その頂にあるもの 五
このまま危険度も高まるかと思いきや、意外と襲撃の数は減っていった。
シンプルに人口密度が低いらしい。
襲撃は散発的。
たいていは和木巡査の発砲でカタがついた。
そして二十六階――。
ここも空気が淀んでいた。
誰もいないかのように。
ただ、あちこちにクモの巣があった。小さなものではない。壁一面。あるいは天井いっぱい。ときには道をふさぐようにして。
邪魔な糸を両断すると、中から白骨が転がり出てくることもあった。
不命者は死んだら生き返るはずだが、密閉されていたせいで生き返るチャンスさえ与えられなかったか。あるいは不命者ではないものが犠牲になったか。
朽拿が「いるぞ。その先」と皆を制した。
先とは?
どこにも見えないのだが……。
いや、視界の端に動くものがあった。だが、そちらへ向き直ったときには、もはや姿も見えなくなっていた。
移動している……のか?
サルがふんと鼻を鳴らした。
「どうした? 今度はどう対処するんだ?」
「なんだよそれ。部外者みたいなツラしてないで、あんたも参加してくれよ」
「ふん。俺はただの道案内だ。気楽に傍観させてもら……」
サルが壁に寄りかかった瞬間、その荷重に反応したのであろう。張りつめていた数本の糸が外れて、サルに絡みついた。
「おっ? な、なんだ!? 俺、どうなって……?」
もがけばもがくほど、粘着性の糸にくるまれてゆく。
「残念だな。仲間だったら助けているところだが、ただの傍観者じゃな」
「み、見捨てるのか?」
「終わってから考える」
俺は抜刀し、縦に斬撃を加えた。だが、天井から降ってきたクモ女にはかすりもせず、床に突き刺さってしまった。
髪の長い女だ。下半身がクモみたいだった。動きが迅い。来たと思ったらどこかへいなくなっている。
敵は床だけでなく、天井だろうが壁だろうがおかまいなしに移動できるらしい。しかも音を立てない。俺の苦手なタイプだ。
朽拿が衝撃波でトラップをひとつずつ無効化し始めたが、その合間にもクモ女は新たな糸を張りながら移動した。そのうち周囲を糸まみれにされてしまうだろう。
「発砲します! 発砲します!」
和木巡査は役に立たない。
こいつは動いている標的に当てるより、動かなくなった死体に当てる方が得意なのだ。戦力としてアテにすべきじゃない。
一方、日暮さんは慎重だが、それだけにほとんど撃たない。
体力を温存しているのか。
通路が次第に囲われてゆく。
時間をかければかけるほど不利になる。
「え、やば。ちゅみみ、あんなのに食べられたくないっちゅよ」
行動範囲が狭くなれば、ちゅみみの攪乱も意味をなさなくなる。
そもそも拾った包丁を握っているだけだから、クモ女に対抗できるような戦力ではない。
右手はもともと壁だったが、前方と後方、それに左の脇道までもが、ほぼ純白の糸で覆われてしまった。
まあクモ女も入ってこれない状況だが。
いったいどうすれば?
土下座して許してもらうか?
「た、助けて!」
サルはぶんぶんと身を揺らしている。
おかげで大部分が繭のようになってしまっている。きっと暴れないほうがいいのに。
「おい、サル。動くんじゃない」
「もっと優しく言えよ!」
「可能な限り優しく言ってるんだよ」
ぶっ殺すぞ。
いや、違う。
敵はクモ女だ。
というか……もっと正確に言えば、彼女はただここで暮らしていただけで、侵入者は俺たちのほうなのだが……。
それでも廊下はみんなのものだ。
こんなに糸まみれにされたら、自由な通行の妨げになる。
ふと糸の壁が開いて、女が顔を覗かせてきた。
にぃと笑顔だ。
「閉じ込めちゃった」
「失礼。なにか誤解があったようだ。俺たちはただ、ここを通りたかっただけで……」
「ふーん……」
言葉が通じるなら、それに越したことはない。
「刀を抜いたことは謝罪します。ただ、廊下をこんなふうにするのは……」
「ここでは私がルールなの。私の好きにさせてもらう」
「戦いを望むと?」
「いいえ」
ずっとニヤニヤしている。
サイコパスにしか見えないが、戦いを望んでいないのだとすれば……チャンスはあるか?
