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見て、月だよ  作者: 不覚たん
第七部 蛇足

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主語がデカい

 一度騙された人間は、二度、三度と同じ手口で騙されるという。

 俺もそうなのかもしれない。


「なにか、ウマそうな仕事ありませんか?」

 ある日の食堂。

 カウンター席についた俺は、婆さんにそう尋ねていた。いちばん聞いちゃいけない相手だと分かっちゃいるのに。

 婆さんも不快そうな顔だ。

「サル以外でかい?」

「サル以外でお願いします」

「ありゃしないよ、そんな都合のいい話。どうしても金が欲しかったら、まっとうにコツコツ働きな。あたしみたいにね」

「そんな……」

「どうせその刀を適当にぶん回して、他人の命を金に換えようって魂胆だろ? 人間、そうなっちゃおしまいだよ」

「ごめんなさい」

 なぜか説教されてしまった。

 だが、完全にこの婆さんの言う通りだ。


 だいたい、俺の借金というのは、このアパートを守るために背負ったものだ。しかも借金の相手は事務所。踏み倒していいとは言わないが、利子がつくようなものでもないのだから、そんなに焦って返済する必要はない。

 幸い、ネコキャバには出入禁止になっているから、使うアテもない。


 食堂は混雑していない。

 なのだが、隣に腰をおろす男たちがいた。


「不景気そうな顔だな」

 師匠だ。

 隣に安田あんだくんもいる。

「この人、いつも不景気そうですよ」


 ツラは生まれつきだ。

 余計なお世話なんだよ。


 俺は煮物をつかんだ箸をとめ、溜め息で返した。

「なんです? 二人そろって俺をバカにしに来たんですか?」

「いや。食事をしに来たんだ。君を揶揄やゆしたのは、そのついでだな」

「勘弁してくださいよ」

 師匠だけならまだしも、すぐ調子に乗るコバンザメまで一緒だ。まだ俺の師匠の弟子のつもりでいる。


「師匠、なんかいい仕事ありませんか?」

「あるが」

「えっ? ある? なんです? 教えてくださいよ」

 だが彼はちらとこちらを見て、婆さんから定食の乗ったトレイを受け取った。

「君には向いてないかもな」

「なんでですか? 一番弟子の俺に向いてない? どんな仕事なんです?」

 すると師匠は周囲を確認してから、小声でこう告げた。

「じつはアパートの外に関する事案インシデントでな」

「はい?」

「けど、君はマズいだろ? 服役中の脱走犯なんだから」

「……」

 服役中の脱走犯――。

 あらためて言葉にされると、クソみたいな肩書だ。こんなヤバいヤツが自由にうろついているなんて、ここの治安は大丈夫なんだろうか。


「いや、そもそも、外? どうやって連絡とってるんですか?」

「ここには入口も出口もあるんだ。なんだってできる」

「入口はともかく、出口は封鎖されてますよね?」

「そこなんだが……」

 なんだ?

 なぜ続きを言わない?


 師匠は婆さんの目を気にしていた。

 管理組合には聞かれたくない話か。


「少し長くなる。食事が終わったら、部屋で話そう」

「はい」


 *


 かくして食事を終えた俺たちは、師匠の部屋に集まった。

 テーブルには謎の資料が山と積まれている。いったいなにを研究しているのやら。


 部屋にはなぜかコバンザメも一緒だ。というか、少年はここで師匠と一緒に暮らしているらしい。住み込みで働いて、じつにかいがいしいことだ。だからといって一番弟子の座が入れ替わることはないが。


「で、事情というのは?」

「本館の上階で供物が横領されていた件は、どうやら君が対処したらしいな」

「ええ。このアパートで起こった問題を解決してるのは、たいてい俺だと思ってください」

 いろいろ首を突っ込んだ結果、そうなってしまっている。

 事実なのだから仕方がない。


 師匠もさすがに苦笑いだ。

「次は出口で問題が起こっていてな」

「問題もなにも、開かずの扉ですよね? こないだは開いてましたけど」

「生命の樹で閉ざされているからな。基本的に、人の出入りはできない。不命者でもな。しかし命のないものなら通行ができる」

「どうやって?」

「式神に運ばせるのだ。粒子化してな」

 ああ、なるほど。

 供物と同じだ。それなら扉を突破できるかもしれない。少なくとも物理的な障害は障害にならない。


 俺は思わず首をかしげた。

「あれ? でも、だったらなにが問題なんです?」

「それが分からんのだ」

「分からん?」

「生きたものは、誰もそこへ行くことができないんだぞ? 確認しようがない。予想だけはできるがな」

「その予想を教えてください」

 師匠がただ「分からん」で済ませているわけがない。


 彼はニヤリと不敵な笑みを浮かべた。

「あくまで仮説だがな。開かずの間に向こう側――水輪の世界で、何者かが術を使っているとしたら、説明がつく」

「何者か、とは?」

「それは分からん」

「水輪に入らない限り、なにも分からない、ってことですか。じゃあまずは水輪に入る方法を調べないとですね」

「言っておくが、上から穴をあけて降りようなんて考えるなよ。あっちは別世界だ。開かずの扉でしかつながってない」

「風輪はつながってましたけど……」

「あれは天井の全面が転移装置になっていたからな」

 あのとき空いた穴は、自動的に修復されつつあり、いまではほとんど埋まっているという噂を聞いた。


 しかし水輪か。

 生命の樹の根を殺さねば行くことができない。

 樹の根を殺せば、アパートが消滅する。


 師匠は指の隙間からこちらを見た。

「ふむ。死んでるな」

「いや、待ってくださいよ。生きてますから。だいたい、師匠も同じでしょ?」

「さっきも言った通り、命のあるものは移動できない。だが、命のないものなら? 粒子化して行けるかもしれない」

「……」

 嫌な予感がする!

