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見て、月だよ  作者: 不覚たん
第七部 蛇足

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見て、月だよ

 すぐ戻れるかと思っていたのに、半年近くも拘束されてしまった。

 とにかく聴取が細かい。

 アパートの間取りから、情勢、どんな勢力がいるのか、どんな生活を送ってきたのか。細部はごまかそうと思っていたのに、あまりにしつこいのですべて喋ってしまった。管理組合に怒られるかもしれない。


 いよいよ解放されるかとなったとき、特務官はこう告げた。

「すでに日暮という人物と接触があったと言ったな? 彼はうちの工作員だ。今後は日暮と連絡を取り合い、内部の情報をこちらへレポートするように」

 ガッデム!

 あのピンハネ野郎、政府の人間だったのか。

 順法精神の欠片も感じられなかったが。

「了解しました」

「君はもう、ただの日本人ではない。この特務機関のエージェントだ。その職責を忘れず、日本国に貢献したまえ」

「お任せください、特務官どの」

 なにが特務機関のエージェントだ。

 戸籍上死んだことになってしまったから、ほかに扱いようがなかっただけだろう。ま、無期懲役の脱走犯でいるよりはまだマシか。

 べつに俺の罪が許されたわけじゃない。書類上、うやむやになっただけだ。


 *


 入口は、かつて見た緑の草原だった。

 水鏡のようなゲートを通じて、本館の最上階に入れるはず。


 検査官――。髪も肌もまっしろな巫女さんが、そこまで案内してくれた。

「普通は術で送り出すのですが、式見さんならそのまま入っていけると思います。もう普通の人間ではないので」

「普通ですよ。生きてます」

「そこが不思議なんですよね」

「はぁ。まあ、いいですけど。とにかく、お世話になりました。もう会うこともないと思いますが」

「でもレポートは出してくださいね? 特務官どの、怒っちゃいますから。どうかお元気で」

 最後までつかみどころのないお姉さんだった。


 *


 本館の最上階。

 みんなここからスタートしたのだろう。


 だが、俺が初めてここへ来たとき、目を覚ましたのは別館の一室だった。どこをどう経由してそうなったのは知らない。おそらく粒子化していたのだろう。

 きっと死亡扱いでなくとも粒子化できるということだ。

 リスクは異なるかもしれないが。


「わ、人間だ」

 子供が驚いて声をあげた。

「怖がらなくていい。すぐ行くよ」

「うん」

 食べ物に飢えている気配はない。

 管理組合は、強制排除とやらを実施しなかったらしい。あるいは御所と折り合いをつけたのか。


 *


 いくらか襲撃はあったものの、あきらかに危険度は減っていた。


 そして二十六階。

「失礼。少し通りますよ」

「ええ、どうぞ」

 クモ女が、まったく気にした様子もなく通してくれた。


 まあこの人は、話が通じるからいい。

 だがあきらかに、治安が向上している。


 二十階。

 暗い目をしたアミキリが、ひたすら壁を斬りつけていた。

「お前……あのときの人間か……」

「式見令だ。悪いけど、戦闘はナシにしてもらえると……」

「分かってる……。もう……人を斬ってはいけないんだ……。だから……こうして壁を斬っている……。行け、人間……。いまは……生きてるヤツを見たくない……」

