【緊急会議のお時間です】
冒険者ギルドの緊急会議室は騒然としていた。
つい先ほど、リオとシグによって緋紋蛇という危険度の高い魔獣が持ち込まれたのである。
リオが戦闘を不得手としていることは、冒険者ギルドでも知れ渡っている。
ということは、”血風”が一人で撃破したということ。
「よりにもよって、演習場で捌くだなんて……!」
受付嬢が、苦し気に頭を抱えていた。
興味本位で覗きに行った皿隊が一向に帰ってこない。伝令すらも、ない。
書記官が緊迫して受付嬢に詰め寄る。
「くっ、我々も現場へ確認に行かねば!その脅威が未知数でも、見ることでしかわからないことがあります!!」
「ダメよ!!私たちが倒れたら、誰がこの皿隊を指揮するというの!」
「しかしっ!!」
張りつめる緊急会議室。
現場の皿隊の安否は心配だが、受付嬢は鋼の精神で椅子に座り、両手を組む。
「……報告を待つわ。皆が無事に帰ると信じているもの……っ」
「……っ!!」
途端、乱暴に椅子を引き、書記官は駆けだした。
緊急会議室を飛び出し、緋紋蛇の解体を行っている演習場へ。
背後で受付嬢が叫ぶ声がするが、なりふり構っていられない。
自分の仕事は、書記官。
裏も表も、たとえ隠されるべき事実でも、すべてを”記録”する使命があった。
演習場の入り口――。
熱気と鉄の匂い、そして何より“ただならぬ気配”が扉の隙間から漂っていた。
書記官はその場で一瞬だけ足を止め、深く息を吸い込む。
手にした筆記用具が汗でしっとりと濡れている。
「……震えるな、我が筆。これは記録のための震えではない、栄誉への高鳴りだ」
そう呟いて、扉を――開いた。
視界の中心にいたのは、“笑顔の料理人”――リオ・ヴァレン。
足元に広がるは血と肉の赤、まるで舞台装置のように整えられた部位たち。
そして、その背後に佇む“守護の巨人”――血風のエルラント。
どちらも、異様なまでに静かだった。
静謐、という言葉がこれほど似合う空間があっただろうか。
「ッ……!」
書記官は無意識に、跪くように筆を走らせていた。
“銀の獅子が刃をおさめ、陽光を背に立つ。
その傍ら、赤き祭壇にて陽の使徒が素材を捌く。
ああ、これは儀式だ――目撃してしまった……禁断の供給を……!”
筆が止まらない。墨の乾きすらもどかしい。
――演習場はもはや、聖地と化していた。
中央にいるリオとシグは阿吽の呼吸で緋紋蛇の解体を行い、まるで長年連れ添った夫婦のように、剥ぎ取り、渡し、剥ぎ取り、渡す、という連携を行っている。
「…………っ」
書記官は額に汗を浮かべながら、筆先を震わせる。
“素材のやり取り”という無機質な事実を、ここまで神聖に見せるとは――!
“阿吽の連携、動きに無駄なし。
すでに言葉すらいらぬ。
刃の軌道に、想いが宿る。
片や信頼、片や庇護――
これが……リオ・ヴァレンと血風のエルラント……ッ!”
これでまだ出会って数日だと――!?と書記官が、震える手でペンを走らせる。
ふと横合いから気配を感じた。
見ると、演習場の壁際、先遣の皿隊が寄りかかり並んでいる。
――無事だった。
いや、無事か?あれ立ってるけど気絶してないか?
壁際に並ぶ皿隊は、もはや動かぬ信者と化していた。
膝から崩れ落ちた者、拳を握りしめ祈る者、歯を食いしばって涙を堪える者――。
思わずそのうちの一人のもとへ駆け寄り声をかけると、魂の抜けたような顔で書記官を振り返った。
「へへ……シグ……リオ……血風……過保護……」
――ダメだ、やられている。
何人かが絞り出すように呟く。
「リオさんが笑ってたんです……血風の背中に向かって……」
「それだけで……我々は、もう……」
「……誰にも、この供給を止められなかった……ッ」
書記官は震える手で最後の一文を綴った。
“皿隊、全滅。
供給過多による。原因、緋紋蛇ではなく、日常であった。”
もう一度周囲を見回して、書記官はハッとした。
シグの背後、素材の山を控える査定人の中に――いた。
明らかに違和感のある、ただ一人震えながら前のめりに立ち尽くす男。
目が合う。
くそっ、人員不足での派遣っ……はせ参じるしかなかったのか……!
――大丈夫か!!
書記官の眼差しに気づいた“査定皿”は、静かに――だが確実に頷いた。
強い意志を持って、固く頷き、そのまま目を皿のようにして二人を眺めている。
――っ!!アイツ!!特等席を満喫してやがる……!
