第9話「平凡」
5歳の誕生日を迎えた翌日からは午前中はフィナリアと魔術の練習を、昼からはウィリアムとの練習が始まった。
前世ではサバイバルはおろか、剣と弓なんて握った事もないからな。
ウィリアム曰く「練習すればなんでも出来るようになる」らしいのだが、彼は結構楽観的な性格をしているし何事にも器用なのだ。俺にも出来るか不安しか無かった。
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まず午前中は、フィナリアと一緒だった。
森の奥、小川のそばに広がる草地。そこが最近の修練の場だった。
「今日から剣の練習が始まるんだって?」
「うん、父様が教えてくれるみたいです」
「……へえ。じゃあ魔術の練習は、ちょっと軽めにしとこうか」
フィナリアは微笑んだ。どこか寂しげにも見えたその顔に俺はなにか言いかけて、やめた。
風の精霊に語りかけ、水に触れ、葉のささやきを読む。
魔術の基本は、自然の「在りよう」を受け入れ、整えることだとフィナリアは言っていた。俺はそれが好きだった。うまくいかなくても、気持ちが落ち着いた。
けれど今日は、心の底にひっかかりがあった。
森のざわめきが、どこか自分から遠く感じる。
(剣、か……ちゃんとできるかな)
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昼になると、森の入口にある広場にウィリアムが立っていた。
大きな木の切り株のそば、真っ直ぐに伸びた影の下に、二本の木剣が並べて置かれている。
「来たな。じゃあ始めるか」
ウィリアムは言った。それだけだった。
準備運動もなければ、説明もない。ただ、一本の木剣を手に取ると、それを息子に差し出した。
「重っ……」
木剣を握った瞬間、思わずそうこぼしてしまった。
想像よりずっと重い。両手で持ち上げると腕が震えた。こんなの5歳の息子に持たせるものじゃないだろ!とツッコミたくなる。
「まず構えだ。これは“蒼波流”の基本形……足は肩幅、右足を半歩前。両手で柄を握って、肘は張るな」
ウィリアムは無駄なく動く。見惚れるほどの滑らかさで、姿勢に無駄がない。真似しようとするが、鏡が歪んで映っているかのように、うまく再現できない。
そうそう、この世界には3つの剣の流派があるらしい。
1つはさっきウィリアムが言っていた蒼波流
受けと流しを極めた守りの流派らしい。柔よく剛を制すってやつだな。
2つ目は烈閃流
瞬発力と殺意に特化しており、高速かつ一撃必殺の攻めの流派だ。居合とかそう言う感じだろうか、かっこいいな。
最後に3つ目は黒嶺流
気配を断ち、精神集中で見切りと先手で敵を制する暗殺剣の流派。なんでも攻撃された事に気付けないのだとか。遭遇したくない流派だな。
剣士は一つの流派を極める者と幾つかの流派をバランスよく覚えるかに分かれるらしい。
「腰が落ちてない。もっと下げろ」
「ひっ……」
太ももがぷるぷる震える。腕が上がらない。肩が固まる。家に篭って本ばかり読んでいたからか完全に筋力不足だろう。
それに魔術のときは身体の感覚が自然と魔素の感覚が自然と重なったのに、今はすべてがバラバラだった。
「……思ってたより、難しいな」
小さな声でこぼすと、ウィリアムはふっと鼻で笑った。
「当たり前だ。剣は向いてる奴にしか楽しくないな、けどな、そういう奴はすぐ死ぬ」
「え……?」
「楽しい剣しか知らない奴は、いざってときに動けないってことさ。まあ剣気も上手く扱えない最初のうちは中々難しいだろうな!」
剣気とはなんだろうか…?聞いた事無い言葉だ。
「剣気って……なんですか??」
ふと尋ねると、ウィリアムは足元の土を蹴って立ち上がった。
「見せてやるよ。いいか、よく目を凝らせ」
構えたその瞬間、空気が変わった。
