落ち武者
翌日、また朝っぱらからノックで叩き起こされた。
いや、叩き起こされたにしてはかなり遠慮がちだったが。あまり強くない力で、何度も連続でドアをノックされた。急かすように。
俺はソファから身を起こし、目をこすりつつドアを開けた。
「はい?」
「た、助けてください。たまちゃんが……」
お姉さんだった。
緊急の用事で来ただろうに申し訳ないとは思うが、まず胸のデカさに目が行ってしまった。ワンピースの布地が苦しそうに張りつめている。
しょせん男はこうなのだ、などと思うなかれ。たぶん同性であろうとそこへ目がゆくはずだ。とにかくデカいんだからな。
「たまこちゃんが?」
「つかまっちゃいました……」
「はい?」
冗談を言っている顔ではない。血の気のひいた青白い顔で、いまにも泣き出しそうな目をしている。茶化したらかわいそうだ。
俺がドアを大きく開くと、彼女は「お邪魔します」と入ってきた。
ソファを進めて、コップの水を出してやった。
「すみません。たまちゃん、つかまっちゃって……」
「誰にです?」
「多賀峰さんです」
「……」
なら俺のせいだ。
危険な仕事を押し付けたから。
俺はまだジャージ姿だったが、そのままベルトをつけて刀を帯びた。
「場所は?」
「ま、待ってください! いま動いたら、たまちゃん殺されちゃいます!」
「なぜ?」
「脅迫状が届いたんです。助けて欲しかったら、指定の日時に、式見さんを縛り上げた状態で連れてこいって」
「ほう」
敵は俺の本名を知っているらしい。
まあ津邑だって知っていた。関係者全員知っているのだろう。そもそも多賀峰は、一二三の友人だったとかいう話だ。俺の名前を知っていても不思議ではない。
お姉さんは頭を抱えていた。
「あ、あの、正直に言います。私たち、その……人間じゃないんです。だから、死んでもそのうち生き返ります」
「えっ?」
「で、でもっ! やり方によっては、生き返らないことがあるんです! 多賀峰さん、なんでかそのこと知ってて……」
なら死ぬということだ。
人間と同じように。
選択肢は大きく二つ。
一、俺はクソガキを見捨てて、多賀峰を殺す。
二、拘束された俺が、多賀峰に殺される。
前者を選んだ場合、多賀峰という悪人は死ぬ。被害は拡大しない。
しかし後者を選んだ場合、多賀峰は生き続ける。被害が拡大する可能性がある。
あくまで簡単に考えれば、だが。
ふと、ノックもなしにドアが開き、一人の男が入り込んで来た。
「久しぶりだな、式見くん。いや、ここでは霧島だったか」
は?
落ち武者みたいなヘアスタイルの、初老の男だ。
俺はこの男を知っている。いや知っているもなにも……。
「なんで師匠がここに? え、ていうか本当に本人ですか?」
「本当に本人だ。なぜここにいるのかはご想像にお任せする」
ふざけんなよ。
急に俺の前から姿を消したと思ったら、こんなボロアパートにいたなんて。
いや、待て……。
なぜここにいるのかはご想像にお任せする?
理由を知っているのか?
なぜ人間がこのアパートに召喚されるのかを……。
師匠はどっと床へ腰をおろし、あぐらをかいた。
よれよれのチェックのスーツを着ている。昔からそうだったが、まったく似合っていない。言うと怒るから言わないが……。
「ふうちゃんから協力を依頼されてな。状況は把握している。作戦を立ててやったから、ありがたく聞くといい」
「はぁ」
「まず、言われた通りに式見くんを拘束し、多賀峰氏に差し出す」
「はい?」
それをすると俺が死ぬのだが?
あ、もしかして俺の目的を果たすための作戦ではなく、クソガキを救うための作戦を立てたということか?
