなやつだったっけ。
もうこれは抜け出すことは困難なのでは、という絶望に似た感情までが、リオの中に湧き上がった。
気を付けよう。今後は不用意にシグの抱擁範囲に収まらないように。
そう決意するが、今現在その範囲から抜け出せていないのも事実。
しばしの逡巡の末、効果のほどはわからないが、奥の手を使ってみることにする。
いや、もうそれしかない。
腹をくくったリオは、上半身を緩くおこし、シグの頭に手を置いた。
やんわりとその銀灰の髪を梳きながら、できる限りの優しい声を出してみる。
「……しっ、シグ~?俺朝飯作ってくるから、離してくれよ?後で起こしに来るから、なぁ?」
そして、笑顔。これでダメなら打つ手なしの捨て身の攻撃だった。
シグの睫毛が、わずかに揺れた。
だが金の瞳は、まだ閉じたまま。
一拍、二拍……そして。
「……ずるい」
その一言が、低く、眠気の底から絞り出されたように漏れる。
直後、リオの腰を抱えていた腕が、少しだけ緩んだ。が、完全には解かれない。
「……三分。だけ、待て」
まるで眠気と葛藤しているような、何か別のものと葛藤しているような、曖昧で微妙な余白のある声。
そのままリオの額のあたりに頬を寄せ、再び微睡みに戻る気配を漂わせる用心棒。
腹の卵が、ころんと身体をリオの方へ傾けた。ぬくぬくの布団の中、完全にくつろぎきったその存在は、言葉こそ発さぬがその意思は明確だった。
——お前ら、またやってんな。
リオの腹とシグの胸に押し込まれた格好の卵は、まさにこの布陣の主役であり、最も得をしている立場にも見える。
外の空気はまだ朝の冷たさを含んでいるが、布団の中は、三人で……否、ふたりと一つで、過剰なくらいに温かかった。
シグと、腕と、卵。前後左右に挟まれる形となったリオ。その自由は、完全に封じられている。
打つ手なし。策も尽きた。リオはもう、全てを受け入れるしかなかった。
朝の街並みを歩きながら、リオはなんだかどっと疲れていた。
今日は日も昇る前から異様に疲れた。自分で考えうる限りの最終兵器まで使ったのに、まるでなすすべがなかった。
隣ではその原因である巨躯の男が、いつものスン、とした顔で歩いている。
そして第二の原因である卵も、おくるみにくるまれて我関せぬといった風でいる。
おう、おはよう、と声をかけてくる街の人たちに、少々やつれて返事をする。
「おはよう、皆今日も元気だなぁ」
「リオ、こないだの肉……もう一度食べたいんだけど!」
「卵ちゃん元気!?ちゃんと朝も日を浴びてる!?日光大事よ!」
「……あら、シグさん……今日もお静かで……ふふ、素敵……」
そんな街の人々の活気と何やら熱い視線を一身に浴びながら、——リオは笑顔を貼り付け、疲れ切った足取りで通りを抜けていく。
その隣、まるで何もなかったかのように歩くシグ。
だがふとした瞬間、それもリオが目を逸らしている間に、彼の口元がほんのわずかに緩む。満足げな、しかし誰にも見せることのない、かすかな笑み。
それはまるで、「お前が無警戒だったのが悪い」とでも言っているような余裕すら感じられる。
卵も卵で、ころころとおくるみの中を転がり、さも“じゃあちょっと二度寝しますね”なんて主張するかのように揺れて、ぴたりと動かなくなった。
こうして朝の中央通りを歩くふたりと一つは、それぞれが違う意味で、すでに“全力を出し切って”いた。
冒険者ギルド近くの広場は、午前から活気に満ちていた。陽光がようやく本格的に差し始め、石畳にうっすらと影が伸びていく。
広場の喧騒は活気に満ち、鍛冶屋の金属音、パン屋から漂う香ばしい香り、それらすべてが“街の朝”を形作っていた。
呼び込みをする近くの商人。討伐や採取依頼へ出かける冒険者たち。
たくさんの人々の往来の中、リオは石造りのベンチに腰を下ろす。足を投げ出して、少し休憩をすることにした。膝の上、おくるみにくるまれた卵は陽を浴びてぬくぬくと丸くなっている。
「あ、リオ!昨日の煮凝り、最高だったぜ!」
通りすがりの冒険者が元気に手を振ると、リオは疲れた笑みで手を振り返す。
そのやつれ具合に、別の通行人がひそひそと囁く。
「……あれ、リオ、ちょっと疲れてない?」
「ああ、なんか……笑みがな」
「シグさんが夜通し見張ってたんじゃない……?」
惜しい。絶妙に惜しい。だが訂正してしまうといろいろとおかしいことになってしまう。
リオはただ、陽を浴びる卵を指でこつんとつつき、「お前はいいなぁ」と、魂の抜けた声でつぶやいた。
隣では、シグがチラリと視線を落とす。その目に——うっすらと、誇らしげな光が宿っていた。
近くの屋台から漂う香りと、風に乗って流れる小鳥のさえずり。街のざわめきが心地よく、リオのまぶたがわずかに落ちる。
——寝てしまいそうだ。
わずかに頭を振って隣のシグを見上げると、リオのその視線に気づいてこちらを見る。
「……シグ、ギルドに行って、また何か依頼見てきてよ」
「……」
ぴく、とシグの片眉が上がった。……クロヤミワラビ、スナヤドリ、ケズリホネ。
シグから初めに提案された三つの依頼は、結局すべて、食材にはならなかった。
何より、依頼の難易度や達成見込みは、リオにはまだピンとこない。