まるで風の密度が変わったような、熱のない圧が周囲を包んだ。
「──はぁぁっ!!!」
ウィリアムがそう言ったときには、木の柱に斜めの跡が刻まれていた。
「見えたか?」
「……見えなかったです…なにも」
「それが普通だ。だが、見えなかったなら、それでいいさ!さぁ気を取り直して弓も触ってみるか」
午後の後半。ウィリアムは弓を手に取った。
自分用の狩猟弓を片手で扱い、無言で俺に小ぶりの練習用弓を渡す。
弓の弦を引く、ただそれだけが、どうしてこんなにも難しいのか。ピンと張った弦は僅かにくの字に形を変える程度で全く引ける気がしなかった。
右手で矢をつがえ、左腕を真っ直ぐに保ち、ぐっと引こうとしても、腕が耐えきれずにぷるぷる震えた。
ウィリアムは何も言わなかった。矢を一本、空に放っただけだった。
風が切れる音がして、矢はまっすぐ、遠くの木の幹に突き刺さった。
「すごい……」
それしか言えなかった。普段はキャロルの尻に敷かれていて、頼りになるがどこか抜けてるようなウィリアム。
だが今日の父の背中は、どこか遠く感じた。
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夕暮れの空は朱に染まり、木々の影が長く伸びてい
る。弓の方はまともに弦を引くことができなかったので、結局剣術の練習をすることになった。
俺は地面にへたり込んだまま、何も言わずに木剣を見つめていた。
手のひらは真っ赤に腫れて、指の付け根がひりひりと痛んでいる。力を込めすぎたのか、皮膚の一部が剥けかけていた。
ウィリアムは口を開かなかった。ただ、何も言わずに近づき、息子の前に腰を下ろした。
「剣を握るのは、痛ぇもんだ」
ぽつりと呟いた言葉に、顔を上げる。
「……父様も最初は痛かったですか?」
「当たり前だ。最初の一週間は、握れないくらい腫れた。弓なんて、引こうとするだけで涙が出た」
「でも、父様は、すごいじゃん……」
言いかけて、喉がつまる。
「……僕、魔術はできるのに。剣も弓も、全然できないんだ」
自分の声が小さく震えていた。泣くつもりなんてなかった。けれど、悔しさと恥ずかしさと、情けなさが胸をいっぱいにしていた。
ウィリアムは、すぐには答えなかった。
風が吹き抜け、木々の葉がざわめく中、彼は空を仰いで、やがてゆっくりと口を開いた。
「魔術は……才能の世界だ。適性がある者は、幼くとも花開く。俺は魔術の才能がないから生活魔術ぐらいしか使えない。だが、剣は違う。剣は、積み重ねるものだ」
父の声には、どこか遠い記憶がにじんでいた。
「お前は、たぶん剣には向いてない。それでも続けるなら、それは……才能とは別の力だ」
そう言ったウィリアムの目は、才能がない息子を残念がるような様子はなく、むしろ暖かい目を向けてくれていた。
「よーし、もう夕飯の時間だ!帰ったらまず風呂に入った汚れと汗を洗い流さないとな!」
ウィリアムがそう言って、今日の練習は終わった。
弓は暫く筋力を付けないとまともに練習する事が出来ないだろう、筋トレもしないといけない。
剣に関しては全然納得いくような練習はできなかった。ウィリアム曰く俺は剣に向いてないみたいだが、だからと言って諦めるような事はしたくない。
完全に習得するに至らなくても、基本的な事は出来るように練習は続けよう。絶対に。
いつもの帰り道だが、筋肉痛でまともに歩くのもしんどかった。途中ウィリアムに背中に乗るかと聞かれたが、それはなんか男としてのプライドが許さなかったので、頑張って歩く事にした。中身はウィリアムと同い年ぐらいだからな。
ーーーーー
ー夜ー
疲れた身体を引きずるようにして家へ戻ると、灯りのついた居間にはフィナリアがいた。髪を後ろで纏め上げていて、いつもより可愛らしく見えた。
疲れた身体にフィナリア先生、ありがとうございます!
