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見て、月だよ  作者: 不覚たん
第一部 青
9/82

落ち武者

 翌日、また朝っぱらからノックで叩き起こされた。

 いや、叩き起こされたにしてはかなり遠慮がちだったが。あまり強くない力で、何度も連続でドアをノックされた。急かすように。


 俺はソファから身を起こし、目をこすりつつドアを開けた。

「はい?」

「た、助けてください。たまちゃんが……」

 お姉さんだった。

 緊急の用事で来ただろうに申し訳ないとは思うが、まず胸のデカさに目が行ってしまった。ワンピースの布地が苦しそうに張りつめている。

 しょせん男はこうなのだ、などと思うなかれ。たぶん同性であろうとそこへ目がゆくはずだ。とにかくデカいんだからな。


「たまこちゃんが?」

「つかまっちゃいました……」

「はい?」

 冗談を言っている顔ではない。血の気のひいた青白い顔で、いまにも泣き出しそうな目をしている。茶化したらかわいそうだ。

 俺がドアを大きく開くと、彼女は「お邪魔します」と入ってきた。


 ソファを進めて、コップの水を出してやった。

「すみません。たまちゃん、つかまっちゃって……」

「誰にです?」

「多賀峰さんです」

「……」

 なら俺のせいだ。

 危険な仕事を押し付けたから。


 俺はまだジャージ姿だったが、そのままベルトをつけて刀を帯びた。

「場所は?」

「ま、待ってください! いま動いたら、たまちゃん殺されちゃいます!」

「なぜ?」

「脅迫状が届いたんです。助けて欲しかったら、指定の日時に、式見さんを縛り上げた状態で連れてこいって」

「ほう」

 敵は俺の本名を知っているらしい。

 まあ津邑だって知っていた。関係者全員知っているのだろう。そもそも多賀峰は、一二三の友人だったとかいう話だ。俺の名前を知っていても不思議ではない。


 お姉さんは頭を抱えていた。

「あ、あの、正直に言います。私たち、その……人間じゃないんです。だから、死んでもそのうち生き返ります」

「えっ?」

「で、でもっ! やり方によっては、生き返らないことがあるんです! 多賀峰さん、なんでかそのこと知ってて……」

 なら死ぬということだ。

 人間と同じように。


 選択肢は大きく二つ。


一、俺はクソガキを見捨てて、多賀峰を殺す。

二、拘束された俺が、多賀峰に殺される。


 前者を選んだ場合、多賀峰という悪人は死ぬ。被害は拡大しない。

 しかし後者を選んだ場合、多賀峰は生き続ける。被害が拡大する可能性がある。


 あくまで簡単に考えれば、だが。


 ふと、ノックもなしにドアが開き、一人の男が入り込んで来た。

「久しぶりだな、式見くん。いや、ここでは霧島だったか」


 は?

 落ち武者みたいなヘアスタイルの、初老の男だ。

 俺はこの男を知っている。いや知っているもなにも……。


「なんで師匠がここに? え、ていうか本当に本人ですか?」

「本当に本人だ。なぜここにいるのかはご想像にお任せする」

 ふざけんなよ。

 急に俺の前から姿を消したと思ったら、こんなボロアパートにいたなんて。


 いや、待て……。

 なぜここにいるのかはご想像にお任せする?

 理由を知っているのか?

 なぜ人間がこのアパートに召喚されるのかを……。


 師匠はどっと床へ腰をおろし、あぐらをかいた。

 よれよれのチェックのスーツを着ている。昔からそうだったが、まったく似合っていない。言うと怒るから言わないが……。


「ふうちゃんから協力を依頼されてな。状況は把握している。作戦を立ててやったから、ありがたく聞くといい」

「はぁ」

「まず、言われた通りに式見くんを拘束し、多賀峰氏に差し出す」

「はい?」

 それをすると俺が死ぬのだが?

 あ、もしかして俺の目的を果たすための作戦ではなく、クソガキを救うための作戦を立てたということか?

