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見て、月だよ  作者: 不覚たん
第七部 蛇足

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朝帰り

 事務所で一泊したのち、俺はそのまま帰宅せず、食堂へ寄った。

 朝食には遅いが、昼食には早い。ブランチというやつだ。

「残り物しかないよ」

「それでいいです」

 婆さんは顔をしかめつつも、体裁を整えて定食を出してくれた。白飯と味噌汁、それに肉じゃが。おまけで焼き海苔。じゅうぶんご馳走だ。


 俺がメシを食い始めると、婆さんは一人で喋りだした。

「例のサルが、またあんたと勝負したいそうだよ」

「えっ? あいつ、もう生き返ったんですか?」

「まさか。そもそも死んでないのさ」

 あのクモ女、サルを解放したのか?

 いったいどういう了見なんだか。


 俺は食いかけのメシを味噌汁で流し込んだ。

「こっちはもうごめんですよ。あのサル野郎、小細工ばっかりだし。そもそも俺、賭け事には向いてないんです。酒も女もからきし。その上、金もない。やってることと言えば、刀をぶん回して他人の命を奪うことだけ。どう思います?」

「最低の男だねぇ……」

「そうでしょ?」

 あらためて確認するまでもなく、本当に人の風上にも置けないようなヤツになってしまった。

 しかも、これを好きでやってるんだから仕方がない。

 ある種の……理解されなさみたいなものを、一人で楽しんでいるわけだ。みんなと同じことをすれば、みんなと同じになれるのに。自業自得だ。


 老婆は目を細めた。

「いいニュースがあるよ。聞きたいかい?」

「それはぜひ」

 量が少なかったから、食事はすぐに終わった。

 老婆は茶を出してくれた。熱くて苦い茶だが、メシのあとにはサッパリする。

「日暮って男を知ってるだろ? ああ、返事はしなくていいけどね。あいつは謹慎処分に決まったよ。規約に違反したからね」

「ずいぶん早い判断だな」

「以前から分かってて泳がせてたのさ。で、調査が済んだから、もう用済みってわけさね」

「怖い組織ですねぇ」

「これに懲りたら、もう大っぴらにできない仕事はしないことさ」

 大っぴらにできない?

 博打はいいのか?


「ところで、例の強制排除ってのは、ホントに実行されるんですか?」

「さあね。けど、本館の上階にまともな分配がなかったのは事実さ。連中が自分の取り分を要求するのは当然の権利だわね。あとは御所が判断するだろうさ。いや、いまは議会が判断してるんだったか」

 みんなで分けてもなんとかやっていけるのだ。

 争うよりも、そっちのほがいい。


 *


 帰宅すると、ふうちゃんとセンさんが談笑していた。たまにジュリエットも。


「もう。なんでまっすぐ帰ってきてくれないんですか? 心配するじゃないですか」

「ごめんごめん」

 ふうちゃんはぷぅと頬をふくらませている。

 怒っていてもかわいい。

 王朝の仕事から解放されて、いまでは以前のような優しさを取り戻してくれた。


 一方、センさんは余裕の態度だ。

「わたくしは心配しておりませんでしたよ。旦那さまのことは信頼しておりますゆえ」

「信頼されるようなことはなにもしちゃいませんけどね」

「フフフ……」

 目を細めてうっすらと笑う。


 バン、と、トイレのドアが開いた。

「だから、状況は私が報告したじゃないですか。もっと私のことも褒めてくださいね。あとケーキ食べ放題の件、忘れないでください」

「はい」

 大量のケーキを発注せねば。

 神社が以前と同じように要求に応じてくれるかは分からないが。


 俺はごまかすように部屋を見回した。

「で、たまことマリカは? 学校?」

「そうですよ。たまちゃん、学校が楽しいみたい。はじめは勉強なんて嫌だって言ってたのに」

 ふうちゃんは嬉しそうだ。

 もちろん俺も嬉しい。

 西那さんは、二人のために初等部を作ってくれた。読み書きと、四則演算をやるだけの簡単なクラス。だが不命者の大半は、その知識さえもたずに生きている。


 ふと、ふうちゃんが不審な動きを見せた。テーブル上にあった書類を、すっと自分の後ろに移動させたのだ。脇にどかすだけならともかく、なぜ後ろへ?

「お茶、いれますね」

「ああ、お気遣いなく」

「まあまあ。座っていてください。パイもありますよ」

「ありがとうございます」

 さっきメシを食ってきたばかりだなどとは言えまい。


 センさんが三味線をいじり始めた。

「フフ、お人好しですね」

「ホントに」

「いえ、ふみこさんではなく、あなたのことです」

「俺は厄介になってる立場ですから」

 本当なら於路地の使っていた部屋で、イチカと一緒に暮らしてもいい。

 ただ、そうするとたまこがうるさい。一緒に住んでいないとイヤなのだという。あいつはワガママばっかりだが、そのワガママに振り回されるのは楽しい。

 一人で生きていると、自分のことさえ満足させればいいわけだから、生活のすべてが最小化されてしまう。それが長く続くと、いろんなことを忘れてゆく。忘れた状態を、いつしか当然だと思ってしまう。


「センさんは、なぜあそこに?」

 俺がそう尋ねると、彼女は手を止め、三白眼でこちらを見た。

「おや。やっとわたくしに興味を?」

「まあ」

「理由はありませんよ。ただ、少し食べ過ぎたせいで、周りに誰もいなくなってしまっただけで」

 殺し過ぎたのだろう。

 なぜビーストになっていないのかは不明だが。本館では、食べるための殺しは許されているのかもしれない。


「俺のことは食いませんでしたよね」

「はい。外道になりかけていて、おいしくなさそうだったので」

 外道――。

 獣の古い呼称だ。

 あのときの俺は、確かに半分くらい人間ではなかった。鱗まみれだった。


 彼女は愉快そうにくすくす笑った。

「というのは冗談ですよ。いちど死んだら生き返れない人間が、あんな姿になってまでネコを探しに来たのです。なんだか見守りたくなってしまって……。ひっくり返ったテントウムシを応援しているような……」

