【緋紋蛇、解体】
冒険者ギルドの演習場は、にわかに色めきだった冒険者たちでいっぱいだった。
この地域には生息しないはずの、緋紋蛇が持ち込まれたからだ。
それも、あの面倒な――危険度や難易度の高い魔獣の肉や、食材ばかりをほしがる――リオによって。
事実確認と簡単な聞き取りのためにギルド職員に呼び出されたシグが、視線で”俺の見てないところで捌くな”と指示をしてきたため――、演習場に転がした緋紋蛇の胴体と頭を、リオは手を付けずに観察していた。
「なぁ、リオ、鱗とか牙とか、売りに出さねぇか」
「目玉と尾の先の棘もだ、料理に使わねぇだろ?」
「皮も売れば高く値がつくんだぜ、そいつ」
ギルドの査定人や冒険者らが、リオを取り囲んでそんな声をかける。
リオは特段気にするでもなく、いつもの快活な顔をしている。
「えー、でもこいつ狩ったの俺じゃねぇしなぁ!シグに聞いてよ!
俺が緋紋蛇のどこの部位使っていいか決めるのあいつだから、いらない素材を決めるのもあいつだし」
なんだそりゃ、と皆が顔を見合わせる。
一見すれば、魔獣素材を集めるためにリオがシグを雇っている、雇用主と用心棒の関係性。
恐らく望まれれば、シグはなんでも叩き伏せ、リオの前に差し出すのだろう。
だが当のリオは、その使用許可が下りるかはシグ次第だという。
”どっちが上なんだ?”という疑問がわくのも、不思議ではなかった。
視線の先では、リオがぱかりと緋紋蛇の口を押し広げて中に頭を突っ込み、周りの何人かが慌てている。
「リオお前気をつけろよ!牙に毒あんだぞ!?」
「大丈夫大丈夫、毒腺の位置もわかってるから。へぇーこんなんなってんのか。あ、ここに穴があんのね」
「いや!お前恐ろしいよ!オイだれか血風呼んで来いダメだこりゃ!」
やいのやいのと騒がれる中でも、リオはにこにことしていた。
大騒ぎのようでいて、皆どこか”またやってんな”という楽しさもある。
が、その「どこか抜けていそうに見える軽さ」は、熟練の冒険者たちにとって、逆に不気味にも映る。
「ったくリオがあんな危なっかしくて、血風もよく耐えれてるよな……」
「いや多分相当頭抱えてるだろ。さっきの去り際も四回くらい振り返ってたぞ」
「まぁでも正直、俺らじゃリオの要望に応えらんなかったしなぁ」
このぼやきには、皆が黙った。
リオの食材集めに誰もが協力しなかったのは、”面倒だったから”とか”稼ぎにならなかった”とか、そういうものではない。
”確実にリオを止める手立て”を持つ者がいなかったからである。
料理に対して貪欲で、探求心が尽きず、なんでも食材にしようとするリオを、もし止めることができなければ。
そしてその結果、もしリオの身に何かがあれば。
「あの飯食えなくなるのは勘弁だもんな……」
誰かの呟きが、満場一致の意見だった。
演習場の扉の向こうからゴツゴツと重い足音が響き、焦り半分怒り半分といった顔で、シグが飛び込んでくる。
誰かが本当に呼びに行ったのだろう、走ってきたような気配がある。
「あっ、シグ!報告終わったのか!」
緋紋蛇の頭の中から上半身を引っこ抜き、リオが明るく声をかける。
それを見て、シグも眉間を押さえる。どこか諦めの色すら出ている。
”ああこりゃ大変だな”と、周囲の同情が静かにシグを包んだ。
シグは乱れた息をひとつ吐き、無言でリオに歩み寄ると、緋紋蛇の大きな口をばちんと閉じた。
リオの顔の間近で牙ががちりと噛み合い、周囲から「おおぉ……」と息を呑む声が上がる。
「――毒牙にでもひっかけたらどうする気だ、バカ」
低く唸るような声が、演習場の喧騒を一瞬凍らせた。
けれど、リオはまったく怯まず、むしろ笑っている。それどころか、わははと肩を揺らして、シグの腕を軽く叩いた。
それを見た者たちは口々に「すげぇ……」「血風にそれやれんのリオだけだろ……」とひそひそとささやく。
「もういい。やるぞ、さっさと」
シグはそう短く告げると、周囲の職員たちに鋭い視線を向けた。
職員たちはびくりと肩をすくめつつも、「牙だけでも……」「鱗だけでも……」とすがるような声をあげるが、金の瞳の鋭さに押され、結局は諦めて引いていった。
リオはその様子を気に留めることもなく、尻を地べたにつけて、すっかり解体待ちの顔をしている。
シグは呆れたようにため息をつくと、すっと膝を折ってその隣にしゃがんだ。
「……危ねぇのだけ、取るからな」
「ん?おう!」
「……はぁ……」
あっけらかんとした、リオの返答。わかっているのかいないのか。
一度だけ小さく首を振ったシグが、重々しく緋紋蛇の頭部を持ち上げ、鋭い刃で確実に牙の根元を切り落としていく。