 選択肢の二番目というわけだ。


 師匠はニヤリと不敵な笑みを浮かべた。おにぎりみたいな体形をしているが、目つきだけは鋭い。

「拘束具のロープに細工はしない。おそらく、すぐバレるだろうからな。ただ、わずかに細工してあるかのようには見せかける。敵はロープが気になって仕方なくなるだろう。なにかありそうなのに、なにもない。こういうのは、いっぺん気をひいてしまうと、いつまでも持続する」

 この人は、むかしから小細工が得意だった。

 だからこそ俺の師匠である。剣術の師匠ではない。戦術の師匠だ。


「あのー、念のため確認しておきますけど、俺は死にませんよね?」

「ああ、約束しよう。敵が俺の予想を超えない限りは大丈夫だ。だが、もし予想を超えてきたら? そのときは君がアドリブでなんとかするんだ。機転が求められるぞ」

 クソ師匠め……。

 つまりはなんの保証もないということだ。

「話の腰を折ってすみません。続きを聞かせてください」

「いいのか?」

「えっ? いいですよ……。なにかあるんですか?」

 これに師匠は、またフッと笑った。

「あるのだよ。敵が単独犯なのは間違いない。社会的に孤立しているわけではないが、彼女の犯罪行為に手を貸す仲間はいないということだ。つまり俺の策を使えば、たまこちゃんを救出し、なおかつ君の身柄を回収するところまではうまくいくだろう。だが、問題はそのあとだ」

「ヤツを逃がすことになると?」

「いや、そうは言ってない。君が殺したいと思えば、それも可能だろう。問題は、そのさらにあとだ」

「なんなんです?」

 結論を教えて欲しいのに。

 わざとこちらに考えさせようとする。

「敵は単独犯だが、社会的に孤立しているわけではない。つまり、彼女が死ねば、周囲の人間が動き出すということだ。そのとき彼女の罪を証明できるのか? たまこちゃんを誘拐した証拠は? ここに監視カメラなんてモノはない。目撃者がいなければ、誰も信用しない。その目撃者だって、信用に足る人物でなければ意味がない」


 そうだ。

 写真を撮れるカメラくらいはあるが、なぜかまともに映らない。動画を撮るカメラはそもそも存在しない。

 そしてこのアパートでは、「事実」よりも「それっぽさ」が優先される。みんなに好印象を抱かれる人物の主張だけが正しくて、孤立してるヤツの意見は無視される。


 師匠は相変わらず笑顔のまま喋り続けた。

「もし彼女の罪を証明できなければ、こちらはただの殺人犯になるぞ。彼女はこのアパートで、出版関連の活動をしている。つまりメディアだ。影響力が大きい。それに比べて君はどうだ? コミュニティで孤立してないか? のみならず、殺人事件の容疑者でもある。住人たちはどちらに味方するだろうか?」

「……」

 本当にクソだな。

 多賀峰……。

 人脈や立場をバリアのように使っている。

 対するこちらは生身のまま。


 こちらが黙り込んでいると、師匠が言葉を続けた。

「だから、今回の作戦は、たまこちゃんと、君を助け出すのが限界だ。敵がロープに気を取られている間に、俺が麻酔針で狙撃する。そして君を救う。今回できるのはそこまでだ」


 だが、忘れてもらっては困る。

 人を殺すのは、さほど難しいことではない。

 その後どうなってもいいのなら、という条件はつくが。


「多賀峰をどうにかできるなら、俺は住人に裁かれても構いませんよ」

 すると師匠は、ふざけてこちらを銃で撃つようなジェスチャーをした。

「ならいますぐ死んでも同じだろう」

「同じじゃありませんよ」

「君が愚かな選択をするというのなら、俺は手を貸さない。前回は手を貸したせいで、大変なことになったからな」

「それは……」

 俺が三人を殺した事件だ。

 師匠は共犯ではない。ただ、もしそれが可能なのだとしたら、どんな展開がありうるのかを想定してもらっただけだ。

 実行前に師匠は姿を消した。

 彼に罪はない。


 お姉さんは不安そうに俺たちのやり取りを見守っていた。

 妹のことが心配で仕方がないのだろう。


 俺は深呼吸のついでに溜め息をついた。

「ところで、麻酔針というのは?」

「俺が吹き矢で飛ばす。肝心の麻酔は……ふうちゃんが提供してくれる」

 なるほど。アップルパイの具にも使われたアレだ。もしくは別のなにかかもしれないが。とにかくお姉さんは、毒物についての知識があるようだ。


 師匠は重たそうに腰を上げた。

「とにかく、俺からの提案は以上だ。この通りにやるなら手を貸す。そうでなければ貸さない。シンプルな話だ。もしキャンセルするなら早めに教えてくれ。俺としても、ムダな労働はしたくないからな」

 なんて言い草だ。

 師匠が部屋を出ていくと、お姉さんも「わ、私も失礼します」と頭をさげて出て行った。


 急に一人になると、部屋ががらんともぬけの殻になったように感じられた。

 壁の穴からクソガキが出てくることもない。

 映りの悪いテレビだけがずっと明滅している。


 女子高生の依頼をこなしたから、多賀峰とのツテを作れると思ったのに。

 先手を打たれてしまった。


 それにしても、なぜ多賀峰はネコがスパイであると見抜けたのだろう?

