第6話「フードの来訪者」
「おはようメイ!!今日はあなたに紹介したい大事な方がいます!!」
まだ朝露が窓の向こうに残る時間帯。
まどろみの中にいた俺は、キャロルの快闊な声によって瞼を開けることとなった。
「ん……母様…だれですか??」
「それは会ってからのお楽しみよ、もうそろそろ来るだろうから起きてちゃんと準備しておきましょ!」
まだ眠気の残る体を起こし、ベッドを後にした。
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一階へ下り、いつものダイニングテーブルにて朝食をとる。
今日のメニューはベーコンと目玉焼き、芋と玉ねぎのスープ、焼き立てパンだ。それと珍しい、いつも朝から森に出掛けているウィリアムも朝食の席にいた。朝を三人で食べるのは初めてだなと思いつつも、
何口か食べてから、朝の挨拶のことを聞いてみる。
「今日はどんな人が来るんですか?」
「そうねぇ、ママとパパのお友達ってところかしら?」
「まあ、そういったところかな」
何か隠しているような歯切れが悪い返事だった。
庭での失敗から十日、内心まだ少し落ち込んでいる。あの日から、二人がコソコソと何かをやっているよううで、恐らくそのことが関係しているとは思うんだが…
『もっ、もしかして魔女狩り的なあれか?この世界では幼少期から魔術を扱う者を異端とし、火炙りとか生贄に捧げる文化があるのかもしれないッ…』
そう考えたらキャロルの朝のテンションも、いつも朝から森に出掛けているウィリアムがいるのも妙に納得できた。もしそうだとした異端者を家から追い出すことが嬉しかったのかもしれない。
「どうしたのメイ?そんな固まって…?もしかして美味しくなかったかしら…」
「い、いや大丈夫です母様ッ!何でもありません、今日も美味しいですッ!」
「そう…ならいいんだけど」
「メイ、早く食べないと父さんが食べてしまうぞ~?」
ウィリアムが冗談めかしく煽ってくるがこっちはそれどころじゃないのだ。
気分は最後の晩餐だった。いや、正確に言えば朝なのだが…
そんな気分の中、いつの間にか皿の上から料理が無くなっていることに気付いた。完食したことに気が付かない程、心ここに在らずだったようだ。
使った食器を最近では生活魔術の練習がてら自分で洗うようにしている。
水の生活魔術で汚れを綺麗に落とし、水分を風の生活魔術で飛ばすだけの簡単なお仕事だ。いやー魔術ってほんと便利だよな!
と、十日前までは思っていた。庭での失敗から十日経っているのだが、今でも濃霧に視界が遮られ、どんどん体が庭に沈んで行くのを思い出す。あれ以来中級は勿論、初級魔術すら一度も使っていないし生活魔術も必要最低限し発動していないのだ。
はっきり言えば魔術を扱うことが少し怖くなってしまった。ウィリアムが気付いて引き上げてくれていなかったら、今頃庭の底に沈んでいたと思うとゾッとする。
時を超える魔術があれば、一回戻って自分を説教してやりたいぐらいだ。
やや雑念が多かったからか、いつもより皿洗いに時間が掛かってしまった。ようやく終わったことをキャロルに報告しようと思い、振り返ろうとした瞬間、扉から「コンッコンッコンッ」とノックする音が聞こえた。全身に鳥肌が立ち、中身はもう三十に近いおじさん世代なのに縮み上がってしまった。
なにがとまでは言わないが
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ノックが聞こえてからのキャロルとウィリアムの反応は早かった。待ってましたと言わんばかりに2人揃って家事を行う手を止め、扉に向かう。キャロルに至っては妙に笑顔な気がする。ウィリアムもやや嬉しそうだ。
そんなに早く息子を引き渡したかったのかと俺は肩をがっくり落とし、久々にカーテンの中へと隠れた。せめてもの抵抗のつもりだが意味はないだろう。ここに隠れるようになってから、随分成長したからどうしてもカーテンが盛り上がってしまうようになったからな。
カーテンの隙間から扉のほうを観察してみる。
来訪者の姿は扉とウィリアムのがっしりとした背中で隠れて見ることが出来ない。確認出来るのは二人揃って談笑していることぐらいか…
それと2人とも視線がやや下に向いているような感じがした。
子供と話しにしては高すぎるので、恐らく二人より頭一つ程小さい人物なのだろう。
扉の向こうの来訪者に対しての考察をしていると、キャロルが入って入ってとその人を招きいれた。
