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見て、月だよ  作者: 不覚たん
第七部 蛇足

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その頂にあるもの 六

 意外なことに戦闘はなかった。

 ただ、脇道からじっと見つめてくるヤツはたくさんいた。不安そうな顔をしていた。


 そして問題の三十階――。


 出迎えたのは、小柄な坊主頭の若者だった。

「来ちまったか……」

 顔立ちは例のサルにそっくり。

 一族はみんなこの顔立ちなのかもしれない。


 日暮さんが先頭に立った。

「どの件かは理解しているようだな」

「兄貴はどうしたんだ?」

「兄貴ってのは……あのサルのことかな? まだ生きてるよ。いまは下でおとなしくしてもらってる」

「分かった。長老から話がある。来てくれ」

 罠かもしれない。

 だが、どうにも敵意のようなものを感じなかった。


 *


 案内されたのはアパートの脇道だった。

 奥には老婆が背を丸めて座っていた。顔立ちからするに、彼女もましらの一族だろう。


「太郎はどうしたえ?」

「下にいるって」

「そうかえ。で、こちらは?」

 老婆は目を開くのも億劫な様子でこちらを見た。


「日暮です。供物横領の件で調査をしています」

「ふぁあ。横領かえ。よう言うわい。まるで犯人扱いだの」

 横領を否定しない。

 やはり犯人だろう。


 朽拿は指の隙間から老婆を見て、うなずいた。

 彼女が術の使い手で間違いあるまい。


「皆さんが供物を横取りしているせいで、階下のものたちが困っております。やめていただけませんか?」

「困る? はて……。わしらが困っておったとき、下の連中はなんかしてくれたことがあったかえ? ん?」

「それは分かりませんが、あなた方の行為はあきらかに規約を違反していますので」

「下で独占しておったものを、上で独占する。それのなにが違う?」

 どちらも譲る気はなさそうだ。


 俺は壁に背を預け、リラックスすることにした。

 この話は長くなるかもしれない。


 *


 要約すると、老婆の主張はこうだ。


 供物はあるのに、この上階には決して回ってこなかった。

 御所や別館で独占しているせいである。

 自分たちはこれまでの借りを返してもらっているだけだ。

 自分たちだけで独占しているのではなく、近隣の住民にも配布している。おかげで周囲の治安は回復しつつある。

 これを悪というのなら、等しく御所も罰してみせよ。


 *


 だが、日暮さんはまるでマニュアル作業員のように冷徹だった。

「もともと本館にも神社があったのに、それを徹底的に破壊したのはましら王朝だったはず。それで食料がないなどと言われても知りませんよ。分配に関しても、御所が決めることであって、我々にはどうすることもできません。とにかく、迷惑行為をやめてくれないのなら、強制排除の手続きに入ります」

 老婆の表情に変化はなかった。

 ただ、静かに、ゆっくりと、溜め息だけが漏れた。

「歴史も知らぬわっぱでは話にならんの。所詮、ぬしらにとっては他人の命。どうでもいいんだろうの」

「私は個人的な感情で動いているわけではありません。規則に従って行動しています。とにかく、自主的に停止してくれないのなら、強制排除という結論は変わりませんので」


 強制排除、か。

 具体的にどうするつもりやら。


 すると、ぞろぞろと近所の連中が集まってきた。

「婆さま、わしらどうなるんだ?」

「もう、メシ食えんようなるんか?」

「また地獄に逆戻りじゃねーか」

 ざっと見た感じ、ましら以外の連中もいるようだ。

 婆さんの言う通り、この辺のみんなに食料を配っていたというわけだ。

 もしいま事を起こせば、ここにいる全員を敵に回すことになるだろう。


 日暮さんは溜め息をついた。

「皆さん、静粛に。いますぐどうという話ではありません。今回はあくまで調査が目的。話をいちど持ち帰り、組織の判断を待ちます」

 かくして強制排除は実施される、というわけだ。

 不命者を殺したところで意味はないから、この婆さんはどこかに幽閉されることになるんだろう。


 老婆は大儀そうに片目を開いた。

「帰るんか、童ども? せっかく来たんだし、一番上まで見て来たらいいわえ。ぬしらにとっては、なつかしいものが見られるだろうさ」


 *


 人々の視線は厳しかったが、それでも治安はよかった。


 歩きながら、余計なお世話とは思いつつ、俺はこう尋ねた。

「日暮さん、本当にやるんですか?」

「本当に、とは?」

「強制排除ですよ。彼らにも事情があったみたいだし……」

「上階に分配されないのは、あくまで本館の問題だ。横領していい理由にはならん。俺たちには、食糧の供給を正常に戻すという役目がある。これはアパートの利用規約なのだ。規約を破ることは許されん」

 まあ管理組合には管理組合の理屈があるのだろう。

 俺たちはそれに助けられている。

「規約を破ってるなら、いずれビーストにならないんですか?」

「なる。だが、その蓄積はごく緩やかだ。罪の重さに比例せず、な。それがこのアパートなのだ。スエの感情が強く作用している」

 スエさんか。

 だが、いまはもう一人の価値観が加わっているかもしれない。


 進むにつれ、なんだか不思議な雰囲気に満ちてきた。

 明るい?

 いや、実際の明るさではなく、空気が軽い気がする。

 草花の……においがする……。


 *


 三十二階――。


 住人はいなかった。

 その代わり、優しい光に満ちていた。


 外だ!

 人間界が見える!