この光景を、目に焼き付けていると告げる表情。
いやむしろ、魂ごと持っていかれている。
書記官の筆は止まらない。
“特等席における崇拝、感情の溶解、記録者と信者の違い――
ああ、我らが皿隊は今日も供給に喰われていく……”
書記官は最後の墨を紙に落とすと、そっとペンを置いた。
もはや、これ以上は不要だ。
この空間は、記録を超えた――“信仰の場”と化していた。
緋紋蛇の解体が終わり、リオとシグが冒険者ギルドを後にした。
現場に残されたのは、緋紋蛇特有の生臭さと血の臭い、油の臭い。
そして地面に伏す数名の冒険者たち。
書記官もまた、息も絶え絶えといったところで片膝をついていた。
コツコツとヒールの音をさせ、受付嬢が飛び込んでくる。
「皆!無事!?……なんてこと!」
受付嬢が口元を押さえてしゃがみこんだ。
かつての盟友たちの、亡骸。
誰も彼も――本望です――という恍惚とした表情で召されている。
「バカ!!無事に帰って来るんじゃなかったの!?」
書記官のもとへ駆け寄り、受付嬢が叱咤した。
「は、はは、すみません……予想以上……でした……」
その言葉を最後に、受付嬢の腕の中、書記官も天に召される。
その手には、事細かに”記録”がつけられた紙の束。
それをしっかり受け取り、受付嬢はきりりと前を見据えた。
「私……忘れないわ、あなたたちのこと……!」
刹那、バタバタと走りこんでくる足音が聞こえる。
演習場のドアを乱暴に開き、飛び込んできた皿が叫んだ。
「伝令!!リオ・ヴァレンと血風が二人で風呂に!!!!」
その瞬間、演習場は――再び崩れ落ちた。
起き上がりかけていた者たちが、バタバタと地に倒れる音。
白目を剥き、膝から崩れ落ち、魂だけが天へ舞い上がっていく。
かろうじて生き残っていた者たちも、例外なく、あえなく散っていった。
受付嬢は、風に舞う書類を抱き締めるようにして震えた。
「……なぜ……どうして、今……」
先ほどまでの悲壮な誓いすら霞む、爆撃級の供給。
彼らが守ろうとした“記録”と“誇り”が、一瞬で追撃されたのだ。
「ふたりで、風呂に……」
受付嬢の声はもはや誰にも届かない。
周囲に残るのは、ただ床に散った皿たちの痕跡。
そして、舞い落ちる一枚の紙。
“同室・同浴・同時刻
これはただの共浴ではない
信頼・絆・そして風呂場という密室(なお大浴場)――
ああ、これはもう――
伴侶。”
紙が舞い落ちた場所を、受付嬢はそっと見つめた。
「……この記録、私が……引き継ぎます」
決意の目が、光を宿す。
供給により壊滅した皿隊の意志は、まだ消えない。
そして、風呂という聖域へ向けて、新たな伝令が走り出していた。
新たなる章――《湯煙の供給篇》、開幕。しない。
リオとシグが持ち込んだ緋紋蛇の話は、冒険者たちの間でも話題になっており、風呂場ではあれやこれやと質問攻めだった。
半ばのぼせたようになりながら風呂を終え、連れ立ってリオの部屋へ戻る。
「いやぁ、皆お前がどうやって緋紋蛇倒したのか興味津々だったなぁ!」
部屋の扉が閉まり、ふたりきりになると、外のざわめきが嘘のように静まり返った。
湿気と熱の残る身体に、ほんの少し夜の冷気が心地よく触れる。
シグが近くの椅子に腰かけながら、少し鼻を鳴らす。
別に語るほどでもない、ということなのだろう。
「とりあえずそうだなぁ、蒸し、焼き、茹でを試してみようかと思うんだけど……」
ぽつりと落ちたその言葉に、シグが金の瞳をきろりと向けた。
決して威圧ではない。”見ているぞ”というやさしい視線。
「焼きは皮目で……筋肉質な身だったから締まっちゃいそうだな。
茹では……香味野菜と薬草でなんとか……。
蒸しは一番柔らかくなりそうだ、臭み抜けないかも……」
リオがぺらぺらと小さな手帳をめくり始める。
気になったシグが背後から覗きに行くと、これまでの様々な食材に対する調理法やアプローチの方法、対策、癖などが細かに記されたメモだった。
灯りの明かりが、手帳のページに柔らかい陰影を落としていた。
リオの指がページをなぞるたび、細やかな文字と図がちらりと見える。
“酸に弱い”、“炙りは失敗”、“熱伝導に注意”、“香草:相性良”。
シグは無言のままページを追った。
