第3話 声にならない悲鳴
◆ 縄跳び
「本日から正式に入会しました、雪谷椿姫です。皆様、宜しくお願いします」
無事入会した雪谷さんは、その場にいる会員さん達へと挨拶回りをしてくれていた。
その挨拶に対する、男性陣のリアクションは実に様々だ。
「こ、こちらこそ宜しくです……フヒッ」と、デレデレとした表情で頭を下げる人。
「あ、そうなんだ?まあ、宜しく」みたいにクールに返す人。
「分からないことは何でも聞いてくれよな!」と、頼れる男アピールをする人。
ただ、共通しているのは、異常なまでに彼女を意識しているという点だろう。
だって、今まで余り練習熱心でなかった会員さん達ですら、彼女が入った瞬間にドシン!ドシン!と音を鳴らしながら、全力でサンドバックを叩き始めたのだから。我こそが!と、格好良いところをアピールするように……行動が分かり易すぎて泣けてくる。
そんな彼らに背を向けて、雪谷さんの方へと振り返った。
「それでは、早速ですが雪谷さんにはこれをやっていただきます」
「これは……縄跳びですね」
「そうです。まずはこれを、2分間連続で飛ぶところから始めてみましょう」
フッ、と余裕の笑みを浮かべる雪谷さん。
「まあ、いいでしょう。この位は朝飯前です」
圧倒的な強者感を出すと、俺の手から縄跳びを受け取った。
「それでは、よーいスタート!」
─そうして1分後─
「こ、こんなはずでは……」
雪谷さんは地面に両手と両膝をついて、ふーふーと肩で息をしている。
それはさながら、圧倒的な敗北者感を漂わせていた。
「前回の体験練習で分かったこと。それは、体力が無いことと、足腰が極端に弱いということです。最初にこれが出来るようになるまでグローブを付けることも禁止です」
「そ、そんな〜」
悲壮な表情を浮かべ潤んだ瞳で俺を見上げていた……可愛い。だがしかし、それとこれとは別問題である。
こちらが表情を変えない事に観念したのか、再び縄跳びをぴょこんと飛び始める。
縄跳びは格闘技において強い味方だ。
体力の増進もあるがリストの強化にもなるし、何よりリズム感が養われる。
そこに加えて体幹トレーニングや筋トレも並行しながら、先ずは人並みの体力をつけて貰えるようにと、献身的なサポートを行う日々が続いた。
彼女は猛練習に励んだ。
練習前には粉末状のクレアチンを飲んで、ゴホッ!と咽せていた。
腕立ては腕が曲げられず、足は地面にベッタリと着いたままなので、さながらオットセイのモノマネである。
バランス感覚を養う為に、目を瞑ったまま片足立ちをしたりもした……最初は目を開けたところからのスタートだったが。
そうして2週間が経過した頃。
◆ 勝利のスタンディングオベーション
ピピピ!
2分間が経った事を告げる音がジム内に響き渡った。その音を聞くと同時に、雪谷さんは倒れ込むように地面に寝そべる。
「はい、オッケーです!お疲れ様でした!!」
「ヒューッ、ヒュー……フッー……余裕でしたね」
2分間縄跳びを飛び続けるというのは、普段から運動習慣のない社会人には中々に堪える行為だろう。
しかし……何故だろうか?
彼女を見ていると、“はじめてのおつかい”を見た時の様な感情がこみ上げてくるのは。
『うおおおおお!!よくやったあ!!』
周りの会員さん達も、スタンディングオベーションで惜しみない賛辞を彼女に捧げている。会長に至っては、グスリとちょっと泣いていた。
「いやー、本当によく頑張りましたね。おめでとうございます!」
「ゼッーゼー……んっ。この位は当然ですよ?……けほっ!」
なんだかんだ言って、彼女は負けず嫌いな性格をしている。それはスポーツをする上で必要な素養だ。
強がる彼女を見て思わず破顔してしまう。本当によく頑張ったなと素直に感心した。
「それで、村瀬さん。次は何をすればいいのでしょうか?遂にミットですか。それでしたら、バンテージが必要ですよね?ちゃんと購入しておきましたよ。巻き方はちょっと不安ですが」
へぇ。バンテージも買っていたのか。それはそれは……彼女の問いかけに俺は笑顔で答えた。
「それじゃあ次は、縄跳びを**“3分間連続”**で飛んでみましょう!」
『〜〜~~~!!』
彼女の、声に為らない悲鳴が聞こえた気がした。
まあ、あくまで気がしただけなので、彼女に背を向けると、こちらを見守っていた会員の皆様に声を掛ける。
「はーい、皆さんも!ご自分の練習をなさって下さいね」
はーい。と元気のいい返事が返ってきて、それぞれが練習を再開した。
「あ、そうだ雪谷さん。ちょっとこちらに来て貰っていいですか?」
何ですか?と、トコトコ近づく彼女の手を掴んだ。
「ひゃっ!」
驚いた声を上げて赤面する彼女。
「ああ、驚かせてすいません。ちょっと失礼しますね」
そのまま彼女の手を開かせる。
「やっぱり。大分無理をなさっていたんですね」
開いた彼女の掌は、ところどころ皮がむけていた。指の付け根にはうっすらと豆の様なものが出来ていて、全体的に赤みを帯びている。
「雪谷さん」
俺は静かな声で彼女に呼びかけた。
「今後は痛みや違和感を覚えたら、直ぐに教えて下さいね。今回はそれほどでもないですが、格闘技を続けていくなら、どんな怪我をするか分かりませんから」
両の手に消毒をして軟膏を塗り、少し緩めに包帯を巻いた。
「……はい。分かりました」
まだ少しだけ顔が赤い。言い方が強かったかな?と、恐る恐るその顔を覗き込むと、怒っているわけではなさそうだ……良かった。
「まあ、でも頑張ってくれていて嬉しいです。今後は縄跳びと並行して新たなトレーニングメニューを組みますね」
雪谷さんは俯いたまま、小さくコクンと頷く。
包帯で巻かれた両の手を大切そうに、胸の辺りに添えながら。