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【煮凝り事件】


シグから許可が下り、リオが身をかがめて巣穴に入っていった。

枯葉や骨、皮の名残が堆積しているが、思ったよりも乾燥していて湿り気はない。

ということは――。


手近にある、家畜の肋骨を拾う。軽く叩きつけると、乾いた音がする。

周囲に転がる骨も同じく乾燥していて状態がいい。間違いなく、これはいいダシが出る。


ちらりと後ろを振り返る。

クァナグールより鋭い金の目が、こちらを見ている。


「……持って帰っていい?」


少しだけ、肩をすくめてそう尋ねてみる。シグの表情は変わらない。

けれど、その金の瞳が、すぅっと細まる。


「……どうせ、言わなくても持って帰るんだろうが」


低く、わずかに呆れを滲ませた声。

だが、それは拒絶ではない。わかりきっていたような――“許可”だった。


岩壁にもたれたまま、シグは視線を外すことなく、立ち位置を微調整する。

まるで誰かが背後から飛び出してきても、即座に対処できるように。その姿勢が、答え以上に雄弁だった。


巣穴の中、リオの手元では次々と骨が吟味されていく。

肋骨、背骨、顎骨――脂の残り方、骨の色、血の滲み具合。

そのどれもが、リオの“目利き”にかかれば、食材か否かの判別対象だった。


そしてその様子を、ただ静かに、外で剣を下げた男が見守っていた。

まるでそれが、“当たり前の光景”であるかのように。




林を抜けて村へ戻ると、様子を窺っていた村人が何人か駆け寄ってきた。

リオの後ろから顔を出した羊を見て、村人の一人が急いで保護をする。


「――スイ!お、お前無事だったか!」


恐らく元々の飼い主だったのであろう男性を見て、羊もおぼつかない足取りで駆け寄っていった。

連れ去られた家畜は全て食われたものと思っていたらしく、村人の間にわずかな安堵が広がった。


「ありがとうございました……。追加報酬は、こちらから管理組合にきちんと報告しておきます」


シグは軽く頷くだけで、それ以上何も言わずに一歩後ろに引いた。

その肩のそばに立つリオも、笑顔を浮かべながら頭を下げる。


村の子どもたちが遠巻きにこちらを見ていたが、羊――スイが元気そうに鳴いたのを見て、歓声のようなざわめきが起きた。

男が涙をこらえるように目をぬぐいながらスイの首元を撫でると、それを囲むように人が集まり、あたたかな空気が村に満ちていく。


「……行くか」


シグの声に、リオが頷く。何も言わずとも、報酬のことも、成果のことも、分かっている。

それよりも――リオにとっても、シグにとっても、あの羊が飼い主の元に戻る瞬間こそが、“今回の一番”だった。

村の背後に広がる林が、再び風に揺れる。その中を、二人の影がまた、並んで歩き出した。






夜の風が吹き抜ける街道を、街へ向かってただ歩く。


草の香りもどこか薄く、遠くに見える街の灯りだけが、わずかな賑わいを感じさせる。

シグは前を見据えて、ただ”帰る場所”へと黙々と歩いていた。


――そしてリオだけが、今になってまざまざと、森の中での出来事を反芻していた。


(……俺なんで抱っこされてたんだ……?)


そのことがぐるぐると頭を回る。


シグの行動に感極まったのは、――間違いない。

もし同じ地上にいたら、ギルド登録の時のように、絶対に抱き着いていた。


樹上から飛び降りたのがいけなかったか――?

だがなによりシグが手を広げて待っていた。

それならばあの樹上ジャンプも、――問題ない。はず。


(……なんで俺は抱っこされてたんだ……?)