「失礼」

 誰かが戦いを禁止したのか。


 十三階は無人。

 十二階のカニも、表には出てこなかった。


 罠を慎重に回避しながら、俺は下を目指した。


 *


「失礼しまぁーす。誰かいますか?」

 事務所のドアを開くと、生倉さんと赤尾さん、それにナツさんがぎょっとした顔になった。


「き、霧島くん? 生きてたの?」

「はい……。あ、バックレじゃないですよ。どっちかっていうと遭難に近いっていうか」

「もー! 心配したんだから!」

 生倉さんはデスクに突っ伏してしまった。


「借金を苦に逃亡したんじゃないかって、みんなで噂してたんだ」

 赤尾さんは相変わらず飄々とした調子だ。

 まあ確かに、借金はあったな。

 90万も。


 だが生倉さんは顔をあげた。

「ああ、そのことなら気にしなくていいですから」

「いや、でも……」

「べつに温情でナシにするわけじゃありません。奥さまを自称する女性が、全額お支払いになったので」

「えっ?」

 そういえばセンさん、ネコキャバの売り上げの半分をハネていたっけ。

 あれから半年だ。

 90万くらいはすぐに返せるだろう。


 ナツさんが「えがったね」とお茶を出してくれた。

 無邪気な笑顔に癒される。


「ありがとうございます」


 *


 食堂でメシを食ったあと、公園に寄った。

 量は少し物足りなかったが、飢えるほどではない。


「戻ってきたようだな。心細かったぜ」

 サングラスの男が、一人ぶんあけてベンチに腰をおろした。

「特務官から聞きましたよ、ぜんぶ」

「誰にも言うなよ。俺たちだけの秘密だ」

「もう二度と手を組むことはないと思ってたのに」

「ま、仕事だからな。イヤでも長い付き合いになる」

「お手柔らかにお願いしますよ、上官どの」


 話はそれだけかと思いきや、彼は遠くを見つめながら言った。

「多賀峰から伝言をあずかってる」

「なんです?」

「あんたとの面会を希望しているそうだ。彼女はいま、刑務所にいる」

「はい?」


 *


 刑務所――という扱いの一角がある。

 俺はそこで手続きを済ませ、多賀峰と面会することにした。


「仕事は終わったのかしら?」

 多賀峰はいつものスーツ姿ではなく、ボロボロの囚人服だった。檻の中に入れられている。

「終わったよ。成功させた」

「けど残念ね。約束を守ることはできないわ」

「は?」

 契約を破るってのか?

 こんなヤツ、契約を守らなかったら、すぐに人間性を消失してしまうぞ。その結果、獣にさえなれず肉体を失う。

「見て分からないの? 逮捕されたのよ! 独自通貨を使って他者と貸し借りするのは禁止だそうよ! ふざけてるわよね? だからポイントなんて、もうゼロよ! ゼロ! 私の苦労、全部水の泡! あはは! バカみたい!」

 所詮、こいつの使うポイントは、他者を支配するツールでしかなかった。

 新たな火種になる。

 別館の議会はいい仕事をした。


「ゼロなんじゃ、半分にしてもゼロだな……」

「次の命令よ。私をここから出しなさい。あなたが身元引受人になるのよ」

「メリットは?」

「稼がせてあげる! 女子校の連中なんて、特に騙されやすいんだから! あなたの好きにできるわよ? ね? 手を組みましょう? あなたの力と私の頭脳があれば、なんでもできるんだから! なんでも手に入るの!」

