【増えていくもの】
――夜。
冒険者ギルドに戻ってきたシグを見て、冒険者たちはほっとしていた。
朝、リオを連れて初めての依頼に行ったのはわかっていた。
血風のことだから、任務を失敗することはないだろうと構えてもいた。
だがやはり、こうして実際に帰ってきてくれると、どうしても安心する。
「よっ、おかえり血風!リオのお守りどうだったよ!」
「食材前にして暴走しなかったかー?」
古参の冒険者たちが、そうシグに声をかけてきた。
ぶっきらぼうに返事をしながら、シグも受付カウンターに依頼の処理をしにいく。
――その瞬間、ギルドが静寂に包まれた。
シグに遅れて冒険者ギルドに入ってきたリオ。その腹部が、ふんわりまあるく膨れていた。
「シグ待ってくれよ!俺走れないんだからな!」
お腹を支えながら歩く姿はまさに母。
「…………………………」
誰もが、固まった。
石像のように動かない者。震える指で口を押さえる者。
目を見開きながらリオの腹を指差すも、言葉にならない者。
誰かが、椅子から音もなく転げ落ちた。
誰かが、受付カウンターの奥で「ま、待って……いま、思考が……」と呻いた。
そんな中、ただひとり――
受付嬢だけは、顔を引きつらせながらも笑顔を保った。
「リ、リオさん……お、お帰りなさい……」
「おう、ただいま!いやー無事に捕まえたぞスナヤドリ!尾羽もあるぜ!
シグが群れの長を窪地に誘導してさ、俺が罠でこうガシーンって!そんで帰りにこの子がな?」
そう言って、リオが服の下からそっと取り出したのは――丁寧に布に包まれた、灰褐色の魔獣の卵。
冒険者ギルド全体が、凍りついた。
石像のように固まった誰かの眼球が、かすかに動く。
あまりに静かなその瞬間、書記官が筆を落とし、椅子ごとゆっくりと後ろに倒れた。
「ッッあ゛……ッぐッ……!」
呼吸が乱れたのか、壁際の若手が自らのマントで口を塞いでいた。
受付奥、紙の束を支えにしていた書類官が白目を剥き、「……供給過多……供給過多……」と呪文のように繰り返している。
“供給臨界点”が、超えたのだ。
「は……っ、破壊力が……段違いだ……」
「血風とリオの子供……!?いや違う……が……それにしても……!」
「腹……!?いや卵だが……いや……いやいやいや……」
あちこちで混線した悲鳴が爆発的に広がる。
皿隊が次々と地面に膝をつき、記録班が「思考が……感情が……!!」とペンを振り落とす。
その只中、受付嬢は――ほぼ笑顔の仮面を貼り付けたまま、そっと椅子に座った。
声を震わせながら、限界の語彙を振り絞る。
「ご、ご報告……ありがとうございます……卵……大切に……してあげてくださいね……?」
ふたりの姿を見送りながら、何人かが壁にもたれて静かに天を仰いだ。
あまりに日常すぎる顔で、あまりに異常なものを持ち帰る、陽と鋼鉄の二人組。
「供給限界突破……これはもう……神話級だ……」
「今夜、皿隊の半分は目を覚まさないだろう……」
その夜、冒険者ギルドでは“卵事件”として語り継がれる出来事が、正式に記録された。
【供給記録 第八章『帰還と胎動』】
《血風、卵を宿す陽の隣に》
今――伝説が、またひとつ増えた。
冒険者ギルドのホール。
まるで散弾で撃たれていくかのような周囲に、リオはわずかに眉をひそめた。
皆そんなに魔獣の卵が怖いのか。いっぱしの冒険者なのに、と。
シグを見やるが、肩をすくめるだけで何も気にしていない。
まぁ、もし魔獣が孵っても、雛から育てていけば誰かに危害を加えることもないだろう。
「シグ報告終わった?腹減ったし、宿屋帰ろうぜ」
声をかけると、シグもああ、と短く返事をしてついてくる。
夜の外は冷える。卵をまた、服の中にしまった。
「あ、そうだシグ!」
ギルドの扉を開けて待っていたシグを、リオが見上げた。
「卵もあるし、交代で温めれるように宿屋の部屋同室にしようぜ!」
ギイィィ――――バタン。
