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見て、月だよ  作者: 不覚たん
第一部 青
8/82

マンダリン

 時間だけが過ぎた。

 多賀峰は姿を現さない。

 俺は寝て起きて飯を食い、そして神社でプリンをオーダーしまくった。ドアを開けるたびにクーラーボックスが置かれていた。中身はすべてクソガキへ。


 もしかして、多賀峰はもうビーストになってしまったのでは?

 他の住人に殺されてしまったのでは?

 すべては手遅れなのでは?


 そんな考えが何度も頭をよぎった。

 さりとて策もなく……。


 ある日、俺は食堂のカウンターで、ぼんやりと蕎麦をすすっていた。

 ここの婆さんは、いったいどこで蕎麦粉を手に入れたのか。大量の蕎麦をひとりで打ったのか。あらゆる疑問がわいては消えた。いまはどうでもいい。


 ふと、くすくすと笑う声がした。

「やめなよ、舞。気づかれるって」

「えー、でも」

 数名の女子高生が、こちらを見て笑っていた。好意的な笑いじゃない。

 彼女たちは、食事のときだけ学校を出てここへ来る。


 俺は無視して蕎麦をすすった。

「ねえ」

「ぶっ」

 いきなり声をかけられて、俺はむせた。ちょうど蕎麦をすすっているタイミングだった。

「うわ、きったな……」

「急に話しかけるからだろ。それより、なにか用か?」

「多賀峰さんに会いたいんでしょ?」

「えっ?」

 生意気そうな態度のガキだ。

 丸出しのデコまで俺を小馬鹿にしているように見える。


「先生、言ってたよ。津邑を殺したかもしれない男が、今度は多賀峰さんまで狙ってるって。だから気をつけろってさ」

 あの女、そんなことまで生徒に吹聴してるのか。

 生徒を守るためかもしれないが、注意喚起にしては度が過ぎている。もはや対立を煽っているレベルだ。

 俺は手で口元をぬぐった。

「そうかよ。じゃあお互い、距離をとるべきだろうな」

「なにそれ? あたし、ケンカしたくて話しかけたんじゃないんだけど?」

 後ろで友人たちが「やめなよ」やら「ウケるんだけど」やら言っているが、彼女は完全に無視していた。

「悪かったな。それで、どんなご用だ?」

「多賀峰さんに会いたいんでしょ? あたしが仲介してあげようと思って」

「仲介?」

「その代わり、条件あんだけど」

「金ならないぞ」

 俺はジョークを言ったつもりだった。

 このアパートでは、そもそも金の出番はない。メシは食い放題だし、神さまの無料の宅配サービスまであるからだ。まあ過去には、独自の通貨を発行して、エリアを牛耳ろうとしていたヤツもいたにはいたが……。


 女子高生はすっと真顔になった。

「殺して欲しいのがいんの」

「断る」

「最後まで聞いてよ。その人、もう獣になってんの」

「獣……」

 それは殺してもいいヤツだ。

 いや、むしろ殺すべきヤツだ。


 多賀峰のツテは欲しい。

 この提案には乗ってもいいかもしれない。


「それでも断るの?」

「いや、待ってくれ。もし獣なら引き受けてもいい。もう少し詳しく話を聞く必要はあるが」

「あたし、三千穀さんぜんごく舞華。おじ……お兄さんの名前は?」

「霧島直人だ」

 もちろん偽名だ。

 それより、いま、おじ……って……?


 *


 結局、彼女の仕事を引き受けることにした。

 なんでも、獣に変化した生徒が、女子校の寮に閉じ込められているというのだ。外から追い込んだのではない。変化の予兆があったので、中にいるうちに閉じ込めてしまったらしいのだ。

 もちろんずっと閉じ込めておくという手もある。

 だが、いつかは対応するつもりでいたらしい。なのに対応しないまま、ずるずると時間だけが過ぎてしまった。


 食事を済ませて、そのままみんなと学校へ向かった。

 出くわした西那さんは、ひどく渋い顔をしていた。

「なんですか? なぜまた学校へ?」

 俺が返事するより先に、三千穀舞華がこう応じた。

「違うんです。あたしらがお願いして来てもらって」

「はい? 三千穀さん、自分がなにを言っているか分かってるんですか? 校則違反ですよ?」

「真由を殺してくれるって」

「……」

 西那さんはひゅっと息を吸い込んだまま、黙り込んでしまった。

 特別な人物なのか?

