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第8話「この空の下、きみと僕と」

 

 フィナリアとの練習と勉強の日々が続き、彼女が家庭教師として我が家に来てから約二年が経とうとしていた。


この世界の事や魔術について様々な事を学び、魔術の精度や魔力量も格段に良くなったので俺としてもかなり自信が付いてきたところだ。


今日は練習というよりかは近くの森まで珍しいものを見に行くらしい。おそらく動植物の観察だろうが、この世界のものは面白いものが多いので楽しみだ。





ーーーーー





 今は空の色が少しずつ琥珀に染まってきた秋の季節。葉の縁が赤や黄色に色づき始め、森の中では乾いた風が枝葉を揺らしていた。落ち葉は風に舞い、道の上に散り積もって、足音を柔らかく包む。


「もうちょっと、こっちだよ……ほら、足元、気をつけて」


 フィナリアが細い声で言う。俺はうなずいて、少し急ぎ足で彼女の横に追いついた。ふたりの背丈に迫る雑木の間を、斜めに差し込む日差しが照らす。落ち葉を踏む音が、カサリカサリと軽やかに響いた。


「先生、今日はどこに行くんですか??なんか、ずいぶん奥まで来ましたけど…」


森は危ないから行くなとウィリアムに言われているので、フィナリア同伴のもと数えるほどしか入ったことが無かった。しかも森の入り口ぐらいの浅さだ、今現在いるような深いところまでは入り込んだ事がないので若干ビビっているのは内緒だ。


「えっと……」


 フィナリアは立ち止まり、小さく振り返った。垂れた白銀の前髪の隙間から、優しい瞳がメイナードを見つめる。長い袖に隠れている両手が、胸元でぎゅっと握られていた。可愛い。


「森の中にね、ちょっとだけ開けた丘があるの。そこから、空がすごく綺麗に見えるの。……たぶん、今日は見られると思うの」


「空をですか?」


「うん。空を」


 それだけじゃよくわからなかった。でも、彼女の声音が少しわくわくしているのがわかって、俺もそれ以上は聞かずに、後ろをついていった。


 風が吹き、木の葉がさらさらと鳴る。すれ違う鳥の声が、秋の森の奥深さを物語っていた。木の幹には苔がつき、倒木にはキノコが顔を出している。夏とは違う静けさが、あたり一面に広がっていた。


 フィナリアが「知ってる道なの」と、小声で案内してくれるたびに、俺の知らない森の表情がひとつ、またひとつと開かれていくようだった。

まるで、誰にも教えられなかった秘密の場所をこっそり案内されているような、そんな気がした。


「ここ、少しだけ急だけど……登ってみよう?」


 そう言って、フィナリアが手を差し出してくれた。長袖の中から少しだけのぞく指先が、陽に透けて、儚いくらいに白い。俺はその手をそっと握り返し、ふたりで岩の段差をよじ登った。


 そして――視界が、ぱっと開けた。


 そこは、ぽっかりと木々が途切れた草の丘だった。背の低い草が風にそよぎ、遠くの山並みまで一望できる。空はどこまでも高く、まるで誰かが磨いた鏡のように、透き通っていた。


「わあ……」


 思わず声が漏れた。俺は見渡す限りの空に目を奪われたのだ。普段、森の中で見る空は木の間から覗く狭い切れ間だ。だがここでは、空が全部自分のものになったような、そんな気がしてくる。