ギルドの扉が、重々しく閉まる。
その直後だった。
「ぎゃあっぁああぁぁぁぁあああぁ!!!」
「“同室”だって!?“温め合う”って!?誰が!?誰と!?どうやって!!?」
「おまっ、待てっ、供給待って今だけは理性で耐え――」
「無理だぁあぁああぁぁあ!!!」
轟音。
椅子、机、記録台、すべてがなぎ倒される勢いでギルドホールが崩壊した。
書記官は白紙の書類に「再起不能」とだけ記し、天を仰いで絶命。
受付嬢は机に突っ伏しながら、小声で「なぜこうなったの……」と繰り返している。
観測班、崩落。筆記隊、沈黙。討伐斑、皿を抱えながら供給に飲まれ昇天。
「……もはやこれは……供給という名の天災……」
「日常の報告が、致死レベル……」
古参冒険者ですら、奥で頭を抱えて壁を蹴った。
「何が“温めよう”だッッ!!」
――かくして、冒険者ギルド・夜間記録班は壊滅。
新たに設けられた分類は《特級供給災害》。
それはもう、“観測”の枠を超えていた。
一方、ギルドの外。
リオが歩くたび、服の中の卵がほんのりと温もりを帯びる。
隣には無言で並び歩くシグ。目の端に、さっきの“同室発言”がこびりついているらしく、こっそり耳が赤い。
だが、何も言わない。言わないまま、いつものように、隣にいる。
二人と一つの卵。今宵、宿屋の部屋には、また新しい騒動の火種が持ち込まれていた。
宿屋の主人は、同室を快く承諾してくれた。
「シグの旦那が寝られるように、広いベッドの部屋にしとくよ!ベッドは一つのほうがいいかい?」
「おいなんでだよ!」
笑うリオと応酬をしながら、宿屋の主人が飾りのついた鍵を渡してくる。
受け取ろうとしたリオの横から、シグがその鍵をするりと受け取った。
――卵落とすぞ。金の目がそう言ってる。
「親バカだな旦那!」
そんな宿屋の主人の軽口に片眉を上げ、シグはリオを押して二階へと上がっていった。
新しい部屋は、広さもさながら、確かに大きいベッドがふたつあった。
これならシグもはみ出さなさそうだ。
「はあ~、疲れたなぁ。前の部屋から荷物取ってこなきゃな」
ベッドに座りながら、リオが腹から卵を取り出す。
布にくるまれたそれは、今も間違いなく命を宿していた。
シグも扉を閉め、――ひとつ、深い呼吸をしてから、ようやく振り返る。
部屋の中。明かりは控えめに灯され、木造の床にはかすかに新しい蜜蝋の香りが漂っていた。
窓の外には夜風がささやき、遠くで猫の鳴き声がかすかに響く。
そして、中央のベッドの端に座るリオ。膝の上に抱えた布の包みを、手のひらでそっと撫でている。
その手つきがやわらかくて――まるで、命を扱っていることをちゃんと理解しているようだった。
(……持って帰る、とは思ったが)
あの瞬間から、すでにリオの中では“これは食材”という枠を越えていたのかもしれない。
シグは無言で片方のベッドに荷を置き、外套を脱いで椅子の背にかける。
そのままリオの方へ視線を向けた。
「……俺が取ってくる。お前は座ってろ」
荷物、という言葉に反応してそう告げたが――それはどこか、”ここで待っていてほしい”の色が込められていた。
素直に頷いたリオの表情を見て、わずかに息を抜く。
「……いろよ、ここに。卵が寂しがる」
冗談とも真面目ともつかない口調。だが、目は優しい。
自分でもバカなことを言っている自覚はある。だが、口をついて出た言葉は、取り消しが効かない。……ので、もはや潔く開き直った。
リオの旧部屋は、ほとんど荷物がなかった。それは空間魔法を持っているリオだからこそ。
壁にかけてあった着替えが少しと、枕元、ほのかに香るポプリの小袋がひとつだけ。どこか部屋にリオの香りを感じ、シグが頭を振る。変態か俺は、と舌打ちをした。
自分の旧部屋の荷物もまとめて持ち、リオの待つ部屋へと帰る。
謎の緊張を感じる。
――”リオが待つ部屋へ帰る”――、その思考に、胸がざわついた。