ふたりの様子を見ていた冒険者たちのなかから、ぽつりと呟きがこぼれた。
「……なんか、夫婦か?」
その場にいた者たち全員が、その瞬間だけ一斉にリオとシグを見た。
リオは無邪気に笑い、シグはその笑顔を見てほんの少し眉尻を緩め――。
「うわ、見た今の……あれ……」
「いや、俺は見てない。いいな?」
ざわり。ざわり。
奇妙な雰囲気が広まっていく。そうして演習場の片隅、誰かがそっと呟いた。
「……皿、足りっか?」
新たな観測が、静かに始まった。
シグによって”使用許可”が出されたのは、胴体、鱗皮半分、内臓の一部。
”これはダメだ”とされたのは毒腺を含む頭部、尾の棘、売却用の残りの鱗皮だった。
それはリオのストッパーとしての役回りとはまた別の、市場での素材の価値を十分理解している立ち回りだった。
ギルドの査定人が、嬉しそうにメモを取っている。
その横では冒険者たちが「よかったなぁ」「緋紋蛇の皮の防具とか強そうだな」などと笑い合っている。
そして何より、シグから下った”許可”をもってして、リオがその魔獣を捌いていくのを、皆一様に見守っていた。
「……やっぱ食う気なんだよな……」
「そりゃリオのあの顔はな……」
「俺食ったことねぇわ……」
――いや誰もねぇだろ――という空気をよそに、リオが解体を進めていく。
頭部の肉を切り開き、眼球を取り出して傍らに置く。
牙があった部分の根元、毒腺に通じる穴は、周囲の組織と一緒に毒腺ごと切り取り、布につめてシグに手渡す。シグがそれをギルド職員に渡す。
脳の近くにある魔力溜まりの袋は魔術師や錬金術師に需要がある。それを傷つけぬように切り分け、渡す。
シグが緋紋蛇の首を一刀両断したため損傷が少なく、どこもかしこも素材になる。
なにより、シグが狩ってくれた命を、欠片も無駄にはしたくない。
胴体の皮を剥ぐ。傷は少なく、やわらかく重厚で、若い個体のようだった。
それも半分に切り分け、片方は足元におき、片方はシグに渡す。シグもまた、それを一瞥して職員へ。
皮のすぐ下から筋肉質な身が現れる。
獲物を丸のみにする習性のある緋紋蛇の身は、その荒々しさを表すような臭みをまとっている。
「そっかー、だから誰も食わねんだな」
誰に言うともなく、リオがぼやきながらその身を切り分けていく。
臭みはあるが、独特な毒の匂いはしない。身のほうに毒の成分は回っていなさそうだった。
後ろの用心棒から制止されることもない”許された探求”は心地よく、匂いや色つやを確かめながら、ひとつ、またひとつと食材として切り分けていった。
周囲の冒険者たちはもう口を挟まず、静かに作業を見つめていた。
リオの手元が止まらない。
血に濡れた刃を拭い、次の部位へと迷いなく進む様子には、場に居合わせた者の誰もが息を飲んだ。
“遊びではない”と、本能でわかる動きだった。
やがて身が削ぎ落されて残った背骨と骨髄、頭蓋、尾の棘を一か所にまとめて、リオはシグのほうを見やる。
それを見たシグが視線を投げると、ギルド職員が慌てて荷車をもって駆け寄ってきた。
「ありがと、シグ!」
後ろにいてくれて、という言外の意味を、シグはしっかり感じ取っていた。
シグは黙って頷くと、足元の皮と骨の山をちらりと一瞥した。
少しだけ目を細めて、それが確かに“食材ではない”と判断されたことに納得する。
やがて切り分けられた身の一部が、リオの魔法で空間へと吸い込まれていくのを見て、何人かが小さくどよめく。
「……やっぱ、本気なんだな」
呟いた冒険者の一人に、隣の仲間がこくりと頷く。
「こいつの隣に立つには、あの血風が必要だったってわけだ……」
演習場の片隅で誰かが言ったその言葉は、静かに、けれど深くその場に残った。
リオが最後の骨を整える頃には、足元はもう血に染まり、空気に鉄と草のような匂いが混ざっていた。
それでも、背中に立つ大男の存在がある限り、彼の作業はどこまでも静かで、そして自由だった。
シグはふと、リオの背後に立ちながら、短く息を吐いた。
――いいかげん、この空気にも慣れてきたつもりだったが。
それでも時折、こうしてリオの背中に宿る熱に、自分が引きずられていくのを感じる。
ギルド職員が荷車の上で素材を数えながら、ぽつりと漏らす。
「……あの蛇、全部使い切るつもりだな。リオ……」
その声に、シグは何も返さなかった。ただ、その背をしっかりと守るように、立っていた。
買取に出した素材は査定のため、後日報奨金が出ることとなった。
宿屋のリオの部屋で着替えや荷物の整理をしながら、リオがシグに声をかける。