「ここ……すごいですね」


「うん。好きな場所なの。……でも、今日来たのは、もうひとつ理由があるの」


「理由?」


 フィナリアは静かにうなずいて、空を見上げた。その横顔は真剣で、少しだけ緊張しているようにも見えた。


「毎年、秋のこの時期にね……空をわたる鳥たちが来るの。すごく、たくさんの。大きな群れを成して、北から南へ……」


「鳥?」


 俺は思わず首をかしげた。


「そんなの、聞いたことないですけど……」


「……あんまり、村の人は気にしてないの。通りすぎるは、一日だけだから。気づかないまま過ぎちゃう年もある」


 そう言って、フィナリアは小さく笑った。その声は少しだけ寂しそうで、でも嬉しそうでもあった。


「ずーーっと前にね、おばあちゃんが教えてくれたの。……昔、この森には風の精霊がいて、彼らが空を旅するとき、あの鳥たちの姿になって飛んでいくんだって」


「精霊が鳥になるの?」


「うん。……だから、空を見てるとね、なんとなく、呼ばれてるみたいな気がするの。ことしも、あの姿を見せに来てくれるって……」


 風が吹き、草の波が揺れる。


俺も空を見上げた。まだ何も見えない。ただ、どこまでも澄みきった秋の空が広がっているだけだった。


 ――そのときだった。


 遠くの空の一点に、黒い影が浮かんだ。

いや、最初は影というより、ただの点だった。けれど、それはすぐに広がっていく。点がいくつもに分かれ、膨れ上がり、羽ばたきの音が風に混じって聞こえてきた。


「……来た」


 フィナリアが、囁くように言った。俺はその言葉に目を凝らす。


 群れだ。無数の鳥たちが、ひとつの巨大な生き物のように、空を泳いでいる。翼を広げると帆のようで、羽ばたくたびに光を反射してきらきらと輝く。形は決して整っていない。けれどその乱れすら、どこか調和の中にあるようで――


「……ドラゴン、みたいだ」


 俺は思わず声に出し、返事をするようにフィナリアはこくんとうなずいた。


「そう。だから村の人は、あれを“空の竜”って呼ぶの。名前もない、群れの姿」


 鳥たちは風に乗って、ゆるやかに南へと進んでいく。枝分かれした群れがまた一つになり、広がって、たゆたうように流れる。その姿は、たしかに龍のようで、でもそれだけじゃなかった。

 自由で、美しく、どこか祈りのような気配すらあった。


「……どうして、こんなにきれいなのに、誰も知らないんだろう」


「ううん、知らないんじゃなくて……見上げないだけ、かも」


 フィナリアの言葉で気付かされた。たしかに、自分も今まで空をこんな風に見たことはなかった。空をただの背景のように思っていた。

 でも、今ここにある空は、世界のすべてのように感じられる。


「メイ……今日、見せたかったの。君に」


「ありがとうございます。……見られて、本当によかったです」


 鳥たちはしだいに遠ざかり、小さな影になって、空の果てへと消えていった。風だけがその余韻を運び、草を揺らしている。


 俺たちはしばらく言葉を交わさず、ただその場に座っていた。空を見上げたまま、耳に残る羽ばたきの音を思い出しながら。


 やがて、日が傾き、あたりが橙に染まる頃。フィナリアがぽつりとつぶやいた。


「またいつか見られるといいな」


「来年ですか?」


「うん。来年も一緒に来れたらいいな。ここに来て……また、空の竜を見ようね」


 俺は頷いた。すぐにでも、また見たいと思った。でも、この一度きりの時間が、ひどく貴重なものにも思えたからだ。


「さて、見せたかったものも見せれたし、そろそろ夕食の時間よね?帰りしましょうか!」


フィナリアがそう言って立ち上がると、俺も彼女の後に続き立ち上がり、小さな丘をあとにした。





ーーーーー





 夕暮れの森を抜ける頃には、空に残った雲が茜色に染まり始めていた。落ち葉を踏みしめる音が帰り道の名残を告げる。


しばらく歩き、木々の合間から見えた自宅の灯りに、俺はほっとしたように息をついた。初めて森の奥深くまで入ったので、緊張していたようだ。


「ただいま……あれ?」


 家の前に着いた瞬間、扉がわずかに開いていることに気づいた。普段はきちんと閉じてあるはずなのに。


「開いてる……誰かいるのかな?」


「うん……行ってみよう?」


 フィナリアが、いたずらを隠しているような笑みを浮かべていた。俺は首をかしげながら、扉をそっと押した。


 すると――


「おかえり、メイナード!」

「誕生日、おめでとう!」


 ぱんっ!と音が弾け、色とりどりの紙吹雪が空に舞った。テーブルには料理が並び、部屋の天井には花飾りが吊るされている。中央のケーキには五本のロウソクが立ち、ゆらゆらと炎が揺れていた。


