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【料理人リオ】


リオたちの道中は、思った以上に進みがよかった。

シグの傷の具合で歩みはゆっくりだったものの、街へ着いたのは、ちょうど昼に差し掛かる頃。


たどり着いた街の門番に、身分証の提示を求められる。

リオは商人ギルドのカードを、シグは冒険者ギルドのカードを提示した。

自分のカードをポーチにしまいながら、リオがシグのほうを見る。その手元にあったのは、見慣れないカードだった。


「……んん、お前それ、冒険者ギルドのカード……?だよな?……何か見たことねぇんだけど」


カードの端に記されていたのは、黒と金の混じった独特な紋章——それは通常の冒険者等級の枠にはない、特例として扱われる“個別認定”の印。

そしてもうひとつ。極めて簡素な文字。


【特級認定冒険者:シグ・エルラント】


門番がちらりとそれを見た瞬間、わずかに背筋を正したのも、リオは見逃さなかっただろう。


「……別枠だ」


低く、ぶっきらぼうなその声からは、説明が面倒だ、という気配が滲んでいた。


「……等級の区分に入ってねぇやつだ。そういうのも、ある」

「ふぅん……」


視線を前に戻し、門の向こうへと歩き出す。だがその背中には、どこか小さな諦めのような、慣れ切った気配がにじんでいた。


そしてそれでもなお——隣の青年が、それをどう見るか。そのことだけが、シグの意識の端を離れなかった。

石畳を踏む音が、街の喧騒と混ざりはじめる。街路の向こうからはパン屋の香ばしい匂い、露店の掛け声、人々の笑い声が聞こえはじめていた。


「……なんか、勝手にカード見ちゃってごめんな」


隣を歩くリオが、少し俯き加減にシグを見上げ——謝った。おそらく、安易に触れるべきではなかった。

その声には気まずさがにじんでいたが、すぐに頭の後ろで手を組み、いつもの調子に戻る。


「ま、でも俺だって、あんま人に言いたくないことの一つや二つあるぜ~!魔獣相手にいっつも逃げ回ってるとか、ぜんっぜんモテないとかな!わはは!」


軽口。冗談。からっぽの笑い。けれど、それが本当に空っぽかどうか、シグにはすぐにわかった。

リオの笑い声が響くと、周囲の空気が少し柔らかくなる。通りすがりの市民がちらとこちらを見るが、シグの威圧感に当てられたのかすぐに視線を逸らす。

それでも、リオが笑っていれば、人々はあまり気に留めない。まるで、そういう空気の調整役が自然にできてしまう人間のようだった。


「……謝ることじゃねぇ」


シグがぽつりと、それだけ言った。視線は前に向いたまま。

だがその声は、明らかに怒っていなかった。むしろ——リオの、ぎこちないけれど誠実な気遣いに、わずかに救われたような響きすらあった。


その後、しばらく二人の間に言葉はなかったが、沈黙は重くならなかった。

街のざわめきと、日差しの下で並んで歩くその歩幅が、少しずつ自然に揃っていった。




陽の光がちょうど真上から差し込む、街の分岐路。人の往来が増えはじめ、活気が広場へと流れ込んでいく時間帯だった。


「じゃ、とりあえずここまでだな!」


リオは軽やかに笑い、空間魔法から取り出した魔物素材の包みをシグへ渡すと、にっとまた笑った。

その笑みは森の中で見せていたものよりも、ずっと馴染みのあるものだった。街という場所の空気に、自然と溶け込むような。


「お前、治療院行けよ!あ、それから俺、今日向こうの市場で露天開いてるからさ!昼飯決まってないなら食いに来いよな!じゃあな!」


そして手を振り、軽やかに去っていく背中に、シグも手で返事をする。

銀灰(ぎんかい)の髪に風が通り、視線の先に小さな背中が遠ざかっていった。が、一拍置いて。


「……露天?」


ふと呟いたその声をかき消すように、周囲から聞こえてくる人々の声。リオの快活な声を追うように、住民も、冒険者も、去っていったリオを見ていた。


「あれ料理人のリオだよな……?この街に来てたんだ」

「ねぇ、露天開くって言ってたよ!食べに行こう!」

「こないだの煮込み料理も、美味しかったよなぁ!」


シグは思わず面食らい、またも、二度ほど瞬きをした。

街の誰もが、その名前を知っているらしい。しかも、皆が笑顔で、それを口にしている。

一歩踏み出し、街の通りを見渡す。

明るい陽射し、行き交う人々の間に、今も誰かが「あっちの通りだよな!」とリオの名を口にしていた。


彼は確かに、自分の知らないところで——誰かに頼られ、好かれ、そうして“街に生きる者”として、この場所にいた。


「……なるほどな」


ふっと小さく鼻を鳴らす。その意味を誰にも説明することなく、足をゆっくりと治療院の方へと向けた。

だが歩き出しても、その心のどこかに、あの快活な声と、焚き火の匂いが、薄く残っていた。






昼の賑やかな露店が立ち並ぶ市では、人々が思い思いにこの場を楽しんでいた。

治療を終えたシグは、なんだか場違いな感覚がして、人混みを避けようかと一歩足を引く。

そこにあの活気ある声が響いた。


「皆お待ちどおさぁん!開店するぜー! 」


市の喧騒の中でも、ひときわ通る明るい音。リオの声はまるで楽団の指揮棒のように、群衆の視線を一斉に引き寄せていた。

湯気の立ちのぼる鍋、焼き台の香ばしい匂い、揚げ油の弾ける音、皿の上で踊る湯気——どれもが、ただの露天とは思えぬ活気に満ちていた。

そしてそこはひときわ、人で賑わっていた。


「今日のお勧めメニューは、クロウバットの手羽煮込みとホーンブルのサクサク揚げ、ブルーカウのすね肉は甘く煮て卵で包んだよ!