「もしかしなくてもだけど、全部買取に出せばまぁまぁな額になった?」
その問いにシグはちらりと目線を寄こしてから、わずかに肩をすくめてそれを返事とした。
「うわーだよなぁ!まぁでもだからって同じ金出して買えるもんでもないしなー!」
わはは、と笑いながら風呂の支度をする。
解体の際の油や血や体液が、とても臭う。
「とりあえず風呂入ろうぜー。俺もお前も臭いやべーもん、もう一緒に入るか!」
シグがはた、と止まる。す、と視線をそらし、そっと戻す。
――まあ、大浴場だしな――、そうシグは思った。
男同士だし、問題はない。はずだ。
だが本当にいいのかと、シグの頭の中の誰かが騒ぎ立てる。
リオはすでに上着を脱ぎ、手早く荷物の整理を終えていた。
しかも、こちらを見上げる顔が、悪意のかけらもなく笑っている。
シグは視線を床に落とし、唇を引き結んだ。
ゆっくりと立ち上がり、無言で腰のベルトを解き始める。
その動きにリオが嬉しそうに反応したのが、横目でわかった。
部屋に広がる血と鉄の匂い、魔獣の残り香。
それらに混ざる、リオが持つ石鹸の、ほのかな匂い。
――問題はない。何もおかしくはない。
そう己に言い聞かせるように、シグは鞘に収めた剣を壁際に立てかけた。
「……部屋から着替え、持ってくる」
短く呟き、自分の部屋へ。
リオが笑いながら「おう!」と答え、先に風呂場へ向かっていった。
シグは深く息を吐きながら、自分の部屋の取っ手に手をかけた。
ほんの少し、耳が赤いままだった。
宿屋の風呂は数人で入れる大浴場で、リオたちの他にも人がいた。
シグが内心ほっとする。
「お、リオも風呂か」
「よ、リオ。今日もお疲れさん。横の旦那もな」
他の客や冒険者の挨拶に、リオがいつもと変わらず快活に返事をする。
浴場の端では、のぼせたのか、冒険者が横になっていた。
リオが洗い場で頭と身体の汚れを落とす。
一つ椅子を開けて隣に座るシグも、同じように体を洗っている。
――一緒に風呂に、と誘ったのは、正直やりすぎかもと、リオは少し心配になっていた。
部屋でつい口をついて出た風呂の誘い。完全に無意識だった。
緋紋蛇と遭遇した。
明確にこちらに殺意を持った魔獣と相対し、逃げずにその場に留まったのは初めてだったが、恐れずにシグを信じた。
冒険者の男がシグに”血風”と言葉を浴びせた。
大きな騒ぎにこそならなかったが、まだ知らない部分があることをいやに思い知らされた。
観衆の中、一つも間違えてはならぬと緋紋蛇を解体した。
それが常に後ろにいてくれる大男に見せられる、自分なりの誠意だと思って。
そして勝手にざわめく世間の中でシグだけがただ”いつも通り”だった。
だから油断して、思ったことがつい口に出た。
(ありがてぇよな、ホント)
それだけが温かく胸の中に渦巻いていた。
「おっ、リオと用心棒も風呂か!」
「相変わらずすげー身体だなぁ、あんた!」
浴場に入ってきた内の何人かが、そう笑っている。
着実に、この街にシグの居場所ができていくことが、どこか誇らしかった。
シグもまた、頭を洗いながら、ゆるく泡を立てていた。
笑い声に反応して顔を上げると、数人の男たちが湯船の中から手を振っていた。
彼らはリオには気軽に、そしてシグには気後れしつつも敬意をにじませた視線を向けている。
まるで、長年の仲間に向けるような温かさだった。
「……」
それに明確な反応は返さなかったが、わずかに頷いて視線を逸らす。
隣ではリオが、頭をすすぎながらも笑っている。
泡だらけの腕でタオルを絞り、肩をすくめながら、誰彼なく声を返していた。
シグの手元の桶が、ぴたりと止まる。
隣で笑う声。その声が、かすかに震えていたように感じたのは気のせいか。いや――違う。
あのとき、緋紋蛇に飛びかかられた瞬間、リオは自分を信じてそこにありつづけた。
逃げていなかった。
それが、どれだけの意味を持つか。
シグはゆっくりと、手の泡を湯で流すと、リオの肩越しに視線を落とす。蛇の毒や皮脂がもう残っていないか確かめるように、腕から背中をさっと確認する。
そして、誰にも聞こえぬような低さで、ぽつりと呟いた。
「……お前の、そのままでいい」
それは誰にも向けられたものではない。自分自身の心に、静かに落ちた一言だった。
リオの髪から湯が滴り落ち、笑顔が湯気にかすんで見える。シグはまた、湯を手に取り、髪にくぐらせる。
肩が軽くなっていた。自分の居場所が、この浴場の喧騒の中にあることを、今だけは素直に信じられた。
――【緋紋蛇、解体】