選択肢の二番目というわけだ。
師匠はニヤリと不敵な笑みを浮かべた。おにぎりみたいな体形をしているが、目つきだけは鋭い。
「拘束具のロープに細工はしない。おそらく、すぐバレるだろうからな。ただ、わずかに細工してあるかのようには見せかける。敵はロープが気になって仕方なくなるだろう。なにかありそうなのに、なにもない。こういうのは、いっぺん気をひいてしまうと、いつまでも持続する」
この人は、むかしから小細工が得意だった。
だからこそ俺の師匠である。剣術の師匠ではない。戦術の師匠だ。
「あのー、念のため確認しておきますけど、俺は死にませんよね?」
「ああ、約束しよう。敵が俺の予想を超えない限りは大丈夫だ。だが、もし予想を超えてきたら? そのときは君がアドリブでなんとかするんだ。機転が求められるぞ」
クソ師匠め……。
つまりはなんの保証もないということだ。
「話の腰を折ってすみません。続きを聞かせてください」
「いいのか?」
「えっ? いいですよ……。なにかあるんですか?」
これに師匠は、またフッと笑った。
「あるのだよ。敵が単独犯なのは間違いない。社会的に孤立しているわけではないが、彼女の犯罪行為に手を貸す仲間はいないということだ。つまり俺の策を使えば、たまこちゃんを救出し、なおかつ君の身柄を回収するところまではうまくいくだろう。だが、問題はそのあとだ」
「ヤツを逃がすことになると?」
「いや、そうは言ってない。君が殺したいと思えば、それも可能だろう。問題は、そのさらにあとだ」
「なんなんです?」
結論を教えて欲しいのに。
わざとこちらに考えさせようとする。
「敵は単独犯だが、社会的に孤立しているわけではない。つまり、彼女が死ねば、周囲の人間が動き出すということだ。そのとき彼女の罪を証明できるのか? たまこちゃんを誘拐した証拠は? ここに監視カメラなんてモノはない。目撃者がいなければ、誰も信用しない。その目撃者だって、信用に足る人物でなければ意味がない」
そうだ。
写真を撮れるカメラくらいはあるが、なぜかまともに映らない。動画を撮るカメラはそもそも存在しない。
そしてこのアパートでは、「事実」よりも「それっぽさ」が優先される。みんなに好印象を抱かれる人物の主張だけが正しくて、孤立してるヤツの意見は無視される。
師匠は相変わらず笑顔のまま喋り続けた。
「もし彼女の罪を証明できなければ、こちらはただの殺人犯になるぞ。彼女はこのアパートで、出版関連の活動をしている。つまりメディアだ。影響力が大きい。それに比べて君はどうだ? コミュニティで孤立してないか? のみならず、殺人事件の容疑者でもある。住人たちはどちらに味方するだろうか?」
「……」
本当にクソだな。
多賀峰……。
人脈や立場をバリアのように使っている。
対するこちらは生身のまま。
こちらが黙り込んでいると、師匠が言葉を続けた。
「だから、今回の作戦は、たまこちゃんと、君を助け出すのが限界だ。敵がロープに気を取られている間に、俺が麻酔針で狙撃する。そして君を救う。今回できるのはそこまでだ」
だが、忘れてもらっては困る。
人を殺すのは、さほど難しいことではない。
その後どうなってもいいのなら、という条件はつくが。
「多賀峰をどうにかできるなら、俺は住人に裁かれても構いませんよ」
すると師匠は、ふざけてこちらを銃で撃つようなジェスチャーをした。
「ならいますぐ死んでも同じだろう」
「同じじゃありませんよ」
「君が愚かな選択をするというのなら、俺は手を貸さない。前回は手を貸したせいで、大変なことになったからな」
「それは……」
俺が三人を殺した事件だ。
師匠は共犯ではない。ただ、もしそれが可能なのだとしたら、どんな展開がありうるのかを想定してもらっただけだ。
実行前に師匠は姿を消した。
彼に罪はない。
お姉さんは不安そうに俺たちのやり取りを見守っていた。
妹のことが心配で仕方がないのだろう。
俺は深呼吸のついでに溜め息をついた。
「ところで、麻酔針というのは?」
「俺が吹き矢で飛ばす。肝心の麻酔は……ふうちゃんが提供してくれる」
なるほど。アップルパイの具にも使われたアレだ。もしくは別のなにかかもしれないが。とにかくお姉さんは、毒物についての知識があるようだ。
師匠は重たそうに腰を上げた。
「とにかく、俺からの提案は以上だ。この通りにやるなら手を貸す。そうでなければ貸さない。シンプルな話だ。もしキャンセルするなら早めに教えてくれ。俺としても、ムダな労働はしたくないからな」
なんて言い草だ。
師匠が部屋を出ていくと、お姉さんも「わ、私も失礼します」と頭をさげて出て行った。
急に一人になると、部屋ががらんともぬけの殻になったように感じられた。
壁の穴からクソガキが出てくることもない。
映りの悪いテレビだけがずっと明滅している。
女子高生の依頼をこなしたから、多賀峰とのツテを作れると思ったのに。
先手を打たれてしまった。
それにしても、なぜ多賀峰はネコがスパイであると見抜けたのだろう?