扉を静かに開けると、ベッドの上、卵を抱え込むように、寝息を立てているリオがいた。
……思わず、その場に立ち尽くす。
横になり、丸くなったリオの背中。腕と腹、膝に囲まれ、布ごと抱きしめられた卵。
息は規則的で、どこまでも穏やかだった。
(……寝てやがる)
咎める言葉も、苦言も、今は浮かばなかった。浮かぶ気配すらなかった。
空気があまりに静かで、どこかで焚かれた香の香りが淡く漂っている。
それはさっきのポプリの匂いだろうか。シグは思わず、拳を握った。指先にこもった熱が、逃げ場を探して疼く。
(……何をしてる)
自分はただ、寝具と荷物をまとめて持って帰ってきただけだ。
にもかかわらず、扉の向こうに待つ“誰か”がいるというだけで、胸が落ち着かなかった。
静かに、音を立てぬよう隣のベッドに腰を下ろす。
リオの横顔が、間近にある。油断しきった寝顔。頬には泥の跡もまだうっすらと残っている。
それでも卵はしっかりと抱えたままだ。まるで、守るべきものを知っているかのように。
シグは手にしていた荷物を脇に置き、ふう、と息を吐いた。その瞳はどこまでも静かで、けれどどこか、やさしかった。
「……お前な」
声は届かない。けれど、語りかけずにはいられなかった。
声は途切れ、灯りは絞られ、夜が深くなる。
リオの寝息と、卵の鼓動と、そしてシグの静かな気配が――同じ部屋に、重なっていた。
翌日、シグが温もりに目を覚ますと、眠る自分の腕の中、布に包まれた卵が置いてあった。
一瞬ぎくりとする。潰してないか、割ってないか。手で確認をすると、ざらりと無事な温かさが感じられた。
リオは――いない。が、美味しそうな朝食の香りが、かすかに開いた窓から漂ってくる。
――また”乗っ取って”るな……。口元が、少し緩んだ。
階下の食堂は、今日も朝から賑わっていた。
「リオ!こっち朝飯ふたつ!」
「おう!」
「俺にもくれ!すぐ出るから持てるやつ!」
「はいよー!いってらっしゃい!」
リオは、今日も朝からぜんまいを巻いたように、くるくると回っていた。
快活な笑顔が食堂を彩る。よく通る声はその場を包む。
シグが階段を下りながらその様を見ていると、気づいたリオが、にかっと笑顔を向けてきた。
「おはようシグ!朝飯できてるぞ!」
周囲の宿泊客たちも、口々に挨拶をしてくる。
「お、おはよう旦那」
「今日もデカいねぇ!」
「……なんか卵抱えてない?」
その腰元に抱えられた卵に、一瞬周囲の目が集中した。食堂の空気がざわ、と波打つ。
――用心棒が抱卵している……?――そんな混乱を前に、リオが明るく笑う。
「あっ、俺が拾ってきちゃったんだ!孵ってもみんなに迷惑はかけないから、よろしくな!」
「食われないといいけどな!はっはっは!」
宿屋の主人の追い打ちで、食堂に笑顔が広がった。
シグは階段を降り切ると、そのままゆっくりと朝の空気に溶け込むように歩いて、食堂のカウンターへ向かった。
片手には布に包んだ卵をしっかりと抱えたまま。
それを見た客のひとりが、「やっぱり抱いてる……!」と呟いたが、もはや驚きの声すらどこか微笑ましい空気に包まれていた。
「……旦那、それ、もしかして夜通し……?」
小声で問う客に、シグは無言で目をやっただけだったが――その視線に、どこか誇らしげな気配すらあって、客はぽかんと口を開けた。
「……親バカじゃん……」
厨房の奥ではリオが、「卵連れてきてくれたか!」と声をあげている。
黙って頷いたシグも、カウンターの一角に卵をそっと置き、リオから朝食の皿を受け取って腰かける。
いつものように、あたたかいパン。香草と卵のスクランブル。リオの朝食は、どこまでも平和で、美味そうで、そして――温かかった。
その中心に立つ笑顔が、今日も誰かの一日を、鮮やかに染めていく。食堂に、またひとつ笑いが咲いた。
卵の命もまた、そんな笑顔の中で、少しずつ温もりを知っていくのだろう。
――【増えていくもの】