そこには、魔獣と毒草、未知の素材――命を懸けて持ち帰ってきたものに対する、真摯な姿勢が刻まれている。
(……全部、食おうとしてんだな)
湯気が引いたばかりの首筋に、まだ少し汗が滲んでいる。
濡れた髪のまま夢中で手帳をめくるリオの横顔を、シグはじっと見つめていた。
ふとリオが手を止め、顔を上げる。わずかに振り返ったその視線が自分を捉えているのがわかって、シグも小さく口角を上げた。
「……やるなら、俺が見てるとこでな」
低く、穏やかに告げると、リオの目元がふっと緩んだ。
夜の空気が、開いた窓からそっと流れ込んでくる。遠くで街灯の明かりが揺れ、外の喧騒はもう届かない。
この静かな一室には、焼き方と香草の話と――ふたりの時間だけが満ちていた。
「……よし、やるか!」
パチン、とリオが手で両頬を鳴らした。
毒は恐らくないにしろ、未知の食材を扱うのに心の揺れは必要ない。
空間魔法から調理器具を一式取り出す。
鉄なべに火を入れる。油を少し入れ、十分熱されたら小さく切られた緋紋蛇の身を皮目から。香草と香辛料も振りかけておく。
ジュウと小気味いい音がして香りが立ち上る。
――獣臭い。シグに視線をやってから一口食べる。
ぎしぎしと硬く、臭いが鼻につく。これではダメだ。
小鍋を取り出して薄く水を張り網を置く。
すぐにシュンシュンと湯気が上がる。切り身を並べて塩を少し振りかけておく。蓋をしてしばらく待つ間に香味野菜の下処理を終わらせる。
蓋を開けるとふわりと強い、獣の臭い。そうか、と思いながらも口に入れる。
身は一番ふんわりとできたが、やはり臭みは抜けなかった。
小鍋を空にして水差しから水を汲む。
湯が沸いたら酒と香味野菜、薬草を入れる。香り立った小鍋に切り身を入れる。
半透明だった身が白くなっていく。皮がギュッと縮み、見た目だけはぷりぷりしているようにも見える。
これも一口食べる。歯触りはよく臭みは薄れたが、茹ですぎたのかぼそぼそになってしまった。
「……うん、そっか」
リオが、誰にともなく呟く。そこからは早かった。
緋紋蛇の身を薄くそぐ。まるで刺身でも作るかのように。
その身にでんぷん質の粉を纏わせ、香味野菜と薬草の染みた湯で茹でる。
取り出した身は水晶のように艶やかで、ふるりときらめいている。
空間魔法からベリア苔のソースを取り出し、上にとろりとかけた。
また別の切り身を少し茹でる。火が通りきる前に取り出し鉄なべで香ばしく焼く。
焼きあがる香りは今度は臭くなかった。
トトの実のシロップを少し使い、同じ鍋でソースを作る。
酢が少し混ざったソースは、甘酸っぱい香りがした。
どちらもひとまず味見をする。臭くない、いける。
嬉しくなり、思わずシグに視線を向けた。
「シグ、食って!」
シグは椅子に深く腰をかけたまま、無言で立ち上がった。
リオの“それ”が仕上がったときの空気の変化――それを目の前で感じたから。
皿に乗せられたのは、二品。
ひとつは、艶やかで透き通るような白身に、緑がかったベリア苔のソースがとろりと流れる一皿。
もうひとつは、香ばしい焼き目とともに甘酸っぱい香りが鼻をくすぐる、焼きの一皿。
見た目はもう、誰がどう見ても“魔獣料理”とは思えない。
けれど、シグは知っている。この皿に辿り着くまで、どれだけの試行錯誤と直感があったかを。
スプーンを手に取り、まずは蒸しの一品を口に運ぶ。
ふるりとほどける食感。軽い塩味の奥から、ベリア苔の清涼な香りと苦味が抜ける。
強くはないが、芯がある。
次に、焼きの皿。
カリ、と小気味よい音とともに、皮の香ばしさが広がり、シロップの甘酸っぱさが後を追う。
噛みしめるごとに、強くも臭みのない旨みがにじむ。
――“魔獣”のはずだった肉が、確かに“料理”になっていた。
シグは口元を拭いながら、静かにリオへ視線を向ける。
目が合う。リオは息を弾ませたまま、笑っていた。
「……やるな」
その一言に込めたのは、称賛でも感嘆でもない。
“お前だからできた”という、ごく私的な信頼の証。
窓の外では、夜の風が木の葉を揺らしていた。
その音の中、ふたりだけの晩餐が、ゆっくりと始まった。
――【緊急会議のお時間です】