「おかえり、メイ」
彼女は立ち上がり、椅子を引いて迎えてくれた。温かなスープの香りが部屋に満ちていた。
キャロルが微笑みながら言った。
「フィナリアが手伝ってくれた。早くお風呂に入ってきなさい。疲れてるだろうから、今夜はちゃんと食べなさい」
俺は、こくりとうなずいてウィリアムと風呂に行った。運動終わりの風呂は最高だった。前世で営業で動き回っていた頃を思い出した。
腹も減っていたので早急に風呂を終わらせて、食卓についた。スプーンを握る手に、少しだけ震えが残っていたので少々食べにくかった。
食事が終わったあと、先生との二人きりの時間が訪れた。縁側に並んで腰かけると、夜風が心地よかった。
「……剣、思っていた以上に難しかったです…」
ぽつりとこぼすと、フィナリアはうなずいた。
「そうだろうね。剣って、身体の声を聞かないといけないし……言うこと聞かない時は、本当に嫌になるよ」
「……向いてないのかもしれません」
「魔術だって、メイは簡単にできると思ってるかもしれないけど、きっと心のどこかで声をちゃんと聞こうとしてる。だから精霊たちが応えてくれるんだよ」
彼女の声は、どこまでも優しかった。
「剣だってきっと同じ。きっと“剣の声”があって、それに耳を澄ませる力は、ゆっくり育つものなのかも」
「それにウィリアムは昔からかなり練習してきてたからね〜それにメイは初日でしょ?まだまだこれからだよ〜!」
フィナリアに慰められると今日一日の疲れと悩みが吹き飛んだように感じた。俺は神様は信じないがフィナリアは神にも匹敵する癒しのオーラを放っているのは間違い無いだろう。
そして、その後部屋に戻るとウィリアムが待っていた。神に癒された後に逞しいウィリアムをなんだかさっきのが中和されてしまう気がした。
「よおメイ、今日はお疲れさん!ってなんだよその微妙そうな顔は!」
しまった、思わず顔に出てしまっていたらしい。
「い、いえ父様、なんでも無いです!ちょっと今日は疲れたので…」
「そ、そうか?まあいいや、ちょっと見せたいものがある。ついて来てくれ」
彼に連れられて向かったのは、屋根裏だった。
そこには、一本の古びた剣があった。
「これは…」
「ああ。俺が最初に握った剣だ。ボロボロだが、捨てられなかった」
ウィリアムはそれを手に取り、ゆっくりと剣の柄を撫でた。
「お前が、剣に向いてるかどうか。それは正直どうでもいい。だが、続けると決めたなら、俺は教える」
俺の答えは決まっていた。そしてまっすぐに父を見た。
「……僕、続けたい。強くなりたいです。父様みたいに、守れる人になりたい」
その言葉に、ウィリアムはほんのわずか微笑んだ。
「なら……今日からは、戦士だな」
そんなやりとりを屋根裏で交わし、その日はベッドに入って休む事にした。
………休む事にしたのだがキャロルとウィリアムの寝室からはギシギシアンアンと夜の営みの声が聞こえてきたので眠れない。最近よく夜な夜な聞こえてくるのだ。
2人目でも作ろうとしているのだろうか、それとも夫婦の営みってやつか…なんにせよウィリアムの体力は底知れないなと思いながら布団に再度潜り込むのであった。
ーーーーー
翌日も、そのまた翌日も。何日経っても剣は重かった。弓も引けなかった。
だけど、初日と違ったのは「やめよう」と思わなかったことだった。
「もう一回やります」
それだけを口にして、構え直す。
ウィリアムは何も言わなかった。ただ、見ていた。
足の位置、肘の角度、目線の置き方。昨日より、ほんの少しだけ整った気がした。それでも嬉しかった。
魔術剣術と違って最初から何故だが出来てしまった。
だから剣術もと思って息巻いていたが、そうは行かない、剣は1から積み重ねて行かないとダメだ。決して近道をしようとせず、少しずつ練習していかないといけないので、少し出来るようになるだけでもかなり嬉しいな。
少し練習しているとウィリアムが「初日に比べたらだいぶ良くなったな」と言ってくれた。
ウィリアムに褒められるのは偶にあったが、こうやってしっかりと見つめて言われた事は無かったのでこれもまた嬉しかった。
キャロルは事あるごとに褒めちぎる少々親バカなところもあるがウィリアムは違った感じがして良かった。
こっちの世界に来て、つくづく感じるが親に褒められるって本当に素敵なことだと思う。ちょっと照れくささはあるけどな。
剣の練習を少し休憩して小さく深呼吸して、森の川辺へと向かった。
水辺に腰を下ろし、風の声を聞く。
木々のざわめき、水のせせらぎ、空を渡る鳥の影。
世界は今日も変わらず、そこにあった。
「……明日もやるよ。剣も、弓も、魔術も。全部」
小さく呟いた言葉に、風がふわりと頬を撫でた。
まるで応えるかのように。
よし、まだまだ頑張らないとな。
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