「どうすれば通してくれます?」
「罠にかかった餌は、私がもらう。まだ罠にかかってない餌は、行っていい」
サルを献上すれば見逃してくれるというわけか。
まあ心理的には問題ないが。
プランの進行上は困る。
「申し訳ないんだが、そのサルをくれてやるわけには……」
「なんで? こいつ、下の子たちに迷惑かけてるサルでしょ?」
「えっ?」
サルは反論したいらしく、なにやらもごもご言っているが、もはや完全にパッケージングされてしまっている。
女は言った。
「知らないの? 人間界から、ときどき供物が送り込まれてくるでしょ? それは普通、術で不可視にされて、下へ流れてゆくはず。猿はその供物の横取りを始めたの」
まだ最上階に到達していないのに、犯人が見つかってしまった。
日暮さんはきょとんとしてサングラスを押し上げた。
「え、それ……ホントに?」
「ウソだと思うなら、猿たちの縄張りを覗いてみるといい。きっとたくさんの供物が見つかるはずだから」
「じつは俺たち、その調査に来たんですよ。まさかこいつが犯人だったなんて」
クモ女にとって、じつに都合のいい筋書きだ。
このサルが犯人ということになれば、俺たちは躊躇なくこいつを置き去りにする。クモは難なく餌を得る。
だが、それがウソだという証拠もまたなかった。
俺は刀を鞘に納めた。
「一回、確認してきていいかな? もし事実なら、そのサルは好きなようにしていい」
「んー。でも私、待つのは苦手……」
「そのサルは嫌いだけど、証拠もなしに見殺しにはできない」
「誰か、お話しの相手を残しておいてよ。そしたら待ってあげる。もちろん食べないから」
おっと。
これはまた揉めそうだな。
日暮さんは肩をすくめた。
「悪いが、俺は今回のプロジェクトのリーダーという立場もある。証拠を見届けなきゃならない」
他の誰かに残れと言っている。
まあそりゃそうだろう。
俺もうなずいた。
「いいですよ。けど、みんなで話し合ったところでたぶん決まらないから、日暮さんが決めてくださいよ」
「和木巡査、頼む」
返答が早い。
巡査も「えっ? 自分でありますか?」と面食らっている。
「公務員ってのは全体への奉仕者だろう? 信頼してる」
日暮さんが敬礼すると、和木巡査も反射的に敬礼をした。
うまいこと乗せやがったもんだ。
「話はまとまった? じゃあ行って。戻ってくるまで、このおサルさんは食べないであげる」
「感謝します」
日暮さんは深々と頭をさげた。
*
「惜しいヤツをなくしたっちゅ」
「まだ死んでない」
ちゅみみのジョークに、俺はいちおうつっこんでやった。
本当に故人になる可能性もあるが。まあ不命者だし、そのうち生き返るだろう。
日暮さんは盛大な溜め息だ。
「まさかあのサルが犯人だったとはな」
得意顔なのは朽拿だ。
「僕は読んでいたけどね。猿は王朝を奪還するために、食料を備蓄していたんだ。これですべての点と点がつながる。彼が僕たちに同行して、協力するフリをしていたのもね」
本当に読んでたのなら、最初からそう言って欲しかった。
どうせ後付けだと思うが。
まあいい。俺はしいてそこにはつっこまず、話を進めることにした。
「あいつ、俺たちが調査員だってたぶん気づいてましたよね。まあこうして集団で上を目指してるんだから、最近の事件と関係してるのは明白なわけで。その上で……縄張りに引き込んで、俺たちを謀殺しようとしていた可能性がある」
つまり三十階へ行けば、猿どもに囲まれる可能性があるということだ。
幸い、こちらが先に気づけたことで、奇襲にはならずに済みそうだが。問題は起きてから対処するのではなく、起きる前に対処するものだ。
ちゅみみがつぶやいた。
「あのサル、たまにネコキャバにも来てたっちゅよ。自分には両手で数えきれないくらいの部下がいるって自慢してたっちゅ」
両手でも十人。
戦えない数ではない。
まあサルだから、両足も使って二十と見てもいいか。
問題は術だ。
供物を横取りするのは、おそらく簡単なことではない。少なくとも一人、とんでもない術者が紛れている。
そいつさえどうにかできれば……。
俺はちらと横を見た。
「天才軍師さんよ、あんたの術の腕前はどの程度なんだ?」
「は? いままで見せてきただろう。僕の得意分野は頭脳戦であって、術ではない。あまり期待しないでくれ」
「供物をぶんどるようなヤツがいるんだ。術の力が必要だ。頼りはあんただけなんだ」
「やれやれ。どうしても僕の力が必要か? いいだろう。才能の一端を見せてやる。その代わり、汗水たらして剣を振り回すのは君の仕事だ。せいぜい僕をサポートするんだな」
「任せてくれ。完璧にやる」
俺には術の才能がない。そこは他人に任せるしかない。
こういうとき、作業はきっちり分担したほうがいい。苦手なヤツに苦手な仕事をやらせるよりも、得意分野を担当させたほうが効率がいい。だから俺たちは仲間を必要とする。そして仲間は、強い。仲間という言葉が鬱陶しいなら、ビジネスパートナーでも共同作業者でもなんでもいい。とにかく一人では不可能なことが可能になる。
さ、事件解決まであと一歩だ。
推理力じゃなくて、暴力で解決というのが、探偵としては恥ずかしいところだが。まあ解決すればなんでもいい。俺には金が必要だ。
(続く)