扉の陰からまず確認出来たのは藍色のローブだった。背丈のほうは予想通り二人と比べ頭一つ小さかった。深く被ったフードから僅かに見えたのは白銀の髪。それ以外は特に特徴が無い。
キャロルとウィリアムは隠れた俺を呼びながら、家の中を見渡しているが、ローブの来訪者は家に入ってからずっとこちらを見つめている気がする。
「あのカーテン、凄く綺麗。近くで見てもいいかしら?」
フードの来訪者がそう言ってこちらに近づいて来る。驚いた、フードの来訪者は声色からして若い女性だった。てっきり長年魔術の研鑽をし、顔に深いしわを刻んだ老人だと思っていたから尚更だ。
「へぇ~凄くいい生地ね、これどこで手に入れたの?私もほしいな」
彼女はそう言いながらカーテンを指で優しく撫でている。だがその口元は微かに笑みを浮かべているようにも見えた。
『このままだとばれる、いやもうばれていてこちらを揺さぶっているに違いない…』
俺はそう思いつつカーテンの中でじっとしていたが、カーテンを束ねていた留め具を外されたらしく、縮こまっていた体が外へと曝け出されローブの来訪者と完全に相対し、目が合ってしまった。
くそ、ここまでか…と引き渡されようと覚悟を決めた。だがローブの来訪者の反応は予想とは全く異なるものだった。
「ぎゃあああああああああああああああああ!?!?!?!?!?!?!」
なんだかまるで化け物が出たみたいな反応されたんだが…
彼女の後ろでは、キャロルとウィリアムが笑いながらやれやれと言うようなリアクションしてるし…
俺は訳が分からなかった。
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「メイ、紹介するわ。彼女の名はフィナリア・ウェンデル。パパとママの友人よ!そして今日からあなたの師匠よ!」
キャロルがそう言って紹介した時、今までの俺の考えは全て杞憂だったと確信した。
確かに二人は俺に結構甘い所があるから異端とか言って引き渡したりするはずもないか。なんにせよ一安心だな。
俺は師匠になってくれるというフィナリアさん?のほうをまじまじと見つめる。被っていたフードを外したので、隠れていた面様がよく見えた。
控えめに言って美少女だった。前世での女性経験なんてあまり無かったから一目見るだけで惚れてしまいそうなほどだった。
彼女は銀の月光を溶かしたような長い髪は後ろで淡いリボンにまとめ、背にしなやかに流している。髪先はやや波立ち、まるで風に揺れる小川のように軽やかだ。
そして瞳は澄み切った空のような青。見つめられれば、心の奥まで透かされそうでいて、不思議と柔らかく包み込まれる。
尖った耳は、彼女が人の血だけではないことを静かに語っていた。
身に纏うのは濃い藍色のローブ。影と溶け合いそうな色だが、どこか目を引く気品がある。
だが、ローブの裾や膝の辺りが泥で汚れていた。
どうやら、どこかで足を滑らせたようだ。
それでも彼女は微笑んでいた。恥ずかしさからか頬を染め、困り顔で耳の辺りをポリポリとかきながら。
気高く、少し不器用で、どこか愛おしい。初めて抱いた印象はフードを外す前と比べ、悪いものではなかった。
「さ、さっきはお見苦しいところをお見せしてしまい申し訳ありません…まさかカーテンの中に子供がいるだなんて思ってもいなかったので…」
「こちらこそ申し訳ありませんでした。あそこは僕の秘密基地だったので隠れて遊んでいたんですよね。」
いや気付いていなかったのかよ!とツッコミたくなったがここは平然を装っておく。
「それでキャロルにウィリアム?魔術の才に溢れる息子さんはどこにいるのかしら?まさかまだ寝てるんじゃないでしょうね!」
「ははっ、いやいや目の前にいるじゃないか!」
「そうよカーテンから出てきてあなた驚いてたじゃない!」
と、2人がそう言うとフィナリアが驚愕の表情でこちらを見つめて来た。
「えええええええぇ!?!?!?!?この子が?!あの庭を泥沼に変えたメイナード君?!ちっちゃい!?」
二人は俺のことをどんな風に紹介したのか気になるが、こちらから自己紹介をしておこう。お世話になるなら名刺交換は自分から行くのがセオリーだよな。
「はじめまして、メイナードです。三歳です。」
「え!?!?三歳?!あっ失礼、改めましてフィナリア・ウェンデルと申します。今日からあなたの、えっと…その……魔術を学ぶ手伝いをすることになりました!」
家庭教師のような感じだろうか、キャロルに代わり彼女が魔術を教えてくれるらしいがなんだか心配だ。
「にしてもキャロル…あなたがここまで親ばかだとは思ってもいなかったわ…」