 まあ俺としても、できれば殺す前に個人情報を知りたくはないのだが。もとが人間なのは知っているが、その人物の輪郭がハッキリしてくると殺しづらくなる。


 三千穀舞華は、睨むような表情になった。

「先生、あの子がああなっちゃったのって、あたしら全員の責任ですよね? でも、誰も責任をとらないまま今日まで来て……」

「ですが、なにもいまやらなくても……」

「じゃあいつやるんですか? 真由、きっと苦しんでます。あたし、もうあの声聞きたくない……」

 ときおり慟哭とも嗚咽ともつかないような声をあげるらしい。

 西那さんはあたふたしている。

「し、しかし……なぜ霧島さんなの? きちんとした人に頼むならともかく」

 きちんとしてなくて悪かったな。


 三千穀舞華は、ぐっと西那さんへ距離を詰めた。

「この人じゃダメなんですか?」

「許可できませせんね。不適切です。まだ殺人の疑いが晴れたわけじゃありませんから」

「じゃあ、誰ならいいんですか?」

「それは……先生がちゃんとした人にお願いしますから。あなたは勝手なことをしないように。彼にも帰ってもらってください」

 これだ。

 先生は、生徒の言うことを、聞かない。

 もちろん全員がそうじゃないとは思う。だが、基本はこうだ。

 もちろん教師にも言い分はあるだろう。なにか問題が起きた場合、責任を負うのは教師なのだ。そうである以上、状況をコントロールする主導権は教師にある。


 すると三千穀舞華は、ふっと鼻で笑った。

「そうやってずっと逃げ続けるんですか?」

 これには彼女の友人たちも「もうやめようよ」と弱腰になっている。

 西那さんはぐっと眉をひそめた。

「逃げる? どういう意味です?」

「私、真由がああなったの、自分たちの責任だと思ってます。真由の方言を面白がって……。でも、真由はバカにされてると思ってた。みんなそれに気づいてたはずなのに。事あるごとに笑いものにして。先生も止めなかったですよね? みんなの責任ですよ。どっちにしろ殺す以外に選択肢はないんです。いつまでも先延ばしにしないでください」

 すると西那さんは、あろうことか平手でパァンと横っ面を叩いた。

「あなたね! 大人の事情も知らないで、自分の都合ばかり言わないで頂戴! 人の命に関わる問題なんです! そんな軽率に答えを出そうとして! 先生は、そういうところを問題にしてるの! だいたいあなたは……」


 話が長くなりそうだったので、俺は刀を抜いた。

「結論は出たようだな。獣の場所を教えてくれ。できるだけ苦しまないように済ませる」

 すると西那さんは目を丸くしながらも、頑張って苦情を申し付けてきた。

「ま、待ちなさい! そうやってすぐ暴力で解決しよと……」

「おかしいな。俺の見間違えか? あんた、言葉で説明すべきところを、暴力でねじ伏せようとしたよな? その時点であんたの負けなんだよ。あんたがスイッチを入れたんだ。ここからは暴力で解決するフェイズだ」

「なぜ理解できないの……?」

 理解できるわけないだろ。

 理解して欲しかったら、次からはきちんと言葉で説明するんだな。


 *


「真由はこの先です。声がするから、行けば分かると思います」

「了解。みんなは危ないからさがっててくれ。終わったら報告する」


 学校では、休憩所を校庭として使っている。

 校舎として使われているのもその近辺。

 寮はやや離れた場所にある。


 俺は刀を抜いたまま廊下を進んだ。

 本当は槍が欲しかったのだが、アパートで振り回すには向かないと思い、やむをえず刀にしたのだ。とはいえ、このアパートの廊下は、意外と大きめに作られている。あきらかに人間以外の生物を考慮に入れたサイズだ。槍でもよかったかもしれない。


 歩を進めるにつれて、グーという重低音が聞こえてきた。

 寝ているのではあるまい。グルグルという唸り声だ。俺の気配を察したのかもしれない。


 ドアの前に立った。

 ドアというより、バリケードだ。何枚もの板が、釘で固定されている。釘目を見ると、なんの工夫もなく、ただまっすぐ打ち付けてある。


 俺はなんとも言えない気持ちになった。

 もしかすると、中にいる獣は、いつでもバリケードを突破できるのかもしれない。こんな釘、バカみたいな力で押せば抜けてしまうからだ。なのにそれをしないということは、強固な意思で部屋に留まっているということだ。


「あーう、あーう……」

 小さな声で、誰かを呼ぶように鳴いていた。

 もしかして「舞」と言っているのか?