同じ問いがまた浮かぶ。


シグが下ろそうとしなかった?――そうだ、それもある。

あれはもはや一種のからかいだった。

感情が抑えきれず、衝動的な自分を面白がっていた。――それ以外のなんでもない。


だが可愛らしい女の子ならまだしも、自分は男だ。

考えれば考えるほどに迷宮に入り込んでいく。


「……なんで抱っこされてたんだ俺……」

「……、気にしてんのか」


思わずこぼれていた呟きに、ぼそりと、横から低い声が落ちてきた。

夜風に乗って、ひやりと耳の奥に入り込むような、落ち着いた響き。

シグは歩調を変えず、前を向いたまま。

けれどその横顔には、口元がわずかに引きつれたような気配が見えた。


「あ、いや……」


ぴたりとリオが足を止めると、シグもようやく足を緩める。

街灯の光が遠くに滲むなか、二人だけの時間が、街道にゆるく流れていた。


「……お前が飛び降りたからだ」


それだけの言葉。

でも、声の奥にあるわずかな熱が、妙に誤魔化しきれていなかった。

そして少しの沈黙の後――。


「……嫌だったか?」


今度は、ほんの少しだけ顔を傾けて、金の瞳が、横からリオの顔を覗き込む。


風が止む。

音が消える。


夜の街道、草の香りもどこか遠ざかった。

ただひとつの問いが、リオの胸を、静かに叩いていた。


「う、え、いや、嫌とかそういうんじゃ……」


出た答えは咄嗟のものだった。思わず首を振る。

ただ混乱したのだ。ああして抱き上げられたことに。


しかしなぜなのかは説明できなかった。

言語化することが、こんなに難しいとは思わなかった。


ふわりと森の匂いが香る。シグは何も言わず、ただこちらを見ている。


「……えー、えっと、俺から、抱きついたりはするし……」


金の瞳が細くなる。


「……俺から行くのはなんか、大丈夫なんだけど……」


混乱する頭を必死に整理する。

全く整理、できていないが。


「シグからくると、なんか……心の準備ができてなくて……わかんなくなる……感じ……です……」


何故か敬語。

――夜風が、静かに二人の間を通り過ぎていった。

どこかの家畜の鳴き声が、遠く、細く、響く。


シグはそれを聞いていたのかいなかったのか、リオの言葉に対して、すぐには何も返さなかった。

ただ金の瞳だけが、じっとリオを見ていた。

まるで、逃げ道を探すように言葉を並べていく彼の鼓動を、目だけで聴いているように。


そして、ふっと鼻から短く息を吐く。


「……なら、次は言ってから抱く」


それはあまりにも真っ直ぐで、あまりにも真剣な――宣言だった。

冗談でも茶化しでもない。

“次”があることを当然のように考えている、そんな声音だった。


リオが顔を上げようとした瞬間、シグはまた歩き出す。

今度は、ほんの少しだけ、リオの歩調に合わせて。


夜の街道、遠ざかる背に、

「言ってから抱く」という言葉だけが、静かに残されていた。




――ッなんっだ、それ――!!?