「テントウムシ……」

「寝顔も苦しそうでしたよ。ずっとうなされていて……。よほど大事なネコなんだろうと。私もそれくらい想われてみたいものです」

「いや、あのときは俺もパニックで」

「いいのです。必死で生きている姿に、心を打たれたとでも思ってくださいな。わたくしなんぞは、望みもせぬ力を与えられて、よそから奪うことしか知らなんだゆえ。少々、うらやましかったのですよ」

 強いなら強いなりに悩みもあるのか。

 ちょっと理解できない悩みだが。


 トレイをもったふうちゃんがすぐ近くに腰をおろした。

「お二人とも、ちょっと距離が近くありませんか? 霧島さんは、みんなの霧島さんですよ。センさんといえども、お手付きは禁止です」

「フフフ……」

 みんなの、か。

 こんな俺でも、みんな受け入れてくれる。いないより、いたほうがいいという。

 必要としてくれることに感謝しないとな。

 笑顔、感謝、キラキラ、だ。

 いまとなっては忌まわしいフレーズだが。ひとつひとつは別に悪くない。個人の状況を無視して押し付けようとするのが悪いだけで。


 俺は「ありがとう」と紅茶を頂戴した。

「ところでふうちゃん、さっきなにを隠したんだ?」

「はい?」

「なんかテーブルに……」

「わーっ!」

 いきなり大声を出した。

 ごまかすにしてもヘタクソ過ぎる。

「いや、だから……」

「わーっ!」

「書類が……」

「わーっ!」

 急に子供っぽくなるのはなんなのか。


 トイレのドアがバンと開いた。

「その女はね、男同士がくんずほぐれつしてる漫画を描いているんですよ! 信じられますか!? 私は男女の絡みが見たいって言ったのに!」

 教えてくれたのは嬉しいが、どさくさに紛れて自分のリクエストを押し通そうとするんじゃない。


 ふうちゃんは赤面して身をよじっている。

「ち、違うんです! 今度、合同で本出すってことになって!」

「合同とは?」

「いえ、ですから、西那先生と、真由ちゃんと……」

「ま、真由ちゃん? 澤山真由さんのこと?」

「はい」

 澤山真由は、毛羽毛現けうけげんのような獣になっていた女子高生だ。風輪から戻ってきたと思ったら、ホモ漫画を描き始めるとは。


 どうせ多賀峰の企画だろう。

 作家に売れそうな漫画を描かせ、上前をハネるのだ。

 まあ違法性があるわけでもないし、ビジネスとしてはまっとうなのかもしれないが。あいつがやっていると考えると、なんだか許しがたいものを感じる。


 センさんも困惑顔だ。

「目の前に手ごろな殿方がいるのに、なぜわざわざ漫画にするのか、いまいち理解に苦しみますわいな」

「いいんです。理解とかじゃありませんから!」

 周囲の意見に流されず、己の信念を貫き通す姿は見習いたいところだが。これがホモ漫画についての熱弁だと思うと……。


 玄関のドアが開いた。

「ただいまー。あ、霧島! 朝帰りかよ! お酒くさい!」

 マリカだ。

 今日もやたらとスカートが短い。


 ふうちゃんがエプロンで手を拭きながら出迎えた。

「たまちゃんは?」

「また寄り道。あいつ、気になることがあるとすぐそっち行っちゃうんだから。大丈夫よ。すぐ帰ってくるから」

「分かった」

 まるで母親と娘みたいなやり取りだ。

 実際、マリカはたまこと似たような扱いを受けている。寝るのも風呂も三人一緒。執拗にお姉ちゃんと呼ばされるなどなど。庇護欲もここまで来ると行き過ぎかもしれない。


 マリカは酒臭いのを我慢したような顔で近づいてきた。

「ねー、霧島。ボスから聞いたよ。天邪鬼あまのじゃくについて調べてるんだって?」

「天邪鬼?」

「あまにゃんだよ。ネコキャバで働いてる女。あんまあいつに関わんないほうがいいよ。悪い噂しかないから」

 ネコキャバ――。

 その単語が出た瞬間、ふうちゃんとセンさんの目つきが鋭くなった。

 が、なにも言ってこない。

 怖い。


「あの店、もとは普通の茶屋だったんだ。でも儲かってなくて。それを立て直すとか言って、悪いヤツらが乗っ取ったんだよ。あの女も、その悪いヤツらの一味。でも上が売上みんな持ってっちゃうから、ちっとも儲かってないみたい。あいつに借金があるかは分かんなかったけど。本人も、ほとんどタダ働きみたい」

 ひどい話だ。

 働いても一円にもならないなら、バックレたくなる気持ちも分からなくはない。

「だったら、俺たちが逃がすより、御所に取り締まってもらうべき案件かもな」

「ダメダメ。その悪いヤツら、御所ともつながってんだから」

「議会が黙認すると思うのか?」

「議会っていっても、半分は御所だよ? まだそこまでの力はないよ」


 ふうちゃんはしょぼくれた顔になってしまった。

 彼女はなにも悪くないのに、責任を感じているのだろう。


 べべん、と、三味線が鳴った。

「その話、経営陣がそっくり入れ替われば解決するのでは?」

「はい?」

 なにか怖いことを言い出した。

 センさんは微笑している。

「法が関与せぬなら、法外にて対処可能ということでございます」

 そして誕生日の歌――ではなく、朝の歌を弾き始めた。


 物騒なことを考えていなければいいが。


(続く)

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