「え、これ出口じゃないですか?」

 俺は我が目を疑った。

 廊下の先に、草原が広がっている。

 小さな山花も咲いている。


 駆け寄ってみると、それはドアではなく、水面のようになっていた。いや、水面というにはカタ過ぎた。通過できない。


 朽拿が溜め息をついた。

「ムダだ。向こうから入ってくることはできるが、こちらからは出られない」

 術の心得のあるものが言うのだ。おそらくそうなんだろう。


 日暮さんも呆然とした顔で近づいてきた。

「ああ、なんてことだ。目の前にあるのに、行くことができないとはな」


 新鮮な空気。

 やわらかな陽光。

 以前は気にしたこともなかったような景色。

 でも、ずっと触れることのできなかった光景。


「え、ちゅみみ、あっち側に住みたいっちゅ……」

 感動でぷるぷるしている。

 もしここで生まれたのだとしたら、初めて見る光景だろう。


 *


 どれだけ見ていたかは分からない。

 ただ、飽きるまで見ていた。

 重い腰を上げたのは、日が傾いてきて、やや空に赤みがさしたころだった。


 帰り際、猿から握り飯をもらった。

 たくあんもついていた。


 わけも分からず涙が出そうだった。

 田舎に帰ってきたような……。


 *


 二十六階――。


 クモの巣まみれのフロアに戻ってきた。


「どうだった? 私の言った通りだったでしょ?」

 クモ女は勝ち誇った顔でそう告げた。

 少しイラつくが、その通りだ。


 和木巡査は生きていたが、マネキンのように直立していた。

 たぶん会話に困ってフリーズして、そのままなんだろう。

 命に別状はない。


 俺はつい頭を抱えた。

「ただ……」

「ただ?」

「なんだか、あいつらを責める気にはなれなくて……」

「あらあら。お優しいのね、人間さまは。もしかしてこのおサルさんも助けて欲しいとか言わないよね?」

 聞かれたくないことを聞いてくる。


 俺は抜刀し、サルが会話できるよう繭を裂いた。

「あんたの意見も聞きたい」

「ぜんぶ見たんだろ? 俺たちはただの泥棒じゃねぇ。ただメシが食いたかっただけなんだ」

 このサルは、もしかすると国家転覆など狙っておらず、食料をぶんどって上階を救いたかっただけなのかもしれない。その動機が義憤なのか、朝廷への対抗心なのかは判然としないが。


 ここは力がすべてだ。

 いや、ここだけでなく、まともな法があっても、その法を守らせるだけの力が必要だ。

 結局は力なのだ。


 俺はあきらめた。

「話は理解できる。けど、すまん。分からない。判断できない」


 このサル野郎は悪人じゃないのかもしれない。

 かといってサルを救えば、クモ女を裏切ることになる。

 クモ女は、おそらく力づくで全員食うこともできたかもしれないのに、交渉に応じてくれた。

 誰かを守れば、別の誰かを傷つける。


 日暮さんは鼻で笑った。

「約束は約束だ。そのサルは餌にしてもらって構わん。俺たちはもう行く。ほら、霧島さんも行くぞ」

「はい」

 俺は自分を利己的なタイプかと思っていたが……。比較にならないほどドライなヤツもいたものだ。いや、意外と一般的な人間というのは、こんな感じなのかもしれない。


 クモ女に頭をさげて、俺はその場を退去した。

 サルがその後どうなったのか、おそらく知ることはあるまい。


 *


 散発的な襲撃を受けつつも、十六階のジュリエット宅に到着。


「ごめん。また御厄介になるよ」

「あのサルは?」

「クモの餌になった」

「そう」

 ジュリエットはそれだけ言うと、トイレのドアを閉めてしまった。


 不命者は死んでも生き返る。

 だからサルにとっては終わりじゃない。

 そう考えて自分を納得させるほかない。


 *


 ゴールは、本館の食堂にある汚い厨房だった。


「調査は成功だ。約束通り、報酬を支払おう」

 日暮さんはそう言って札束を取り出した。


 そうだ。

 金のために働いたんだ。

 せめて支払いくらいはぽんと気前よくやって欲しい。


「ここに100万ある。これを、五人で分ける」

「えっ?」

 俺たちの声が重なった。


 まず、「分ける」の意味が分からない。

 ひとり100万ではなかったのか?


 しかも人数にも疑問がある。

 五人!

 俺、ちゅみみ、朽拿、和木巡査。そこまではいい。だが、あとの一人は? まさか日暮さんまで報酬を受け取るつもりでいるのか?


 ちゅみみが地団駄を踏んだ。

「どういうことっちゅか! これじゃ20万しかもらえねーっちゅ! 100万ってのはウソだったっちゅか!」

「ウソは言ってない。全体の報酬が100万。それを五人で分けるんだ。フェアな話だろ?」


 このグラサン野郎……。

 よく平然とドデカいウソをぶちかましてくれたものだ。


 朽拿も眉をピクピクさせている。

「せ、説明と違うのでは……」

「こちらとしては、きちんと説明したつもりだ」


 和木巡査はフリーズしているからいいとして。


 俺にも言いたいことがある。

「なるほど。あんたに言ってもムダなら、管理組合に問い合わせるしかなさそうだな」

「それだけはやめてくれ……」

 極秘任務だったはずだ。

 問い合わせがいったら困るのはこの男だ。

 こんなウソつき、とっととビーストにでもなってしまえばいいのだ。


 ともあれ、俺は20万だけつかんで厨房を出た。

 この心の傷は、ネコキャバで癒してもらうしかない。幸い、ポケットには金がある。命もある。キャバらない理由がない。


(続く)

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