 こいつは正気じゃない。

 人を支配することしか考えていない。

「興味ないな」

「は?」

「俺はいま、すごく満足してるんだ。悪いヤツが檻にぶち込まれて、悪いことができなくなってる。それっていいことだろ?」

「式見……」

 檻にしがみついて凄まじい形相をしている。

 いい眺めだ。


 *


 その後はまっすぐ、ふうちゃんの部屋に戻った。

 こっちは大袈裟な出迎えではなく、ごく平然と受け入れてくれた。来るのが分かっていたかのように。

「お帰りなさい」

 笑顔で出迎えてくれるふうちゃん。

 センさんは三味線を弾いている。誕生日の歌。夜明けの歌。


「たまことマリカは? 学校?」

 するとお姉さんは、少し寂しそうな顔になった。

「うん。でも、もうたまちゃんとは一緒に住んでないの」

「えっ?」

「お母さんが、帰ってきちゃったから」

「ああ……」


 たまこはスエさんと合流できたのだ。

 そして一緒に暮らしているのだ。


 *


 たまこの新しい部屋を教えてもらった。

 そこは、俺が最初に住んでいた部屋だった。


 それはいいのだが、ドアの前に、包丁を握りしめた吊りスカートの少女が立っている……。

「憎い……親子水入らずが憎い……」

 血走った眼をしている。

 自称ジュリエットだ。

「えーと、ここでなにをしてるんだ?」

「ああ、霧島さんですか。ここのトイレだけ入れないんですよ。結界が強すぎて。こんなことって許されます? 私、どこのトイレにも入れるのに」

 そもそも、どこのトイレにも入るんじゃない。

 人の家だぞ。


 俺はドアをノックした。

「霧島です。ご挨拶に来ました。もしよろしければ……」

 スッとドアが開いて、スエさんがぬっと顔を出した。

「待ってた……。入って……。そっちの子供も……」

 子供と言われた少女は「ジュリエットです」と抗議した。どこからどう見ても子供だが。


 間取りはほかと変わらない。

 ただ、あったかい印象はあった。ゆりかごがあって、赤ん坊が寝ている。いや、赤ん坊? なんだかウーパールーパーみたいな……。


 スエさんはかすかに笑みを浮かべた。

「ああ、その子。やっと会えたんですよ。本館でずっと泣いていました。私の最初の子ども。永遠の子供」

 抱き上げて、よしよしとあやした。

 ウーパールーパーも「ぴゃあ、ぴゃあ」と喜んでいる。きっと本館を荒らしていたぬしだろう。巨大だった身体も、こんなに小さくなって。


「ただいまー! あ、霧島だ! 遅かったじゃないか! 心配しただろ!」

 クソガキが騒がしく帰ってきた。

 かと思うと、いきなり抱き着いてきた。抱き着くというか、ほとんどタックルだったが。こいつは異様にスピードがあるから、受け止めるのにも少々力がいる。エネルギーは、質量と、速度の二乗に比例する。

「よう、元気だったか?」

「うん! みんなと一緒だったし! 見て! この赤ちゃん、あーしの姉ちゃんなんだ!」

「そうだな」

 たまこは指先で主の頬をつつき始めた。

 こうしていると本当の姉妹みたいだ。

 実際、本当の姉妹なのだが。姉と妹が逆に見える。


 それはいいのだが、この感動的な再会の隙をついて、ジュリエットがそそくさとトイレに入り込んだのは、見なかったことにしておこう。

 彼女のトイレへの執着はなんなのか……。


「なんか、よかったな。家族で暮らせることになって」

「なに言ってんだ。全部オマエのおかげだろ! 感謝してるゾ!」

 いや、全部じゃない。

 生命の樹からスエさんを切り出したのは先生だ。あんな芸当、おそらく他の誰にも不可能だっただろう。おそろしいほどの才能を、人のために使いやがって。ついうっかり未来が明るいもののような気がしてしまう。


 スエさんは窓を開いた。

「見て、お月さま……」

 薄紫の空に浮かんだ真円の月――。


 目を奪われた。

 おぼろに輝いていた。


 忌むべき満月を、こんなに素直に見つめられる日が来るとは。


 俺は過去を清算していない。

 罪を忘れることもない。

 ただ、それでも心が満たされてしまった。


 目の前の幸福を、ムリに拒絶しなくてもいい。

 スエさんは、そう言っているような気がした。


 俺は幸福になりたかった。だから必死にもがいた。自分の気持ちを否定できなかった。

 そして、それと同じくらい、他人の気持ちも大事だと知った。


 失ったものは多い。奪ったものも多い。与えることができたのは、ほんの少し。

 誰かは許してくれた。誰かは許さなかった。誰かは忘れてしまった。誰かは忘れたフリをしてくれた。それでいまが成立している。


 俺は立派な人間じゃない。他人もそうだ。

 人と関わると不快な思いをすることもあるが、そうでないこともある。そうでないどころか、こうして幸福を共有してくれることさえ……。


 いまはただ、小さな部屋で、みんなと平穏な日常を分かち合っていたい。


 願わくば、この幸福が末永く続きますように。


(終わり)

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― 新着の感想 ―
 タマコちゃんが終始かわいいです。  主人公に好意的なヒロインがどんどん増えていくのに、個々のヒロインがわりと残念な要素も抱えているから安直には感じない謎のバランス……みんな残念でみんなかわいい。  …
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