魔ウサギの串焼き三種盛りも、もうすぐあがるからちょっと待ってな!」

「ホーンブルを2つくれ!」

「クロウバット1皿!魔ウサギもあとからちょうだい!」

「こっちはブルーカウ頼むよ!匂いがたまんねぇ!」

「順番に聞くから待ってよ!あと当店は綺麗なお姉さま方が優先です!」


すっぱり言い切るリオの言葉に呼応して、おいなんでだよ、ふざけんなという喧騒と、女性陣の笑い声が辺りに響く。


「お姉さま方にはイエローフィズというお花のゼリーもおすすめですよ~!これがもう美肌効果抜群で、ほらみて、俺のお肌もぷるっぷる! 」


きゃあという楽しそうな歓声とともにかわるがわる頬をつつかれて、リオの顔は楽しそうに緩んでいる。

リオは鍋と焼き台の間を器用に動き回りながら、注文に応じ、冗談を飛ばし、嬌声を浴び、そして——本当に楽しそうに笑っていた。

その姿はまるで、街の一角を丸ごと掌握しているかのようだった。


男性陣からの、ちゃんと仕事しろ―!というヤジも飛んでいるが、本気の苦情ではなく、いつものじゃれ合いのような空気がある。


——市場の片隅に立ち止まったシグは、半歩ほど人の波から離れた場所でその光景を眺めていた。

治療院を出てからここへ向かう途中、何度か引き返そうとも思ったが、今、その選択をしなくてよかったと、少しだけ思った。


「……まったく」


低く、呆れたように呟いた声は、怒ってもいなければ、本気で冷めているわけでもない。むしろ——予想以上だった、という、認めざるを得ない気配。


リオの頭を撫でていく女性たちの手、肩を叩いていく常連の男たち。

誰もが彼を、街の料理人として迎えている。“副業の運び屋”でもなければ、“珍食材マニア”でもない。

ここでは、皆が“リオの料理”を目当てに集まってきていた。


そして、そのど真ん中に立つリオの背が、ふと——焚き火越しに見たときと同じに、見えた。


「……食ってくか」


ぽつりと、誰にともなく呟いて。

シグは歩を進め、人の群れの合間をぬって、露天のカウンターへと近づいていった。

リオが、まだその姿に気づいていないまま、笑顔で応対しているのを見て、シグの唇がほんのわずかに——皮肉にも似た笑みを浮かべた。


「あっシグ―!こっち来いよ!」


賑わいを割るように、その明るい声がシグに降り注いだ。ぎょっとして目をやると、リオが手を振って笑っている。

人波のざわめきの中、鮮やかに飛び込んでくる声。それがまるで矢のように、真っ直ぐにシグを射抜く。


「お前でっかいから遠くからでもよく分かるなぁ!ほら、昼飯!食ってくならあそこの木箱、座っていーぜ!」


リオが親指で、露店のすぐそばにある木箱を指し示す。その呼びかけに、数人がつられて視線を向け、次いで笑いが弾ける。

顔を隠す暇もない。こちらに手を振って指し示すリオの笑顔が、容赦なく注目を引き寄せていた。

シグを見てワイルドな人ね、とキャッキャする女性陣に、リオが慌ててゼリーを差し出す。


「ちょっとちょっと、だめだめ、俺のほうがいい男でしょ!ほうら、あなたの胃袋わしづかみ!今ならこの美肌触り放題!」

「あはは、やだリオ!」

「そこは胃袋じゃなくてハートじゃないのー?」


人によっては、なんとも軽薄な男に見えるかもしれないが、リオを取り囲む人々に、そんな印象を持っている気配はない。

美味い料理と、小気味いい口車に、皆昼食のひと時を楽しんでいる。


シグも無言のまま、木箱へと向かって歩き出した。まるで、初めから予定通り、というような自然な足取りで。

人を押しのけるでもなく、威圧するでもなく。けれど道が開けていくのは、彼の背がひときわ目立ち、纏う空気が違うからだった。


リオの方では、女性たちのじゃれ合いに笑いながらゼリーを手渡し、からかいを交わすようにやり取りを続けていた。

