主語がデカい
一度騙された人間は、二度、三度と同じ手口で騙されるという。
俺もそうなのかもしれない。
「なにか、ウマそうな仕事ありませんか?」
ある日の食堂。
カウンター席についた俺は、婆さんにそう尋ねていた。いちばん聞いちゃいけない相手だと分かっちゃいるのに。
婆さんも不快そうな顔だ。
「サル以外でかい?」
「サル以外でお願いします」
「ありゃしないよ、そんな都合のいい話。どうしても金が欲しかったら、まっとうにコツコツ働きな。あたしみたいにね」
「そんな……」
「どうせその刀を適当にぶん回して、他人の命を金に換えようって魂胆だろ? 人間、そうなっちゃおしまいだよ」
「ごめんなさい」
なぜか説教されてしまった。
だが、完全にこの婆さんの言う通りだ。
だいたい、俺の借金というのは、このアパートを守るために背負ったものだ。しかも借金の相手は事務所。踏み倒していいとは言わないが、利子がつくようなものでもないのだから、そんなに焦って返済する必要はない。
幸い、ネコキャバには出入禁止になっているから、使うアテもない。
食堂は混雑していない。
なのだが、隣に腰をおろす男たちがいた。
「不景気そうな顔だな」
師匠だ。
隣に安田くんもいる。
「この人、いつも不景気そうですよ」
ツラは生まれつきだ。
余計なお世話なんだよ。
俺は煮物をつかんだ箸をとめ、溜め息で返した。
「なんです? 二人そろって俺をバカにしに来たんですか?」
「いや。食事をしに来たんだ。君を揶揄したのは、そのついでだな」
「勘弁してくださいよ」
師匠だけならまだしも、すぐ調子に乗るコバンザメまで一緒だ。まだ俺の師匠の弟子のつもりでいる。
「師匠、なんかいい仕事ありませんか?」
「あるが」
「えっ? ある? なんです? 教えてくださいよ」
だが彼はちらとこちらを見て、婆さんから定食の乗ったトレイを受け取った。
「君には向いてないかもな」
「なんでですか? 一番弟子の俺に向いてない? どんな仕事なんです?」
すると師匠は周囲を確認してから、小声でこう告げた。
「じつはアパートの外に関する事案でな」
「はい?」
「けど、君はマズいだろ? 服役中の脱走犯なんだから」
「……」
服役中の脱走犯――。
あらためて言葉にされると、クソみたいな肩書だ。こんなヤバいヤツが自由にうろついているなんて、ここの治安は大丈夫なんだろうか。
「いや、そもそも、外? どうやって連絡とってるんですか?」
「ここには入口も出口もあるんだ。なんだってできる」
「入口はともかく、出口は封鎖されてますよね?」
「そこなんだが……」
なんだ?
なぜ続きを言わない?
師匠は婆さんの目を気にしていた。
管理組合には聞かれたくない話か。
「少し長くなる。食事が終わったら、部屋で話そう」
「はい」
*
かくして食事を終えた俺たちは、師匠の部屋に集まった。
テーブルには謎の資料が山と積まれている。いったいなにを研究しているのやら。
部屋にはなぜかコバンザメも一緒だ。というか、少年はここで師匠と一緒に暮らしているらしい。住み込みで働いて、じつにかいがいしいことだ。だからといって一番弟子の座が入れ替わることはないが。
「で、事情というのは?」
「本館の上階で供物が横領されていた件は、どうやら君が対処したらしいな」
「ええ。このアパートで起こった問題を解決してるのは、たいてい俺だと思ってください」
いろいろ首を突っ込んだ結果、そうなってしまっている。
事実なのだから仕方がない。
師匠もさすがに苦笑いだ。
「次は出口で問題が起こっていてな」
「問題もなにも、開かずの扉ですよね? こないだは開いてましたけど」
「生命の樹で閉ざされているからな。基本的に、人の出入りはできない。不命者でもな。しかし命のないものなら通行ができる」
「どうやって?」
「式神に運ばせるのだ。粒子化してな」
ああ、なるほど。
供物と同じだ。それなら扉を突破できるかもしれない。少なくとも物理的な障害は障害にならない。
俺は思わず首をかしげた。
「あれ? でも、だったらなにが問題なんです?」
「それが分からんのだ」
「分からん?」
「生きたものは、誰もそこへ行くことができないんだぞ? 確認しようがない。予想だけはできるがな」
「その予想を教えてください」
師匠がただ「分からん」で済ませているわけがない。
彼はニヤリと不敵な笑みを浮かべた。
「あくまで仮説だがな。開かずの間に向こう側――水輪の世界で、何者かが術を使っているとしたら、説明がつく」
「何者か、とは?」
「それは分からん」
「水輪に入らない限り、なにも分からない、ってことですか。じゃあまずは水輪に入る方法を調べないとですね」
「言っておくが、上から穴をあけて降りようなんて考えるなよ。あっちは別世界だ。開かずの扉でしかつながってない」
「風輪はつながってましたけど……」
「あれは天井の全面が転移装置になっていたからな」
あのとき空いた穴は、自動的に修復されつつあり、いまではほとんど埋まっているという噂を聞いた。
しかし水輪か。
生命の樹の根を殺さねば行くことができない。
樹の根を殺せば、アパートが消滅する。
師匠は指の隙間からこちらを見た。
「ふむ。死んでるな」
「いや、待ってくださいよ。生きてますから。だいたい、師匠も同じでしょ?」
「さっきも言った通り、命のあるものは移動できない。だが、命のないものなら? 粒子化して行けるかもしれない」
「……」
嫌な予感がする!
