その頂にあるもの 二
「あ、皆さんおそろいでどこ行くにゃ? よかったら寄ってかない?」
ネコキャバの前を通りがかると、いつものネコ耳お姉さんが呼び込みをしていた。
ちゅみみは下卑た笑みだ。
「姐さん、違うっちゅよ。これはそういうんじゃないっちゅ」
「え、ちゅみみ? なんの集まりなの?」
「ちょっと別のバイトで」
「あー、うんうん。分かった。邪魔しない。私のことは気にしないで。どうぞお通りくださいにゃ」
なにかを察したらしく、そのまま通してくれた。
しばらく進んだところで、日暮さんが教えてくれた。
「さっき言ってた手配師ってのは、彼女のことだ」
「騙されてますよ」
「そんな気がしてきたな……」
サングラスをしているが、あきらかに渋い表情をしている。
俺はつい皮肉を抑えきれなかった。
「しかし管理組合ってのは、ずいぶん人材不足なんですね……」
「採用条件を知ったら、きっと驚くぜ」
「教えていただけるんですか?」
「なんらかの罪を犯した上で、神に許しを請うことだ。獣になる手前でな。俺たちは自分のおかした罪を、労働でペイしてる」
なるほど。
そういう回復の仕方もあるのか。
まあ獣にするのも式神なんだから、それを直すのも式神のご機嫌次第というわけだ。先生がその術を知らなかったのは不思議だが……。いや、知っていて黙っていた可能性もある。
「謎が解けましたよ。食堂の婆さんも、なにを好き好んで働いてるのか不思議だったんですが」
「だが、どんな罪かは詮索しねぇでくれ。悔いているからこの道を選んだんだ。みんなそれぞれの事情を抱えてる」
「大丈夫ですよ。そんな野暮なことしませんから」
俺に解決できる問題じゃない。
というより、彼らは自分たちで解決をはかっている。他人がなにかをする必要はない。
*
しばらく進むと、敵襲があった。
「ひゃあ! 肉だぁ!」
ずいぶん遠いのに、叫びながら包丁を振り回してくる。
ふと、後ろから大きな声で宣言するものがいた。
「和木巡査、発砲します!」
ひゅんとエネルギー弾が飛び、敵の頭部を撃ち抜いた。
攻撃用の射撃だ。
頭部は木っ端微塵にならなかったが、カウンターパンチでも入ったかのように顔面をひしゃげさせた。一撃でダウン。危機は去った。
和木巡査は興奮したように目を血走らせながら、二発、三発と撃ち込んだ。
「ひ、ひーっ! 発砲します! 発砲します!」
銃を持たせちゃいけないヤツだった……。
敵は弾丸を受けて、踊るようにひしゃげていった。
死んでいるかは分からないが……。どうみても身体の骨が折れている。腕も足も、ありえない方向に曲がっている。あきらかに弾のムダだ。
「和木巡査、もういいだろう」
日暮さんがそう告げると、和木巡査はハッとした様子で顔をあげた。
「ほ、本官はなにを……」
「犯罪者を制圧したんだ。一発も外してない。腕は確かなようだ」
「射撃は得意ですので」
射撃の腕は確かなのかもしれないが、気は確かではないぞ。
大丈夫なのか、こいつは。
朽拿がふんと鼻を鳴らした。
「一度撃ち始めたら、気絶するまで止まらない和木か……。こういうのを現職にとどめておくから王朝はクソなんだ。やはり僕が支配すべきだった」
支配とか言ってる時点でダメだと思うが。
ちゅみみが袖を引っ張ってきた。
「人間、いま気づいたっちゅけど」
「どうした?」
「ちゅみみ、武器持ってないっちゅ。どこかで借りられないっちゅか?」
こいつはマジでなにしに来たんだ。
「そこに落ちてる包丁でも拝借したらどうだ?」
「あ、いいっちゅね。でもなんかきたねー包丁っちゅよ」
「もっといいのが見つかったら、それと交換すればいい」
「はーっ。人間、賢いっちゅね」
帰りたい。
そしてネコキャバで飲みたい。
いや、そんなことしてるから借金が減らないのだが……。
*
少しは治安がよくなったかと思ったが、特にそんなことはなかった。
二階や三階はまだマシだったが、四階以降はなにも変わっていない。壁には「呪」やら「殺」やら落書きされている。血痕もある。骨も転がっている。
「そこ、罠があるから気を付けるんだ」
朽拿は後ろから偉そうに指示してくる。
いや、そう邪険にするべきじゃないな。俺たちの命を救ってくれているのだ。彼には術の心得があるらしい。
術以外の罠は、ちゅみみが見つけてくれた。
「あー、落とし穴っちゅよ。こんなの引っかかるバカいるっちゅか? こんなの、うちのチビだってかかんねーっちゅよ」
「……」
残念ながら、俺はかかったヤツを知っている。
*
もっとあっけなく死者が出るかと思いきや、まったく被害もないまま十二階に来てしまった。
もしかして、イケるのか?