 ずっとネコがついてきたら、誰しも警戒くらいはすると思うが……。

 いや、それだけではあるまい。

 クソガキは人間じゃない。死んでも生き返る。ところが多賀峰は、蘇生しない方法まで把握していた。


 まさとは思うが、はるか以前からこれを計画していたとか?


 俺がこのアパートに召喚されたことを知った瞬間、あるいはそれ以前から、彼女は生存のための布石を打ってきたのかもしれない。

 そうでなければ、ネコを誘拐した当日に、お姉さんへ脅迫状を送ることはできまい。事前に住所を把握していなければ不可能だ。あまりに展開が早すぎる。つまり多賀峰は、こうなるより前に、俺とその関係者の情報を把握していたのだ。


 ただ、多賀峰のプランに、師匠が含まれているかどうかは分からない。

 俺でさえ今日の今日まで師匠の存在に気づけなかったのだ。少なくとも、ここへ来てからは一度も接触していなかった。

 チャンスがあるとすればそこだ。

 そこだけだ。


 意外と手ごわい相手だ。

 師匠のあの楽観的なプランが成功するだろうか?


 *


 食欲はわかなかったが、それでも食堂へは向かった。

 婆さんは月見を出してくれた。生卵だ。どこかにニワトリでもいるのだろうか。いや、そもそもニワトリの卵なのだろうか。疑問は尽きない。


「ったく、シケた顔してるね。メシくらいうまそうに食いな」

「努力します」

 まったくもって余計なお世話だが、俺は反論もせずうどんをすすり続けた。


 ダシの効いた醤油のスープが、疲弊した体に染みる。

 そして謎の紅白かまぼこ。こっちは味気ない。あってもなくても同じようなもの。いや、それでもこのかまぼこがなければ、うどんがそっけないものになってしまう。にぎやかし程度の存在ではあるが、なければないで寂しい。


「そういえば女将さん、あのクソガキ……たまこちゃんのことなんですけど」

「なんだい?」

 たまこの名前を出した途端、うるさそうに顔をしかめてしまった。しわだらけの顔が、さらにしわだらけになった。

「なんで出入禁止なんです? 可哀相じゃないですか」

「可哀相? ふん。事情も知らないで勝手なこと言うじゃないのさ。あの子はね、厨房の中にまで入り込んで来たんだ。そんなことするヤツは、人だろうがネコだろうがお断りだよ。あんたも入ろうなんて考えるんじゃないよ? 入ったら二度とここのメシは食わせないからね」

「入りませんよ」

 厨房には、よほど見られたくないものがあるらしいな。

 あとでクソガキに聞いてみるか。

 あの子は貴重な目撃者のようだからな。


「なんか、もっと具はありませんか?」

「うるさいね、さっきから」

 顔をしかめながらも、婆さんは長い箸で煎餅を乗せてくれた。

 乗せてくれたというか、なかば強引にやらかしてきたわけだが……。とはいえ、この醤油にまみれたしょっぱい煎餅は、じつのところ汁物と合う。イメージとしては天かすに近い。いや近くないかも。分からない。


「ありがとうございます」

「ま、食わないよりは食ったほうがいいわね。腹が減ってると、ろくなことにならないからね」

 なんだかんだで面倒見のいい婆さんだ。

 厨房の内部がどうなっているのかという疑惑はあるが。


 *


 神社でプリンをオーダーして、俺は帰宅した。

 もしクソガキが帰ってきたら、プリンを腹いっぱい食べさせてやるのだ。


 ……。


 ソファに腰をおろし、明滅するディスプレイをぼうっと眺める。

 ごにょごにょと音が流れてくる。

 コンセントを抜いても止まらない。

 いいのだ。

 ほかに娯楽がないのだから、この前衛的な絵面を鑑賞するしかない。


 ふと思った。

 俺の師匠は、あんな雑な作戦を立てるような人間だったろうか?

 なのに……立てた?


 本当に本人か?

 別人ならそれでもいい。どこかの誰かが成りすましているだけ、ということになる。いや「だけ」ってことはないし、別のヤバい事件が発生したことになるが。


 ところが、もし本人ならどうだ?


 ぞわっと鳥肌が立った。

 本当に警戒すべきは、こちらのケースだったのだ。

 いつもそうだ。

 あの男は、そういうことをする。


(続く)

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