ずっとネコがついてきたら、誰しも警戒くらいはすると思うが……。
いや、それだけではあるまい。
クソガキは人間じゃない。死んでも生き返る。ところが多賀峰は、蘇生しない方法まで把握していた。
まさとは思うが、はるか以前からこれを計画していたとか?
俺がこのアパートに召喚されたことを知った瞬間、あるいはそれ以前から、彼女は生存のための布石を打ってきたのかもしれない。
そうでなければ、ネコを誘拐した当日に、お姉さんへ脅迫状を送ることはできまい。事前に住所を把握していなければ不可能だ。あまりに展開が早すぎる。つまり多賀峰は、こうなるより前に、俺とその関係者の情報を把握していたのだ。
ただ、多賀峰のプランに、師匠が含まれているかどうかは分からない。
俺でさえ今日の今日まで師匠の存在に気づけなかったのだ。少なくとも、ここへ来てからは一度も接触していなかった。
チャンスがあるとすればそこだ。
そこだけだ。
意外と手ごわい相手だ。
師匠のあの楽観的なプランが成功するだろうか?
*
食欲はわかなかったが、それでも食堂へは向かった。
婆さんは月見を出してくれた。生卵だ。どこかにニワトリでもいるのだろうか。いや、そもそもニワトリの卵なのだろうか。疑問は尽きない。
「ったく、シケた顔してるね。メシくらいうまそうに食いな」
「努力します」
まったくもって余計なお世話だが、俺は反論もせずうどんをすすり続けた。
ダシの効いた醤油のスープが、疲弊した体に染みる。
そして謎の紅白かまぼこ。こっちは味気ない。あってもなくても同じようなもの。いや、それでもこのかまぼこがなければ、うどんがそっけないものになってしまう。にぎやかし程度の存在ではあるが、なければないで寂しい。
「そういえば女将さん、あのクソガキ……たまこちゃんのことなんですけど」
「なんだい?」
たまこの名前を出した途端、うるさそうに顔をしかめてしまった。しわだらけの顔が、さらにしわだらけになった。
「なんで出入禁止なんです? 可哀相じゃないですか」
「可哀相? ふん。事情も知らないで勝手なこと言うじゃないのさ。あの子はね、厨房の中にまで入り込んで来たんだ。そんなことするヤツは、人だろうがネコだろうがお断りだよ。あんたも入ろうなんて考えるんじゃないよ? 入ったら二度とここのメシは食わせないからね」
「入りませんよ」
厨房には、よほど見られたくないものがあるらしいな。
あとでクソガキに聞いてみるか。
あの子は貴重な目撃者のようだからな。
「なんか、もっと具はありませんか?」
「うるさいね、さっきから」
顔をしかめながらも、婆さんは長い箸で煎餅を乗せてくれた。
乗せてくれたというか、なかば強引にやらかしてきたわけだが……。とはいえ、この醤油にまみれたしょっぱい煎餅は、じつのところ汁物と合う。イメージとしては天かすに近い。いや近くないかも。分からない。
「ありがとうございます」
「ま、食わないよりは食ったほうがいいわね。腹が減ってると、ろくなことにならないからね」
なんだかんだで面倒見のいい婆さんだ。
厨房の内部がどうなっているのかという疑惑はあるが。
*
神社でプリンをオーダーして、俺は帰宅した。
もしクソガキが帰ってきたら、プリンを腹いっぱい食べさせてやるのだ。
……。
ソファに腰をおろし、明滅するディスプレイをぼうっと眺める。
ごにょごにょと音が流れてくる。
コンセントを抜いても止まらない。
いいのだ。
ほかに娯楽がないのだから、この前衛的な絵面を鑑賞するしかない。
ふと思った。
俺の師匠は、あんな雑な作戦を立てるような人間だったろうか?
なのに……立てた?
本当に本人か?
別人ならそれでもいい。どこかの誰かが成りすましているだけ、ということになる。いや「だけ」ってことはないし、別のヤバい事件が発生したことになるが。
ところが、もし本人ならどうだ?
ぞわっと鳥肌が立った。
本当に警戒すべきは、こちらのケースだったのだ。
いつもそうだ。
あの男は、そういうことをする。
(続く)