いや、気を抜いてはいけない。この階には、例のカニがいる。あいつらの本拠地だ。
「あーっ! お前! お前ぇ! 待てぇい! 止まれぇい!」
ロープでぐるぐる巻きにされたサル顔の男が、こちらを見てわめき出した。
天井から吊られている。
賭場で会ったサルだ。
確か、マシラとか言ったか。
和木巡査が目を見開いた。
「たしか前王朝の……」
「マシラ三世だ。どこかの裏切り者のせいで、王になり損ねちまったがな」
例のカニも、確か猿の生き残りとか言っていた。
やはりそうなのか。
ドアが開き、カニの爺さんが姿を現した。
「なにやら騒がしいと思って見てみれば、またお前か……」
前回は口八丁で戦闘を回避できたが、今回はどうだろうか。
ま、戦って殺せない相手ではないが。
サルがふたたびわめいた。
「か、賭けをしねーか!? なァ!?」
「賭け?」
無視すればいいものを、カニが聞き返してしまった。
「そうだ。賭けだ。蟹谷爺、あんたが勝てば、この人間を殺していい。その代わり、俺が勝ったら、俺を自由にしろ! どうだ? 乗るか?」
「乗るわけなかろう、こざかしい猿め。お前はそこで干物になるのだ。おとなしくしておれ」
「なあ! 人間たち! 助けてくれよ! まさか見捨てねーよなァ!」
なんとかこちらを巻き込もうとしている。
乗るわけないだろ、バカめ。
サルはじたばたもがきながら言った。
「JSの秘蔵写真だ! 俺が自由になったら、それをお前たちにやる!」
反応したのは朽拿だった。
「JSだと……?」
「そうだ。JSだ。試す価値はあるぞ? 保証する」
まさか、乗らないよな?
朽拿はフードをあげ、さっと手で前髪をながした。
「賭けの内容は?」
こいつバカだろ。
悪いが、負けたら一人で死んでもらうぞ。
カニも困惑している。
「待て。やらんぞ。こちらにメリットがない」
そうだ。
全員冷静になれ。
俺たちは別の仕事できているんだ。くだらないことに時間を割いている場合じゃない。
だが、朽拿のスイッチが入ってしまった。
「ほう。かの蟹谷爺ともあろう御仁が、勝負から逃げると?」
「わしらは学習したのだ。サルの提案に乗ってロクな結果になったことがない」
「だが、僕はサルじゃない」
「ふん。カッパも似たようなものだろう」
カッパだったのか。
やたら大袈裟な名前だから、もっと壮大な妖怪かと思ったら。
カニはしゃがみこんだ。
「だが、いいだろう。こちらが勝てば、約束通り皆殺しにさせてもらうぞ」
「いや、それじゃ釣り合わない。取引するのは一対一。殺していいのはこの人間だけだ」
朽拿の野郎、俺を売り飛ばしやがった。
だが反論するまい。
カニが勝った瞬間、ぶち殺してやる。生きたまま刺身にされるのはごめんだ。たとえどんなに腕のいい料理人だろうとな。ついでに誤チェストで朽拿も葬っておくか。
サルは悪い笑みを浮かべている。
「勝負はコイントスでおこなう。イカサマなしの一発勝負。コインは俺が投げる」
全身を縛られているが、足は出ている。サルが体を振ると、隙間からコインが落ちてきた。それを指で器用にキャッチする。
本館には紙幣しか流通していないはずだが、このコインは一体……。
サルはピンとコインを弾いた。それを両足でばちんと挟んだ。
「さ、投げたぞ。表か裏か、好きなほうに賭けてくれ。絵のほうが表、無地のほうが裏だ」
「表だ」
カニが無表情のまま告げた。
サルがなにかを仕込んでいない限り、確率は二分の一。考えるだけムダだ。
朽拿が前髪を払いながら、フッと不敵に笑った。
「おや、いいのかな? ヒントも聞かずに」
「ヒントだと……?」
カニが眉をひそめた。
ヒント……。
そういうものがあるのか……。
サルは眉をへの字にして盛大に溜め息をついた。
「ヒントなんかあるわけねーだろ、バカ。こっちはできるだけシンプルにしたいからコイントスにしたんだよ」
「果たしてそうかな? 君は生き延びるためにこの賭けを提案したはず。策があるだ」
「だから、ねーんだよ、バカ。イカサマなんかしたら獣になっちまうだろーが! たとえシンプルな博打でも、生存率0パーセントだったのが、50パーセントになるんだよ。不命者の自覚ねーのかこのバカは」
「バカじゃない! 僕はバカじゃない! さっきから黙って聞いていれば、好き放題言いやがってこのサルぅ! 賭けを放棄することもできるんだぞ!」