「俺が見るより、シグが見た方がわかるじゃん?」
「……まぁ、」
シグはリオの言葉に、わずかに顎を引いた。その目に、かすかな納得の色が浮かぶ。
「……確かに。お前は、選ぶより拾う方が得意だからな」
それは皮肉のようで、妙に的を射ていた。
リオの懐に収まった卵と、今目の前に立つシグが、まさにその“拾ってきた”存在の象徴だった。
広場の風が、リオの髪を軽く揺らす。日差しが強くなるにつれて、人の往来もさらに増えてきた。
シグはしばし黙し、視線をギルドへ投げたあと、リオの隣に腰を下ろした。
「……少し休んでから行く。卵も、まだ温めてる最中だ」
つまり、しばらくはここを動かない、という、彼なりの宣言だった。
陽光の中、石のベンチに並んで座るふたりと、一つ。
その構図を目にした通行人の誰かが、「これは……新たな供給構図……」と呟いて、また静かに召されていった。
冒険者ギルドは、その日も朝から忙しかった。天気のいい日は冒険者たちの動きも活発だ。
連れ立って討伐依頼に行く者、昨日の成果を納品しに来る者。
採取の依頼を複数受ける者、新しい依頼を持ち込む住人や組合員。
様々な目的を持った者が、ひっきりなしに出入りする。
そんな中に、シグの姿もあった。
まっすぐに依頼掲示板へ向かい、そのままほかの冒険者たちと肩を並べて腕を組み、依頼を吟味している。
「血風だ……」
「今日は一人か……?」
わずかにギルド内の空気がざわめく。
いつもあのリオの隣にいるから忘れていたが、れっきとした高ランカー。つまりは雲の上の人物である。
話しかければ、答える。だが話しかける内容はない。取っつきにくい男だった。
「ちょっ……目合わせんな……」
「殺気とかじゃない、でも、なんか怖え……」
「でも見て。めちゃくちゃ依頼を真剣に見てる……!」
ざわざわと距離を取る者たちの中、シグは何も気にしていない。他人の評価や噂など取るに足らない、などではない。現状リオ以外に興味がない、というのが正しい。
視線を横に払うことなく、ただ静かに一枚一枚、依頼書の内容を目で追っていく。
見る者が見れば、それは“探索対象を絞る前の狩人の目”そのものだった。
討伐系、調査系、搬送依頼——だが、そのどれにも、金の瞳は動かない。
彼の目が止まるのは、素材が明記されているもの。
”特異な肉質”、”植物系魔獣”、”地域限定の味”など、リオが聞いたら絶対に目を輝かせそうな単語に、アンテナを張っていた。
「……これは、リオには見せられん」
小さく呟いた依頼書を、一枚抜いて脇に置く。内容は——
《魔樹花の蜜採取依頼》:催眠作用あり、採取中に眠る者多数。同行者必須。
「……毒も、ダメだ……」
次に抜かれたのは、
《ナナシタケ群生地調査》:形状変異のある毒茸。反応は未解明、報酬高め。
彼の中で、“リオの目が光りそうな危険物”リストが、着々と増えていく。
だがそれは“回避”ではない。いざというときに選択肢に入る、“念のための保管”だった。
そして最終的にシグの目が止まった一枚——それは、素材採取に見せかけた、軽度の魔獣調査依頼だった。
「……これなら」
リオが暴走せず、それでも興味を持ちそうな、絶妙なバランスの依頼書。
金の目が細められ、依頼書を静かに掲げる。その姿を、遠巻きに見ていた誰かが、ぽつりと呟いた。
「……あれって、恋人のプレゼント選んでるときの顔じゃない?」
その瞬間、記録係の筆がまた走る。
《ギルド内・選定供給事案》発生時刻:09時47分
《血風氏、リオ氏のための依頼選定中。供給性:高。視線の柔度:中。対象:紙片。》
その時、冒険者ギルドの扉を開け、遅れてリオが顔を出した。
「お、リオおはよう!」
「血風もう来てたぞ」
そんな周囲の声に「おはよ!」と挨拶をしつつ、掲示板前まで歩を進める。
す、と素早く、シグの手元が動く。
魔樹花の密、ナナシタケの依頼二つを隠したその手元を、リオが一瞥し、下からシグの顔を覗き込んだ。
「シグ、なんかいいのあった?」
——”今なんか隠した?”と問う言外の声を、誰もが聞いた。
一瞬……シグの動きが止まる。
だが、顔色ひとつ変えず、まるで“何もなかった”かのように依頼の束を整え直した。
「……一つ、使えそうなのがある」
低く、落ち着いた声。
その手元に残された一枚——《東林の魔獣痕調査》。報酬は控えめだが、食材になる可能性が否定されておらず、危険度も低い。
リオが“まず興味を持ち”、そして“暴走せずに済む”よう、ほどよく調整された内容だった。
だが、リオは、その依頼書を覗き込みつつ、ちらりとシグの手元へ視線を滑らせる。
まるでその無表情の奥を探ろうとするように、じっと見つめていた。
そして、にかっと笑った。
“気づいた”というより、“気づいても気づかないふりをした”ような、
そんな悪戯っぽい表情。
その瞬間、
「くっ……」
「今の見たか……」
「絶対察してる顔だろあれ……!」
「わかってる……!リオわかってるぞ血風……!」
「供給入りましたァッ!!」
ギルドホール内、波紋のようにざわめきが走る。
が、渦中のふたりは、そんな揺れなどどこ吹く風。
リオは卵を小脇に抱えたまま、大人しく依頼書を受け取っていた。
——【隠し事はお上手ですか】