「……え、えっ?」


 俺はきょとんとした顔で立ち尽くした。


この世界に来てから一度も誕生日を祝う事が無かったので、誕生日を祝う文化がないと思っていたが、どうやら毎年祝うのではなく、特定の年齢だけを祝うようだ。


「メイ、お誕生日よ!あ、生まれたばっかりの時にお祝いしたけど覚えてないわよね!」


 キャロルが微笑みながら近づき、やさしく肩に手を置いた。


「今日はあなたが生まれて、五年目の特別な日よ」


「……でも、そんな……僕、何も知らなかった……」


 後ろで、フィナリアが小さく手を振った。


「ごめんね〜、ちょっとしたサプライズをしたくてね。キャロルとウィリアムに言われて森に連れ出していたわけなの!」


「ふふ、フィナリアは、頑張って君を外へ連れ出してくれたんだ。森まで行ってくれて、ありがとう」


 ウィリアムが腕を組みながら満足そうにうなずいた。


「どうだ、驚いたか?」


「うん……すごく、びっくりしました」


 目の前の景色をじっくりと見つめた。花の飾り。料理。ケーキ。ロウソクの火。そして、笑顔の家族。


「……すごく、うれしい」


 ぽつりとそうつぶやくと、キャロルが軽く手を叩いた。


「じゃあ、ロウソクを消して。願い事をこめて、ね」


「えっと……願い事……」


 フィナリアがそっと囁く。


「ちゃんと考えて。消す前に心の中で言わないと、かなわないんだよ?」


「うん……」


 俺は目を閉じ、願い事を思い浮かべる。

一つじゃないとダメって言ってないから、何個かお願いしても大丈夫だよな。


(家族が、ずっと笑っていますように。大切な人を、守れますように)


 深く息を吸い込んで、ふうっと吹きかける。


 ロウソクの火が一斉に揺れて、消えた。皆が拍手をしてくれる。


「よくできました!」


「さすがは我が息子!」


 ウィリアムの言葉に、俺は少し照れくさそうに笑ってしまった。


「じゃあ、食べましょうか。たくさん作ったのよ」


 キャロルが料理を取り分け始める。焼きたての肉、香ばしいパン、村の果実で作られたジュース。甘いタルトもある。


「これ、森の木の実?」


「ええ。お父さんが昨日のうちに採ってくれたのよ」


「たまには役に立つだろ?」


 ウィリアムがからかうように言い、キャロルが「いつもよ」と微笑む。食卓にはあたたかな笑い声が満ちていた。


 その後、いよいよプレゼントの時間がやってくる。


「メイナード。まずはこれを」


 ウィリアムが手渡したのは、長い布にくるまれた何か。開いてみると、小さな木製の弓と本物の剣だった。


「わぁ……これ、本物?」


「ああ。ただの飾りじゃないぞ。軽いけど、ちゃんと弦も張ってあるし、剣の方は初心者向けだが切れ味抜群だぞ?お前が練習するのにちょうどいいだろう」


「……ありがとうございます、父様。すっごく嬉しいです!」


 ぎゅっと抱きしめると、ウィリアムは軽く頭を撫でてくれた。


「母さんと5歳になるまでは危ないから控えておこうって決めてたんだ。剣と弓は魔術を使えるお前には必要ないかもしれないが、いざという時絶対役に立つ。俺が知ってるサバイバル術も教えてやる!これから、ちょっとずつ練習していこうな。お前の腕、見せてもらうぞ!」


「はい!」


剣と弓。男なら誰もしもが憧れるものだ、それに冒険者としてや狩人として経験してきたサバイバル術も教えてくれるらしい。もしもの時に役に立ちそうだ、ちゃんと覚えておかないとな。


 次にキャロルが手渡してくれたのは、小さな革の手帳と分厚い本だった。手帳には魔術用の特製紙が綴じてある。本は動植物や鉱石など様々な挿絵が入った専門書のようなものだった。


「これに、魔術の記録をつけて。詠唱も、気づいたことも。あなたなら、きっと使いこなせると思って!本の方はメイがお勉強大好きそうだから久々遠出して買ってきたの、いっぱい勉強してね」


「……わぁ、ありがとうございます!僕、いっぱい勉強します!」


キャロルの書斎に沢山の本があったので、なんとも思っていなかったが、この世界には製紙技術はあっても印刷技術はないらしいので本は全て手書きということになる。なのでおそらく本は非常に高価なものだろう、わざわざ遠出までして買ってきてもらったものだ、大事にしなきゃな。