とリオの脳内が大混乱しているその頃――。


冒険者ギルドでは、卵見守り係夜間当番が、大変穏やかな目元で卵を見つめていた。


「卵ちゃん……もうすぐリオと血風(けっぷう)が帰ってきますからね……」

「うふふ……かいらしい……かいらしいのお……」


半ば言語消滅している(プレート)隊もいる中、卵はまだ深く眠り込んでいた。

受付嬢も、普段の目のぎらつきが失せ、仏のような顔をしている。


そこへ、ギルドの扉をギイィ、と開けて、シグが帰ってきた。

手には依頼書と、クァナグールを丸々抱えている。


一拍置いて、リオもギルド内に帰ってくる。……が。


顔がやや、赤みを帯びていた。


――受付嬢が目を見開いた。

依頼書、魔獣素材、そして血風。そして――リオの、その顔。


「……っあ、これは……」


数秒の沈黙。


「――供給入りました!!!」


絶叫がギルド内に轟いた。


「り、リオの顔が、赤い!これはっ、帰路に何かあったに違いない……!」

「血風、魔獣より強敵だったのでは!?」

「耳が……耳が赤い!!シグ氏の耳があああ!!!」


「供給過多ッ!!!」


ドサッ。


ばたり、ばたりと倒れていく皿隊。

誰かが「夜間当番、交代を……」と呟きながら、卵の横で意識を飛ばす。

それを見た受付嬢は即座に魔導記録球を構え、

「時刻、22時14分。リオ氏帰還時、顔面紅潮確認。シグ氏耳先赤味、報告済。推定距離一メートル以内接触……記録中……記録中……!」


ギルドの空気が騒然とする中、当のシグは、淡々と素材を差し出し、依頼完了を伝えるのみ。

一方のリオも、またもギルド内の数人が散弾のようなもので撃たれていく様に疑問を覚えつつ、受付嬢から卵を受け取っていた。


「ただいま!卵ありがとう!」

「っぁえ!?あっ、はい、今日もお利口でしたよ、卵ちゃん!」


ギリギリで正気に戻った受付嬢が、卵の受け渡しを済ませた。

シグがクァナグールをカウンターに乗せてるのを見て、リオがそばへ駆け寄る。


「あ、なあなあシグ。こいつの肉はさ、食材にしてもいい?」


シグは骨材を整えていた手を止め、リオの顔――ではなく、その目を真っ直ぐに見る。


「……またそれか」


ほんの一瞬、呆れたように見せながらも、その金の瞳には、諦めにも似た受容の色が滲んでいた。


「……内臓が傷んでなければ、いけるかもな」


受付の一人がその会話を聞き、咳を飲み込んだ。


「ちょ、クァナグール食うの……?」

「いやいや、もう慣れた……いや……慣れた……?」

「血風の“いけるかもな”が許可印みたいなもんなんだよなあ……」


もはや止める者はいない。

皿隊の一部はすでに震える手でメモを取っていた。


シグはカウンターに手をつき、「調理場、使うか?」と、低く問いかける。

それはもう、“いいぞ”ではなく、“じゃあどうする?”だった。

リオがこの素材を使うと決めたなら、全力で付き合う――それが彼のやり方だった。


「いい!?やった!ありがとうシグ!マリーナさん、調理場借りていい!?」


突如、リオに名前を呼ばれた受付嬢……マリーナが、目をかっと開いた。

その口からぼそりと――認知……?――という声が聞こえた気がしたが、すぐにいつもの笑顔に戻る。


「ええ、もちろん大丈夫ですよ。原状回復をお願いしますね」

「うん、わかった!ありがとう!」


にかっと笑ったリオが、調理場へ駆けてゆく。

その後ろを、クァナグールを抱えたシグが、歩いて行った。


マリーナの笑顔は、完璧だった。

ただ、その頬の筋肉がほんのわずかに痙攣していたのは、気のせいではない。


「り、リオ氏が……私の名前を……」


皿隊の中でも古参とおぼしき記録係が、震える手で筆を走らせていた。

「《マリーナ、リオに名を呼ばれる事案》、発生時刻22時21分……!」


カウンター裏では誰かが鼻血を拭き、調理場に通じる扉の向こうへと、神々しいものを見るような目が並ぶ。


そして、調理場。


鍋を火にかける音。刃がまな板を打つ音。

それらの音の向こうで、リオが調理に取りかかっていた。

素材を確かめ、脂を分け、肉の質を見極める手際は、まさしく職人のもの。


そのすぐ横では、クァナグールの頭部を支えながら、シグが無言のまま、骨を一つずつ外していく。

彼の動きは粗野でありながら、“リオが使いやすいように”と配慮された最適な形だった。




クァナグールの腐臭は毛皮のみで、肉自体は野性的なにおいがしていた。

緋紋蛇に比べれば、全然臭みもない。これはいける。