「なによ?私ちゃんと庭であったことを伝えたわよね?まだ三歳だけど魔術師としての才は確かにあるわよ!」
「こんな三歳の子供が中級魔術なんて使えるわけないじゃない?」
「まあまあ、二人とも落ち着いて。百聞は一見に如かず、フィナには実際に見て貰ったほうが早いだろう?」
ウィリアムがそう言うと庭で魔術を披露することになった。
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フィナリアは、おずおずと口を開いた。
「え、えっと……本当に、魔術が使えるの? その歳で?」
その声には驚きと、半信半疑の色が混じっていた。
無理もない。世間では、魔力というものは繊細で、年若い子供にはまだ難しいものとされている。ましてや齢三歳の最近歩くのが立派になった子供が魔術を使えるなど普通は信じないだろう。
俺は、小さくうなずき返事をした。
不安と期待、そして胸の奥に残る“十日前の記憶”が胸をざわつかせる。
――庭のことを思い出す。
キャロルが大事に育てていた二本の木の皮が剥がれ、地面が沼地と化した。
あのとき、キャロルは怒った。でも、その奥には驚きと、どこか誇らしげな光も見えていた。
けれど、俺にとっては、初めての「失敗」だったのだ。
「……にわ……こわした……」
緊張で上手く声が出なくなるのはサラリーマン時代と変わりないらしい。フィナリアはきょとんと見つめた。
「え?」
「まえに……まほう、つかったとき……母様の……たいせつなにわ、こわした…」
少ししゃがんで、俺と目線を合わせてくれた。フィナリアの瞳が柔らかく揺れる。
「そっか……でも、それでも、やってみせようとしてくれるのね」
その言葉に、俺はきゅっと唇を結び、小さな拳を握った。
キャロルとウィリアムは静かにこちらを見つめていた。
「メイ、いつも手伝いをしてくれている時のようにでいいんだぞ!」
「いつものようにでいいわ。今度は、落ち着いてやるのよ」
風が穏やかに吹いている。前回の沼地の跡は、もうすっかり消えていた。キャロルが手をかけて直したのだろう。
フィナリアは少し離れて、控えめに見守っている。目にはまだ疑いの色が残っているが。
俺はゆっくりと、両手を前に差し出す。
幼い掌を合わせるように、そっとすぼめ、目を閉じる。
「静かに滴りて流れ集え、水の帳よ、地を包め。
水紗の帳」
緊張からか、それとも恐怖からか、唱える声は呟くように小さかったが、けれど心を込めて唱えた。
以前失敗した中級魔術。他のも魔術にするべきだったかもしれないが中級魔術はこれしか知らないのだ。
空気が少し、冷たくなり、俺を中心に濃霧が発生する。それと同時に地面が水で覆われていく。
以前は霧が発生し続け、地面がどんどん水に侵食されていったが、今回は何だか違った。
霧は発生しているが周囲は僅かながらに見渡せるし、それに小さな水球が無数に浮かんでいる。そして地面は水で覆われてるいるが地面の軟化は進んでいないようだ。
「……!」
フィナリアが思わず声をあげた。
俺は集中を解かぬまま、水球を静かに揺らし、やがて地面にゆっくりと落とした。しぶきはおろか、波紋も広がらないように。そして魔術の使用をやめると同時に霧は晴れ、地面を覆う水も次第に引いていった。
「……で、できた……」
恐らくだが、今のが完璧な成功だろう。人生初の中級魔術成功だ、やったー!!正直滅茶苦茶嬉しかったが、とりあえず平然を装っておく。
拳をグッと握りにしめ、3人の反応を伺う。
「……すご……本当に、魔術を……」
フィナリアは思わず立ち上がり、手を口に当てた。
「すごい、すごいよ!水紗の帳 を完璧に制御してた…霧も自分で晴らしたし地面に水一つ残ってないだなんて!魔素の流れを理解しているのかしら!」
興奮気味に話す彼女の言葉を、俺はよく理解できていないけれど、その声の調子と、きらきらと輝く瞳で、彼女が心から驚き、喜んでくれているのだと分かった。
キャロルがそっと言った。
「ね? 言ったでしょう。メイは魔術を理解しているのよ」
その言葉に、フィナリアは深くうなずく。
「……ええ。これは、たしかに……。こんなに早く、こんなにも自然に……!」
そのとき俺の頬がふわっと緩んだ。
少しだけ、嬉しくなっていた。
自分の魔術を見てもらえたこと。信じてもらえたこと。
そしてなにより、“ちゃんと”できたことが。
こうしてフィナリアとの初対面の日は、中級魔術の制御に初めて成功した日となり、弟子入りした日にもなった。色んなことが起こりすぎて疲れたたので、魔術の練習はまた明日から頑張る事にしよう。