 いや、いい。

 同情などすべきではない。


 俺は板に刀を突き込んで、てこの原理で強引に引きはがした。普通の刀ならこんな扱いすべきでないのだろうが、この黒曜石みたいな刀は、信じられないほど頑丈だ。


 バキ、バキ、と、板がはがれてゆく。

 もろい木製のドアも、すでに亀裂が入っていたので、簡単に穴が開いた。人が通れるようになるには、少し作業が必要だが。


 中の獣と目があった。

 毛羽毛現けうけげんという妖怪を彷彿とさせる外見だ。それは長い毛をしたバケモノだ。オランウータンのような……。

 だが、彼女の瞳は美しかった。

 まっすぐにこちらを見つめていた。

 俺の作業を、ただじっと待ちながら。


 一通り作業が終わるころには、俺は汗だくだった。これから戦闘をする人間のコンディションではない。ともあれ、穴から手を突っ込んで、カギを解除して思いっきり開いた。


 毛の獣がたたずんでいた。

 じっとしている。


 普通、獣になった人間は、獲物を見たら狂喜するものだ。あるいは狭い部屋から出られるのだから、それも嬉しいはずだろう。

 なのに彼女は、まるで死を受け入れたかのように弱気だった。


 俺はあえて笑って見せた。

「おいおい。なにをもう終わったみてーなツラしてんだよ。いまから始まるんだ。俺は俺の都合であんたを殺しにきた。その代わり、俺を殺せばあんたは自由だ」

「あーう……」

 気の滅入る鳴き声だ。

 これを毎晩聞かされるのはつらい。

 いや、一番つらいのは、この獣のほうか。


 俺は力いっぱい踏み込んだ。

 フェイントだ。ただ踏み込んで、ダンと床を踏んだだけ。獣はびくりともしなかった。無闇に他人を威圧しているみたいで自分が滑稽に思えたが。


 獣は、生前の記憶をいくらか引きずる傾向にある。

 だがある種の執着に従っているだけで、会話が成立するわけではない。放っておくと人間を殺し始める。人間社会にはなじめない。


「行くぞ」

 俺は余計な宣言をして、いちど身体を右に振ってから、左へ切り上げた。


 刃は鋭い。

 触れたものは容赦なく切り裂いてしまう。


 俺の攻撃は浅かった。

 その代わり、獣の爪をギリギリで回避できた。


 そうだ。

 こいつは獣なのだ。

 人間が近づけば、本能的に攻撃を始める。

 本人にその意思があろうとなかろうと。


「あーう! あーう!」

 胴体から激しく出血していた。

 一撃で仕留めたかったのだが。


 爪をぶん回してきたので、俺は腕ごと切断した。それから側面へ回り込み、おそらく頸動脈と思われる部位へ一撃。

 手ごたえはあった。


 獣は膝から崩れ落ちて、短くなった腕で首をおさえようとして宙を掻いた。

 噴出した血液が、壁にまで飛散した。


「あーう……あーう……」

 地べたに伏せながら、獣は最期まで鳴き続けた。


 *


「終わったよ」

 俺がそう告げると、三千穀舞華はうなずいただけで返事をくれなかった。泣くのを我慢している様子だった。

「今日はこのまま帰るよ。あとはみんなで処理しておいてくれ」

 女子生徒たちはざわざわしていたが、誰も俺を止めようとはしなかった。


 *


 血まみれで歩いていると、すれ違う住人たちがぎょっとした顔でこちらを見た。

 まあ正常なリアクションだ。

 俺もいちいち腹を立てたりはしない。


 自室に戻ると、まっさきにシャワーを浴びた。

 こびりついた獣の血がかわいてしまうと、なかなか落ちない。石鹸が小さくなっている。神さまに新しいのをもらうか、どこかの商店で物々交換して手に入れるしかない。


 浴室から出ると、ソファにクソガキがいた。

「見てたゾ? 大活躍だったな」

「茶化すなよ。そうやって冷笑してると、ロクな大人にならないぞ」

「そうか? でも残念だけど、あーしは大人になれねーんだな」

 そういえばこいつも妖怪だったな。


 俺はコップに水をそそぎ、一気に飲み干した。

「で? 多賀峰は現れたのか?」

「全然だゾ。面倒だから、姉ちゃんに聞いた」

「おい……」

 それがなにを意味するのか、もう忘れたわけではあるまい。

 いや、こいつのことだから、もう忘れたのかもしれないが。


「姉ちゃん、また来るってさ。こないだのお詫びもしたいって。あ、でも安心していいゾ。もう変なクスリ入れねーって言ってたから」

「来なくていいよ」

「なんで? でけー乳してるのに?」

「そこは問題じゃないって言っただろ」

 するとクソガキは足をバタバタさせて大笑いした。

「な、なんだオマエ! そんなカッコマンみてーなこと言える顔か? 鏡見たことねーのかよ! おかしくて死ぬゾ! ぴひぃ!」

「そのまま死んでいいぞ」

 ちなみに鏡を見たことはある。

 別に悪くない。

 俺は自分の人生と向き合ってきた。よくも悪くも自分というものを受け入れている。特になにも問題とは思わない。


 クソガキはパタリと動きを止めた。

「オマエ、最終的になにになりたいんだ? 大物にでもなるつもりか?」

「それもいいが。おそらく大物になる前に、獣になるだろうな。すでに一人殺してるし、このあとも一人分の予約が入ってる」

 するとクソガキは、ニヤリと不敵な笑みを浮かべた。

「人を殺したくらいじゃ獣になんてなんねーゾ。本当の問題は、そいつが自分の人間性を疑ってるかどうかだ」

「なんだよそれ」


 だが、もし事実だとしたら?

 自分を疑わないサイコパスみたいなヤツだけが、いつまでも人として生き続けることになる。

 いや、そんなのを人と呼んでいいものか……。


 もしかすると、このアパートでは、人の姿でいることのほうが「間違い」なのではなかろうか。

 自分を疑って獣になることのほうが、俺はむしろ人間的であるように感じる。


(続く)

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