リオがクァナグールのバラと肩、スジ肉を切り取る。途中でシグが、リオの腹にあるおくるみから卵を取り上げる。

――危ないぞ、という目だった。


「わはは、収まりよかったからつい、な!じゃあ抱っこしてて!」


そう笑いつつも自分の口から出たワードに一瞬ぴくっと止まったが、リオはすぐに調理を再開した。


巣穴にあった家畜の骨を、数本取り出して丁寧に洗う。

それをぐしゃりと割り、骨髄からダシが染み出すように。そのまま鍋に入れて煮詰めた。


バラ肉は香草と塩コショウだけで充分だ。

熱気が上がる鉄なべに入れると、弾ける音と共に火が通っていく。


肩肉は香辛料と辛味ソースの調味液につけておけば、いつかの野営に使えるだろう。

こちらはそのまま空間魔法に入れていく。


スジ肉は細かく切り分けて、骨髄のダシが出たスープでくたくたと煮込んでいく。

次第にとろみが出て、肉の脂身でとろりとスープが輝いてきた。


癖の少ない肉だったのは、幸いだった。やりたい調理法を、思う存分に試せる。

出来上がったバラ肉の香草焼きとスジ肉の煮凝りを、一口味見する。野性的な味は、空腹になんとも魅惑的に響いた。


「うま……シグも食って!」


調理場の片隅で、卵を片腕に抱きつつ、無言で見守っていたシグだったが。

呼びかけられると小さく息をついた。


「……ああ」


カウンターに近づくと、リオが差し出した皿からスプーンを取り、まずは香草焼きにかぶりつく。


表面は香ばしく、中は柔らかく――香草の清涼な風味が、肉の持つ野性味を優しく包んでいる。

脂もこってりではなく、しっかりと火を入れたことで甘味が際立っていた。


「……悪くない」


そう言って、今度は煮凝りをすくう。

スジ肉がとろりと舌の上でほどけ、骨髄の濃い旨味が広がった瞬間――。


「っ……」


小さく、ほんの一瞬だが、シグの金の瞳が細く揺れる。


それが“供給の兆し”であることに、調理場の扉にぴったりと張り付いていた夜間観測員たちは、即座に反応した。


「っ記録っっ!!供給入りましたっっ!!」

「煮凝りです!!本日、煮凝りで撃墜確認!!」

「香草焼き、初動反応あり、主犯はスジです、スジ肉です!!」


だが、調理場の中、ふたりは騒ぎに気づきもしない。


リオは両手を腰に当て、にっこにこの笑顔。

そしてシグは、それを見ながらも皿を置かず、もう一口、静かに煮凝りをすくっていた。


卵は、そんなふたりの間でくるりと寝返りを打って揺れる。

夜のギルド、調理場に、満ちた香りと、確かな温もりが漂っていた。




クァナグールの野性的な香りが、無遠慮にギルドホールのほうにまで漂ってくる。


依頼掲示板に爪を突き立てる者。

机の端を握りしめる者。

手にした杯にひびを入れる者。


それぞれがそれぞれのやりかたで、己の食欲と、供給を天秤にかけて抗っていた。


が、無慈悲にも調理場のドアが開け放たれる。

主犯格、リオだ。


「あれ、皆は食わねぇの?クァナグールちょっと癖あるけどうまいぜ?皆の分も作っちゃったけど……」

「――ぐっ……あ”あ”あ”あ”……!!」


誰かの腹が限界を迎え、誰かの膝が落ち、誰かの魂が、天秤ごと崩れた。


「た、食べる……!」

「食わせてくださいリオさん……!」

「供給と、食欲の両立は可能です……ッ!!」


「俺は信じてた……クァナグールでも美味いって……!」

「煮凝りで召されたい……!」


面々はどこからともなくマイ皿を取り出し、行列が、音もなく伸びていく。


リオが盛り付けた瞬間、その香草焼きはまるで“神託”でもあるかのように扱われ、煮凝りに至っては、受け取った者がひざまずいて一礼した。


受付嬢マリーナは、感情のすべてを脱ぎ捨てたような涅槃(ねはん)の笑顔でスプーンを持ち、「おいしゅうございます……」と、三口目で涙を流した。


――合掌。


「リオ氏……」

「ありがとう……」

「今日も、最高だった……」


そんな囁きと共に、次々と供給過多で昇天していく冒険者たち。

ギルドホールの片隅、皿隊記録係は震える手で、記録を残していた。


《クァナグール・煮凝り供給事件》

発生時刻:23時49分

供給人数:十二名(うち涙あり四名)

主犯:リオ(共犯:シグ、卵)

備考:美味しかった。全員また食べたいとのこと。


リオが皿を振るい、シグが隣で卵を見守る光景。


それはもはや、ギルドの日常の一部となりつつあった。






――【煮凝り事件】

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