 最後に、フィナリアが小さな包みを取り出した。中には、片手で持てるような小さな杖が入っていた。持ち手の部分には彫刻が施してあり、先端には綺麗な緑の石が光っている。


「これは魔法のロッド!最初から魔術を使えてたから忘れてたけど、最初のうちは魔道具を介して魔術を発動するの。多分ロッドを介して発動したら、今よりもっとやりやすくなるはずよ!私が持ってた世界樹の枝に森で拾った石が綺麗だったから少しだけ、魔力をこめてみたの」


「魔力?」


「うん。お守りになるように、気持ちを込めて、詠唱したよ」


「……先生、すごいです」


「……メイにいつまでも無事でいてほしいから」


 その言葉に、胸がきゅっと締めつけられた。その瞬間――


 ふと、心の奥から何かがこみ上げてくる。


 ――あれは、まだ妹がいた頃の誕生日。生活がキツかったけど妹の誕生日の日だけはケーキ屋さんでケーキを買って、家で歌ったバースデーソング。思春期真っ只中でツンケンしていたけどプレゼントを抱えて眠った姿。


 それが……なんだか今の自分に重なった。


「メイ?」


 フィナリアの声に、顔を上げる。気づけば、目が潤んで視界が歪んでいた。


「……ごめんなさい。ちょっと……懐かしい夢を、見たみたいで…」


 言い訳のようにつぶやいた言葉に、キャロルがそっと抱きしめてくれた。


「大丈夫。今日はあなたの特別な日。泣いても、いいのよ」


「……うん……ありがとう……」


 ウィリアムがそっと手を置き、フィナリアは何も言わずにそばに立っていた。


 涙がこぼれた。でも、それは悲しみじゃなかった。温かくて、優しい涙だった。





ーーーーー





 夜が、しんと静まり返っていた。


 薪のはぜる音も止み、家の中はすでに寝息のリズムに包まれている。キャロルとウィリアムの部屋からは柔らかな灯がもれていて、フィナリアもさっき「おやすみ」と言って部屋に戻っていった。


 一度は布団に潜ってみたものの俺は眠れなかった。


 いや――眠りたくなかったのかもしれない。


 胸の奥がぽかぽかとあたたかくて、その余韻を抱きしめたくて、静かに毛布を抜け出した。裸足で床を踏みしめ、家の裏手にある小さな縁側へと出る。夜風が、そっと頬をなでた。


 空を見上げる。


 そこには――数えきれない星々が、無言で輝いていた。


「……綺麗だな……」


 ぽつりとつぶやいた声さえ、夜の闇に溶けていく。どこかでフクロウが鳴いて、木の葉がざわりと揺れた。けれど、それらすべてがやさしい音だった。まるで、今日という日を包むような静けさだった。


 ふと、フィナリアからもらったロッドを握る。


 魔力がほんのりと温もりを宿していて、不思議と心が落ち着いた。


 前世の記憶が、またそっと波のように押し寄せてくる。


 あの日の妹の笑顔。ぎこちなく歌ったバースデーソング。やがて別れが訪れたの時、どうしてもっと抱きしめてやらなかったのかと、悔やんだ記憶。


「……あの子はどんな未来を歩んでいたんだろうか」


 小さくつぶやいた言葉に、もちろん誰も答えはくれない。


 でも――


「こっちでは、俺が……俺ががんばるよ」


 空の星に誓うように言葉を重ねた。


「大切な人を、守れるように。ちゃんと強くなるから……魔術だって、剣だって、全部」


 冷たい夜風の中にあって、心の中は燃えるように熱かった。


 パーティのことを思い出す。


 父の手作りの弓と剣。母からの手帳と本。フィナリアのお守り。


 みんなが、自分のことを思ってくれていた。


「……ありがとう、みんな」


 言葉にすると、また涙が出そうだった。でも、それはもう悲しみの涙じゃない。明日への決意を宿した、まっすぐな気持ちの涙だ。


 もう少しだけ、夜空を眺めていよう。


 星のひとつひとつが、まるで灯火のように心を照らしていた。



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