どうせクソみたいな思い付きで、人体を粒子化するつもりなのだ。その実験体として、どうでもいい人間を探している。
「俺、やりませんよ?」
「理論は完成している」
「試したんですか?」
「それはこれからだ」
ほれ見ろ。
予想通りだ。
俺は溜め息をついた。
「やっぱり、俺には向いてない仕事みたいですね」
「そうだな。粒子化して向こうへ行くまではいいが、そのまま戻ってはこれないからな。一度人間界に出て、それからアパートに戻ってくることになる。ここの出口は特定されているから、二十四時間、見張られている。君が出て行ったら、即座に逮捕だろうな」
もちろんだ。
服役中の脱走犯なんだから。
ただ、俺はちゃんと服役したほうがいいんだろうとは思ってる。復讐のためとはいえ、三人もの命を奪ったのだ。のうのうと生きていていい人間じゃない。
そうなる前に、別れの挨拶くらいはしておきたいところだが。
師匠はふんと鼻を鳴らした。
「ま、言ってみただけだ。君を行かせるつもりはないから、そんな顔はしないでくれ」
「はい」
心に迷いがある。
俺はここでの生活を捨てたくない。
いつまで続くか分からないここでの生活を……。
師匠は咳ばらいをした。
「それより、安田くんから君に話があるぞ」
「えっ?」
なんだ?
決闘を申し込んできたりしないよな?
少年はバツの悪そうな顔で立ち上がった。
「霧島さん、ごめんなさい。俺、あんたのこと勘違いしてたかも」
「はい?」
なんだ急に……。
逆になんなんだ?
「俺、霧島さんのこと、なんの努力もしてない、ただのへらへらした大人だと思ってて……」
「う、うん……?」
これは謝罪なのか?
あらためて傷ついたのだが?
「けど、まあまあ努力してるみたいだし……」
「うん……」
「へらへらしてるのも、あえてのことだって聞いて」
「はいはい」
まあ、へらへらしてるのは認める。
こっちが優勢の時はいいが、不利になるとすぐへらへらする。ただの性格もあるが、わざとやっている面もある。
これは昔、師匠にも感心された話だ。
まだ学生だった俺は、ある日曜日、父親とテレビを見ていた。
暇人向けのどうでもいい番組しかやっていなかったこともあって、俺も父親も上の空だった。
ただ、鉄パイプでぶん殴られたり、一二三が亡くなったりで、父は父なりに俺のことを気にしていたのだろう。
「大人って、みんなへらへらしてるよな」
急にそんなことを言い出した。
俺は、テレビに映っている芸人のことを言っているのだと思った。
「だな」
「けどな、へらへらすんのも大事なんだよな。ダサいって思うかもしんねぇけどさ」
「実際ダセぇだろ」
「そう言うなよ。俺はなぁ、全人類がへらへらしてたら、この世界は平和になると思うぜ」
「ヤだよ気持ち悪ぃ」
当時、気持ちがすさんでいたこともあり、しかもまだ学生時代だったということもあり、俺は父の言葉を真剣には受け取らなかった。
だが、大人になってみると、あらゆるタイミングでこのやり取りが思い出された。
争いは回避できるのだ。
その方法のひとつとして、へらへらするのは別に悪くない。それ以上のデメリットを回避できるなら。そしてデメリットも、じつのところたいしてない。
まあ「全人類が」というのは……いささか不気味だし、やり過ぎだとも思うが。
間違ったことは言っていない。
いい悪いとは別で、単にロジックが破綻していないという意味でしかないが。
安田少年はうなずいた。
「俺も、霧島さんを見習って、少しはへらへらできるよう頑張るよ」
「う、うん……。分かってくれたなら……嬉しい……」
ただこれは、俺が褒められたというよりは、父親が褒められたようなものだ。俺は自分の父を立派だと思ったことはないが……。もしかすると、いろいろ考えていて、なにかをつかみかけていた人間だったのかもしれない。考えるのが面倒でへらへらしていた可能性もあるが。
しかしポイントは、やはり「全人類が」なのだ。
主語がデカい。
一方的に折れ続けていると、一方的に折ろうとするヤツが生まれる。だから俺たちは、まずはそいつらをへらへらするよう教育しなくてはならない。かくして全人類がへらへらしたとき、この世界から争いは消滅する。
なかなかサイコパスじみた思想じゃないか。
そう考えると、なかなかヤバい父親だったのではないかという気もしてくる。
(続く)
 