 どうせクソみたいな思い付きで、人体を粒子化するつもりなのだ。その実験体として、どうでもいい人間を探している。


「俺、やりませんよ?」

「理論は完成している」

「試したんですか?」

「それはこれからだ」

 ほれ見ろ。

 予想通りだ。


 俺は溜め息をついた。

「やっぱり、俺には向いてない仕事みたいですね」

「そうだな。粒子化して向こうへ行くまではいいが、そのまま戻ってはこれないからな。一度人間界に出て、それからアパートに戻ってくることになる。ここの出口は特定されているから、二十四時間、見張られている。君が出て行ったら、即座に逮捕だろうな」

 もちろんだ。

 服役中の脱走犯なんだから。

 ただ、俺はちゃんと服役したほうがいいんだろうとは思ってる。復讐のためとはいえ、三人もの命を奪ったのだ。のうのうと生きていていい人間じゃない。

 そうなる前に、別れの挨拶くらいはしておきたいところだが。


 師匠はふんと鼻を鳴らした。

「ま、言ってみただけだ。君を行かせるつもりはないから、そんな顔はしないでくれ」

「はい」

 心に迷いがある。

 俺はここでの生活を捨てたくない。

 いつまで続くか分からないここでの生活を……。


 師匠は咳ばらいをした。

「それより、安田くんから君に話があるぞ」

「えっ?」

 なんだ?

 決闘を申し込んできたりしないよな?


 少年はバツの悪そうな顔で立ち上がった。

「霧島さん、ごめんなさい。俺、あんたのこと勘違いしてたかも」

「はい?」

 なんだ急に……。

 逆になんなんだ?


「俺、霧島さんのこと、なんの努力もしてない、ただのへらへらした大人だと思ってて……」

「う、うん……?」

 これは謝罪なのか?

 あらためて傷ついたのだが?

「けど、まあまあ努力してるみたいだし……」

「うん……」

「へらへらしてるのも、あえてのことだって聞いて」

「はいはい」


 まあ、へらへらしてるのは認める。

 こっちが優勢の時はいいが、不利になるとすぐへらへらする。ただの性格もあるが、わざとやっている面もある。


 これは昔、師匠にも感心された話だ。


 まだ学生だった俺は、ある日曜日、父親とテレビを見ていた。

 暇人向けのどうでもいい番組しかやっていなかったこともあって、俺も父親も上の空だった。


 ただ、鉄パイプでぶん殴られたり、一二三いろはが亡くなったりで、父は父なりに俺のことを気にしていたのだろう。

「大人って、みんなへらへらしてるよな」

 急にそんなことを言い出した。

 俺は、テレビに映っている芸人のことを言っているのだと思った。

「だな」

「けどな、へらへらすんのも大事なんだよな。ダサいって思うかもしんねぇけどさ」

「実際ダセぇだろ」

「そう言うなよ。俺はなぁ、全人類がへらへらしてたら、この世界は平和になると思うぜ」

「ヤだよ気持ち悪ぃ」

 当時、気持ちがすさんでいたこともあり、しかもまだ学生時代だったということもあり、俺は父の言葉を真剣には受け取らなかった。


 だが、大人になってみると、あらゆるタイミングでこのやり取りが思い出された。

 争いは回避できるのだ。

 その方法のひとつとして、へらへらするのは別に悪くない。それ以上のデメリットを回避できるなら。そしてデメリットも、じつのところたいしてない。


 まあ「全人類が」というのは……いささか不気味だし、やり過ぎだとも思うが。

 間違ったことは言っていない。

 いい悪いとは別で、単にロジックが破綻していないという意味でしかないが。


 安田少年はうなずいた。

「俺も、霧島さんを見習って、少しはへらへらできるよう頑張るよ」

「う、うん……。分かってくれたなら……嬉しい……」

 ただこれは、俺が褒められたというよりは、父親が褒められたようなものだ。俺は自分の父を立派だと思ったことはないが……。もしかすると、いろいろ考えていて、なにかをつかみかけていた人間だったのかもしれない。考えるのが面倒でへらへらしていた可能性もあるが。


 しかしポイントは、やはり「全人類が」なのだ。

 主語がデカい。

 一方的に折れ続けていると、一方的に折ろうとするヤツが生まれる。だから俺たちは、まずはそいつらをへらへらするよう教育しなくてはならない。かくして全人類がへらへらしたとき、この世界から争いは消滅する。

 なかなかサイコパスじみた思想じゃないか。

 そう考えると、なかなかヤバい父親だったのではないかという気もしてくる。


(続く)

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