「残念だけど、いまから放棄したらあんたの負けだよ。もう相手は賭けちまってるんだからな」
「じゃあ僕も表だ! これならどうだ? 引き分けだろ!」
プライドが高いだけでなく、頭に血が上りやすいタイプのようだ。感情のコントロールができていない。もっとも、それができているなら、そもそも賭けを始めたりしないわけだが。
「ならこちらは裏でよい」
カニは表情も変えずに告げた。
これはもう……度量の大きさからして格が違う。
ま、たとえ聖人君子だろうが、ありえないほどのバカであろうが、運だけで勝敗を決められてしまうのがコイントスだ。
朽拿は眼球をぷるぷるさせていた。自分も裏だと言おうとしている顔だ。
だが、サルがそうさせなかった。
「いざ!」
体を傾けて、一方の足の裏を上へ向けた。まるで手みたいに器用に足を使うものだ。
コインには絵が描かれていた。
表。
朽拿の勝ち。
カニは表情を殺したまま、静かに告げた。
「イカサマだな」
「は?」
「お前は右の足と左の足、どちらを上にするのか自分で決めることができた。自分が助かるほうを選んだのだ」
言われてみればその通りだ。
コインは両足で縦に挟まれていたから、その時点では裏でも表でもなかった。
サルはふっと笑った。
「見苦しいぜ、蟹谷爺。もしおかしいと思ったなら、開く前に言わなきゃダメだ。もう結果は出た。こっちのあんちゃんの勝ちだ」
「ならば実力行使というのはどうだ?」
こいつのハサミは鋭いだけでなく、重い。まともに受けたら身体を貫かれる。
俺も抜刀した。
「実力行使でいいなら最初からそう言ってくれよ」
「劣等種が、調子に乗りおって……」
「その劣等種にぶっ殺されたかわいそうなカニはどこのどいつだよ。また前みたいな目に遭いたいのか? いや、今回はもっと強めにお仕置きしてやろうか。じつは俺、冷凍のカニしか食ってことがなくてな。冷凍じゃないのを食ってみたいと思ってたんだ。もちろん生でな……」
水っぽくて味の薄い安物の……でもいちおう本物のカニ。
俺がリアルに食ったことがあるのはそれだけだ。
いや、回転寿司ではウマいカニを食ったことがあったかもしれない。カニじゃないかもしれない。本物かどうかは知りようもない。
カニはぐっと眉をひそめた。
「分かった。行け。二度と顔を見せるな」
暴力はすべてを解決する、と、誰かは言った。
だが暴力で問題を解決すると、その暴力自体が次の問題となる。エンドレスだ。大人になったほうがいい。だが俺たちが大人を気取るためには、まともな法が必要だ。ここにはそれがない。不幸な話だ。
俺は刀を一閃させ、サルを吊るしていたロープを切断した。
「サルは頂戴する」
「ふん」
カニは体当たりでドアを押し、自分の部屋に戻ってしまった。
カニ専用の両開きのドアのようだ。まあそうでもなければ、出入りのたびにドアを破壊することになる。
*
サルはぐっと背を伸ばしながら言った。
「助かったぜ。あんたらには借りができたな……と、言いたいところだが。そっちの人間、前回の勝負は忘れてねーよな?」
「なんの話かな?」
ドンジャラしか知らない俺にマージャンで勝負を賭けてきたのだ。フェアじゃない。
サルはふんと鼻を鳴らした。
「まあいい。これでチャラにしてやる。あー、でも助けてもらってなんだが、あんたら、こんなところでなにしてるんだ?」
「仕事だよ」
面倒なので仔細は語らなかった。
サルに説明してやる義理はない。
ところが、サルはやけになれなれしく近づいてきた。
「上に行くんだろ? 道案内が必要じゃねーか? 俺、この辺の出身なんだよね。力になれると思うぜ」
これに日暮さんが渋い顔をした。
「雇いたいのはやまやまだが、じつは予算が」
「ああ、いいからいいから。こっちは命を救ってもらった身だし。恩返し恩返し。ああ、あとそっちのあんちゃんも。約束の秘蔵写真だ」
サルは懐から数枚の写真を取り出した。
もうぱっと見ただけで分かるが、被写体はおっさんだ。
押し付けられた朽拿は固まっている。
「えっ? はっ? こいつは誰だ?」
「知らないのか? ヨ○フ・スター○ンだが?」
間違いなくJS!
まあロシア人だからそのままではJSにならないのだが、英語で表記するとJSになるのだ。もうこればっかりは仕方がない。
日暮さんは肩をすくめた。
「じゃあ行こう。先は長い」
まだ十二階だ。
三十二階まで半分も来ていない。
(続く)
 