見れば、すでに数種類の料理が出来上がり、注文分とは別に取り分けたと思われる皿がひとつ、木箱の近くに運ばれていく。


シグが腰を下ろすのとほぼ同時に、熱々の香ばしい串焼きが目の前に置かれた。にっ、と笑みだけを浮かべて、すぐさまリオが喧騒へと戻っていく。

ホーンブルの揚げ物、クロウバットの煮込み、小皿にはゼリーも乗っている。


「……治療のあとにこれかよ」


呟いた声に皮肉の色はあるが、皿の縁に指をかけ、手を止めることはない。

串を手に取ると、魔ウサギの肉が香ばしく焦げ目を帯び、噛む前から旨味が感じ取れた。そして、一口。


(……うまい……)


見た目も味も、驚くほど計算されている。強い肉の匂いを香草で包み、串の並べ順まで食べる側の口当たりを考えた構成。

街の露店で、ここまで丁寧なものを出す料理人はそうそういない。


喧騒の向こうでは、また誰かがリオに声をかけ、リオは笑って鍋をかき混ぜながら答えていた。

木箱の上、串を噛みながら——シグは誰にも聞こえないように、ただ小さくひとこと、口の中で転がした。


「……料理人、か」


その言葉には、評価とも感嘆ともつかない、どこか確かな熱があった。



——しばしの賑わいの後、リオは両手に下膳の皿を抱え、食事を終えたらしいシグに笑みを向けた。


「シグ!うまかったろ!野営じゃ味わえない、ちゃんとした俺の料理!」


木箱の上で腕を組んでいたシグは、リオの声に応えるように視線を上げた。相変わらず、落ち着きのない動きと声——だがそこには雑さはなく、すべてが自然に調和していた。


リオの店で料理を持ち帰りした女性陣が、リオに挨拶をする。


「リオ!今日もありがとね!」

「お、奥さんまいどあり!またよろしくね!」


若草の瞳が、パッとシグに向き直る。


「しかしお前、俺の飯食ってそんな真顔になってんの、ほんとお前くらいだぜー?」


酒場の給仕らしき娘たちが、リオにまたねと手を振った。


「あ、今日も来てくれてありがとね!今度そっちの店も行くよ!」


リオはでれっとした顔を正しながら、またもシグのほうを向く。


「まぁまだ俺たち出会ったばっかだしな!お前の”うまい!”っていう飯、そのうちきっと見つけて——」

「うぁー!リオの店今日も売り切れかよぉ!」


通りすがりの冒険者たちが、売り切れの看板を見て残念そうな声を出した。


「あ、わりぃ今日いっぱい出てさ!次は多めに作るから、また来てよ!」


くるくるくるくると、皿を下げ、洗い、去り行く客たちに声をかけ、シグにも軽口を叩く。まぁ、なんとも器用な男だ。

客たちから笑顔で投げかけられる「またね!」の声に、リオが手を振って答える。

明るい声、手早い動き、満ち足りた表情——それらはどれも、リオという男がこの街でどれほど愛されているかを如実に物語っていた。


「……お前が言う“ちゃんとした料理”ってのは、あれか」


ゆっくりと串の串先を皿に置きながら、シグがぽつりと呟く。


「——腹だけじゃなく、周りまで満たすってやつだな」


リオがふと手を止め、目を丸くする。それに気づいたのかどうかも定かでないまま、シグはまた静かに視線をそらした。


「別に、文句はねぇ。……味は、よかった」


なぜか素直に「うまかった」とは言えない。だが、それはシグなりの最大限の肯定だった。


「……器用なやつだな、ほんと」


誰に言うでもなく、シグはもう一度、低く呟いた。けれどその声には、初めて出会った森の中にはなかった——。

わずかな敬意と、興味と、何か別の、名前のつかない感情が混じっていた。






——【料理人リオ】

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